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第18話②

 寝室の中は甘い香が焚かれ、オレンジ色のランプが寝台の側にいくつか置かれていた。ばたん、と背後で寝室の大扉が閉まる。  オースティンが横抱きにしていたリオンを、整えられた寝台へと下す。覆いかぶさってくるオースティンの顔を見て、リオンははっとした。  彼の顔には怒りのような強い感情があったのだ。 (え……? オースティン怒ってる?)  驚いて問いかけようしたが、オースティンが口を開く方が先だった。 「今から君を抱くよ」  覚悟を決めた言葉に、心臓がどくりと打った。  リオンは動揺する心を抑えるように「は……はい」と小さく頷いた。  その途端にオースティンの身体から甘い香りが漂い始める。それに呼応するように、じんわりとリオンの身体も熱くなっていく。自分の身体からも、甘ったるいオメガのフェロモンが放出されていくのを感じる。  目の前の琥珀色の目の中に欲情の炎が灯った。  瞳孔がぶわっと広がり、その中に自分の怯んだような顔が映り込む。 「リオン」  強い眼差しで見つめてくるオースティンが知らない男のように見えてきてしまい、リオンは息を呑んだ。 (どうしよう……怖いだなんて思っちゃいけないのに……)  混乱している間にもオースティンが顔を近づけてくる。唇が触れそうになり、リオンは咄嗟に顔を背けてしまった。 (あ……)  オースティンが動きを止めた。まずいと我に返ったがもう遅い。寝台の上には気まずい雰囲気が漂う。  だがオースティンはそのまま首筋に唇を落としてきた。熱い唇で鎖骨を辿りながら、初夜用の白い着物の腰元が緩められた。オースティンの長く綺麗な指が裾から忍び込む。  掌で肌を撫でられた途端に身体が竦んで、ひっと悲鳴が出そうになってしまった。 「……ぁ……、っ……、待って」 「待たないよ」 「オースティン……っ」  オースティンの身体を押し返そうとした両手は掴まえられ、シーツの上に縫い付けられる。いつのまにか足を大きく開かされ、その隙間にオースティンの身体が滑り込んでいた。熱い身体が密着し、自分に覆いかぶさる男の身体の大きさと分厚さに本能的な恐怖が沸いてくる。 (怖い……)  目の前のアルファが怖い。  そう思ってしまってリオンは慌てて振り払った。  目の前のアルファはオースティンだ。いつも優しくリオンを見守ってくれて、これから番になる人だ。  リオンが狼狽えている間にも、オースティンの唇はどんどん下へと下がっていく。胸の頂をちゅっと音をだして吸われ、身体が慄いた。呼吸が上がってくる。 (落ち着け、落ち着け――)  落ち着こうと大きく息を吸い込むと、甘い匂いがした。アルファのフェロモンだ。オメガである自分を興奮させ蕩けさせる、とろりと粘膜からしみ込んでいくような芳しい香り。  吸い込んだ途端にぶわっと体温が上がる。身体が勝手に興奮していく。  だが心はどんどん冷たくなっていくようだった。まるで心と身体が乖離されていくような感覚に耐え切れず、リオンはぎゅっと目を閉じた。 「リオン――」  小さなオースティンのささやきが聞こえる。  甘く蕩けるような優しい声だ。  それに、甘い蜂蜜みたいな香りも、  肌に優しく触れる、柔らかな指の感触も、  目を閉じていると強く感じる。  (大丈夫だ。この人はオースティンだ。知らないアルファじゃない)  懸命に言い聞かす。だがふと思ってしまった。 (ああ――この人はクレイドじゃないんだ……)    甘さも愛想もない低く響く声も、  太陽に照らされた干し草のような匂いも、  かさかさに乾燥したマメだらけのごつごつした指も、  いつでもまっすぐで、深い悲しみさえも奥に隠して静かに微笑む灰色の瞳も――。  真っ暗な視界の中に、鮮明に一人の男が浮かび上がっていく。 「――クレイド……」  気が付くとリオンはそう口にしていた。オースティンがぴたりと動きを止めた。 「……リオン?」  身体を起こしたオースティンが顔をのぞき込んでくる。  はっと目を開けると、すぐ間近で琥珀色の瞳がこちらを見ていた。その瞬間リオンの恐怖と混乱は極限に達した。  ぶつっと身体と心を繋ぐ線が切れたように、心だけが暴走し始める。抑えきれない激情にどっと涙が溢れだす。 「あ……あ……あ……」  リオンの急変を感じたオースティンが、驚いたようにリオンの顔に触れようとした。 「リオン、どうした? 大丈夫か?」 「嫌……嫌だ……。――あっ!」  オースティンの腕の中から抜け出そうとしたリオンは、勢い余って寝台の下へと落下した。  身体に衝撃と痛みが走り、オースティンが驚いたように「大丈夫か!?」とリオンの身体に触れてくる。その手を反射的に払いのけた。うつ伏せになり、床を這いずって逃れようとする。 「嫌だ、触らないで!」 「リオン、分かったから落ち着いて! 危ない、ランプが――」  がしゃん、とすぐ近くでガラスが割れる音がして、リオンはさらにパニックに陥った。 「リオン、危ないから暴れないでくれ! ガラスで怪我をしてしまう!」  オースティンが何か言っていたが、リオンには聞き取ることが出来なかった。 (怖い、怖い、怖い)  手足を振り回して暴れても、目の前の大きな身体に易々と封じられ動けなくなった。押さえつけられた手首が痛い。上に乗りかかる人が怖くて仕方ない。  リオンは唯一自由になる口から声を張り上げた。 「嫌だ――」  嫌だ。  嫌だ。  あの人じゃないとだめだ。  あの人以外に触れられたくない。   「クレイド――!」     バンっと大きな音を立てて寝室の大扉が開いたのはそのときだった。

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