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第20話②
「実は……一か月ほど前に兄上へ久しぶりに手紙を送ったんだ。クレイドが番を得たことを報告して、これからブルーメの恩恵に頼らない国づくりをしていこうと考えていることを書いた。だがまさか兄上から返事がくるとは……」
書状を持ってきた騎士に「ご苦労だった」と下がらせてから、オールティンは戸惑ったように口を開いた。
二番目の兄・ユリウスとオースティンは、ユリウスがギランに嫁いだ以降かなり疎遠になっていたらしい。
オースティンは茫然と手の中の書状を見つめていたが、やがて覚悟を決めたように封を開いた。齧りつくようにして読み、目を通し終わると天を仰いだ。
「オースティン……? どうしましたか?」
クレイドが堪りかねたように聞いたが、オースティンは黙り込んだまま答えない。
何か悪い報せなのだろうか……と固唾を呑んで見守っていると、オースティンがゆっくりとこちらを見た。
「兄上は……正しい道を選んだと……僕のことを自慢の弟だと仰ってくれた……」
ぐっと噛み締めるようにしてオースティンが言う。その目尻はかすかに赤くなっていた。
「『ギランの国王もノルツブルクの新しい歩みを応援している』と……『ノルツブルクの後ろ盾になる意志があるようだ』とも……」
「おお、なんと!! 本当ですか!」
ドニが驚いたように声を上げた。オースティンは茫然と「ああ」と頷く。
「これは兄が弟の私に当てた個人的な私信だが、『近いうちに使者とともに正式な親書を送る』とも書いてある」
「すごいじゃないですか陛下! 陛下がギラン国の支援を取り付けたとなれば、一気に改革がやりやすくなります!」
ドニが嬉々として言い、エルも勢いよく何度も頷く。
リオンとクレイドは驚きに顔を見合わせた。
(本当に――?)
もしこの手紙の通りにオースティンがギランの支援を取り付けたとなれば、ヴァルハルトへのけん制にもなる。それにドニの言う通り、オースティンに反対するであろうノルツブルクの王族への強力な圧力にもなる。
「まだすべてを鵜呑みには出来ないが……今の時点では吉報であることには間違いなさそうだ」
顔を明るくする面々を見渡しながら、オースティンが嬉しそうに言葉を続ける。
「兄上は、僕とクレイド、そしてクレイドの伴侶をギラン国へ招きたいとも言っているぞ」
(ん……? クレイドの伴侶って……?)
リオンは一瞬遅れて気が付いた。クレイドの伴侶とは自分のことだ。
「ええっ、僕も?」
つい大きな声が出てしまった。オースティンがくすりと笑う。
「何をそんなに驚いているんだい? 王族として他国を外遊するのは良い経験になるだろう?」
「それはそうでしょうけども……」
もごもごと言っていると、クレイドがそっとリオンの肩を抱いてくれた。
「不安なのですか?」
「うん……まあ、情けないけど」
「大丈夫です。あなたのことは死んでもお守りします」
クレイドがまっすぐにリオンを見つめて言う。すっかりリオンはその精悍な顔立ちに魅入ってしまった。
「クレイド……」
「リオン……」
うっとりしてお互いのことを見つめ合っていると、横からオースティンが呆れたように口を挟んできた。
「ちょっと死んでどうするの、死んで。クレイドは新婚なんだよ? 新婚早々未亡人って、リオンが可哀そうすぎる……」
オースティンの言葉に、クレイドもリオンもはっと我に返り、それもそうか……と笑ってしまった。
「まあそうなったらそうなったで、リオンのことはこの僕に任せてもらっても――」
「そんなことにはなりませんよ」
クレイドが怒ったように言い、リオンの腰に手を回す。ぐっと引き寄せ抱き込んでくる。
「リオンは俺の番です。もう絶対にリオンのことは離さないと決めたのですから」
「えっ、ちょっと、クレイドってば」
クレイドの言葉にリオンは赤面してしまった。
思いが通じ合ってからというもの、クレイドはまっすぐな愛の言葉をくれるようになった。とても嬉しいのだけれど、それが人前でも変わらないのでリオンは恥ずかしくて困ってしまう。
「あのー……、そろそろ時間なので行きません?」
エルが声を上げた。エルの隣ではドニが微妙な顔つきになっている。
「あっ、えっ、ごめん!」
我に返ったリオンは慌ててクレイドから離れた。名残惜しそうな顔をしていたクレイドだが、オースティンがクレイドの肩をバンバンと叩く。
「そうだね、これから我々は頭の固い王族の連中どもに宣戦布告をしなければならないからね。ほらクレイド、その締まらない顔をどうにかしてくれ」
「オースティン……言葉が悪いですね。それに『連中ども』という言い方はいかがなものかと思いますが」
「ええっ? だってそうだろう。いくら大した仕事をしない|穀潰し《ごくつぶし》であっても、国王自ら親類を『クソ野郎』などとは呼べないんだよ」
にやりと笑ったオースティンの顔を見て、クレイドは大きなため息をついた。
「……まあ、|穀潰し《ごくつぶし》だという点には同意しますが」
「ははは、そうだろうそうだろう」
オースティンは愉快そうに我ってクレイドの肩をバンバンと叩く。クレイドが顔を大きく顰めた。
「あのオースティン? さっきから肩がかなり痛いのですが、わざと強く叩いてますよね?」
「あはは、わかっちゃった? それくらいいいじゃない。僕にはそのくらいのことをする権利があると思うけど?」
軽やかな笑い声をあげるオースティンに、クレイドは言葉もないようだ。呆れたように頭を振って、リオンのことを振り返る。
「オースティンのことは放っておいて、私たちだけで先に行きましょう」
リオンの右隣に立ったクレイドが、左手を差し出してくる。
リオンは苦笑してその手のひらに自分の右手を乗せた。クレイドが途端に満足そうな顔になる。
するとそれを見ていたオースティンがリオンの左隣に立ち、同じように手を差し伸べてきた。
「頭が固いやつばかりだとリオンが疲れるだろうから、僕は楽しくしてあげているのに、わかってないよねえ」
クレイドがとても嫌そうな顔をしていたのには気が付いていたけど、リオンはせっかくなのでオースティンの手を取った。
まるで二人にエスコートされるような形になり、リオンは思わず笑ってしまった。エルもドニもすぐ後ろに寄り添うように付いてきてくれるので、四人はリオンを守る砦のようだ。
不思議だった。この国に来る前は一人きりで、誰とも分かり合えずに寂しく生きていくと思っていたのに。
(でももう、一人じゃないんだな)
そう強く思い、母親の笑った顔が脳裏に浮かんだ。
そして、ふと思い出した。
(――――ああ……。母さんが昔言っていたことは本当だったんだ……)
昔リオンは、この世界には神様などいないと思っていた。恵まれた人だけに与えられる特権のようなもので、自分には関わりがないものだと決めつけていた。
だけどリオンが母親にそういうと、母親はきっぱりと首を振って言ったのだ。
『誰にでも必ず神様はいるの。リオン、これは間違いなく真実なのよ』、と。
その通りだった。
この世界に確かに神様はいた。
聖書や十字架、教会の中にいるようなものとも少し違う神様だ。
誰かを想うときにふいに心の中に生まれ、形を変え色合いを変え、ときには何かに潜むようにして、そっと他の誰かの心にもぐり込んでいくもの。そうしてこの世界の中をぐるぐる回って循環していくもの――。
(もしかしたら神様は、愛にとても近いものなのかもしれない……)
リオンは滲む視界でぼんやりと空を見上げた。
高く青空は澄み渡り、まぶしいほどの光が降り注いで世界は生まれたてのように輝いている。
風が、つよく吹いている。
「行こう。ノルツブルクが新しい国に生まれ変わる第一歩だ」
オースティンがそう言って、左手を握った。
「お供しますよ、どこまでも」
「カイラン様のなし得なかったことを、僕たちの手で成し得ましょうね」
エルとドニが後ろで呟く。
「リオン……あなたのことは私が必ずお守りします。何があっても」
クレイドがそう言って、リオンの右手を自分の右手で包んでくれる。
「……うん」
リオンは繋いでいる右手を握り返り、息を細く吐きだしながら目を閉じた。
こんなに守られていてもいまだに不安はある。
自分が素晴らしい人間になれるかどうかもまだわからない。
だけど、自分には大きな愛で助けてくれる人がいる。
叱ってくれて、穏やかに見守ってくれる人がいる。
――そして、心から愛してくれる人がいる。
この先何が起きても、きっと乗り越えていける。
リオンは大きく息を吸い込み目を開けた。
(――行こう)
そしてまっすぐ前を見据え、光あふれた世界へと、リオンは一歩足を踏み出した。
(了)
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