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兄上と不法入国者3
休日が明けて出てきたリツのフワフワ加減にシアもサカキも何かあったことを悟り苦笑したのが1ヶ月と少し前。
最初に異変に気付いたのは直属の上司であるサカキだった。
リツが変だ。
「体調が悪いのか」と訊いても本人は少し怠いだけ、と笑う。しかし小さなものとは言え、リツらしからぬミスが続けば心配にもなるだろう。
一度警備中のカナトをひっ捕まえて問いただしてみたが、カナトにもわからないらしく首を振られた。
本人はただ怠いだけだからと医者に行くのを断るし、無理矢理連れて行こうかどうしようか考えていたのだと言う。
「サーカキ君、たっだいまぁ~!」
どうしたもんかとため息をついた所へ玄関から賑やかな声が。
ウェンリスまで会合に行っていたシアが戻るのは今日だったか、と暦を見る。実に半月ぶりだ。
「静かで良かったのに」と彼の弟は言うだろう。似た者同士であることは本人もわかっているようだが。
「あ、リッちゃんたっだいまー!」
リツもいるのか、と部屋を出彼のことは少し相談するべきだろうと考える。あれしきの休日では足りなかったかも知れないのだし。
「シア様、お帰りなさいませ」
「……リッちゃん?どっか体調悪い?」
一目で体調を見抜く辺り流石と言うべきか。馬鹿な言動ばかりが目立つサカキの父親は決してその通りの馬鹿ではない。
「あぁ、いえ。大丈夫です。少し怠いだけですから」
にこりと笑うリツの額に手を当てたシアの眉間に皺が寄った。
「……何か、熱っぽくない?」
「最近ずっとなので……」
「あの、リッちゃん……。最近やたら眠たいとかちょっと味の好み変わったなー、とか、ない?」
「え?よくお分かりになりますね……」
少し驚いてから、彼は不安気にシアを見上げた。
「あの、……もしかしてやはり何か病なのでしょうか…?」
平気だと言いはしたが、周りが不安がればそれは伝染する。カナトの不安はリツにもちゃんと伝わっていたのだ。
「あ、いや、うん。普通なら考えられないけど、や、でもヒトハはヒト種とは違うわけだし……」
「?父上?何か心当たりでも?」
「サカキ君!パパの事はパパって呼んでって言」
「ち、ち、う、え?」
最後まで言わせず言葉を挟むと、髭のおっさんはぷーんだ、等と拗ねながら
「ちょっとカッちゃんとこ行ってくるー」
と一言。カッちゃん?と全員一致の声なき質問に
「うん、孤児院のカッちゃんー」
当たり前のように返った言葉。元皇太子、元ドS、ある意味元調教師のカツキをちゃん付けできるのは恐らくこのおっさんだけだ。
「カッちゃーん」
シアの呼び掛けにカツキは隠すことなくその嫌そうな顔を上げた。
庭で共に遊んでいた子供達が何だ何だとわらわら集まってくる。
「お前達、向こうで遊んでいろ」
「えー?カツキせんせぇはー?」
「後で行く」
「じゃあ次はアタシがカツキせんせぇのお嫁さんするからね!」
「ダメだよ!次はノノだもん!」
喧嘩をしながら素直に去る子供達を見送ったシアの肩が震えるのを見、カツキの眉間には益々皺が寄る。
「相変わらずモテモテだねぇ」
「煩いな。そんなことを言いに来たのかい?暇人め」
「まあ、待ちなよ。聞きたいことがあってね」
償いの途中とは言え、言葉遣いを変えることの出来ない元皇太子にまあまあ、と言ったシアが軽く悩む間を開けてカツキを見た。
「僕らはヒトハの事をよく知らないんだ」
「そうだろうね」
ヒトハに関わる文献はアティベンティスには殆んど残っていない。
「だから怒らないで教えて欲しい」
「回りくどいな。一体何が知りたいんだい?」
「……男でも、妊娠する?」
他人が聞けばこの男は何を言い出すんだと奇異な物を見る目をしただろうが、カツキの表情は変わらない。
やがて彼は一つため息をついて答えた。
「本当に稀に、だけどね。純血に近い程確率は上がる。あとは何か条件でもあるのだろう」
過去あれだけの凌辱を受けた二人が何かの拍子に妊娠する可能性は高かった筈なのだ。
背後でガシャン、と物が落ちる音がして、振り返ったカツキは直ぐ様逃げようとしたがその前にガッチリと捕まった。
「い、今の話しは本当ですか!?」
厄介なヤツに聞き付けられた、と顔にはありありと書かれている。
「カツキさん、純血ですよね!?カツキさんと俺の子が出来るかもしれないって事ですよね!?」
「離せ、俺は出来ない体だ」
「何でわかるんですか!?」
「昔試した」
「嘘付かないで下さい!カツキさん、俺が初」
ゴスッ、と顔面に拳を食らったリョウが顔を押さえて座り込んだ隙に
「聞きたいことはそれだけだね?俺は忙しい。ではな」
と走り去るカツキの後ろを
「待って下さい!」
とリョウが追って行く。
「平和だなぁ……」としみじみ思いながら孤児院を後にした彼は、それからステュクス一の医師を訪ねた。
「……え、嘘……、でしょう?」
それとも自分の妄想か。
しかしリツを診ていた医師はもう一度同じことを答える。
「いいえ、嘘じゃなく。おめでたです」
「そんな、だって、私は男ですよ……!?」
あり得ない、と混乱する彼の肩をそりゃ混乱もするよね、とあやすように叩きながらシアは言う。
「カッちゃんに確認してきた。純血に近い程、男でも妊娠する確率は上がるんだって」
カツキが嘘をついているのでは、と思った。
過去にあれ程の事をされているのだから無理もない。
しかしそんな嘘をつくメリットがどこにあるのか。
「ほ、んとう……に?」
「本当ですよ。ただヒト種の男は妊娠しませんからねぇ……。女性と同じ診察でいいのかわかりませんが、最善を尽くします」
とりあえず暫くは週に一度診察しその様子を見つつ次を決めるけど、異変を感じたらすぐ来るようにと告げ医師は帰った。
「やー、嫁さんが妊娠した時と同じ事言うからまさか、って思ったんだよねぇ」
にこにこと話しかけてくるシアを見ながらリツはソッと腹部を撫でる。
まだ何も感じないのに、そこには命があると言う。
「子供がいる……の?」
「そうだよ、リッちゃん。カナ君との子供がいるの。おめでと」
じわじわとその言葉が浸透する。
子供がいる。
欲しくて欲しくて堪らなかった、子供。
カナトはリングをはめた後、孤児院から子供を引き取ろうか、と言ってくれたのだけれど同じ町に住んでいるのに一人だけ引き取るのも可哀想だと断った。
ならもういっそ孤児院でも開くか、なんて笑ってくれた優しいカナトとの子供。
「ぅ、……っ」
サカキに緊急、と呼ばれ一人シアの部屋へ向かっていたカナトは室内から聞こえた子供のような泣き声にギョッと足を止めた。
それはリツの上げる泣き声だ。幼い子供が大声で泣いているかのような泣き方に止まった足を慌てて動かしドアを開ける。
よしよし、と頭を撫でるシアと泣きじゃくるリツ。何があった、と思わずシアを睨み付けたら彼は花を飛ばす勢いで破顔し言った。
「おめでとう、カナ君!」
「え、何が」
リツを泣かせといておめでとう、と言われても。
「今が一番大事な時期だからね。無理させちゃダメだよ」
「え、や、だから、何が?ですか?」
リツは変わらず泣きじゃくっているし、シアは
「よしよし、これから頑張ろうねぇ」
なんてニコニコしているし。一人状況から置いてけぼりになる。
「カナ、カナトぉ……っ!」
「落ち着いたら今日は帰りなさい。仕事は出れるようになるまで休んでいいよ」
前半はカナトに、後半はリツに向けたシアが出て行って、カナトはわけもわからずソファーで両手を伸ばしているリツへと近寄った。
「……、あの、リツ?どうした?何かあったのか?」
シアを見る限り悪いことがあったわけではなさそうだ。けれどまるで見当もつかない。
「ひ、っう……っ、こ、……っ子供…っ!」
「?子供?」
「ここ、に……っ!」
ここ、とリングのはまった左手が腹を撫でてカナトは固まる。
リツには悪いが、一瞬思い詰めすぎて夢と現実の区別がつかなくなったのかと不安になったのだ。しかし、彼は泣きじゃくり聞き取りにくい声で懸命に言葉を紡ぐ。
「カ、カツキ、が……っ、出来るって……っ。それで、それで、……っさ、っき、お医者様、来て……っ」
ここに、いるって。
頭はフル回転で現状を理解しようとしているのに、なかなか処理が追い付かなくて。ヒックヒックとしゃくりあげるリツが、何度も何度も自分で涙を拭う。
やがて酷く緩慢にリツの涙を拭ったカナトの手は震えていた。
「本、当……、なの、か?」
「うん……っ、うん……っ」
漸く思考が追い付いて、理解して。
「本当なんだな!?」
「うん!」
「そっか!そうなのか!」
思わず涙が出そうになったカナトはリツをキツく抱き締めて笑い、
「やったな、リツ!」
コクコク頷いてカナトへしがみつき、また泣き出したリツの頭を普段よりは幾分か乱暴に撫でた。
ひとしきり泣き続けたリツがやがて泣き止み、カナトは頭を撫でていた手でそろりとその腹部を撫でる。
「いるんだな……、ここに」
「まだ全然わからないのだけれど、お医者様はちゃんといる、って」
「男かな、女かな」
「きっとどちらでも可愛いよ」
「そうだな」
幸せそうな笑みを交わしあい、二人は腹の上で手を重ねた。
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