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兄上と不法入国者5

 ソヨソヨと入り込む風にリツは浅い眠りから目を覚ました。いつも隣にあった温もりがなくなってから1月と少し。  カナトはもう目的地に辿り着いているのだろうか。怪我をしたなんてことはないだろうか。 ギュ、と抱き締めた使われなくなって久しい枕からは、当初感じたカナトの匂いは消えている。それがたまらなく寂しくて、そして不安だった。 「「あにうえー」」  枕に顔を埋めて泣いてしまおうかと思った時玄関から響いた元気な声は、今日も様子を見に来てくれたらしい弟の子供達の声だ。  リツは不安に苛まれる体を何とか起こし扉を開けた。 「おはようございます、兄上」 「「おはようございます、あにうえー」」  アサギを真似た二人も全く同じ挨拶を寄越すのが愛らしく、つい微笑む。 「兄上、体調はどうですか?」 「いつもと変わりはないよ。ありがとう」 「あにうえ、お腹触ってもいい?」 「赤ちゃんとお話ししたいです!」  最近の子供達の目当ては腹の赤子である。毎日毎日飽きもせず赤子に話しかける子供達は魔獣であることすら忘れてしまいそうなほど微笑ましい。  食事の用意をしてくれていたアサギがやって来たのは、子供達がひとしきり話終えて満足した頃。  リツの足元に座り込み、持ってきた玩具で遊ぶ姿に目を細めている。  しかし、ふとその顔が曇った。 「アサギ?」 「……ソラ達は、今どうしてるんでしょう…」  それはリツも思ったこと。平気そうに見えてやはりアサギも不安なのだと知る。 「うん、……どうしているのだろうね」 「本当はシア様……お義父、さんに訊きに行こうかと思ったんですが……」  強要された“お義父さん”――本当に強要されたのは“パパ”だがそれは自分の呼び名だとソラが譲らなかった。似た者同士ここに極まれり、である――に慣れないのかぎこちなく紡いだアサギの表情は冴えない。  無関係でないとは言え、気軽に訊ける類いの話ではないだろう。それに、カナト達が潜入しているという事実がどこから洩れるかわからない。自分達が下手に騒いでしまえば逆に迷惑になるとリツもアサギも不安を押し隠し耐えている。  そんな“母”を心配したか、子供達が顔をあげ言った。 「パパ達はへーきですよ」 「パパはねぇ、ごきぶりだってカツキが言ってたー!」  遥か遠く、屋敷の住人の動きを監視していたソラがくしゃみをしていたけれど彼らには知るよしもない。  アサギはその言い種に笑う。 「カツキとお話ししたの?」 「うん!ママ元気ないからカツキに訊きに行った!」 「パパはごきぶりで、カナさんはぷら……な……??ん、と……アオ、覚えてますか……?」 「……ぷ、ぷり、らり、あ?」 「もしかしてプラナリアかな?」  首を傾げて言ったリツの一言に二人は、それ!と嬉しげに頷いた。  切っても切っても再生する非常に再生力の強い生き物だと言われるプラナリアはドラゴンと同じく伝説の生物である。  かつてはこの世界にもいたとされるが、今ではその目撃情報はなく眉唾物の書物にその姿が記されている位の存在だ。  黒光りする家庭内害虫といい、幻の再生生物といい、カツキの中の二人の位置が何となくわかろうというもの。それでも一応、心配無用だとカツキなりに子供達を宥めた事が窺える。 「刺しても死なないからへーきって言ってたよ」 「だからユウもパパ達はへーきだと思います」 「……そうだね」  言いながらアサギと目を合わせ、二人は小さく笑みを交わした。  かつては敵であったカツキの言う通り、自分達の光はきっと闇に沈むことなどない。 「兄上、僕もお腹触っていいですか……?」  少し気分が明るくなったアサギが側に膝をつくと直ぐ様子供達が左右から抱きつくのは、やはり何度も言いたくなるくらい微笑ましく愛らしい。  物心つく前に両親と死に別れたアサギは親の愛情など知らない。しかしリツが注いだ愛情をしっかり受け止め、色々なものを乗り越え子供達に伝える弟はきっと自分より強いのだろうと思う。 「うん、いいよ」  “母”から“弟”に戻ったアサギが喜色を浮かべ、ソッと触れた下で赤子は元気に腹を蹴った。 「元気ですね」 「最近は夜も蹴るから大変だよ」  思いきり伸びでもしていたのか足の形にぽっこり腹の一部が膨らんだ時は驚いたものだ。 「名前は考えましたか?」 「生まれてから決めようと思って、まだなんだ」  生まれるまでにカナトは戻るだろうか。  出来ればその瞬間には一緒にいてほしいと思うけれど、いない間は自分がしっかりと守らなければならない。  早く出てきてね、とアサギの両隣から腹を撫でる子供達の頭を同じように撫でてやりながら決意を新たにした。 ◇  門の見張りをやり過ごし、ゴミを捨てに来た使用人を昏倒させ縛り上げて繁みに隠す。チョイ、と手で招いて指で軽い指示を出すだけでかつての弟子達はそれぞれ散って配置に付く。  昔を知っているだけに、成長したよなとしみじみ思うけれどそんな場合ではない。  時間がないのはわかっていたが焦って事態を悪くするよりはと半月かけて屋敷を観察し、合流したのはついさっき。  ラトゥルを含め今の状況を確認し合い、とにかく一刻も早くステュクスに帰るべきだと考えたのは連合軍がすでにヒトハを統括するステュクスへ進軍したと聞いたからだ。逸る気持ちはあるけれど、全てを台無しにするわけにはいかない。  アヤヒト達は生きている。  ラトゥルの集めた情報からラーナ館に閉じ込められているのは間違いなく、カナト達が監視した限り今が一番手薄な時間なのだ。  屋敷内に滑り込み左右を確認し、また手の平をヒラリと振る。音もなく駆け出したソラが曲がり角を確認し、合図を。後方確認しながらケイが合流し、センは退路の確保だ。 「地下がある筈だ」  地下水路の道はラーナ館の真下まで続いていた。いざというときの脱出経路として確保してある筈。  外から見る限り屋敷の部屋にアヤヒト達の姿はなかったのだから残りは地下だけだ。 「間取りから言えば……」  恐らくラーナの居室の真下。脱出経路として考えているとすれば妥当である。そして監視している最中、ラーナらしき影が居室で不審な動きをしていたのはセンが確認済みだ。 「行くぞ」  小声で言い、無言で頷いた弟子達を連れ静かに開いた居室の中からは豪快なイビキが聞こえており、主は完全に夢の中のようだ。  ケイが懐から薬を含ませた布を取りだしラーナの呼吸を塞いでいる間に、センの情報にあった本棚を調べていたソラが手招きをした。  ガコ、と微かに本にあるまじき音をならした箇所から風が入り込んでいる。隠し扉があるのだ。ラーナが薬品で更なる深い眠りへ落ちた事を確認し、彼らは扉の向こうへと滑り込んだ。  扉の向こうは少し廊下が続き、その先は階段になっており階段を降りきった先にはまた扉。 試しに回したノブは簡単に開き、中を覗く。魔導師に勘付かれる危険性を考え魔法は使わず、着火材で簡易ランプに火を灯し辺りを見回した。 「っは~、何か息詰まったぁ……」 「ソラ気を抜くな」 「わかってるよー」  弟子達の会話を聞きながら見回していた部屋の中は倉庫のようだ。 「……まだ水路に出てない。先がありそうだな」  カナトの言葉に二人は頷く。 「あんまり時間かけるとセンが危ないからな。行くぞ」  キィ、と少し耳障りな蝶番の音をさせ次の扉が開く。そこはまた階段になっていた。 「なぁんか地下に降りるってやだねぇ。地獄に続いてそうで」 「地獄行きはお前だけだ」 「酷くね!?どっちかっつーとケイの方がさぁ……」  小声で軽口を叩き合いながら周囲への警戒は怠らない弟子達を頼もしく思いながら開けた次の扉の向こう。ひんやり冷たい空気に、水の流れる音が近くに聞こえる。  天井から降ってくる冷えた水が首に落ちたらしいソラがあげた情けない悲鳴に 「……ソラ?」  闇から声がした。 「!アヤ!?」  間違いない、今の声は捜し人の声だ。  ケイがランプの向きを変え闇を照らした先で眩しそうに目を細めているのは、行方不明になっていたカナトのかつての仲間であった。 「……何でここに」  ユキヤが微かに憔悴した顔を向ける。  二人共疲れきって薄汚れてはいるものの、怪我をした様子はない。水路に続く道をチョロチョロ走るネズミを避け鉄格子に手をついた。 「随分いい格好だな、二人共」 「来るのが遅すぎるだろう、カナ。勘が鈍ったか?」 「チッ、喋れないくらい憔悴した後に来ればよかった」  憎まれ口を叩き合いながら鍵を壊して扉を開け、互いの腕をガツリとあわせる。 「悪い、助かった」 「あぁ、無事で何よりだよ」  言いながらカナトは二人の他にもう一人分の気配を感じて視線を向ける。見られた事に気付き、モソリと起き上がった塊をユキヤが支え立ち上がらせるのに口を開きかけ、閉じた。  何があったか、そのもう一人は誰なのか確認するのは後だ。とにかく今は脱出しなければならない。再会の喜びは後回しに彼らは来た道を慎重に引き返した。

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