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兄上と不法入国者7

「殿下!」  丁度アサギがシアの元を出た頃である。  カツキは懐かしい呼び名に暫く動きを止めた。顔に見覚えはない、がカツキを殿下と呼ぶのはセンティスの人間だけ。  その手にセンティス兵の剣を確認し、彼は微かに眉をしかめた。相手はセンティス軍の兵士だ。 「生きておられたのですね、殿下!」  一人が言えば、近くで民兵を蹂躙していた他の兵が喜色を浮かべて集まってくる。誰も彼もが狡猾そうな目をした、性根の悪そうな男達だ。 「お前達はセンティス兵だな?」  一応の確認をとると、彼らはアッサリ頷いた。 「良かった、殿下がいるならこんな茶番はもういらねぇ!」 「頼みますよ、殿下!俺達をセンティスに帰して下さい!!」  その言葉は今回の騒動の大元が誰であるかを告白したようなもの。カツキは微笑みを浮かべたまま兵を見つめる。 「……帰れないから、センティスと同じ状況を作ろうとした?」 「当たり前じゃないですか。ヒトハなんてただの家畜だろ!人間の為に働けってんだ!」  そう、それがセンティスの常識だった。 「殿下!向こうにゃ家族がいるんだ。帰して下さいよ!」  彼らの刃から滴る血を認め、カツキの笑みがスッと冷たいものへと変化する。  氷の皇太子、と陰で囁かれていたその頃のままの笑みに兵達は気付かず、口々に帰らせろと言い募った。 「俺は…あの日言った筈だ」  あの日。ここを墓場にすると決めた日。カツキは付き従ってきた兵に告げた。  残りたければ残れ。だがその先に未来があると思うな。引き返すなら今のうちだ。  それは自分へ向けた言葉だったのかも知れないが、結局の所カツキは引き返さなかったし、兵は帰還命令を受け入れほぼ全員が帰還した。  地面が揺れた事が大きかったのだろうが空に見えていたセンティスの存在も大きかっただろう。誰もが何かが起きていると確信した。だからきっと帰還命令に背く人間は少なかった。  ならば何故この者達は残ったのか。  カツキはひんやりとした笑みを浮かべる。 「俺についてきたら甘い汁を吸えると思ったか?……残念だったな」  帰還命令に背き、カツキの元にいれば顔を覚えられる。カツキがやろうとしている“何か”を手伝い、成功させ一気に伸し上がれる。 「もはや帰る手段などない。お前達は自ら安寧の道を捨てたんだ」  ただ微かに思うのはあの国は今どうなっているのか、ということ。産業を支えていたヒトハは消え、国のトップも消えた。皇帝の親族はいたから彼等が何とかしているだろうとは思うが。  一度科学という楽な道を覚えたセンティスが再び自然と生きるなど到底無理な話。もしかしたらこちらに残った方が安寧だったのかも知れないな、とうっそり笑う。  後悔はしていない。端からその為の命であり、今は償うための命。ヒトハの事も、これで良かったのだと思う。  自然と生きるアティベンティスをセンティスと同じ道へは進ませない。  過去アティベンティスで起きた過ちが再びセンティスで繰り返された事を見れば、いつかはアティベンティスでもまた過ちが繰り返されるのだろうがそれは今であってはならないのだ。 「もはや血にまみれた両手だ。今更惜しむこともない。アティベンティスに不幸をもたらすのならば今一度氷の皇太子に戻るとしよう」  言われた意味を理解できないまま、それでもカツキが自分達をセンティスに帰す気がないのだと知り激昂した男達に、カツキはまたひやりとする笑みを浮かべた。 「ぅ、あ……っあぁぁ……っ!」 「あにうえ」 「あにうえー」  外からの剣劇は止まない。  しかもリツの陣痛は段々とその感覚を狭めている。もう猶予はそんなにない筈だ。  痛みに洩れる声を聞いた子供達が泣きそうに顔を歪めながらも、決してその手を離さないのは母から兄を頼むと言われたからだろう。  健気な彼らを見ながら、リョウは何度目かになる医学書の反復を始めた。処置の準備は万端の筈。  外ではカツキが一人、障壁を張りながら入り口を守っているしアサギは戦火を駆け抜けていったのだ。自分一人弱気でいい筈がない。そしてもうここまで来てしまったのなら本職が来るより先に生まれてしまいそうだと腹を括った。 「……あの、大丈夫、なんですか……?」  不安そうな院長になんとか頷き、赤子の位置と出口の開き具合を確認する。 「それから……、あれを……、で、こうして……」  外の剣劇は気になるがブツブツと反復を続けた。生まれる命と、その親を守らなければ。  全ては一瞬。カツキの手の一振りで彼らは血飛沫をあげる肉塊へと変わった。  そこへ辿り着いたアサギはその光景に一瞬立ち竦む。 「……アサギ。……?医者はどうしたんだい?」  ふる、と首を振って気を取り直した彼は今度は否定の為に首を振った。 「負傷者が多いです……」 「あぁ、成る程……」 「だから、今は……リョウを信じるしかないです」 「とりあえず中へ入れ。敵が多い」  アサギを守るサカキに言われ、アサギが教会内へ向かおうとしたその瞬間。カツキの視界にキラリと光を反射する何かが見えた。――気付いて、理解すると同時に体が動く。突き飛ばされて倒れたアサギが驚いたように目を見開いて。  次の瞬間体全体を貫いた熱。 「カツキ……っ!?」  カツキの体から血の滴る刃が生えているかのような光景。  ズルズルとそれが引かれていくのと同時にグラリと傾く体にアサギが手を伸ばす。  急に沸いて出た敵に応戦していたサカキが最後の一人を斬り捨て、カツキを抱き止めたまま呆然としているアサギに迫る刃を退けた。そのままの勢いでその一人も斬り伏せ振り返る。  アサギの腕に抱かれたカツキの体から止めどなく溢れるのは、赤。 「カツキ……?」  ひゅ、ひゅ、と喘鳴の交じる呼吸を漏らしながらカツキがうっすら黒曜を開く。 「大丈夫だ……」 「でも、……でも、血が……こんなに……」  既に血溜まりを作り始めた出血はサカキが傷口を押さえても止まる気配がなく、このままでは不味いとアサギですら理解できる。  また現れた敵に向かっていくサカキに変わり、傷口を押さえていたアサギがリョウを、と咄嗟に思った事に動きで気付いたのだろう。カツキの手がアサギの腕にかかった。 「いい……呼ぶな」 「止まらない……!血が……、止まらないんです……っ」  このままでは死んでしまう。その様子にカツキは笑った。 「本当にお前は……」  愚かだ、と。  過去を忘れたわけではないだろう。この子に何をしてきたのか、カツキが悪夢に飛び起きる以上にアサギは苦しんできた筈なのだ。  なのにボロボロ泣きながら懸命にカツキを助けようとする愚かなヒトハの涙に濡れる頬へ手を伸ばす。  スル、と撫でれば赤い液体が涙と交じって落ちた。 「リツを優先させろ……」  彼らに中の様子はわからないが、中では今まさに新たな命が生まれそうになっているところであった。  カツキには一刻の猶予もない、だが、リツの方もリョウがいなくては危険だ。  解けてしまったカツキの障壁に変わりサカキが新たに障壁を張って、だから彼は動けない。サカキにヒトハ程の魔力はないのだ。 「血、 僕の血を……」  再び持ち出したその打開策はやはり否定されてしまう。 「傷を塞がなければ、意味がない……」  万能薬とは言え、それは治癒魔法と違い傷を塞ぐものではなく、そのまま出血が続けば爆発的に体内の抵抗力を上げても意味がないのだという。  しかし今ここで治癒魔法を使えるのはカツキだけ。そのカツキはもう意識を無くしかけている。  彼は辛うじて開いた黒曜をアサギへと向けて。 「……」 「カツキ……っ!!」  すまなかった、と色を失くした唇が小さく動きアサギの腕にかかっていた手がスルリと落ちた。  外からの剣劇は止んでいないが、もうリョウにはそちらに意識をやる余裕はなくなっていた。  リツの口から悲鳴が漏れて、子供達は怯えたように身を竦ませながらもやはりその手は離さない。 「ダメです、息吸って!」  ともすれば息を止めてしまいそうになるリツへと声をかけながら流れる汗を拭った。極度の緊張感でこめかみがドクドクと脈打っているのがわかる。 (大丈夫、大丈夫、大丈夫……)  自分に言い聞かせながら開かせた足の間を覗き込んだ。  状態と開き具合を確かめ、リツへ声をかけ……随分長いことそうしていたような気がする。  完全に出口が開いてリツの悲鳴が迸った辺りからはもう他を気にかける余裕もなくなって、だから途中外からアサギの声がしたような気がしたが、それどころではなかった。 「あにうえ、赤ちゃん!」 「赤ちゃん出てきます!」  いち早く気付いたのは子供達。遅れて頭が見えたリョウが気付く。 「出てきた、出てきた!頑張って!」 「ぅ、ンンーーッ!!」  何度も何度も悲鳴を交え、懸命に赤子を産み落とそうとするリツへタイミングを見ながら声をかけ続けて。  やがて頭全体が外へ出てきたと同時、元気な産声が部屋に響き渡った時には一瞬腰が抜けそうになったけれど気合いで持ち直す。 「赤ちゃん!」 「赤ちゃん、出てきたぁ!!」  頭の後はスムーズに孔を抜け出した赤子はリョウの腕の中手足をバタつかせ顔を歪めて大声で泣いている。  赤子を院長に任せ 「赤ちゃん、は――?」  朦朧としたまま自らの子を探すリツへ 「大丈夫だから、少しだけ待ってください」  そう宥めながら後の処置に集中する。院長の手は震えていたが最初の指示通りきちんと元気に泣き続ける赤子を扱っており、リョウはホッと詰めていた息を吐いた。  その刃はもう目の前に迫っていた。カツキに気を取られていたアサギの背後から忍び寄った敵の気配に気が付いたときには、もうそれは目前で。 「……っ」  息を飲んでギュッと目を閉じる。瞬間響いたのはギンッと、白刃を弾く音。それから。 「――アサギ!!」  愛しい愛しい、男の声。 「ソラ……ッ!!」  血塗れのアサギをキツく抱き締め衝動のままにキスをして、 「ケガしたのか!?」  その肩を掴む。 「違います、僕の血じゃなくて……っ」  アサギの視線を追い、血溜まりに倒れるカツキを認めたソラが呼んだのはユキヤ。疲労が激しい今の彼は戦闘には向かない。しかし医者である彼ならば息も絶え絶えな重傷人を前に疲労を言い訳にはしない。  あっという間に彼の仲間達により敵が蹴散らされていく中、ユキヤは顔をしかめた。 「不味いな……。血が止まらない」  治癒魔法を使っても血は止まらず傷も塞がらないのは、既にカツキ自身の自然治癒力がなくなっているからだ。  それはもう命の灯火が僅かであることを表している。  冷静に処置をしながら、それでもかすかな焦燥を読み取ったアサギは今度こそ自らの腕に刃を当てた。 「内側から治癒を……っ」  純血の効力を知らないユキヤは一瞬訝しげな顔をしたが、この状況でアサギが無意味なことをする筈がないと再び治癒を始めて。  その時上がったのは閧の声。何事かと辺りを見回せばティルニソスの傭兵隊が連合軍を蹴散らしている所であった。そしてその向こう、学園都市オーニソスの軍も見える。 「来るのが遅ぇんだよ!!」  口元に安堵の笑みを浮かべながらもそう憎まれ口を叩いたのは、ずっとティルニソスの傭兵達と故郷オーニソスに連盟側につくよう働きかけてきたケイだ。 「もう一踏ん張りだね!」  センも嬉しげに言い、アヤヒトはカナトを振り返る。  既に一度ラーナ館へ寄り、ロレスを預け敵を蹴散らしてきた彼らはリツの居場所を知っている。 「行ってやれ」 「……っ」 カナトは弾かれたように走り出した。  扉を開けた時、リツは既に極度の疲労から意識を無くし赤子も隣でスヤスヤと眠っていたアサギの子供達が揃って 「しーっ」 「しーっ、です」  と言っていなければ危うく叫ぶ所だった。  こちらも疲労が濃いリョウに視線をやれば彼は、 「元気な男の子です」  と、力なく微笑みを浮かべる。 「赤ちゃん、パパだよ」 「パパが来たですよ」  そっと覗き込んで囁くように子供達が言ってカナトはその場にヘナヘナと崩れ落ちた。しかしすぐその表情を引き締める。 「まだ動けるな?」 「?はい」 「カツキがヤバイ。行け」 「……!」  言葉の意味を考え、鈍った頭が答えに到達したリョウがバタバタと駆けて行く。  ズリズリと擦るように床を移動し久しぶりのリツを見つめる。疲労は濃く、少し窶れたように見えるけれど触れた頬は暖かい。  横の赤子はまだ生まれたままの少しふやけた姿をしているが、彼はカナトがソッと差し出した指を寝ながら掴んだ。 「カツキさん……ッ!!」  転げるように出てきたリョウがバランスを崩しソラに受け止められるのを見て笑ったのは 「……随分なマヌケ面だね、リョウ」  他でもないカツキである。その回復力は凄まじく、彼がほんの少し前まで死を間近にした重傷人であったなどと誰も信じないだろう。  だからこそユキヤは戦慄した。純血の効力が知れ渡ればそれは新たな戦禍に変わる。図らずもシアと同じ考えに行き着き、彼は今見た物に蓋をした。  連合軍は退き始め、平穏はすぐそこにあるのだ。せめて彼等が生きている間だけでもこれ以上争いが起こることのないように、と願う。 「ママ!」 「ママー!!」  赤子に夢中だった彼等がアサギに気付き飛び出してきて抱きつくのを、慈愛の笑みで抱き返す純血のヒトハ。  良かった、良かったカツキさん……ッ!!とギュウギュウ抱き着かれて若干迷惑そうな顔をしている純血のヒトハ。  彼らにこれ以上の戦乱など必要ない。  どうか彼等が笑って過ごせる未来を。その子供達が武器をとって戦うことのない未来を、と。その笑顔に願う。  それから数時間後、連合軍は完全に追い払われた。ロレスが表に出たことでセンティス兵に煽られ軍を起こしたヘラクルスが降伏し武器を収めるとノームスもまた我に返ったかのようにアッサリ降伏。  以降ヒトハは名実ともにアティベンティスの種族であると認められ、少しずつではあるがヒトハは悪であるという過去の慣習もなくなってきている。ヒトハにとっての平穏もそう遠くはない未来の事。 「ナッツ!こら、待ちなさい!」  母の声に、ナッツと呼ばれた子供は裸のままキャーッと楽しげな喚声を上げ家の中を走り回る。 「もう!逃げないで!」  風呂上がりのまま走り回るものだから家の中は水浸しだ。母に構って貰えるのが嬉しくて仕方ない彼はいつまでもキャッキャと走って逃げ回る。  その彼を大きな手で抱き上げたのは彼の父。 「はい、捕まえた~」 「ぉとーたん!」 「カナト!」  仕事帰りのカナトはリツとナッツの頬に一回ずつキスをすると苦笑した。 「二人とも風邪引くぞ?」  逃げ回るナッツとの追いかけっこの所為でリツもまだタオルを巻き付けた姿のままだ。気付いてカァッと赤くなるリツにもう一回、今度は唇へとキスをする。 「いくら息子でもあんま無防備な姿見せてほしくねぇなぁ……」  そう言えば、リツは頬を赤らめたまま「もう!」と言い、しかし満更でもなさそうな顔をしながらお返しとばかりにキスをして。  間に挟まれたナッツが 「ちゅー」  と自分も唇を尖らせて待っているのに二人はくすくすと微笑んで、可愛らしい口に一度ずつキスをした。  過去、色々な決意を胸に踏んだアティベンティス。不法入国だということも、それが罪であるということも知りながら彼はただ一人リツの為だけにその地へと降り立った。  あの日から10数年の時が過ぎ、悲壮な決意で踏んだこの地で彼らは幸せそうに笑っている。 ■■■ お付き合いありがとうございました!

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