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第1話
もう会うことは無いと思った。卒業式の日、花道を行く彼を見て。付き合っている訳じゃない。ただ図書委員で二年間一緒だっただけの先輩。それだけの関係とは釣り合わないような思いを、僕は確かに彼に抱いていた。卒業してしまえばもう彼と会うことは無い。安堵する心とこの想いを捨てたくないと叫ぶ心が、ぐらりぐらりと揺れる。
「……いいんだ、これで」
卒業していく彼を近くで見ることさえもどこか躊躇われて、そっと校舎の二階から華やかな花道の様子を見ていた。さようなら。あぁでも、この想いを諦めきれた時にはまた会いたいと思ってはいけないだろうか。……いや、未練がましいか。
そう自嘲したことを昨日のことのように思い出す。あの時、まだ高校二年生だった僕は予想もしていないだろう。三年経って、二十歳を迎えた現在も彼への想いを捨て去れないばかりか、まさかその彼が今目の前にいます、だなんて。
大学二年生のクリスマスはバイトで終わるんだな、しかも素敵なホワイトクリスマス。まぁ僕にはただの降雪日だけど。寒さに凍える手をこすり合わせながら駅へと急いで、そこで一瞬にして絶望に突き落とされる。
「ただいま、降雪による影響で……」
電車が止まっている。住んでいるアパートの立地条件を考えると、帰る方法は二つ。徒歩かタクシーだ。だけど懐事情的にタクシーは却下。そしてこの寒さのことを考えて徒歩も却下。電車が再開するのでも待つことにしよう。そう思った瞬間だった。
「立花?」
忘れもしないこの声。三年経った今でも、自然とはねる心臓。恐る恐る、振り向く。
「せん、ぱい」
「やっぱり!久しぶりだなー!大きくなったか?」
明るい茶色の地毛も、くしゃりと笑うその表情も、スポーツをしているわけでも無いのに恵まれたその体格も、何一つ変わっていない彼がそこに立っていた。
「何だよ、幽霊にでも会ったみたいな顔しやがって、俺とお前の仲だろ!」
「そんな元気な幽霊、遭遇しても怖くなさそうですね」
「相変わらずだなぁ、そのクールな感じ!」
「先輩もお元気そうで良かったです」
「あ、待て待て!立花、久々に会ったのにそんなすぐ切り上げようとすんなよ!どっか入ろうぜ!どうせお前も電車止まって帰れないんだろ?」
「それはまぁそうですが」
「何だよ、何か用事でもあるのか?もう十時過ぎてるぞ?……もしかして、彼女とか!」
「いません」
「良かったぁ!」
そうやって軽々しく良かった、とか言わないでほしい。臆病者のくせに高望みをしてしまう僕は、もしかしたら、なんて淡い希望をすぐに抱いてしまうから。高校時代にも何度も経験したことだ。
「クリスマスに一人で駅にいるってことは、先輩も彼女とかいないんですか?」
「痛いところをさらっと突いてくるなよー。まぁ俺も彼女いないけど」
……良かった。あ、いや、違う、良かったなんて思っちゃダメだ。これでまた諦めをつかせることが出来なくなる。
「丁度そこにカフェあるじゃん、あそこ入ろ」
「あ、はい、っ」
駅からは見えないぐらいのところに小さな看板が出ている。先輩の立っている位置からじゃ見えないんじゃないんだろうか。と、ぼんやり考えていると、さりげなく手首をつかまれる。決して痛くならないくらいで、それでいて逃げるのを許さないくらいの力で。
「僕、別に逃げたりしませんよ」
「んー信用ならないからなぁ」
確信犯ですか。でも、やっぱダメですよ、こんなことしちゃ。三年ぶりなら大丈夫、とかじゃないんですよ、僕の心が。
クリスマスの夜らしく、喫茶店の中には恋人同士が多い。それにこのお店、ちょっと男性同士では入ることを躊躇われてしまうほどに、大分おしゃれだ。入口のところはバラのつるでアーチが作られていたし、中に入ればシックなデザインのソファがゆったりとくつろげるように配置されている。高校生時代を思い出すと、こんなお店を彼が選択するだなんて信じられない。こういう所で、やっぱり僕の知らない三年間のことが頭を過る。
「先輩、このお店元から知ってたんじゃないですか?」
「何で分かったんだ?」
「いや、普通に貴方の立っている位置からじゃ、このお店も看板も見えなかったはずなので」
「何だよ、そんなじろじろ見るなってー」
「見てませんよ」
嘘です、本当は見てました。それぐらい、見逃してほしい。何せ三年ぶりの想い人なのだから。諦めるまでまた時間はかかってしまうことになるだろう、だけどこれを幸運だと思ってしまった僕には、この時間を楽しむという選択肢以外見つからなかったのだ。
「こんなおしゃれなお店を先輩が選ぶだなんて、想像つかないなぁ」
「そりゃあ連れて行きたい奴がいたからな」
「……あ……なら、その人の予行練習になれて光栄ですよ、僕」
「違う。お前を連れてきたかったんだよ。お前、図書委員の時によくガーデニングとかの本読んでただろ。バラとかのページも好きそうだったし」
「見て、たんですか」
「見てた。そんでこの店の前通った時にお前のこと思い出して、連れてきたいなって」
何で?そんな疑問が頭の中に浮かぶ
「卒業してから、完全ムシしやがって。ここであったのが運のつきだと思って、大人しく俺に食われるんだな」
そういった先輩の顔は男の顔だった。
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