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第5話 オカズにしたら恋なのか
たとえ恥ずかしくて死にたくなるような行いを成そうが、朝は来て日常はやってくる。趙 氏の長として、そして大臣候補の義務として趙武 はきっちり出仕した。同じように士匄 も出仕しており、何事もなかったようにその日に出された議題についてディベートを行う。
趙武がいたたまれない気持ちとなったかといえば――否であった。士匄に対してわだかまりも感じない。
常と同じように先達の言葉を伺い、古今の慣習やまつりごとの話をして研鑽をする。趙武は己でも不思議であった。
まあ、答えは簡単である。趙武は閨の士匄に対して愛着を覚え始めていたが、それが恋しさ愛しさに繋がっているか、となれば未だ繋がっていない。単になし崩しで続けられるふしだらな関係が、性格的に合わず、無理やり義兄弟、もしくは恋人のような形式に固定したかっただけなのだ。情愛も無く口説こうとした愚かさに、この青年は気づいていない。
士匄は気づいてバカバカしくなり、そういった遊びをするなら本気で挑めと見本を示してやったのである。
どちらにせよ、毎日のようにセックスするわけではない。士匄が物足りなくなれば趙武に声をかける関係なのだ。宮中で個人的なことを切り出すタイミングも掴めず、趙武は虚しく一日を過ごした。色事なだけに、他をはばかる。士匄はうまいこと二人きりになって話を切り出すものだが、あれはもう要領が良すぎるのだろう。
「ええ。次のときにきちんとお話すればいいんです。そりゃ閨で私があなたのオトコと言っても口先だけで頷かれて……きっかけが私なのだから、なおさらきちんとしなきゃ」
趙武は帰りの馬車でひとりごちながら、ため息をついた。
最初の数回は、体の反応、雄の本能で突き進んでおり、交わることもいっそ楽しささえあった。快感への好奇心と性欲の発散、支配欲の充足である。が、穴につっこむ反射から士匄個人への欲へと移り変わり、感じ入る姿、むせび泣く顔、艶めいた嬌声、そして沈み込んだときの肉の熱さに酔い、かわいささえ覚えている。
「いつもは……傲岸不遜そのものですのに、あのときの范叔 はかわいすぎるのですもの、仕方ないじゃないですか。年が逆ですけど、私が兄として守ってもいいと思うんです、義兄弟て敬愛しあって、大切にしあう、やつ」
もしくは、恋人。
そう考えた瞬間、馬車がゴトンと音を立てて軽く跳ね止まった。手勢が、石を噛んだようで、と報告してくる。
「御者も皆様も無理なされぬよう」
趙武は若いが家臣思いの優しい主である。柔らかく声をかけ、あとは任せた。
「こ、恋人。は、だめな気が、恋……」
古詩によると、恋をすれば相手のことしか考えられず、幸せだったり苦しんだりするらしい。趙武の母も恋をしていた。趙武の父、つまり夫の死後、他の男と情熱的な恋をした。その恋を邪魔したものどもを讒言 し、死に追いやるほどの激しい恋だったらしい。趙武は離れて育っていたため、全てを知ったときは全てが終わったあとであった。美しい母は不貞の未亡人である。
「……恋はわかりません。恋とかよくわからないですし、私が范叔に無体を働いたからの、今。責任とって義兄弟になるんです」
婚姻が約定であるように、義兄弟も契約である。今の、気ままに体をつなげるだけの、フワフワした関係は、座りが良くない。しっかりとした、地に足ついた関係になりたい。
趙武が自分に頷いたと同時に、馬車は改めて動き出した。
士匄は何でもかんでも欲が強く、我慢が全くできず、短ければ三日程度で音を上げ、セックスを持ちかけてくる。長くても十日ほどで趙武は声をかけられ、時には脅される。が、今回、半月が経とうというのに、士匄は声をかけてこなかった。
不審を覚えていた趙武は、士匄が勝手に飽きたら一方的に終わる関係であることを、今更ながら思い出した。
「あ、そういう。そうか。そうですね、気まぐれでのめり込んでおられたもの、おやめになられるなら、それがいい」
その朝、趙武は鈍く笑んで独り言を小さく呟いた。思ったより、渇いた声であった。いつも集まる部屋で座し、皆が出仕してくるのを待つ。士匄はそれなりに早くやってくる。自信家特有の睥睨 するような顔つきも、法制の家の嗣子 らしい所作の美しさも、そして男ぶりの良さもいつものことである。
かけられる言葉に仕事――というより学習だが――以上の温度もなく、幾度か視線が交われど特別な重さもなく、この日もただ、日常だけが過ぎてゆく。終われば、趙武に一瞥もなく士匄が友人と歩いていった。確か、幼馴染みと伺っている。大臣の候補は限られた有力貴族の子弟であり、親の世代から仲の良いものもいる。士匄とあの幼馴染みもそうである。
自分はもっと近いはずなのに、と慎み深い趙武は思わなかった。ただ、清々するかと思っていたのに、やたら寂しく悲しい気持ちで、帰路についた。
趙武がもう少し身勝手な獣性を持っていれば、荒れた心そのままに妻を抱いたであろう。が、趙武は他国より嫁いできた貴人に敬愛を以て接しており、また心細いであろうから極力守らねばという保護欲で対している。代理どころか、ストレス発散の相手にする発想さえ無い。
で、あるのだから、今、共寝する気にもならない。
趙武は自室で一人、虚しさを抱いて寝転がっているうちに、この寝所で閨で、士匄が幾度も乱れ、外したことを反芻しだした。
最初は愛撫など嫌だとおっしゃるのに、2回目が欲しいとなれば、口づけも情熱的で、その指先に舌を這わしても、首筋を指で撫でつけても素直に身を任して感じて、体を震わせて、心がすごくユルユルになられるのが、とてもかわいらしい。
目を開けても閉じても、士匄の痴態が眼前に現れるようだった。
――あ、はや、はやく、いれ……っ
「そうですね。一度開いてますから、2度目は思い切り……」
鈍さのある士匄の中が熟れ、趙武自身を柔らかくつつんでくる。挿入してそのまま動かずにいれば、ふわふわとした感触で気持ち良い。それを堪能してると、士匄が早く、もうムリ、とせかしてくる。ズッと腰を引いてゆっくりと入れ込み、仰け反って喘ぐさまを見下ろしながら、また腰を引く。
――きもち、いい、から、もっと、あ、
物足りぬと半泣きになるその頬を撫で、唇に指を添わせたあと、激しく揺さぶると、あ、あ、とあられもなく声を出す。脳に響くような甘い低い声に色が乗っていく。
――あっ、あー、いく、いくっ
趙武の怒張を受け入れるために足を開き膝を立て、尻をふりながら、気持ちいいと叫び、ムリと泣いて、いく、と訴え、とろりとした目を向けてくる。欲情しきった顔は、いやらしいったらない。
「范叔っ、う、」
虚空に士匄の淫事を浮かべながら、趙武は一心に己の性器を手で慰め、射精した。しばらく使ってなかったために精は多く、開放感に、あー、と小さくため息をつく。
精液で汚れた衣や褥、自分のてのひらをぼんやり眺めたあと、
「いやこれダメでしょ」
と趙武は素で呟いた。
「え。なに私、范叔をおかずにしてるんですか、ダメでしょ、これ。やっぱり私、あの女の息子ですね、いやいやダメでしょ」
趙武は飛び起きて、まずてのひらを衣で拭ったあと、これは違う、違うって、と何度も必死に呟く。
「あ、明日。范叔にお声がけして、そう、きちんと責任をとるんです! 何度も体を重ねてしまったのですから、心も添わせないといけない、ものです」
己に言い聞かせるように呟くと、趙武は突っ伏した。もし、もう二度としない、とされれば、このモヤモヤとした思いはどうなるのか。霧散すべき思いだから、パッと消えるのだろうか。もう、つきあわされるのは真っ平と、当初は思っていたのだから、好都合のはずである。
「……何か、寂しい気がします、嫌だなあ。……いえダメです。淫奔はよろしくない」
趙武はまだ、恋をしたことがない。というより、彼は恋がわかりたくない。恋など、持て余した肉欲を満たすために体を繋げる方便だとも、思っている。ゆえに、ただ、士匄と特別な関係が無くなるのが寂しいだけなのだ、とため息をついた。
他者を特別としたい気持ちを恋というなら、まさに初恋の入り口に彼は立っている。体から始まる恋など、認めないであろうが。
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