13 / 13
四月・手塚「日記」
四月一日(火曜日)曇り
ぼっちゃんの十八歳の誕生日を明日に控え、城伊様が屋敷にお越しになった。
二月の電話でぼっちゃんに「僕を自由にしてください」と告げられたらしく、それからというもの、城伊様の機嫌は悪いままだ。ぼっちゃんがそう告げるにあたって、誰かの悪影響を受けたのではないか、その誰かこそが「運命を変えてしまう出会い」の相手だったのではないか、とお考えのようだ。
ただ、私もカイも「特にそれらしい出会いは、思い当たりません」と答えているため、怒りの矛先をどこに向けてよいのやら、といったところか。
その親子二人が久しぶりの対面をするのだから、周りの者たちは緊張感を持っていた。私も勝手に心配をしていたが、出迎えに出たぼっちゃんの堂々とした態度は立派だった。
家族のみの夕食の席でどんな会話がなされたのか、秘書の私が知ることはできないが、城伊様はぼっちゃんの精神的な成長を喜ばれたのではないかと思う。
城伊様と顔を合わせるのを避けるため、カイは昨日からアイツのマンションに居候している。本当にずるい。私も行きたい。
幼い頃、ぼっちゃんのお世話係をしていた女性から相談されているアロマオイルについて。樹脂系がよいのではと答えておいた。瓶は美しい形のものが見つかったそうだ。
----------
四月二日(水曜日)晴れ
ぼっちゃんの十八歳の誕生日。
ちょうど桜が満開となり、屋敷の庭にある老木ソメイヨシノも、見事な花を咲かせている。
城伊様は、地方で視察があり朝早くに出かけられた。私は今年度もぼっちゃん担当なので、屋敷に残っている。
屋敷の車寄せで、ぼっちゃんと共に城伊様を見送ったが、とても晴れ晴れとした顔をされていた。ぼっちゃんが無事に十八歳になり、父親として「出会い」を心配する必要がなくなったせいだろうか。言い方は悪いが、憑き物が落ちたようだと思った。
私が思うに、占い師による今回の予言は、城伊様にとって未来を脅かす「呪いの言葉」だったのではないか。ここ数年、その「呪い」に雁字搦めに囚われていたのかもしれない。
カイの任務も本日未明をもって、任期満了となった。二年間分の報酬は今日中に彼の口座に振り込まれるだろう。彼はとても良くやってくれた。任務は全うされた、と私は思っている。
昼前、カイが屋敷に戻ってきた。電車で来ると思っていたが、アイツの軽トラの助手席に乗ってやってきた。人の恋人を運転手に使うな、と腹立たしく思う。
しかし、運転に疲れただろうからと自室に招き入れてやり、しばらく二人きりで過ごせたので、よしとする。
明日は、一日遅れの誕生日会だ。今年はぼっちゃんの希望で、屋敷の庭で花見として執り行う。参加メンバーも、城伊様のお仕事関係ではなく、ぼっちゃんのご学友を招く予定だ。屋敷の皆も準備に張り切っている。
----------
四月三日(木曜日)晴れ
心配していた天気は、風が少し強いものの、概ね晴れといったところだ。
午前中に屋敷の者が総出で、庭に縁台を出し、緋毛氈を掛け、野点傘を立てている。ぼっちゃんとカイも途中まで手伝っていたが、彼らの愛犬スピが設営の邪魔ばかりするので、二人には散歩に行ってもらった。
料理も、外部の板前に頼まず、屋敷のシェフが担当した。これもぼっちゃんの希望だという。シェフは喜んでいた。こういった身内への気遣いができるとは、将来有望なのではないか。
昼前には、生徒会の役員、バンドのメンバー、クラスメイト数名がやってきた。皆ぼっちゃんに、心からの祝いの言葉を伝えているのが聞こえ、私もうれしくなる。
ぼっちゃんは、特にバンドメンバー(カズ、ゲン、ナツ)には気を許しているようで、スピにまで彼らのことを紹介していた。しかし残念ながら、スピに懐かれた生徒は一人もいなかったようだ。
風が吹くたびに、大量の桜吹雪が舞う庭は、とても綺麗だった。
シェフが作ったハンバーガーやチキン、サンドイッチなどのピクニックメニューも、若者たちに大好評だった。
城伊家に関わるようになって七年が経ったが、もっとも賑やかで温かい誕生日の集いとなった。ぼっちゃんの終始幸せそうな顔がそれを物語っている。それを見守るカイも、いい表情をしている。
私がカイと初めて会ったのは二年前。祖母と暮らしていたという平屋に会いに行った時だ。中学を卒業間近だったカイは、広くはない家の中に一人ぼっちで、常に涙を堪えるように唇を噛んでいた。あの時、私のことを信じて付いてきてくれた訳ではないと思う。カイにはそれしか選択肢がなかったのだ。
だからこそ、私はカイを絶対に裏切らず、立派に社会に出られるようにしてやらねばと思っていた。
初めてぼっちゃんを学園に送迎した高校一年生の四月のことも、よく覚えている。駐車場で「山に囲まれていて怖い」と弱音を吐いていた姿は、まだ幼かった。
占いのせいで、どうしてこんな山の中の学園に、という思いが強かったのだろう。
二人とも随分と大人になったものだ。
ぼっちゃんは次回の生徒会長選挙に向けて、選挙のあり方から改革しようとしているらしい。カイも、そのサポートの為に、意見交換会を主催したという。残り一年の学園生活も、充実したものになるだろう。
そうそう。会の途中では、マオからのビデオレターも上映した。
ぼっちゃんに恋心を持ってしまったばかりに、転校させられたサッカー部キャプテンだ。今は海外の恵まれた環境でサッカーをプレイしている。
彼にビデオレターを送ってほしいと直接交渉したのはカイだ。その際、彼が書いたぼっちゃんへの恋文を焼却したことを謝罪したらしい。
マオは「あんな恥ずかしい手紙、捨ててもらってむしろよかった」と笑ったという。そして「カイもユウのことが、あの時点から好きだったんだろ?」と問われたらしい。「俺、六月の段階でそんなだったかな?」と首をひねっていたが、そんなこと私に聞かれても、分かるわけがない。
----------
四月四日(金曜日)雨のち曇り
午後。私一人で都内ホテルの部屋にいる占い師に会いに行った。彼女は明日の夜には拠点とする香港へ帰るという。カイの学費を出してもらう件は、こちらが金額を提示するまでもなく、充分な額が用意された。すでにカイには報告済みだ。
私が今回、占い師に聞きたかったことは、そもそも私が「お目付け役」にカイを選んだことは、事前に予測できていたのか?ということだ。
彼女はカイによく似た綺麗な顔で「フフフ」と笑ってごまかそうとする。
「城伊代議士のおかげで、物事は私の思い通りに運んだわ。息子さんへの次の占いもお楽しみにって伝えてちょうだい」
占い師はそう言ったが、結局、彼女の占いが本当に「運命」を予言していたのか、彼女の意図的な「策略」だったのか、私には全く分からないままだ。
城伊家に関わる者として彼女の言動には、今後も注意していきたい。
私が部屋を出るとき占い師が言われた言葉が、とても気になったので記しておく。
「貴方、水難の相が出てるわよ。お気をつけて」
----------
四月五日(土曜日)曇り
カイが祖母の墓参りに行くという。ぼっちゃんも「おばあさまに手を合わせたい」と言うので、私が車を出した。
カイの住んでいた町にある、小さな墓石の前には、すでに備えたばかりの花が置かれていた。
墓地から見える大通りに、黒いワンピースを着た髪の長い女性が見えたが、気づいたはずのカイが何も口にしないので、私も黙っていた。
ぼっちゃんは、墓前で長々と手を合わせていたが、何を伝えていたのだろう。
夕食前。
ぼっちゃんの幼い頃よりお世話係をしていた女性に、二人と話がしたいので、同席してほしいと頼まれる。以前より相談されていたことなので、もちろん了承した。
冬休み、ぼっちゃんはモミの木で作られた不格好なクリスマスリースを持ち帰ったのだという。「大事に保存したいんだ」と彼女に相談したが、何しろそのリースは適当に作られていて、ボロボロと崩れていったらしい。
それでもぼっちゃんの大切なものを守りたかった彼女は、頭を悩ませ、崩れたモミの木の葉で、ドライポプリを作った。美しい形の小瓶に乾燥した葉を入れ、アロマオイルを垂らし香りづけをして。
受け取ったぼっちゃんは、涙を滲ませ感激していた。「ありがとう」と小瓶を抱きしめていたが、どうせ、カイがらみの何かなのだろう。
まるで青春の一ページではないか。
お世話係の女性はカイにも「マフラーはクリーニングに出しておきました。次に寒くなるまで大切にお預かりします」と告げていた。チョコレート色のマフラーは、私としてもぼっちゃんの希望通りの品を苦労して探し出した逸品なので、大切にしてもらいたい。
二人の仲のよい姿を見るたびに、自分と庭師をしているアイツが高校生だった頃のことを思いだし、苦い気持ちになる。
両親に強く反対され、必死に忘れようと写真や思い出の品を、全て捨て去ってしまった自分を恨みたくなる。
----------
四月六日(日曜日)晴れ/山の中は霧雨
明日の始業式に合わせ、ぼっちゃんとカイを車で学園へ送る。
すっかり関係が深まった二人は、ずっと肩を寄せ合い後部座席に座っていた。
車の外は霧雨が降り始めたが、カイはさぞかし機嫌が良いのだろう。鼻歌を口ずさんでいた。そのメロディは昨年の文化祭で彼らのバンドが二曲目に演奏していた曲だ。私の恋人も、ときどきこの歌を口ずさんでいるから、耳馴染みがある。
バックミラーを覗けば、ぼっちゃんの左手に、ミサンガをつけたカイの右手が重なってリズムをとっていた。
二人の幸せオーラに満たされた空気が車内を漂い、仕事中の私まで、甘さに飲み込まれそうだ。
私は運転席の窓を少し開け、車内の空気の入れ替えをした。
もし数年前の占い師に、高校三年生になった二人が、こうして後部座席に座っている姿が、予め見えていたのだとしたら大したものだ。私には、いささか信じられないことだが。
ぼっちゃんもカイも、これから受験を経て大学へと、進むべき道を自ら切り拓いていくのだろう。
カイが将来、秘書になりたいというなら指導してやろう。私から見たら素質がありそうに思える。庭師になりたいのなら、アイツに教えを乞えばいい。
私とアイツが青春時代を送ったのは十五年前。ぼっちゃんとカイの青春は今現在。そして更に十五年後では、世の中の認識も大きく違っているだろう。
きっと二人には幸せな未来が待っている。それは占わなくても分かることだ。
学園まで二人を送り届けたら、庭師のアイツとちょっとした逢瀬を楽しみ、私は屋敷へと帰る予定だった。
しかし、ここで占い師の言葉が当たったのだ。
人気のない温室で待っていてくれたアイツの胸に飛び込んだ私は、夢中になって唇を重ねる。これは、ぼっちゃんやカイにはできないだろう、大人のキスだ。
背中に手を回しモスグリーンのつなぎ服越しに体温を感じれば、私の息が乱れて身体の力が抜けていく。それでもアイツががっしりと私を支えてくれるから安心して体重を預けられるのも、いつもの通り。
その時、「エロッ」とカイの声が聞こえた。私は慌てて唇を放し、アイツの腕の中から逃れる。唾液が零れたことに狼狽えて、取り繕おうとした行動が裏目にでて、バランスが崩れる。結果、背中から睡蓮の池にドボンと落ちた。
水温は温かく、深さもない池だが、底はドロドロしていて酷く惨めだ。顔を上げれば、私たちのキスを見ていたであろうぼっちゃんは、恥ずかしそうに真っ赤な顔をしていた。
私の耳の横では、睡蓮の花が揺れ、足の間を熱帯魚のプラティが通過して行く。
最初にカイが笑い始め、アイツも笑い、ぼっちゃんも笑い、結局私も笑うしかない。
全身ずぶ濡れになった私が、車を運転して屋敷まで帰るのには無理がある。アイツのマンションに寄ってシャワーを借りることになった。
「泊まっていきなよ。夜には学園に戻って、夜咲きの熱帯睡蓮を見せてあげるから」
そんな口説かれ方をされれば、今日は午後から有給休暇をとるしかなかった。
アイツが近頃力を注いでいるという夜咲きの睡蓮を見る機会が訪れたことを、私は「水難の相」を伝えてきた占い師に感謝すべきだろうか?
ともだちにシェアしよう!

