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第1話
電車の窓には、陽が落ちた後の暗い都市の光景が流れている。車内の蛍光灯に照らされた自分の顔が、窓ガラスに薄く映り込んでいた。
俺――佐倉遼 は疲れた目をこすりながら、窓に映った自分の姿を観察した。二十四歳。やや細身の体格に、疲れの目立つ顔立ち。最近、頬がこけてきたのが少し気になる。スーツはシワだらけで、ネクタイも歪んでいた。
「はぁ……今日もブラックすぎるぜ、あの会社……」
残業続きの平日。もう夜の10時を回っていた。通勤ラッシュとは違って空いている電車の中、俺は小さなため息をついた。スマホには『覇道演義』というゲームの画面が映し出されている。
これは三国志風のファンタジー古代中国を舞台にしたシミュレーションRPGで、ガチャでキャラクターを手に入れて、そのキャラクターに沿って物語を進めていくタイプのゲームだ。かなりやり込んでいて、もう1年以上は毎日ログインしている。社畜生活の数少ない楽しみと言っても過言ではない。
「よし、蒼崖 の戦いクリア! ……って、報酬しょぼ! なにこれ!」
思わず声が漏れたが、電車内はほとんど人がいなかったので問題ない。俺は気を取り直して、ゲームのリザルト画面をタップする。この調子だと、最寄り駅につくまでにもう一周ぐらい周回ができそうだ。
俺がいま操作しているのは「梁易安 」というSRキャラクター。「流れの商人」という設定の、どの国にも所属していないフリーなキャラだ。
戦闘能力はあまり高くないが、商売の才とアイテム探しが得意で、なかなか使い勝手がいい。レア度的には中の下くらいなんだけど、俺は何故かこのキャラが気に入っていて育てまくっていた。
たぶん、俺みたいなサラリーマンには親近感が湧くんだよな。強い武将たちに囲まれながらも、持ち前の知恵と商才で生き抜いていく姿に、なんとなく自分を重ねてしまう。
まぁ、現実の俺にはそんな才覚もないんだけど。
「あ、温修明 とのサブイベントが始まったな……」
温修明は梁易安を主人公に選ぶと自動的に行動を共にすることになる若い商人キャラで、ノーマルレアのため能力値が低く、戦闘ではほぼ役に立たないキャラだ。
けど、物語的にはなんか憎めない奴なんだよな。
人懐っこくて梁易安を「梁兄 」と呼んで慕ってくるし、どんな場面でも梁易安の体調を気遣ったり食事を用意したりしてくれる。ゲーム内はよく「梁兄! こっちの店では上質な絹が安く手に入りますよ!」とか「梁兄、疲れてるみたいですけど、お茶でもどうですか?」とか、そんな風に話しかけてくる、可愛い弟分キャラだ。
ただ、今は最寄り駅に着くまでイベント周回をしたかったので、彼とのサブイベントは正直いってあまり見たくない。俺はイベントのスキップボタンをタップして、いったんスマホから目を離した。
「あー、疲れた……」
俺は首をぐるぐる回して、肩の凝りをほぐした。今日も上司からの理不尽な要求に応えるために残業して、何とか終わらせてきたところだ。
この世界で生きていく意味って何だろう。
ブラック企業で精神すり減らして、家と会社を往復するだけの毎日。人間関係もギスギスしていて、社内政治にはうんざりだ。嘘やおべっかを言わないとのし上がれない世界。もう何年もこんな生活を続けているけど、一向に報われる気配がない。
そんな現実から逃避するかのように、俺はまたスマホの画面に目を向けた。
「『覇道演義』の世界に生まれていたら、どうなっていたんだろうな……」
俺はぼんやりと考える。戦乱の世とはいえ、もっとシンプルな生き方ができそうな気がする。強い奴が勝ち、弱い奴が負ける。そんな世界なら、少なくとも裏表がなくて分かりやすい。現代社会みたいに、表面上は笑顔でも裏では足を引っ張り合うような陰湿さはないだろう。
「……まあでも、俺なら絶対に梁易安みたいに立ち回るだろうな。戦場には絶対に出ないで、商売で稼いで、安全なところでひっそりと暮らす……」
そう、俺は臆病者だ。人と争うのも苦手だし、目立つのも嫌い。でも、それでも生きていける道があるなら、きっとその方が俺には向いている。
電車の揺れが心地よくて、俺の意識はだんだんと朦朧としてきた。明日もまた同じような一日が始まるのかと思うと、現実に戻りたくない気持ちが強くなる。
そんなことを考えながら、俺はうとうとと眠りに落ちていった。
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