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第1話
「……は?」
腹の奥で渦巻く、どす黒い感情が。
今にも皮膚を突き破って飛び出そうに為るのを必死に抑えた。
太宰が顔を見せたのは、夜も深く、間もなく日付も変わろうという頃。
連絡が無いのはいつもの事。
期待なんて、初めから為ていなかった。
今日が〝特別〟な日で在ったとしても。
「中~也ぁ」
――施錠は為て居た筈なんだけどな。
鎖錠すらも。まるでそんなモノ端から無かったかの様に、我が物顔で乗り込んでくる戀人。
幾許か、高い角度から覆い被さられ、咄嗟に抱き留める。
こんな細っこい躰、受け留める事なんざ訳無ェが――。
「――――」
ドサリ、と。
太宰を抱き留めた儘、俺は床に尻餅を附いた。
特段太宰が重かった訳でも無い。
泥酔為た、酔っ払いの躰だろうが、普段の俺なら太宰を受け留められねェ訳が無え。
――抱き留めた瞬間。
太宰の首筋から、ふわりと漂う日本酒の薫りと――。
「たんじょおびぃ、おめでとぉ」
俺が倒れ込んだ事なんて、一切気にも留めない様子で、へらりと笑いながら太宰は云う。
カチン、と。
居間の時計が日附の移り変わりを告げた。
「……何が、目出度ェんだよ」
目出度いのは手前の頭の中だけだ。そう云って遣りたかった。
言葉に成らない憤りが、喉の奥で渦巻いて居る。
へべれけに為り乍ら俺を見下ろす太宰の姿は、照明を背中に負って薄気味悪かった。
あの男みたいで。
「ん~? だあってぇ……」
のそりと身を起こした太宰の手が、俺の頬に触れる。
其の手は熱いのに、指先は氷の様に冷たかった。
「……私に、逢いたかったでしょ?」
形の良い唇が、結ばれた儘弧を描く。
まるで薄ぼんやりと夜空に浮かぶ眉月の様に。
長い睫毛、鴇色の濡れた眸。
太宰は不気味な位に優しい微笑みを浮かべる。
「――俺に逢いたかったのは手前じゃねェの?」
頬に伸ばされた手を捕り、握り込む様に、指先を絡める。
氷みたいに冷え切った指先を口に含み、転がす様に舌先で愛撫する。
肘を附いて上体を起こして行くと、自然と膝の上に太宰が座る形に為った。
訊こえる様に態と、唾液を絡ませて水音を響かせる。
指紋が無くなる迄、潤けちまえば善い。
指先に体温が戻ってきたのを確認すると、顔を覗き込む様にして口吻る。
舌先で何度も、執拗に、隙間をなぞれば、軈て観念為た様に太宰は薄く唇を開く。
其の瞬間を逃さない様に、強引に捩じ込んで、酒臭ぇ舌を無理矢理絡め取る。
「んっ……!」
少し丈震えた其の指先が、小さく握り返された事を確認すると、蓬髪へ、慈しむ様に手を滑らせる。
手の平が、指先が、太宰の髪を、頭の形をなぞる様に。確認するように。
弱い処を重点的に狙えば、魚みたいに跳ねる太宰の背中。
逃げる様に手を離そうとするから――骨が折れる位に強く握り返した。
「――ンで、此れは何なんだ?」
蓬髪に絡めた指で、太宰の顔を引き剥がす。
襟元から僅かに覗く鬱血の痕、見覚えの無い赤い徴。
あの男が嗤って居る様な、そんな形にも見えた。
浮かぶ涙は、生理的な痛み。
其れでも、揺れる眸にすら見蕩れちまう俺は、心底狂ってる。
「此の、色狂いが」
――認めよう。
太宰が〝あの男〟に抱かれる様に為ってから。
更に色香が増し、大輪の華を咲かせた。
「愛して居るのは――君だけだよ、中也」
まるで自分が被害者かの様に、涙を浮かべ乍ら太宰は告げる。
「君だけなんだよ……」
はたはたと流す涙は、どんな宝石依りも価値が有る様に見えた。
膝を附き立ち上がると、太宰もゆっくりと立ち上がる。
其の儘、指を絡めた手を引いて居間の奥へと向かう。
結局赦して了う中り、誰依りも俺自身が救いようが無ェ。
もう日附は変わった。俺の誕生日も終わった。
――一人で過ごす誕生日は、此れで終わりだ。
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