8 / 82
第8話 買い物 ②
翌日サイモンは約束通りミカを馬に乗せて、丘の上に行った。
僕も一緒に行かないかと誘われたけれど、微熱が出ていたので自室でゆっくりすることにした。
これが流行病だったらどうしよう。
体が弱いミカにうつしてしまったらどうしよう……。
昨日、帰った時にすぐ父様や母様に流行病の話はしたから、ミカが僕の部屋に来ることはないだろう。
もし流行病だったとしても、僕は体が強いからきっと大丈夫。
でも、もし……。
僕……死んじゃうのかな……?
死ぬことは怖いけれど、今はそれが自分ごとではないようにも思えてくる。
それより体が弱いミカがうつってないか心配。
今朝は元気そうだったけど、大丈夫かな?
そんなことを考えながら、うとうとしていると、コンコンコンとドアをノックする音がする。
「誰?」
「サイモンだよ。入っていい?」
優しいサイモンの声がした。
「ダメ」
僕はサイモンの申し出を断った。
本当はサイモンが帰ってしまう前に、ひとめ会いたかったけれど、もし僕が流行病だったら大変だ。
「どうして?」
「どうしてって、うつしてしまうかもしれないじゃない」
「俺は体力あるから、大丈夫」
「そんなのわからないじゃないか」
「わかるよ」
「わかんない!」
「レオ……。ここを出る前に、少しでも会いたいんだ。お願いだレオ。ここを開けてくれ……」
切そうなサイモンの声に、心が揺らぐ。
それでも会うことはできない。
「サイモン。これが最後じゃないじゃない。僕が元気になって、次会うのはミカとサイモンの結婚式がいい。さよならサイモン、気をつけて帰ってね」
そう言うと、サイモンは何度か僕の名前を呼びながらドアを叩いたが、最後には僕の世話をしていた侍女に促され、僕の部屋の前からいなくなった。
これでいい。これでいいんだ。
夕方、医師がやってきて診察してもらったけれど、今の段階ではまだ流行病なのか、普通の風邪なのかわからないとのことだった。
ミカの体調が悪くなった時は、父様と母様、2人とも付き添ってくださっていたのに、僕の時はどちらも来てくださらない。
流行病かもしれないから仕方のないことなのかもしれないけれど、それでもやっぱり寂しい。
僕たちが小さい頃より世話をしてくれている侍女が1人、僕に付き添ってくれているだけで他の誰も来てくれない。
食欲がなくなってきても、気分が悪くなってきても、熱が上がりはじめても、僕は1人。
ベッドで気休め程度の解熱剤を飲んで寝ているだけ。
僕は本当にこのまま死んじゃうの?
1人で死んじゃうの?
怖い。寂しい。
誰かそばにいてほしい……。
それとなく侍女に父様と母様に会いたいと伝えてもらったけれど、父様たちは「ミカエルにうつしてしまったら大変だから」と、来てはくださらなかった。
僕はどこまでも孤独だ。
やっぱり最後にサイモンに会っておけばよかった。そうすれば心残りはなかったのに……。
次の日も、その次の日も、だれも見舞いに来てはくれなかった。
体調は悪くなり続け、徐々に僕の体力を奪っていく。
本当に僕は死ぬんだ。
そう確信したのはサイモンが帰ってしまって3日目だった。
その日の夜もすっかり深くなり、邸宅の中の人々が寝静まった深夜2時過ぎ。
ガチャリとドアのぶが動く音がして、目が覚めた。
「……誰?」
不審者かもしれない。
恐る恐る問うと、
「僕だよ、ミカエルだよ」
ヒソヒソ話をするように、ミカは小さな声で答える。
「え?ミカ?本当にミカなの?」
僕は慌てて起き上がると、えへへとミカは勝手に僕の部屋に入ってくる。
「ダメだよミカ!僕今、風邪をひいているんだよ」
ミカを追い出そうと、ベッドから立ちあがろうとしたが、目の前がぐらりと歪み立ち上がれない。
「レオ、無理したらダメ。寝てないと」
いつもは僕がミカにするように、今日はミカが僕をベッドに寝かせる。
「体調はどう?」
ミカは僕の額に掌当てる。
ミカの手は冷たくて心地いい。
そっと目を閉じると、
「わぁ!熱高いじゃない!ちょっと待ってて」
そう言いながら、ミカは持ってきた銀色のお盆の上にあるティーポットからカップにお茶を注ぐ。
「これは?」
「これはいつもレオが僕のために淹れてくれるお茶だよ。僕いつもこのお茶を飲んだら体が軽くなるから、きっとレオにも効くと思って」
ミカはいつも僕がするように、お茶にフーフーと息を吹きかけ少し冷ましてから、手渡してくれた。
ミカが淹れてくれたお茶を一口飲む。
本当は咳に効くお茶で、咳の出てい僕にはお茶の効果なんて出ないはずなのに、気持ち悪さも熱も一瞬で無くなったかのように、体が軽い。
「本当だ!とっても楽になった!ありがとうミカ」
本当は大好きなミカを抱きしめたかったけど、流行病かもしれない病気をうつしてしまうかもと、やめておいたのに
「よかった~」
とミカが僕に抱きついてくる。
「ダメだよミカ!風邪がうつっちゃう」
「大丈夫。僕は無敵なんだ」
ニカっと笑いながら、がっつポーズを作ったミカは元気そのものに見える。
良かった。ミカは流行病にかからなかったんだ。
心配事がなくなって、ほっとする。
「ねぇ、レオはサイモンのことが好きなんでしょ?」
「え?」
急に聞かれて、咄嗟に何も答えられない。
「見てたらわかるよ」
どうしよう。サイモンのことを好きなのが、ミカに気づかれている。
上手く隠せていると思っていたのに……。
なにか言わないと。
なにか言わないと!
「サ、サイモンのことは好きだとかじゃなくて、僕の中で憧れのお兄さんなんだ」
サイモンのことを好きだと思うたび、自分自身に暗示をかけるよう何度も繰り返し思ってきたこと。
それをそのまま言った。
「あのね、僕も今まで憧れの好きと、一緒にいたい好きとの違いがわからなかったんだけどね、一緒にいたいと思う好きな人がいる今の僕なら、違いがわかる。レオの好きは一緒にいたい好きだよ」
「そんなわけないよ。それにサイモンはミカが大好きなんだ。いつもミカのこと気にかけてるよ」
ミカとサイモンが楽しそうに一緒に歩く姿を思い出してしまって、胸がチクチクする。
「サイモンにとって僕は弟みたいなもんだから。でもレオはサイモンにとって特別な人だと思うよ。ずっと2人を側で見てきている僕には、わかるんだ」
「……」
「僕がレオより少し早く生まれていたり、僕がもっと元気だったら僕が次期城主になって、レオはサイモンと結ばれたのに……」
「……」
「レオは頑張りすぎたり、我慢しすぎちゃったりするところがあるけど、もっとみんなに甘えていいんだよ。したいことはしたいって。嫌なことは嫌だって言っていいんだよ。どんな障害があっても、好きな人に好きだって言っていいんだよ」
「ミカ?急にどうしたの?」
今のミカは少し変だ。
「もう少ししたら僕は遠くに行っちゃうけど、僕はずっとレオのことを見ているからね。目には見えなくても、僕はずっとレオのそばにいる。ずっと一緒にいて、レオの幸せを見守ってるからね」
「ミカ? それどういう意味?」
なんだかミカの話し方に違和感を感じて聞き返したけれど、ミカはいつものように微笑むだけ。
「大好きだよレオ。僕、レオと兄弟で、レオが僕のお兄ちゃんで本当によかった」
「僕も。僕もミカと兄弟で、ミカが僕の弟で本当によかった。大好きだよミカ」
僕がそういうと、ミカはもう一度僕を抱きしめる力を強めて、「おやすみなさい」と僕の部屋を出て行った。
「おやすみなさい、ミカ」
去って行くミカの背中に、僕はそう言った。
その時の僕は知らなかった。
おやすみと見送ったのが、ミカの最後の姿となってしまったなんて……。
ともだちにシェアしよう!

