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第10話 流行り病 ②

 しばらくすると、ドタドタと誰かが廊下を駆けてくる音がした。  何事?  廊下に様子を見に行こうと起き上がったと同時に、ミカエルの部屋のドアは開けられ、父様と母様、お医者さんに数人の使用人が入ってくる。 「ああミカエル!」  母様が僕をキツく抱きしめる。 「本当に心配したんだよ」  父様も僕を抱きしめる。  侍女だけじゃなくて、父様と母様も僕のことをミカエルとおっしゃっている。  僕たちは大きくなるにつれて見分けがつきにくく、毎日会っている使用人たちですら、僕たちが着る服の色でしか、どちらが僕でどちらがミカか、わからなくなっていたとはいえ父様と母様はきちんと見分けられていた。  なのにどうして、今、僕のことをミカエルって呼ぶの? 「旦那様、奥様、少し失礼します」  お医者様が僕の目の前に現れ、目の様子や心音を聞かれる。 「熱もさがっておられ、胸の音も綺麗です。ご安心ください。ミカエル様は病に打ち勝たれました」 「本当ですか!?先生、ありがとうございます!さ、お茶の用意をさせますので別のお部屋でお待ちください」  父様が使用人たちに目配せをすると、使用人たちは父様に一礼して部屋を出ていった。  部屋には父様、母様、僕の面倒をみてくれていた侍女、そして僕の4人だけになる。 「ミカエル、大事な話がある」 「父様、僕ミカエルじゃなくてレオナルドだよ」  いくら父様たちがミカのことが大好きで大切だからって、僕とミカを見間違うなんて悲しすぎる。 「ああ。そのことで話がある。|ベッドのヘリ《ここ》に座りなさい」  父様に促されるまま僕はベッドのへりに座り、父様と母様は僕の両隣りに座った。 「今から話すことは、とても重要で誰にも話してもいけない。それがたとえサイモンでも、だ。誰にも言わないと約束するか?」  今まで見たことのない父様の表情に、僕は大きく頷いた。 「レオナルド、ミカエルは死んだ」 「……え……?」  父様が何をおっしゃっているのかわからず、思考が止まる。 「今……なんて……」 「ミカエルは、死んだ」  父様はもう一度、今度ははっきりと言う。 「ミカエルは……死んだ……?どういう、ことですか?」  ミカが死んだ?  信じられない。  だってミカは昨日、僕にお茶を淹れにきてくれていたじゃないか。  僕の知っているミカは元気で体調が良さそうだった。  だったらどうして?  父様と母様は僕に嘘をついている?  でもどうしてそんな嘘をつくの?  それにどうして僕のことを『ミカエル』って呼ぶの? 「ミカは……ミカは、どこですか?」 「……」 「ミカの体調はどうなんですか?」 「……」 「どうしてここにミカはいないんですか?」 「……」 「どうして僕は、ミカの部屋のミカのベッドで眠っていたんですか?」 「……」 「どうしてみんな僕のことを、ミカエルって呼ぶんですか?」 「……」 「どうしてですか!?どうしてそんな嘘をつかれるのですか!?答えてください!ねぇ父様!母様!」  僕はベッドから立ち上がり叫び、部屋の中には僕の声だけ響く。 「レオナルド座りなさい。座って落ち着いてしっかりと聞くんだ」  父様は落ち着いて話し始められた。  ミカエルはサイモンに丘の上に連れて行ってもらい、上機嫌で帰って来て、そのままサイモンを見送った。  体調もよく元気だったので安心していたが、その晩、急に容態が悪化し三日三晩、高熱と嘔吐を繰り返し4日目の夜中、眠るように亡くなったと話された。  でもそんな話しは嘘だ!  だってミカは元気な姿で僕に会いにきてくれたじゃないか!  額に掌を当ててくれたり、お茶だって淹れてくれた。 「そんなのは嘘です!サイモンが帰った3日後の夜中、ミカは元気な姿で僕に会いにきてくれていました!僕のことを心配して、会いにきてくれてました!ミカだけが僕に会いにきてくれてました!」  ほぼ叫ぶように言っていた。 「そう、だったんだな」  みるみるうちに父様の目に涙が浮かび、母様は手で口を塞ぎ、鳴き声を抑えている。 「ミカエルはレオナルドにお別れを、言いに行っていたんだな」 ーお別れー  その言葉が頭の中で響く。  ミカが来てくれたのは、決してお別れのためじゃない。ミカは元気だったから、僕の様子を見に来てくれていただけなんだ。  だけど、ミカが言っていた言葉がずっと引っかかっている。 ーもう少ししたら僕は遠くに行っちゃうけれど、僕はずっとレオのことを見ているからねー  やっぱりミカは僕にお別れをしに来てくれたんだろうか?  本当にそうなの?  ねぇミカ、僕はお別れなんてしたくなかった。  ずっとずっと一緒にいたかった。  ミカと一緒に外で遊びたかった。  あの丘の上にある木の下で、一緒に本を読みたかった。  僕とミカ、服を交換して、また入れ替えごっこのイタズラもしたかった。  みんなを驚かせたかった。  またサイモン間違えるかな?って話しながら、笑っていたかった。  それにサイモンとミカの結婚をお祝いしてあげたかったし、2人で行った感謝祭の話も聞きたかった。  もっとミカのわがまま聞いてあげたかった。  もっとミカの笑顔が、見たかった……。  もっと、もっと、もっと……。 「お別れなんて、嫌だ……。お別れなんて、嫌だ。嫌だ。嫌だ!嫌だ!!」  ミカとお別れなんてしないし、きっとこれはミカのイタズラだ。  そうだイタズラだ。  探しに行かないと。  僕はミカを探しに行かないと!  スクっと立ち上がる。 「ミカを探しに行ってきます」  一歩を踏み出そうとした時、父様に腕を掴まれた。 「レオ、ミカはもういない。どんなに名前を呼んでも、どんなに探してもいないんだ。レオ、ミカはもういない」  いつもは威厳があり、厳格な父様の目から涙が溢れる。  ああ、本当にミカは死んでしまったんだ。  もうこの世には、ミカはいないんだ……。  父様の涙を見て、ミカの死を認めざるおえない。 「父様、ミカは苦しまずに神様のところに行けたのですか?」 「ああ。微笑みながら天に召されたよ」  よかった。  よかったねミカ。  もう苦しくないよ。 「これからミカが眠るお墓にお花を持って行ってもいいですか?」  たくさんたくさんミカの好きな花を用意しよう。  それから毎日ミカに会いに行こう。 「それなんだがレオ、ミカのお墓はない……」 「え?」  父様が何をおっしゃっているのか、理解できない。 「じゃあミカは、今、どこで眠っているのですか?」 「ミカは眠っていない。今この瞬間から、レオ、お前はミカエルだ」 「!!」  父様は何をおっしゃっているのだろう?  今日から僕がミカ?  どう言う意味なんだ? 「今日からお前はミカエルで、18歳の誕生日が訪れたら、お前はミカエルとしてサイモンと結婚するんだ」 「!!」  今度こそ何をおっしゃっているのか、何をおっしゃりたいのか理解できない。 「流行病で死んでしまったのはレオナルドで、助かったのはミカエル。お前だ」 「ち、違います!僕はレオナルドでミカエルじゃないです!父様、間違っておられます!」 「間違っていない!」  今度は父様の声が部屋に響く。  カトラレル家は子爵だ。  裕福ではなかったが、それでも土地は豊かで、その税収や隣国との貿易での収入が滞りなくあったため暮らしてこれたが、ここ数年不作が続き税収が減ってしまった。  そこにきて流行病で風評被害が広がり、貿易での収入が激減した。  ただでさえ裕福でも力があったわけでもないカトラレル家は、金銭的に困窮し、今回ミカエルが伯爵であるサイモンと結婚することで、カトラレル家は支援してもらえることになっていたのに、ミカエルが死んでしまい、この婚姻がなくなってしまえばカトラレル家は崩壊してしまう。  そこで流行病で死んでしまったのは僕、生き残ったのはミカにして、僕がミカの代わりにサイモンのいるオリバー家に嫁ぐことにしようという話になったようだった。 「ただ暗いだけで、何の取り柄もなかったお前だがこの瞬間からミカエルになって、私や母様のためサイモンと結婚し、ミカエルとして生きていくんだ。これでやっとみんなのためになることが、できるじゃないか」  父様は僕がミカになり変わることが、さも幸福なことのように話された。  僕がミカになる……。  本当の僕は生きているのに、みんなの中ではもう(・・)死んでしまっていることになっている。  だから侍女も僕のことをレオナルドとは呼ばずに、ミカエル様と言ったんだ。  父様、母様、ほかのみんなの中には、もう僕はいない。  みんなの大好きミカだけが生き残っているんだ。  でも僕にも生まれる前から次期当主になるという、使命がある。 「父様、僕は次期城主です。もし僕がミカとしてサイモンと結婚してしまったら、一体誰が次期城主になるのですか?」  僕は次期城主となるため、勉強も剣術も乗馬も人一倍努力してきたし、サイモンへの気持ちも押し殺してきた。 「今、母様のお腹にはお前の弟か妹になる子供がいる。次期城主には、その子になってもらう」 「え?母様のお腹には赤ちゃんがいるのですか?」  初めて聞いた話だ。 「まだ誰にも話してなかったがそうだ」 「僕に弟か妹が生まれるんですね」 「ああそうだ」  もし僕がミカとして生きていかなければ、この土地の人々も、今まで僕を世話してくれた使用人の人たちも、父様も母様も、そしてまだ見ぬ僕の弟か妹も路頭に迷ってしまう。  僕の返答次第では、みんなの今後が変わってきてしまう。だから……。  僕はレオナルド。  でも今この瞬間から、僕はミカエルになる。  ミカと当主の代わりは必要でも、僕の代わりは必要ない。  僕の気持ちは決まった。   「流行病で死んでしまったのはレオナルドで助かったのは僕、ミカエル。今日から僕はミカエルです」

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