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8.「覚悟しててね」
夏休みが明けると文化祭まで二週間を切った。
他のクラスや学年は夏休みの間も準備を進めていたらしく、扉や窓に装飾品が付けられ、学校全体がお祭りムードになりつつある。
始業式が終わった放課後、僕たちは残って文化祭の準備をすることになった。
「え、嘘でしょ……」
那生の声にクラスのみんなの視線が集まる。教室の後ろにあるロッカー前には大道具用の段ボールがまるでゴミ捨て場のようにまとめられたままだ。
「これ、どういうこと?」
「なにを作ればいいかよくわからなかったし……」
大道具リーダーの須津くんはむすっと唇を尖らせた。その後ろにいる裏方組はうんうんと頷いている。
「もうすぐ文化祭なのになにもできてないの!?」
「いくらなんでも舐めプ過ぎない?」
「はぁ?」
山内くんたち出演組も集まりだし、須津くんを始めとした裏方組が眉を寄せた。
険悪な雰囲気が漂い始め、二つのグループが対立している図が浮き彫りになってしまった。
二つを取り持つように那生は間に入る。
「夏休み中の作業日はどうしてたの?」
「別に、なにも」
「なにもってなんだよ! ちゃんと仕事しろ!」
山内くんの怒声に須津くんは眉をひそめた。
「元々俺たちは劇なんて反対だったんだ。それをお前たちが勝手に決めてやりたいことだけやって……俺たちに面倒なこと押しつけただけだろ」
「みんなで話し合って決めただろ!」
「あれのどこが話し合いだよ!」
二人は唾を撒き散らしながら怒鳴りあっている。いまにでも殴り合いが始まりそうな気配に、みんなの顔に緊張が走っていた。
まぁまぁと那生が二人をいなす。
「じゃあみんなで分担しよ? ほら、山内も」
「なんで俺がこいつらの尻ぬぐいしなきゃなんだ」
「そもそもおまえらが勝手に決めたからだろ!」
「落ち着いて」
那生が間に入っても火に油を注ぐばかりだ。いまにでも殴りかかりそうだと察した那生は、山内くんと須津くんの距離を物理的に取ることにした。
教室には主演組、廊下に裏方組と分かれ那生がお互いの言い分を聞くことでなんとか治まっている。
僕は裏方なので廊下にいたが、一人で衣装を作っていただけなので大道具のことはよくわかっていない。
「悪い。俺もちゃんと確認してこなかったな」
那生が謝罪すると須津くんを始めとした裏方組は気まずそうにお互いの顔を見合わせた。
部活に夏休みの課題、僕に勉強を教えたり、劇のセリフを憶えたりと那生は手一杯だったのだろう。きっとやってくれている、と期待してしまっても無理はない。
「いまから作ろう。俺も手伝うから」
「あいつらの言う通りにしろってことか」
「でもパンフレットも出来上がってるから今更変えられないよ」
朝のホームルームのときに、文化祭のパンフレットが配られた。僕たちのクラスは体育館のステージで午後一に発表すると記載されている。
「……腑に落ちねぇ。なんで俺たちが」
須津くんの吐き捨てる言葉が耳に引っかかる。
最初は同情していた。十六対十五で決まった劇だからクラスの半分近くがノリ気ではない。それに河野さんの計画もある。
でももう決めたことをウジウジと言うのは違うのではないか。
ならもっと最初から自分たちの意見を主張すればよかったのだ。時間をかけて話し合いをして、みんなが納得できるような演目に変えることだってできたかもしれない。
それを放棄してなにもやらないのはただの子どもだ。
イライラしながら須津くんを睨みつけていると彼はむっと唇を尖らせた。
「なんだよ、東。おまえだって面白くないだろ? 勝手に劇に決められてさ」
「でも僕はちゃんと納得して、衣装を作ったよ」
「俺は納得できない。なんであいつらのために」
そこか、と須津くんが反発している理由がわかった。
僕たちのクラスは陽キャと陰キャが二分している。どうしても声の大きい陽キャの意見が通りやすい。
そのことを面白く思ってないのだ。
須津くんの気持ちもわかる。
だって那生の女装が見たいから、と「男女逆転ロミオとジュリエット」になったのだ。山内くんたちがみんなでグルになって投票したと須津くんたちは気づいたのだろう。
でも、それとこれは別だ。
「僕たちの劇を楽しみにしている人がいるかもしれない」
演目を聞いたとき、なんて斬新なアイディアをするんだろうと思った。そこに策略があったとしても、人の興味を掻き立てられるものを提案できることはすごい。
なら僕たちはそれに合わせるしかないんだ。もう他のものに変える時間もない。
「僕は衣装作ってて楽しかったよ。那生の妖艶なジュリエットに、河野さんはカッコいいロミオにしたいって思って頑張って作ったんだ」
服を作るときまずその人をイメージする。レースやフリルのわずかな位置の差で印象は変わる。どうやってイメージ通りにするか考えるのは大変なときもあったが、心が躍った。
「やってみようよ」
勇気を出した言葉に須津くんたちは気まずそうに顔を伏せた。
でもしばらくして顔を上げる須津くんは眉を寄せたままだ。
「そんなの東がいいように利用されてるだけだよ。俺たち帰るから」
「おい、須津!」
須津くんたちは那生の静止を無視して帰ってしまった。残ってくれた数人も顔を見合わせてぞろぞろと続いてしまう。
僕の想いは届かなかった。
「……まじやべぇな、これ」
絶望した顔の那生が見られなくて、僕は俯くしかなかった。
「あいつら帰ったのかよ」
「悪い。俺のミスだ」
「三谷のせいじゃないだろ。でもどうする?」
残された主演組と那生、僕は真っさらな段ボールを見つめて途方にくれた。
主演組はこれから稽古をしなくちゃいけない。僕は衣装を着て動いてもらいながら、窮屈なところを直していく予定だ。
でもこの中で一番融通が利くのは一人しかいない。
「……僕がやるよ」
「でも翡翠一人に押しつけるわけいかないだろ。俺たちもやろう」
「俺たちは舞台の練習をしないとだろ」
山内くんの言い分に他のメンバーも頷いている。
ピリピリとする空気が矢印のように僕を鋭く刺す。
「大丈夫。絵は得意じゃないんだけど、なんとか形になるようにするから」
「翡翠……」
那生も困り果ててしまっている。最善の策が見つからないから仕方がない。
「時間勿体ないから稽古するぞ。あとは東に任せようぜ」
山内くんが言うと主演組は頷いた。
「……ごめん、翡翠」
「大丈夫だよ」
肩を落とした那生に笑いかけ、僕は段ボールを持って廊下に移動した。
作るものは城の外側と教会、ジュリエット家のバルコニーだ。あの有名な「あなたはどうしてロミオなの」と嘆く、需要なシーンである。
下書きをするためシャープペンを走らせるが、僕には絵心がない。
壊滅的な下絵に途方に暮れた。
劇のレベルは格段に上がっている。その大切な舞台に僕のへたくそな絵が舞台にあがるかと思うと肝が冷える。世界観をぶち壊しだ。
「あ」
顔を上げると同じ衣装係の野元さんがスクールバックを肩に下げたまま山のような冊子を抱えていた。
僕たち三組の教室は階段横にあるので、ちょうど下から昇ってきたようだ。
「どうして東くんが……やってるの?」
「なんか成り行きで」
ははっと情けなく笑った。
「これ……」
野元さんは僕が下書きした城の絵を見て言葉を無くしている。城というより犬小屋だ。
「下手くそでしょ。絵があまり得意じゃなくて」
「衣装はいいの?」
「全部終わったよ。ほら」
僕は教室の小窓を指さした。いままさに主演の那生と河野さんが衣装を着て、演じている。
那生が動くたびにスカートの裾は揺れ、袖のヒラヒラしたラインが女性的なボディラインを作るように何度も調整した。
一方の河野さんはその長身をいかし、スタイル抜群なロミオに仕立てている。
二人を見つめた野元さんは「すごい」とこぼした。
「裁縫は得意なんだ」
へへっと笑うと「そうなんだ」マシュマロみたいにやさしい響きを滲ませてくれる。
野元さんはしばらく黙ったあと、小さく頭を下げた。
「さっき須津に言ってたの、すごく胸に刺さったよ」
野元さんは冊子を置いて、僕の隣にちょこんと座る。長いポニーテールが左右に揺れた。
「結構グサってきた。向こうが勝手に決めたのになんで私たちが面倒ごとやんなきゃいけないのって思ってた」
「わかるよ。僕も衣装係じゃなければそう思ってたかも」
得意分野を任されたから納得できた部分は少なからずある。
「ごめん……全部、東くんに押しつけてるよね」
「服作るの好きだから楽しいよ」
「いつも作ってるの?」
「うん。ぬいぐるみのーーあのぬいってやつで」
「知ってる」
野元さんの鞄から取り出したものに驚いた。
たくさんのレースをあしらった赤ずきんをモチーフにした衣装を着たぬいが出てきた。その衣装には見覚えがある。
「それ、僕が作ったやつ」
「嘘!? もしかしてジェイドさん?」
「まさかその名前を学校で聞くと思わなかった」
「私いつも衣装買ってるよ! yunaってアカウント憶えてない?」
「わかる……」
ありがたいことに僕の作った衣装を定期的に買ってくれる顧客が何人かいるが、yunaさんは赤色の衣装を出品するたびに買ってくれるのでよく憶えている。
「まさか東くんだと思わなかった」
「僕も野元さんだとは思わなかった」
クスクスと笑い合うと野元さんはぬいのキャラを教えてくれた。
どうやらサッカー漫画の主人公らしく、イメージカラーは赤なのだそうだ。だからいつも赤いものを身に着けさせるらしい。
「ジェイドさんのぬい服は作りが丁寧で細かいのに低価格だからいつも助かってる。オタ友に見せると必ずどこのって訊かれるんだよ」
「嬉しい」
たまにコメントでお礼を言われることはあるが、生の声は初めてだ。じんわりと温かいものが胸に広がる。
「最近新作の更新がないのは、文化祭の準備があったからなんだね」
「まぁ……そうなるかな」
補習もあったけど、とは言えず曖昧に頷いた。
「じゃあ手伝う」
「いいの?」
「もちろん。今度のイベント用に新しい服着せたいし」
「ふふっ、ありがとう」
お礼を言うと野元さんはにっこりと微笑んでくれた。
野元さんが持っていた冊子は漫画研究部が発行する漫画らしい。部員がそれぞれ好きなジャンルの作品を描いて、売りに出し、その売上で次の作品を作るというものだ。
「野元さんはなにを描いてるの?」
「BLだよ」
「どういうジャンル?」
「ボーイズラブってわかる? 男の子同士の恋愛漫画」
「へっ」
ぽんと僕の頭が噴火しそうになった。自分のことを言われているわけではないのに、那生を好きなことを指摘されたように感じたからだ。
野元さんは手を止めて、不思議そうに首を傾げた。
「どうして東くんが照れてるの?」
「いや、その……そういうジャンルがあるって知らなくて」
「まぁ普通は知らないよね」
野元さんは話しながらも手早く城の絵を描いてくれた。さすが漫画研究部なだけあって絵が上手い。さらさらと下書きが出来上がり、二人で色塗りをした。
「本当はこういうの須津の方が上手いんだよ。あいつ、美術部だから」
「そうなんだ。二人は知り合い?」
「同中なの」
そこから須津くんの話を聞いた。展示をやりたかったのは文化祭に展示する美術部の作品に時間を割きたかったかららしい。
「相談してくれたらよかったのに」
「それは無理だよ。うちのクラスって陰キャと陽キャがはっきり分かれてるじゃん。陽キャの意見がすべて通るのにうちらみたいのなんて反論できないよ」
「確かにね」
山内くんたちのグループはなんというか圧が強い。自分たちが正しいと言わんばかりの大声で教室にいるから、大人しい人は萎縮してしまうかもしれない。
「でも那生はやさしいよ。話せばわかってくれたと思う」
那生は山内くんたちのグループに属しているけど、クラスメイトの誰とでも親しい。
公平に物事を見る目も持っているので最初から相談していれば、こんな最悪な事態にはならなかったと思う。
「どう? 進んでる?」
扉が開き顔を出した那生の額には汗が浮かんでいる。長い茶色のカツラが首や頬にくっついていた。だいぶ練習に熱が入っていたらしい。
僕は段ボールを那生に見えるように掲げた。
「野元さんのお陰でこの通り順調だよ」
「お、さすが漫画研究部。助かる」
「……うん」
那生に声をかけられて野元さんさっと下を向いた。首まで真っ赤だ。さすが少女漫画もビックリな要素てんこ盛りの那生だ。女装をしていても衰えないらしい。
「衣装の動きはどうだった?」
「ばっちり。これから通しのリハやるから時間あったら野元も見て行ってよ」
「いいの?」
「もちろん。観客がいる方が俺たちもやりがいあるし」
那生に誘われるまま野元さんと教室に入った。机をすべて後方に下げ、黒板前をステージのようにしているようだ。
衣装に身を包んだ主演組の表情はどこか緊張感がある。
「じゃあ始めるぞ」
那生の合図に舞台の幕が上がった。
「すごい」
隣の野元さんは星を集めたように目をキラキラとさせて、最後の挨拶をしている主演組を見つめた。そのあと大きな拍手をして、立ち上がっている。
「すごい、すごい、すごい! え、たった一月でこのクオリティですか? てか演技がプロみたい。表情管理も完璧。衣装もみんなに合ってる。これはやばい!!」
一息に言い切った野元さんの鼻息が荒い。それだけ興奮しているんだ。
感想を聞いた山内くんは「そうだろ」と胸を張った。
「夏休みも結構集まって練習してたからな」
「え、陽キャのみなさんが?」
「陽キャ?」
こてんと首を傾げる主演組に野元さんは頬を赤らめた。
「ごめん、正直に言うと主演組のみんなはただ自分たちが目立ちたいから劇にしたんだと思ってた」
「なるほど。だから須津はあんなに怒ってたのか」
山内くんは腕を組んでうんと頷いた。
「確かに目立ちたかったのもあるな。まぁ違う人もいるけど」
ちらりと河野さんを見た山内くんは彼女に肘打ちをされていた。
「でもいざ始めたらすげぇ楽しくて。みんなで登場人物の気持ちを考察したり、ドラマや映画を観て演技の研究して夢中になってたな」
主演組はみんな同調するように大きく頷いている。
「たくさん練習したのがすごいわかる。生半可じゃないって伝わるよ!」
「中途半端は性分じゃないしね」
河野さんが腰に手を当てると主演組は大きく頷いた。
「なら尚の事、大道具をちゃんと作らないとかせっかくの舞台が霞んじゃうね」
野元さんは山内くんと須津くんのやりとりを思い出したのか、しゅんと肩を落としてしまった。
だがすぐに顔を上げる。
「でもきっとこの演技を見たらみんなやる気になると思う! 明日のホームルームのとき、やってみたら?」
「えぇ〜」
「それはいいね」
山内くんは嫌そうだったが、那生は野元さんの話にのった。百聞は一見にしかず。主演組がちゃんと練習していたところを見せれば須津くんたちも納得してくれるかもしれない。
下校のチャイムが鳴り、急いで片付けを済ませて僕は那生と電車に乗った。いつもより遅めの時間のせいかかなり混んでいる。
「劇、どうにかなりそうだね」
「うん」
あのあと美術室にいる須津くんを野元さんが説得し、どうにか明日のホームルームに劇を見てもらえることになった。
あとはもう肌で感じてもらうしかない。
「てかいつのまに野元と仲良くなったの?」
「それはね」
ぬいの話をすると「世間は狭いな」と那生は目を細めた。
僕たちはドア側に立っているが、電車が揺れるたびにふらついてしまう。いつも座れるから立っているのは慣れない。
「俺に捕まっていいよ」
「……ありがと」
那生のシャツをキュッと掴んだ。そこからふわりと柔軟剤の香りがして、心臓が騒ぎ出してしまう。
「文化祭、一緒に回ろうよ」
「山内くんたちはいいの?」
「うん。劇は午後一だからあんまり回れないけど……翡翠と行きたい」
逸らすことを許さない強い眼光に僕はごくりと唾を飲み込んだ。
「それに祭りの続き、ちゃんと言いたい」
耳元に那生の熱い吐息を吹きかけられ、僕はシャツを握る手に力を込めた。
那生の好きな人の名前は花火の音にかき消されてしまい、わからずじまいだ。
しかも花火が終わると人がどっと押し寄せてきてはぐれてしまったので、別々に帰って聞けないでいる。
その後は話題をのぼることなく、いままで通りに過ごしている。
那生も特に変わった様子がなかったから、あえて訊かなかった。
ーー『俺の好きな人、わかる?』
宝石のようにキラキラした瞳を思い出す。那生はなんて言おうとしていたのだろうか。
「覚悟しててね」
そう言って那生はくしゃりと笑った。
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