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11.「意識した?」
文化祭が終わって半月が過ぎた。ようやく僕たちは日常を取り戻し、元の通りの時間を過ごせている。季節は秋にバトンタッチしていた。
僕は放課後の家庭科室でいつも通り手芸同好会の活動をしている。といっても自宅でやる作業を学校でやっているだけだ。
学校のミシンは少し古いけれど、慣れれば使いやすい。カタカタカタという規則的な音を聞くとまるで布団に包まれているようにリラックスできる。
『集合!』
グラウンドから一際大きな声が聞こえ、僕は顔を上げた。
那生は部員を集め、身振り手振りでなにかを話しているようだ。次の練習メニューだろうか。
真剣な顔をしていると思ったら、笑顔をつくるとどっと笑い声が僕の方まで聞こえてくる。
部員みんなから慕われているのがわかった。
顔の汗を拭うとき、ユニホームの袖を使うと鍛えられた腹筋が見え、サッカー部を見学していた女子から歓声があがっている。
(あのカッコいい人が僕の……彼氏)
彼氏、という単語にぽっと頬が熱くなる。
まさか付き合うことができるなんて。いまでも夢じゃないかと思う。
放課後一緒に帰ったり、那生の試合を見に行ったり、休みの日は出かけたりと友だちの延長線上のような清い付き合いをしている。
でも那生が僕をみつめる視線に甘さがちょい足しされるようになった。それがこそばゆくてなかなか慣れない。僕がすぐ顔を赤くしてしまうと那生は笑ってくれる。
シャボン玉みたいにキラキラした笑顔に僕の心音は過去最大数を更新し続けている。
「ひーすーい、終わったよ」
窓を開けて身を乗り出してきた那生は髪がぐっしょりと濡れるほど汗をかいている。暦上では秋だが、十月を過ぎてもまだ暑い。
夕方になってようやく季節の変わりを感じられるひんやりとした風が吹くようになった。
「お疲れ様。汗ちゃんと拭かないと風邪引くよ」
「これくらい平気」
「だめ。もうすぐ大会があるんでしょ」
「過保護だなぁ」
「あんまりわがまま言うのはめっ、だよ」
僕の言葉に那生はポカンと口を開き、じわじわと首元から耳まで赤く色づいていく。
「……待って、いまの可愛すぎる。もう一回言って」
「もうすぐ大会あるんでしょ?」
「その次のやつ」
「めっ、だよ?」
「…………すごい破壊力だ」
那生は腑抜けたタコのようにするするとしゃがみ込んでしまった。慌てて窓から身を乗り出すと那生は地面に膝をついている。
「熱中症?」
「もう少し堪能させて……いまのは反則級に可愛い」
「よくわからないな」
そのあともブツブツと言っているようだったが、声が小さくて聞き取れなかった。
最終下校を知らせるチャイムが鳴ると那生は「やばい!」と立ち上がる。
「すぐ着替えるから校門で待ってて」
「うん。後でね」
那生は流れ星よりも早いスピードで部活棟へと走っていった。
僕はミシンや作りかけの衣装を片付け、家庭科室を施錠してから校門に向かう。
いつも通り、校門前には恋人の部活終わりを待つ人が多い。
僕の高校は部活動が盛んで、部活によっては毎年インターハイに出るところもある。
サッカー部ももちろん例外ではない。
イケメンばかりのサッカー部は強いこともあってモテる。でも部員は彼女持ちの人も多い。その彼女たちも学年屈指の可愛い子たち揃いだと聞く。
練習が終わり校門で待つのがどうやら彼女たちのステータスらしい。桜の木の下がサッカー部の彼氏を持つ彼女たちの待ちスポットのようで見慣れた顔がいくつもある。
僕は校門から少し離れた場所に陣取り、那生を待った。さすがにあの集団の中に入れる度胸はない。
当たり前だけどみんな異性間交際をしている。
僕のように男が待っている人がいるけど、来るのは彼女ばかり。
異性恋愛が普通なのだから仕方がないとはいえ、こういうとき自分たちは爪はじきされているような気分になってしまう。
(そういえば野元さんの漫画にもあったっけ)
文化祭で購入した野元さんのBL漫画は僕のバイブルだ。
高校生同士の清い付き合い方の手本のようなストーリーは勉強になる。
「お待たせ」
「おそーい。罰としてスタバの新作付き合ってよね」
「はいはい。わかったよ」
サッカー部員と覚しき男子と彼女が示し合わせたように手を繋いで帰っていく。腕を組んだり、腰を抱いている大胆なカップルもいる。
(まただ。よくみんな懲りないな)
まるで自分たちの存在を誇示しているような行動が僕は理解できないでいた。
手を繋いでいると定期が取り出しにくいし、腰なんて抱いたら歩きづらいに決まっている。
僕はカップルがなぜ密着したがるのか不思議でならない。
「お待たせ、翡翠」
ふわりと香る制汗剤の匂いに顔を上げた。
那生は制服のジャケットを小脇に抱え、ネクタイをちょっとだけ緩めている。長袖シャツを折り曲げて細いけど張りのある手首が見えた。
十月に入り、衣替えが移行期間になので夏服と冬服が混在していた。那生は今日から冬服を着ていたが運動後なので暑かったのだろう。
校則の範囲以内で制服を着崩しているところがオシャレ上級者だ。だらしがなく見えない。
かっこいい、と見惚れそうになり、僕は頭を振った。
「大丈夫だよ」
「じゃあ行こっか」
那生と駅へと向かうと人気者の彼は「バイバイ」と色んな人から声をかけられた。サッカー部員も校門で待っていた彼女たちも。
だけどみんな知らない。
那生と付き合っているのは僕なのだと。
胸を張りたい気持ちと申し訳ない気持ちが混ざり合って僕は溜息をこぼした。
那生と付き合う時点でこうなることは予想がついていたが、目の当たりにするとキツイものがある。
「へっくしゅ!」
「悪い、待たせちやったから冷えたよな」
「平気だよ」
朝が少し暑かったので僕は夏服で来てしまったが、夕方はだいぶ冷える。この寒暖差は秋ならではだ。
「俺のジャケット着ていいよ」
「それじゃ那生が寒いでしょ」
「まだ暑いもん。それより翡翠が風邪引く方が嫌だ」
那生の家の匂いがするジャケットを押しつけられてしまった。やさしいこの匂いに心臓の裏を撫でられたようなくすぐったさがある。
確かに少し肌の表面がひやりとしていた。
「じゃあ借りるね」
「ん」
リュックを持ってもらい那生のジャケットを羽織った。袖は長くて手が隠れてしまうし、肩幅が合っていないからだらっとしている。かなりの不格好だ。
「……昔はあまり背変わらなかったのに」
「中学で三十センチ伸びたからな」
「タケノコじゃん」
「でもこれじゃ動きにくいよね。袖まくってあげる」
「ありがと」
袖をまくってもらうとブレザーの裏地が見えて情けない。でも誰も僕の服装なんて気にしていないだろう。誰もが先に見るのは那生だと相場が決まっている。
電車に乗り、最寄り駅に着き歩いて僕の家まで送ってくれるのが暗黙の了解になっていた。
話している間にちらちらと那生に視線を向けられる。なにか変なところあったかな。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
「そう?」
だが那生の視線は僕の手元を見ている気がする。最近爪を切り忘れてたから不潔だと思われたのかな。帰ったら切らなくちゃ。
門の前で立ち止まり、僕はジャケットを脱いで那生に返した。
「ごめんね、うちまで送ってくれて」
「いいよ。少しでも長く翡翠といたいし」
ジャケットを羽織る那生は乱れた髪を直しながら照れくさそうに笑った。僕も同じ気持ちだ。
「……僕も。那生といると楽しい」
精一杯返すと那生はきょとんと両目を瞬かせたあと、口元を手で覆った。
「は~そんな可愛いの反則だろ」
「別に可愛くないよ」
「可愛いよ。あ、でも可愛いは禁句だったっけ。とにかく俺は翡翠にベタ惚れってことです」
飾り気もないまっすぐな言葉に射貫かれて、僕の心臓は止まってしまったようだ。もう一度名前を呼ばれて、はっと息を吸い込むと酸欠でクラクラする。
那生は真剣な顔になり、じっと僕を見下ろした。月を背景にしているせいか、映画のワンシーンのようにきれいだ。
そろそろと腕が伸びてきて身構えると那生の手は虚空で止まりそのまま降りた。
でも目は僕を見据えたままだ。黒曜石の瞳はなにかを訴えるように瞬いている。
僕は慌てて話題を切り出した
「そういえばもうすぐ修学旅行の班決めだよね。那生は山内くんたちとなるんでしょ?」
「いや、特にそういう話はしてないよ」
「そうなの? 僕は野元さんたちと一緒になろうかなって」
「は? なんで野元?」
首を傾げる那生に僕は説明した。
文化祭以来、僕と野元さんは良好な友人関係を築いている。彼女が大好きだというサッカー漫画を借りたら面白くてハマってしまい、仲が急速に深まっていた。
しかもコラボカフェやグッズの衣装のデザインが可愛く、ぬい用の衣装の制作に大いに役立っている。
野元さんの友だち(といってもクラスメイトだけど)も漫画研究部の人で僕のぬい衣装を褒めてくれた。男なのに手芸なんて、と言われないので三人と話すのがとても楽しい。
ある昼休みのとき、野元さんたちと漫画の話で盛り上がっていると彼女は天啓を受けたかのようにかっと目を見開いた。
『聖地巡礼したい!』
『なにそれ?』
『漫画の舞台が大阪なの。作者が地元らしくて、本当にある学校や橋、グラウンドがモデルになってるんだよ』
『行ってみたい!』
漫画と同じものが見れるのかと僕はワクワクした。それから四人で聖地の場所を調べている最中なのだ。
説明し終わると那生は眉間に小山を作っている。
「野元さんたち女子は三人組だからあと一人男子が欲しいんだよね」
僕のクラスは三十一人いるが、男子の方が少なく、二人組が一つできる。五人で一つグループを五つ作り、一つは六人グループになる計算だ。
「じゃあ俺が入る!」
「那生が?」
「なんか文句でもあるの」
「……そういうわけじゃないけど」
文化祭のお陰でクラスの仲違いもなくなり、みんな仲良くしているが野元さんと那生が話しているのは文化祭以来あまり見かけない。
野元さん曰く、「イケメンの発光で目が焼け死ぬ」らしく那生とは話せないそうだ。
それに須津くんと野元さんは同中で仲が良いらしく、最後の一人は彼にしようと話していたところだった。
「もしかして他の誰か誘うつもりだった?」
「えっと……うん」
「まじかよ。俺は翡翠と同じグループになる気だったのに」
僕は不思議な生き物を見るように那生をみつめた。
二年生最後のビッグイベントは仲良い人たちと組んだ方が楽しいに決まっている。
きっと山内くんたちだって那生と過ごしたいはずだ。
「だって、班のメンバーと同じ部屋になるだろ」
「そうだったね」
今朝のホームルームで担任が話していたことを思い出す。班ごとに部屋割りをし、男子は三人部屋と二人部屋に分かれると言っていた。
「……俺は翡翠と同じ部屋がいい」
「どうして?」
「それはえっと……もっと一緒にいたいから」
「いまも結構一緒にいるよね」
那生はじっと僕を見てから、乱暴に頭を掻いた。
冬の気配を感じる冷たい風がひゅうと吹いて、後ろに流れていく。
(違う。いまなにか間違えた)
さぁと背中に冷たいものが伝う。なにを、どこを、間違えたのだ。
いまの会話を巻き戻してやり直したい衝動に駆られたがもう遅い。
「……冷えてきたな。帰ったら温まれよ」
僕はなにも言えず、小さくなっていく背中をただ見つめていた。
「それは翡翠が悪いわね」
「てか彼氏に相談もしないで決めるとかあり得ない」
「本当それ。根本的なところが違うわ」
「あ〜那生が可哀想」
家に入るとリビングで寛いでいる真珠姉ちゃんと紅玉姉ちゃんがいたので、助けを求めるように那生とのやりとりを話した。そしたら遠慮のない罵詈雑言を浴びせられ、僕のHPは削られ、いまはもうゼロだ。
僕が初恋を拗らせて、ようやく実ったことを喜んでくれた日が嘘のように思える。
「ちょっと……そこで一旦勘弁してください」
僕が半泣きで懇願するとようやく姉ちゃんたちは口を閉ざした。キレイに塗られた深臙脂色のネイルを天井に掲げ、真珠姉ちゃんは目を細めている。
「翡翠がそんなダメ男だと思わなかった」
「私たちの教育が足りなかったのかしら」
「それもあるわね。紅玉ちゃん」
幼い頃から姉ちゃんたちの恋愛話を聞いてきた。今年二十歳になった二人は恋に仕事に勉強にと大忙しの毎日を送っている。
それでも男を切らしたことはない。
二人とも僕と違って目を惹く美人なのもある。長い黒髪は艶を帯び、計算尽くされたウェーブも似合っている。それにモデル体型でスタイルもいい。
化粧品会社を立ち上げているだけあり、二人はメイクへの情熱を持ち合わせ、その結果がついてきている。
男に依存せず、自立した姿がさらに魅力をあげているのだろう。
僕とは雲泥の差だ。
「本当に那生のことが好きなの?」
紅玉姉ちゃんの鋭い切り込みに僕ははっと顔を上げた。
「好きならずっと一緒にいたいし、触れたいものよ。翡翠はどう思う?」
「……よくわからない」
言葉が小さくなってしまう。この胸を締めつける甘い痛みは那生への恋心を表している、と思う。
でも触れたい気持ちがよくわからない。一緒にいるだけで僕の胸はいっぱいになり、小瓶に詰めた金平糖のように満たされてしまう。それ以上は容量オーバーだ。
ふと校門でカップルたちが手を繋いで帰っている姿を思い出した。
(みんな幸せそうだった)
いまの僕となにが違うのだろう。
僕はなにがだめなのだろう。
恋って難しい。
喧嘩は次の日まで持ち越さないほうがいいという姉ちゃんたちの助言に従い、次の日いつもより早く家を出た。
駅近くの交差点で立っていると軽快な足音が聞こえてくる。曲がり角を見つめていると那生が走って来た。
僕を見て、ふわりとやさしい笑みを浮かべてくれる。
「おはよう。今日早いんだね」
「……昨日のこと謝ろうと思って」
「あれは俺の心が狭かっただけ。翡翠は気にしなくていいよ」
僕は首を横に振った。
「でも班のこと、ちゃんと那生に相談するべきだった。本当にごめん」
「ん。俺も相談なしに勝手に浮かれててごめん」
二人で頭を下げて、ふふっと笑いあった。
(よかった、いつもの那生だ)
電車に乗ると前も後ろもぎゅうぎゅうに人がいて、押されて苦しい。これではリュックの中の弁当が潰れてしまう。
「翡翠、こっち」
那生に腕を引っ張られ、扉横に移動させてもらえた。自然と抱きしめられる形になり、僕は指先をピンと伸ばした。
「この時間は結構混むんだ」
「そ、そうなんだね……」
ブレザー越しでもわかる那生の体格のよさに僕の心臓は悲鳴をあげている。
こういう風に触れることはいままで何回かあった。手だって何回も繋いでいる。でもこんなに緊張したことはない。いままでとなにが違うのだ。
背中に回された手に力が入る。僕は直立不動のまま微動だにできずにいた。
「緊張してる?」
「……うん」
「意識した?」
湿り気を帯びた吐息が耳に触れられ、僕はパニックを起こした。
(意識ってなに? なにを意識するの?)
唇をパクパクさせながら見上げると那生は片頬をつり上げてる。いたずらっ子のような笑みは僕を落ち着かない気持ちにさせた。
どうしてこんなに心臓が騒ぐのだろう。
未知の感情に怖くなり、扉が開くと僕は逃げるように飛び出して全速力で学校に向かった。
家庭科室の鍵を開けて、指定席である窓際の席に座る。あとから心臓が追いついてきたのか胸が張り裂けそうなほど痛む。
部屋中に僕の心臓の音が響いているような気がする。ドッドッと強い鼓動は皮膚を突き破ってしまいそうで、僕は咄嗟に胸を押さえた。
まだ身体に生々しく感触が残っている。那生に触れられた箇所が見なくても感じられ、まるで火傷をしたようにほんのりと温かい。
(なんだ、これは。僕になにが起きているんだ!?)
初めての異常事態に僕の脳内では警報音が鳴り響いている。
那生に触られるのは初めてじゃない。
だが、いまはほんの少しの触れ合いが身体に異常をきたす。いや、正確には僕の精神だ。
恥ずかしくて、落ち着かない。
那生に触れられると全力で逃げたくなる。
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