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第4話 臆病と独占欲

 僕は悩んでいた。  セレス・カシューン魔法師長と食事をして以降、週に一度ほど、彼と食事をしながら話すという習慣ができてしまった。    セレスの誘い文句がたちの悪い冗談かと思っていた僕は、彼がまた治療院を訪れたとき「今度は何しにきたんだろ……」とぽやぽや考えていた。それが僕に会いに来ているなんて、思うわけない。  しかし毎回図ったように閉院間際に訪れ、奥の治療室でしばらく過ごし、そのあと帰ったかと見せかけて、僕が片付けを終えて外に出ると待ち構えている。  待たれていたのに無碍に断って帰るなんて、僕にはできない。それに最近は僕も、セレスと会って一週間ほど経つとそわそわ待ってしまうのだ。  そろそろ来るかなぁ、なんて。  セレスが治療室で何をしているのかは知らない。誰も文句を言わないけど、どう見ても元気そうじゃない?  そういえば、治療院で僕に対して一番当たりの強かった女性スタッフは最近辞めてしまった。最後の挨拶もなく、ある週の休み明けに出勤したら彼女は辞めたと伝えられた。おそらくそうせざるを得ないような急な事情があったんだろう。  閉院後の後片付けは僕がひとりで担当している。セレスが来ると帰りに僕を誘うことは治療院のスタッフやよく来る患者さんにまで知られてしまっていて、彼の来た日だけは院の片付けを免除されるようにもなった。「ウェスタ、お願いだからもう帰って」という感じで、院を追い出される。  もともとスタッフの中で浮いていた僕だが、さいきんは若干腫れ物扱いされている気がしないでもない。変に絡まれるよりは楽でいいけどさぁ……  セレスが僕に会う目的はセックスの練習台くらいしかないと思っていたのに、今のところベッドに誘われることもなく、食事を終えたあとは健全に解散する。  だから僕は妙なモヤモヤを抱えていた。ポロスに相談したいと思っているものの、最近は輪をかけて忙しいのか誘っても断られてしまってしばらく会えていない。  以前のようにひとりで飲みに出ることもある。もちろん男を引っかけて遊ぶためだ。  いつもの酒場のカウンターに座って、声を掛けてくる客を待つか、好みの感じの男がいれば自分から声を掛けてみたりする。  しかしそれも上手くいかない。僕の周りには誰も寄ってこなくなり、声を掛けようと近づけばなぜか逃げるように男たちは帰ってしまうのだ。 「ねぇ……なんか僕、みんなに避けられてる気がするんだけど……すごく臭いとか? 自分で気づいてないだけで何か悪いものが憑いてる?」 「そんなことないさ。気のせいだって」  酒場の眼光鋭い、けれど中身は温厚な店主に弱音を吐くと、優しく諭された。  気のせいだって言われても、気にする。新しい出会いもなく、ポロスにも会えないとなると僕の世界は途端に狭くなってしまう。  性欲処理はひとりでだってできるが、他人と肌を重ねる喜びには勝らない。相手が僕に対して必死になるあの瞬間だけは僕の孤独感が満たされ、刹那だけでも愛されていると感じられるのだ。 「……はぁ。娼館でもいこっかな」 「どこに行くって?」 「っ!」  はぁー、神出鬼没。僕の呟きに応えたのはセレスだった。この人には驚かされてばっかりな気がする。  だいたい、誰のせいだと思ってるんだ。断りもなく隣に座ったセレスを睨みつけるが、どこ吹く風。今日も涼しげな美貌で僕の心を乱す。  それもそのはず、僕はセレスに会うたび……彼に惹かれていく気持ちを抑えられないでいた。  セレスは宣言した言葉どおり、ほんとうに僕のことを知ろうとしているみたいだった。意外に聞き上手で、僕に質問を投げかけては、あれこれと答える内容を興味深そうに聞いている。  休日の過ごし方や仕事の内容、最近覚えた新たな料理の調理法まで、さまざまな話をしてしまった。なんでそんなことに興味があるのか、すごく謎だ。  誰もが知る魔法使い様が会いにくるたび、僕は彼にとっての特別なんじゃないかと……心が勝手に勘違いしはじめてしまった。一旦落ち込んで、違うとわかっているはずなのに、自分の心がままならない。  見た目が良すぎる人間に特別扱いされて、浮かれないとか無理でしょ。性格だって無愛想なだけで全然悪くない。  ほんとうは抱かれるなら彼がいい。だけど惹かれているからこそ、そんなことは軽々しく言えなかった。  そもそも、セレスこそ結婚を控えているのにこんなところで油を売っていていいの? それだって会えたことを喜んでしまっている自分には尋ねることもできない。  恋って恐ろしい。僕は細かいことを気にしないし開き直りも早かった。しかしそんな性格は鳴りを潜め、セレスに関してだけは臆病になってしまう。  初めから叶わないって分かっているのに、どうしてこんなに辛い道を選んでしまったんだろう。  それもこれも、僕の人生にズカズカと踏み込んできたセレスのせいだ。くそう。最初に引っかけたのは僕だけど。  じいっと恨みを込めてセレスの顔を見つめていると、あることに気付いた。 「なんか……顔色悪くない?」 「昨日から寝てないからな。顔色は自分ではどうしようもないが、平気だ」 「はぁっ? なのになんでこんなところ来てるの」 「週末はウェスタがここに来ているかと思って……」  あり得ない。本当になにを考えているのかさっぱりわからない。  それでも僕はセレスが酒を頼もうとするのを遮って、自分の家へ連れて行った。帰れって言っても帰らないし、彼の家を知らないから苦肉の策だ。  家に来るのは二度目なのに、セレスはきょろきょろと物珍しそうに僕の部屋を見回していた。まぁ、あの時はそんな余裕なかったか。ベッドの記憶しかないはずだ。  狭いから、あまりちゃんと見ないでほしい。部屋の半分を占めるベッドに、小さなダイニングテーブルと椅子が二脚。ミニキッチンは廊下にある。僕はセレスを椅子の一脚に座らせ、作り置きしてあった食事を軽く温め、ハーブティーと共にテーブルの上に置いた。 「はい。どうせご飯も食べていないんでしょ? このハーブティーも、リラックス効果があるから」 「い……いいのか?」 「いいもなにも、そんな顔色で会いに来られる方が迷惑だから」 「……ありがとう」  セレスが僕の部屋にいて、僕の作った質素な料理を食べているというのは、ちょっと面白い状況だ。  僕がいつも飲んでいるハーブティーは魔力を多く含んでいるけど、彼ほど膨大に魔力がある人にとってはなんの影響もないだろう。僕は飲み慣れすぎているが、リラックス効果があるというのは本当だ。  セレスはたまに小さく「美味しい」と呟きながら食事を進め、お茶を飲んでほっとした顔をしていた。満腹感も相まって……眠そうだ。  ここまで来たら乗り掛かった舟だ。僕は食事を終えた彼を眠らせるため強引にベッドへ押し込んだ。けれど……  ――なぜか僕まで腕を引かれてベッドにダイブしてしまった。 「!?」 「ウェスタ……」 「え?」 「娼館に行くくらいなら、俺じゃだめか」 「はぁっ? そ、そんなつもりで連れてきたんじゃないし……。もう眠いんでしょ? 寝なさい!」  突拍子もないことを言われて狼狽してしまった。つい孤児院の年少の子にするみたいに叱って、まぶたを強制的に閉じるよう目元に手を置いた。  セレスはもごもごと何かを呟いたかと思うと、浄化の魔法を自分と僕にかけた。初めて身に受けた魔法に驚いてぽかんとしていたら、そのままセレスは寝入ってしまったようで、すぅすぅと寝息が聞こえてくる。 「魔法ってすげー……てか、抱いてくれるなら大歓迎なんだけど。はぁ……」  部屋を暗くしてベッドサイドの魔導ランプだけつければ、ぐっすりと眠るセレスの顔がぼんやりと浮かび上がる。稀代の芸術家が丹精込めて制作した彫刻みたいに、美しい目鼻立ちだ。  でも口がちょっと開いていて、神秘的な紫の瞳が隠れていると子どもみたいにあどけなくも見える。急に愛おしさが込み上げて、喉の奥がキュゥっと痛くなった。  寝ていないということは、よっぽど仕事が忙しいんだろう。  彼の世話を焼いた一連の行為は、予想だにしないほど僕の心を満たしてくれた。今だけは僕がセレスを独占している。独占欲なんてもの、持ち合わせていなかったはずなのに。  これから彼が結婚してしまえば、この役割は奥方のものになる。そう考えると苦しかった。  湯浴みでもしようと立ち上がったが、肌がさらっとしていてさっき魔法で綺麗にされたことを思い出す。驚いたことに、服まで綺麗になっている気がした。兎にも角にも、寝間着に着替えて僕も眠ることにしよう。  もぞもぞと、セレスの背中側から布団に潜りこむ。一人用のベッドは、二人で眠るにはかなり狭かった。なるべく端に寄って触れないようにしても、狭い空間では体温が伝わってきてドキドキしてしまう。鼓動で起こしてしまわないか、心配になった。  手を伸ばし、彼の黒髪をこっそりと撫でる。意外に柔らかくて、指先をすり抜けていく。 「セレス……」  こんなにも近くにいるのに、こんなにも惹かれているのに、遠い。  胸がいっぱいで泣きそうだった。  寝られるわけない。  そう思っていたものの、セレスの規則的な呼吸と森林のような落ち着く香りが僕を包み、自然と気持ちが緩んでくる。  なぜか安心する、不思議な心地だった。  ランプを消すのも忘れて、僕はセレスの服の裾を無意識にギュッと手で握り、そのまま眠ってしまったのだった。

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