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第14話 追懐

「は? いなくなった?」 「そうみたい。帰る素振りはなかったんだけど……ごめん、私も仮眠室にいて全く気づかなかったわ」  治癒局のベッドで目を覚ました俺は、もたらされた情報についロディーを睨みつけてしまった。睨まれたところで怯えたりしない彼女はしかし、ローズピンクの髪を手でくしゃくしゃにしながら深刻そうな顔で話す。 「やっぱさ、昨日の件はきついと思うわ。私たちは魔力が多すぎるせいでそれなりに苦労してきたから、魔力なんていらないって考えたこと絶対あるじゃない。だから、どっちが上とか下とかあんまり意識しないでしょ。そもそも彼らは私たちにとって希望みたいな存在だし……あと研究者は世俗に疎いとこあるしね。でも大多数のどちらでもない層は違う。正直、あそこまで差別が酷いなんて思ってもみなかったよ……」 「そう、だな」  ウェスタは一人暮らしで支えてくれる家族もいないし、職場環境も悪質な女をひとり排除したところで良くはなさそうだった。孤児院時代の友人とは仲良くしていたみたいだが、余裕がなくてつい牽制してしまったことを思い出す。  俺がウェスタを支えたい。力になりたいと思っていても、口下手すぎて伝わっていたのかは怪しい。  行動で示していたつもりだったが、あらゆる研究を一気に進めようとしたせいで仕事にかかりきりになり、研究だけは着実に進んでいるという満足感で本人にはまだ何も伝えていなかった。 「魔法師長。あんたのことだから言葉足らずになってるんでしょうけど、ちゃんと伝えないと逃げられるよー。あんな可愛い子」 「わかってる」  ま、なにかあったら協力してあげる。そう背中を押されて治癒局を出た。ウェスタが行きそうな場所は自宅くらいしか思いつかないものの、念のため情報収集しようと隣の魔法研究局に立ち寄った。  ここは休みの日とか朝晩も構わず、必ず誰かがいる。なぜなら研究馬鹿の集まりだからだ。  案の定数名のスタッフがいて、今日休みじゃなかったんですか? などと言葉をかけてくるが無視した。いいのか悪いのか、彼らも俺には慣れているから返事を期待していない。  目的の副局長はいないかと諦めて帰ろうとしたところで、奥の実験室から出てきた。 「クリュメ」 「局長。眠って完全復活ですか? しかし、今日くらいは休んで下さいよ。――そうだ、あの子は?」 「消えた。その様子だと見かけてないな?」 「あっはっは! あなたのそんな顔、初めて見ましたよ。よっぽど……」  クリュメは楽しそうに俺をからかってくる。ディルフィーの王女と噂になったときもそうだ。こいつは最近、俺をからかうネタが尽きないと嬉しそうで癪に障る。  涼し気な見た目のくせして悪い顔で笑うクリュメは伯爵家の出で、ロディーも含め俺にまったく遠慮を見せない貴重な友人でもある。  アステリア王女といえば、俺が婚約の打診を断る際にウェスタの話をしたとたん、キラキラと目を輝かせたのには驚いた。  彼女は男同士の恋愛を見聞きするのが好きという奇妙な性質を持っており、王宮内で会うたびに進捗を聞かれるのだ。だが俺も恋愛に関しては初めてのせいでわからないことも多く、つい彼女にアドバイスを求めてしまったりしていた。    そういえば、今週会ったときは怒りの形相で近づいてきて俺の不甲斐なさを叱られた。十近くも年下のはずなのにさすがは王女……、なにも言い返せなかった。  王宮を出てウェスタの家に向かった。  そこは俺がウェスタと出会った酒場の近くにある。外の喧騒が聞こえるような雑多な場所だが、それがいいのだと彼は言っていた。  ――あの日、俺は珍しく酒を過ごしてしまった。  魔法研究局の仕事は興味も尽きないし、局長には据えられてしまったが比較的自由にやらせてもらっているから満足している。  ただ、王宮で勤めているゆえの面倒事は多かった。  魔力が多すぎる体質やもちろん自分の性格もあって、面倒な人付き合いを極力せず他人からも一定の距離を置かれてきたのだ。  にもかかわらず、20代も後半になってからは「そろそろ結婚したらどうだ」と国王や宰相にせっつかれ、強気な貴族から婚姻の打診をされることも多々あった。  職場で気の合う仲間たちと出会ったおかげで、徐々に若い頃のトゲみたいなものが取れてきたのも理由の一つかもしれない。  結婚して子どもを作れば安泰だとかそんな簡単な話ではないと、言えるものなら言いたかった。だが政略結婚も当たり前の彼らにも、それなりに苦労や我慢があるのだろう。  そういったやりとりを疎んで、ふと思い立って王宮から離れた酒場に足を運んだのだ。  酒だけを提供するその店は通りの騒々しさに反して静かだった。厳つい店主が目を光らせているからかと思ったが、意外にも人当たりが良く居心地もいい。  俺はくさくさしていたのもあって、ひとりで杯を重ねた。  周囲の声が遠く聞こえるようになってきた頃、隣の席にひとの気配を感じて驚いた。こんなにも近くへ来るまで気配に気づかないことは普段であればないのだ。  酔いのせいかと考えたが、隣に座った男の気配を探って気づいた。彼には魔力が全くない。  基本的に王宮と自宅の往復がほとんどのため、魔力のない人間に会うことは滅多になく、ある考えが浮かびかけたもののかき消すように頭を振った。  顔だけは知られている俺は特定されるのを避けるため、黒いローブを着てフードを被っていたから相当近寄りがたかったはずだ。カウンターの端に腰かけていたが、実際近くに座る人はいなかったし……  それなのに彼は堂々と俺の隣に座り、常連のように店主に酒を注文し、飲み始めた。 「ねぇ、よくここ来てる?」  声をかけられて、ちら、と左を見た。彼は正面を見たままだったけれど、周囲に誰もいないので俺に話しかけているのだろう。少し長めの髪は、朝に飲む熱い紅茶のような色をしている。  その色が記憶を掠める。ずっと前に、どこかで見た気がした。  俺が黙って見つめたままでいると、彼もこちらを見る。少し幼い顔立ちに、オリーブグリーンの瞳が妖しく煌めいた。……そのアンバランスさに心臓が跳ねて、どっくんと変な動きをした。 「なに、話しかけられたくなかった?」 「いや……そうじゃない。以前どこかで会った気がしていた」 「えー? まさか口説いてるの、それ」  彼はくすくすと笑いながら、顔にかかった髪を耳にかける。白い首筋が垣間見えて、無意識に唾を飲み込んだ。  俺たちは互いに名乗りもしないままポツポツと会話した。彼は踏み込んだことを聞いてこないから、軽い会話が心地よい。    やはり酒の力だろうか、寡黙と言われる俺にしては珍しくよく喋り……ふと気づけば彼の右手が俺の太ももに乗っていた。 「ねぇ、うちで飲み直さない? ……近くなんだ」  気づけば俺は彼の右手を掴み、連れ立って店を出ていた。  近いという彼の言葉は冗談じゃなく、本当にあっという間に到着して驚く。いま思えば相当に酔っ払って思考が鈍っていた。こんな風に出会ったばかりの他人の家に行くのは初めてだったし、ましてや素性も知らない相手と……  部屋の中に入ったとたん、首の後ろに腕が絡まり唇が重なった。柔らかい、ぬめる感覚と酒の味。  誘導されたのか、いつの間にか俺たちはベッドの横まで移動していた。はぁっ、と甘い吐息を漏らしながら彼はベッドサイドのランプをつけ、俺のローブを落とした。 「え……」  やはり俺の顔は知っていたか。目を見開いて固まってしまった彼は子どもみたいにあどけない表情をしているが、唇はキスで濡れていた。  ここでやっぱりやめる、と言われてしまうのは困る。彼に魔力がないと気づいたとき浮かんだ興味本位の考えは、もはや彼に対する情欲で塗り替えられていた。    俺はどうしても今日、彼を抱きたい。 「名前は?」 「……ウェスタ。ねぇ、カシューン魔法師長……ですよね?」 「セレス、だ。そう呼んでくれ」  ウェスタの服を脱がしながら、屈んでもう一度唇を重ねた。そのままベッドに押し倒せば、興奮に色濃くなった瞳がランプの光を受けてきらめく。彼からは野原に咲く小さな花のような、控えめな香りがした。  開き直ったウェスタはされるがまま、ということはなく積極的に俺の服を脱がし、身体に触れてきた。かなり手慣れた様子にもやっとしかけたが、その感情は一旦頭の隅に追いやる。    閨教育は口述と見学のみだったものの、手順はわかっていた。相手の良いところを探すこと、観察して快感を引き出すこと。  それでもどうせ分かってしまうだろうと、初めてであることを告げた。 「――! そうなんだ。じゃあ……僕がやってあげる。大丈夫、準備はしてあるから」 「え、ちょ……待っ……!」 「んんっ……あッ」  なぜかぱっと嬉しそうな顔を見せ、ウェスタは俺の上に乗りかかってきた。  細い手で俺の陰茎に香油を塗り込め、腰を上げた。屹立を片手で支えながら、そのままゆっくりと腰を落としてくる。  目を閉じて切ない声を漏らしながら、俺の半身を飲みこんでいくウェスタは……とてつもなく扇情的だった。    熱く、濡れた腔内は未知そのもので、恐くなるほどの快楽を与えてきた。甘い喘ぎ声。汗の伝う華奢な肢体。  ――そこからはもうなにも考えられなくなった。  本能のままにウェスタの身体を貪り、身体を繋げながら涙を流して「セレス、」と名前を呼ばれる幸福に浸った。  夜明けの光とともに目を覚ました俺は、腕のなかで眠るあたたかい存在に急激な愛おしさを感じていた。もう、ウェスタを誰にも渡したくない。  単純すぎる、と自分でも思うのだが、なぜか彼には初めから惹かれるものがあったのだ。    目蓋が腫れてしまったな、と指先でウェスタの目元を撫でる。自然光のもとで穏やかに眠るウェスタの顔を見ていると、酔いの醒めた頭はやっとある事実に気づいた。  彼は、子だ。

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