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番外編 ほしいものは、それだけ

 それは、僕が王宮魔法治癒局での仕事をスタートさせてから初めての休日のことだった。    ちょっとした寝坊が許される、爽やかな朝。  庭の見えるテラスで優雅に朝食を食べた僕は、セレスと別れて書斎で本を読んでいた。    新しい仕事は、同じ治療関係といえど前職とは全く違う。どちらも雑用と言ってしまえばそうなのだが、僕は自分の知識の浅さを痛感していた。    ロディー先生との仕事はストレスもほとんどなくて、楽しい。けれどやるならちゃんと役に立ちたい。  だからとにかく、少しでも関係のありそうな本を片っ端から読むことにしたのだ。    書斎は書籍を守るために窓が小さい。でも一週間仕事でばたばたしていた僕は、太陽の温もりを感じたくてカーテン越しの日差しを背に浴びながら読書に勤しんでいた。    時間の経過とともに移動する光の小さな枠。  そこに当てはまるよう椅子を移動させていたとき、珍しくほんのりと顔を輝かせたセレスが僕を呼びにきた。  応接間に移動してなにがあるのかと疑問に思っていたら、ふくよかな身体をぴちぴちの服に収めた宝石商がいい笑顔で待ち構えていた。   「カシューン魔法師長様には以前から何度もお声がけしていたのですがね、全くご興味を持っていただけず……。我々なら必ずご希望のお品を用意できるのに! と悔し涙を流しておりました。えぇ。  この度は婚約者様への贈り物を選びたいと伺いまして、私は張り切って、国で一番希少な宝石を集めてまいりました!」 「え、えぇ……」  熱量がすごい。前のめりな男からなんとなく身体を引いて、僕は隣に座るセレスを見上げた。 「宝石って……ロディー先生の言ってた?」 「そうだ。ウェスタを愛した形跡が消えてしまうのは嫌だが……」 「ちょ、ちょっと!」  またこの人は、恥ずかしげもなくそんなことを!  愛した形跡って……要するにセレスの体液が魔力として身体に残っている状態のことだ。    なかなか手を出してこなかったくせに、羞恥心に関しては基準が緩すぎる。僕はか〜っと顔が熱くなるのを感じながら、とりあえず宝石商の持ってきた商品を並べてもらうことにした。  国一番とか希少とか言われると、逆に困ってしまう。そんな貴重で高価なもの、平民の僕には怖くて持てないし。    しかしセレスが事前に指定していたのか、アメシストばかりが目の前に並べられたとき、思わずその美しさに目を奪われてしまった。   大小さまざま、色合いも濃淡もそれぞれ違う。宝石なんて普段近くで見る機会はないぶん、それがたくさん並んださまは壮観だった。    ほとんどがすでに研磨やカットを施されたルースで、宝石商が専用の光を当てるとキラキラ、奥まで光を反射して輝く。  ルースはここから枠や台座を取り付けて、好きな装飾品に加工できるらしい。    貴族では普通なんだろうけど……こんな世界、僕は知らない。  宝石商から「これはインクルージョンが……クラリティが……」など聞いたこともない単語を並べ立てられると、全く話に付いていけなくて頭がくらくらした。 「自分の瞳の色を贈るのは、愛の証。執着の証でもあります。えぇ。さぁ、選り取り見取りですよ! 婚約者様は、どれがお好みでしょうか?」 「あの! 僕にはわからないので……一番、安いのでいいです」 「え?」  言ってしまってから、セレスの婚約者として相応しくない言葉だったかもしれないと後悔した。  安いの、なんてきっと平民だけが使う言葉だ。それを証明するように、宝石商もポカンとしている。 「ウェスタ、」 「ご、ごめんなさ……っ」 「顔色が悪い」  くらり、と眩暈がして視界が歪んだ。上下がわからないまま身体が倒れていく。  怖くてギュッと目を閉じた……のは一瞬で、即座に気づいたセレスがしっかりと僕を支え、膝の上に抱き上げてくれた。  眩暈が治るのを待って、瞼を上げる。    宝石商が息を呑む音、使用人さんたちがバタバタと慌てる物音が聞こえたが、心配そうに覗き込んでくるセレスの顔で視界はいっぱいになった。 「大丈夫か? 悪かった。仕事に慣れなくて疲れているんだろう」 「そんなこと……いや、うん。そうなのかも」  セレスはいつも、僕よりも僕のことを分かっている。    確かに、今週は横になった記憶もないまま夜寝ていることも多かったし、今朝起きてからもぼうっとしていた。  書斎でもなかなか本の内容が頭に入ってこなくて焦っていたのだ。  それに、この屋敷へ来てから衣食住は気づけば与えられている物で、あまり意識しないようにしていた。  改めてセレスにちゃんとした物を買ってもらうのは初めてだったから……それが高級品とあっては、混乱してしまうのも許してほしい。  額に冷えた布を置かれ、甘い飲み物が差し出される。それをセレスの手で飲ませてもらいながら、僕はやっと心情を吐露した。  セレスにだけは、僕も甘えられる。 「値段なんて気にしなくていい。ろくに趣味もなかったおかげで、寄付くらいしか使い道がないんだ。ウェスタも全然わがままを言ってくれないし……」 「えー、そうかな?」 「そうだ。だから贈り物だけでも好きな物を選んでくれ。あぁ、でも今日はもう帰ってもらうか。また日を改めて……」 「……待って。じゃあ、あれがいい」  僕がセレスの膝に抱き上げられたまま、おもむろに指さしたのはテーブルの隅に置かれていたアメシストの原石だった。    大きな結晶が自然の形のまま残っている。色の深さとその透明感、何より光が当たったときの輝きが、セレスの瞳に驚くほど似ている……気がした。 「こちらですか……。さすが、お目が高い! 実は、参考までに持って参りましたが……  もう二度と足を踏み入れられない崩壊した鉱山、マルーン鉱山で採掘されたものです。大変貴重で、原石のままでも美しいからと購入を希望される方がいらっしゃいまして……」 「倍出そう」 「「えっ」」 「希望していた人には申し訳ないが、謝礼金も払う。金額は何倍でも出すから、これを。私の婚約者のために加工してくれ」 「は、はいぃ! 承知いたしました!」 「待って待って!」  なんかすごい金額が動こうとしてない!?  目の端に映って一番好きだなぁと思ったものが、そんな大変なものだったなんて……  僕は額から落ちてきた布を握りしめ、セレスに必死で訴えた。 「そんなすごいもの、受け取れないって! 失くしたらどーすんの!」 「そしたらまた買えばいい。俺が贈りたいんだ。……駄目か? そんなに心苦しいなら、誕生日でもなんでも、理由を付ければいい」 「誕生日……」  買ってもらうのは僕だから立場が逆のはずだけど、セレスのお願いに僕は弱い。  大好きな人に眉を下げて見つめられると、キューンと胸の奥が締めつけられてしまう。    セレスと両想いになって初めて知った、幸せの痛みだ。  僕はセレスの背中に腕を回し、胸に顔を押し付けながら囁いた。 「……わかった。昨日誕生日だったから、それにする」 「!!!」  その後はもう、屋敷をひっくり返したような大騒ぎだった。    誕生日なんて、孤児院にいたころ隔月で数人まとめてお祝いしていたくらいで、それ以降は意識もしていなかった。  タイミング良くポロスに会えば「おめでとー」「ありがとー」くらいの気安さだったし、最近はそれどころじゃなかったから自分でも忘れていたのだ。    そ、そんな重要なものだったの……?  宝石商が帰ってからセレスには改めて贈り物を聞かれるし、意味がわからなかった。 「あれは俺が贈りたいから贈るんだ。誕生日はまた別だろう。何かないのか」 「別って……えぇっ? う〜ん。――あ! もし駄目じゃなければ、本がいいな」 「本……?」 「治癒院で働くのに勉強になりそうな本、もっと読みたいなぁって、思ってて……。書斎にたくさん置いてあるのに、ごめん。自分で買おうと思ってるけど。もし、買ってくれるなら……。だ、だめかな?」 「もちろんいいに決まってる。他にはないのか」 「……ぎゅって、抱きしめてほしい」 「はあ〜〜〜っ。どうしてそんなに可愛いんだ」  か、可愛い!? セレスから深いため息が聞こえてきたと思ったら、思わぬ発言だ。    愛情表現をもっとして欲しいと言っても、セレスはなかなか口に出さない。行動で示してくれることのほうが多いし、夜……くらいしか甘い言葉は聞けないのだ。    誕生日を祝ってもらうのは嬉しい。プレゼントをもらったり、ご馳走をお腹いっぱい食べたり。  でも僕がいま一番幸せを感じるのは、セレスとくっついている時間だった。    ぎゅうぎゅう、苦しいくらいに抱きしめられる。  もっとないのかと耳元で聞かれたから、キスもして、とお願いした。      後日。    張り切った宝石商が超特急で仕上げてきたのは、大きな涙型のペンダントだった。  余計な装飾のない、シンプルなチェーンの先にぶら下がるアメシストは、手に持つとずっしりと重い。    しかし今では、首に下げていないと物足りなく感じるくらい馴染んでしまった。  魔力を込めるときだけじゃなくて、ふとした瞬間に服の下のアメシストを握ると、心が温かくなってほっとする。    湯浴みのときは外すけど、寝るときもつけているからセレスも満足げだった。    ――贈り物って、いいかも。    やっとそう思いはじめた僕は、その後セレスから定期的に宝石が贈られることになるなんて、思いもしていなかった。    ・  ・  ・    のちに“Tears of Ceres:セレースの涙”と呼ばれる宝石は、アクロッポリ稀代の魔法師、セレス・カシューンの子孫に幸せをもたらす家宝として受け継がれていく。    代々魔法師を輩出するその家はカシューン魔法師家と呼ばれ、さまざまな発明と改革でアクロッポリの繁栄と歴史を支えていく重要な一端を担った。

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