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この感情に名前をつけるとするなら

「ま、まだすんの…?」 「一颯には悪いけど付き合ってくれる?」 こんなこと友達同士でするのはおかしい。頭では分かっているものの、何故だか嫌じゃない。この感情は一体… ◇◇◇ また、やってしまった。 一人になると必ずしてしまう癖がある。俺は小学生の頃から指の皮を剥く癖があった。きっかけは些細なことだった。ささくれを剥いてしまってそれから無意識にやってしまうこと。特にこれといって学校生活に不満があるわけでもないし、家族、友達とも仲が良いし人間関係には特に困っていることはない。 誰だって一つや二つは自分の癖ってあると思う。 俺の場合は自傷行為だったという話だ。特に深刻と思ってない。 ただそれだけの話。 「おはよ」 「おはよー」 いつものように学校に来て友達に挨拶をする。俺、中村一颯は自他共に認める平凡な男。ただ勉強は苦手。特筆するようなことは何もない。中学からの友達の佐伯明良はクール系イケメンで女子からの人気が高い。これも今に始まったことじゃない、いつもの日常。変わらない日常。 「なぁ、明良 英語の課題やった?今日当たる日なんだよ〜、見せてください!」 「またかよ、良い加減自分でやれよ」 「そこをなんとか〜!」 「じゃあ今日コンビニでなんか買ってくれたら見せる」 「はい、買わせていただきます、明良様!」 明良は口では突き放すことを言いつつなんだかんだ優しいのだ。そこに俺は漬け込んでいるのかもしれない。 「また佐伯に頼ってんのかよ〜、中村」 「あ、足立。頼ってるとか人聞き悪いことを言うなよ〜」 「実際、そうだろ?」 「ブッ、本人に言われてるし」 これが俺たちの日常。変わらない学校生活がこれからも続いていく、そう思っていた。 ◇◇◇ 「明良、今日家来るんだろー?あの漫画買ったんだけど」 「マジで?行ってもいいのか?」 「あぁ、その前にコンビニ行こ」 「あ、約束忘れてなかったんだ?」 「当たり前だろー?」 「当たり前と思うなら課題も自分でやったほうがいいよな」 「うっ…心が痛い…好きなもの買ってやるよ…」 「やった〜」 本当に当たり前のことが俺はできなくて、ついつい明良に頼ってしまう。こんな自分嫌だなって思ってそういう小さなことが積み重なって無意識に一人で自傷行為を繰り返す。 これは一体何の病気なんだろう。 精神的な感じの?病んでるのかな、自分のことなのに、自分のことが分からないときがある。 「あぁ〜、こういう展開きたか〜!」 「まさかの展開だよな〜、良いところで終わってるし夜しか眠れないんだけど」 「眠れてるやないかい」 明良といつものやり取り、好きな漫画について語る時間、こういう日常が俺たちには合っている。 「俺、トイレ行ってくる」 「いってら〜」 部屋に戻る途中でおすすめのゲームアプリがあることを思い出して明良に布教しようと思って自分の部屋の扉を開けた。 そして自分の足に自分の足が引っかかるという鈍臭い失敗に気づく。 この先には明良がいるのに、このままだと倒れてしまう。明良の驚いた顔が目に映る。 「ぉわっ!」 「一颯っ!」 痛くはない。明良が支えてくれたから。でも何か柔らかいものが掠ったような気がしたんだけど…きっと何かの間違いだよな? 「怪我ないか?一颯」 「だ、大丈夫…ありがとう…」 「よかった……さっきさ、唇掠ったよな?」 「えっ?!あ、そ、そうだなぁ……」 やっぱり明良も気づいてた、そりゃそうだよな。すごく気まずい。 「なぁ、一颯。ちょっと相談があるんだけどいいか?」 あの明良が相談だなんて一体何があったのだろうか。やけに真剣な眼差しでこちらを見ている。一人じゃ解決できないことなのか? 「うん、何?相談て…珍しいな、そういうこと言うの」 「あぁ、一人じゃ解決できないから… 聞いてくれるか?」 「うん」 … 明良の相談は恋愛相談だった。明良にはずっと好きな人がいてこちらを振り向く様子がなく脈がないらしい。こんな苦戦するって一体どんな人を好きになったんだ? 「そこでなんだけど」 「うん」 「一颯にキスの練習をさせてほしい」 「え」 爆弾発言にも程がある。俺は何を聞かされている? 「…はっっ!!呼吸が止まってた!え、ちょっと待って!本気で言ってんの?」 「真面目に言ってる、もしそいつと付き合ってキスすることになって下手くそって思われたら嫌じゃん」 「俺の気持ちは?俺の気持ちはどうなるの??さっきのだって初キスだったんだけど?!」 「お前もいつかできる好きなやつのために俺を練習台にしてくれて構わない」 「練習台って…明良はそれでいいの?そういうのって本当に好きな人とした方が良くない?後悔するんじゃねぇの?」 「後悔なんかしない。好きな奴にこいつ下手くそだな、死ねって思われる方が嫌だ」 「死ねはさすがに思わなくない?」 というか、付き合ってすらないのに付き合った後を想像してる明良、面白すぎる…いや、恋をするとそうなってしまうのか? 「だから練習させてほしい」 そんな真剣な顔をしたらクラスの女子が騒ぎ出すだろうなぁ…と人ごとのように思っていた。多分、俺は現実逃避がしたいんだな。 「…わ、分かったよ…付き合えばいいんだろ?」 「ありがとう、こんなこと一颯にしか頼めないから。付き合わせるお礼として漫画の単行本俺が買うからなんなら他に好きなものも買う」 「なんか、複雑なんだけど…」 相談内容は別として正直に言うと明良に頼ってもらえるのは嬉しかった。相談内容は別として。 「じゃあ、放課後、どっちかの家で練習するって事でいい?」 「分かった、それでいいよ」 「ありがとう、早速なんだけど練習していい?」 「う、うん…」 「目、閉じて…俺にキスされてるとは思わずにいつかできる好きな奴にされてると思って」 「難しいな…好きな奴いない場合は?」 「そうだな、好きな女優を想像するとか」 「なるほど」 好きな女優もいないんだけど…まぁいいや、何も考えず無心でするしかないな? 唇にそっと軽いキスをされる。まるで羽が触れたかのように。 「どう?」 「どうって言われても、俺初めてだからよく分からない…」 急に恥ずかしくなって明良の顔が見れない。それに俺のファーストキスが友達に奪われた…こんなんで大丈夫なのかなぁ、友達同士でキスってしないし… 今までの穏やかな日常は今日を持って終了したのだった。 ◇◇◇ 放課後、どちらかの家でキスの練習をすることになった。大体、キスの練習ってなんだよ。 あの日から俺と明良はキス友?になってしまった。厳密に言うと明良には好きな奴がいて、もし付き合うことになってキスが下手だと思われないために練習をすることになった。 こんなこと男同士でしてもいいのだろうか。いつか後悔する日が来るんじゃないだろうか。アイツも俺も… 「じゃあ、今日もよろしく。…目、閉じて」 「うん」 明良とのキスは正直気持ちがいい。ただ軽く触れ合っているだけなのに… 「っ…はぁ」 「…なぁ、もっと深いキスしていい?」 「っ!」 「…嫌ならいいんだ、無理強いはしない」 「い、嫌じゃない……さっきはびっくりしただけ」 「…よかった」 少し口を開けてお互いの舌を絡ませて、深い口付けを交わす。 慣れない舌の動きに戸惑ってどうすればいいか分からない。ただただ舌の動きについていくしかない。 「は、ぁ…」 プツリと糸が切れて口が離された。 何この感覚。知らない。 「気持ちいいな…」 キスをした後、明良の顔が見れない。というか自分の顔がどんな情けない顔になっているか怖い。 「…今日はこのくらいにしとくか?」 そんな言葉をかける明良に首を横に振りたかったけど理性が邪魔して振れなかった。 帰り道、まだ顔が熱くて熱が引かない。最近、練習をしていると変な感情になる。するのは嫌じゃないし、胸が苦しいような、キュッとなるような痛み。 こんなキスをされる想い人は幸せだと思う。どんな相手かはそこまで知らないけれど。 ◇◇◇ 「やばい…完全に油断した」 久しぶりに熱が出て風邪をひいた。 風邪をひいて休むなんて滅多にないのに。今日だって練習する日だったのにちょっと残念…ん?残念?なんで残念って思ってるんだろう。どうした、俺。きっとこれは、風邪のせい。全て風邪のせいなんだ。 どのくらい寝ていたのか、カーテン越しからもわかるくらい暗くなっていた。スマホを確認すると一通のメッセージが入っている。 玄関の扉を開けるとガサっと音がして中身を見るとスポドリやゼリーなどのお見舞いの品が入っている。 思わず、ふふと笑ってしまう。やっぱりアイツは優しいなって思った。 ◇◇◇ 「一颯、おはよう。風邪もう大丈夫なのか?」 「おはよー うん、もう大丈夫!あと、お見舞いありがとうな、嬉しかったよ」 「どういたしまして、元気になってよかった」 話をしている背後から明良を呼ぶ声がする。 「佐伯くん、委員会のことで話があるんだけどいいかな?」 「分かった」 確か同じ委員会の三橋さんだ。 明良が三橋さんと教室を出ていき、入れ違うように足立が教室に入ってきた。 「はよー、中村風邪治ったんか?」 「おはよー、あぁ治ったよ」 「バカでも風邪ひくんだなー」 「ほんと一言余計だよな、お前にだけは言われたくねぇ」 俺も成績は良くないけど足立も同じようなものだ。この前だって再テストを受けていたというのに。 「さっき、佐伯と三橋さんが一緒にいるとこ見たけど珍しいな」 「委員会の話があるとかで出て行ったけど」 「ふーん、三橋さんて可愛いよなぁ、佐伯と並ぶとすげー絵になるっていうか」 「分かる、雰囲気が似てるよな」 「それ!やっぱ、似たもの同士がくっ付くんかね〜」 「そうだなぁ」 明良にはずっと好きな人がいるみたいだけど、実は三橋さんだったりするのかな?そんなことを考えた瞬間モヤッとして不思議な感情を覚える。 「?」 空腹?朝ごはんちゃんと食べたのにな、それとも病み上がりだから? 予鈴が鳴って皆んなが席に着く頃にはこの感情は治っていた。 放課後、今日は俺の家で練習をした。 相変わらず、明良とのキスが気持ちよくて止められなくなっている。 やっと口が開放されたと思いきや 「もう一回」なんて言われた。 「ま、まだすんの…?」 「一颯には悪いけど付き合ってくれる?」 こんなこと友達同士でするのはおかしい。頭では分かっているものの、何故だか嫌じゃない。この感情は一体… 明良と以外、経験ないけどなんか慣れてるような気がするんだよな。気持ちいいし上手いと思うんだけど… 俺が知らないだけで中学の時彼女いたのかな。秘密にしてたとか? 「…一颯、どうした?」 「へっ?!な、なにが」 「いや、難しい顔してたから」 「そんな顔してた?」 「やっぱり、病み上がりだからまだ体調悪い?」 「そうじゃない、体調は大丈夫…」 「そうか?なんかあったら言えよ、…今日はここまでにすっか」 「そうだな」 明良が帰ってから、また無意識に指の皮を剥いてしまった。この自傷行為になんの意味がある?なんでやるんだ?指も心もボロボロになっていく気がする。 ◇◇◇ 「あ、また一緒にいる」 「明良と三橋さん?」 「そー。やっぱ付き合ってんのかな?」 「委員会の話してるだけって聞いたけど…」 「それ、口実だったりしてね」 「そうなのか…?」 最近、一緒にいるところを見るせいか付き合っているという噂が流れている。デマだとは思うけど、やっぱり美男美女だから人目を引くし素直にお似合いだと思う。 楽しそうに笑っている姿を見ると心臓がギューッと掴まれて前の時より苦しい。 「…?」 不整脈?そういえばうちの母親が軽度の不整脈だったな、確か遺伝するんだっけ? 正体不明の不整脈に授業に集中できなかった。 それにあまり、あの二人が一緒にいるところを見たくないと思ってしまう。この感情は友達を取られることに嫉妬をしているのか、それとも恋愛的な意味で…? 「…っ」 気付きたくなかった。気付いたところで明良には好きな人がいる。 俺はただの練習相手で、友達以上になんてなれない。 今日も練習があるけど会う気になれなくて初めて断った。 ◇◇◇ 数日後の放課後、クラスメイトが帰った後、明良と話をしようと思って残った。 「は…?練習やめるってどういうこと?」 「そのままの意味だよ、ずっと思ってたけど友達同士でこんなことするのちょっとおかしいっていうか…とにかくもう止めたい」 明良を好きになってしまった以上、練習をやめなければならない。それに好きな人のことを考えたら尚更だ。 「…そんなに嫌だった?」 「…っ」 どうしてそんな悲しそうな顔をするんだ。 「嫌というより、お前…好きな人がいるんだから俺なんかに構ってる暇ないだろ?それに!最近三橋さんと一緒にいるから噂になってるぞ、付き合ってるんじゃないかって…」 「は??三橋とは委員会の話してただけで付き合ってない!それに俺の好きな人は一颯だよ!!」 「は?」 「あ…」 明良の顔がたちまち赤くなっていつものクールな表情からはかけ離れていた。 気の抜けたようにへにゃへにゃとその場にしゃがみ込むとポツリと呟く。 「…俺の好きな人はずっと一颯だよ、一颯が躓いて倒れそうになったあの日、口が掠ったとき…キッカケはそれしかないと思ったんだ。」 そんな話を聞いて俺は顔が熱くなっていくのを感じると目線がパチリと合った。三橋さんと付き合ってないって分かって安心している自分がいる。 「一颯はどう思ってる?」 思いを自覚したとはいえ、どうして口に出すときはこんなに勇気がいるんだろう。はっきりと言える明良がすごい。 「あ、あの…その、お俺も…好き、なんだと思う」 嬉しそうに照れながら笑う姿にドキッとして心臓が今度こそ保たない。 「なぁ、ハグしていい?」 「ここ教室じゃん」 「一瞬だけ」 眉を少し下げて寂しそうな表情をする。この困った顔好きかもしれない…中学の時から顔が整っているなと思っていたけど破壊力がある。 「一瞬だけな」 ギュッと抱きしめられるとホッとするような、だけどドキドキするような言葉では言い表せなくてもどかしい。パッと離されて少し寂しい気もする。 「そろそろ帰るか…あ、あのさ家来ない?練習じゃないやつがしたいんだけど」 「っ!い、行きます…」 まるで心を読まれたかのように言葉を紡がれて暴かれてるような気分になった。 「ん、ふ、ぁ…ん」 ちゅっとリップ音がして口が離れた。 「…一颯、キス好き?気持ちよさそうな顔してる」 「へっ?…そんな顔してる?」 「なんかふにゃふにゃしてて可愛い」 ギュッと抱きしめられて頭を撫でられる。気が抜けていたこともありポツリと呟く。 「明良が…上手いから」 「かっっっっわ…いい」 まるで犬をあやすように頭を撫でくりまわされる。 「〜っっ…明良、もぅやめろ!ハゲる」 「えー?ハゲになっても俺は好きだよ」 「俺が困る!あー、髪ボサボサだよ…」 「ごめん、俺付き合えてすげぇ浮かれてる」 今度は髪を優しく撫でて整えてくれた。浮かれているのは俺も… 「俺も同じだよ」 それに明良との関係が変わってきてから皮膚むしり症が少し改善されたような気がするんだ。毎日むしっていたのが1日置き、3日置き…と少しずつしなくなっていた。頭の中が明良のことでいっぱいになっていくからだ。今になって言えることだが、最初は戸惑ったけどキスの練習を提案してくれて、よかったと思う。これはまだ恥ずかしくて言えないから言えるときが来たら言いたい。 練習のキスも気持ちよかったけど心が通じ合ってからする練習じゃないキスはもっと気持ちよくて何度でも重ねてしまうのだろう。

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