1 / 1

第1話

⸻ 『狐火の境』 ⸻  夏祭りの夜。  人混みの波に揉まれ、輝は気づけば両親の姿を見失っていた。  境内を抜ける細い裏道を進むと、空気が一変する。  頭上には逆さに吊られた提灯が揺れ、屋台には宙を泳ぐ金魚や淡く光る飴細工が並んでいた。  その奥に、朱色の鳥居。暗がりの中で、青白い狐火がゆらりと揺れている。  胸が高鳴る。  吸い寄せられるように、一歩踏み出した。鳥居をくぐった瞬間、夏祭りのざわめきは遠くへ消えた。  そこは、静謐で不思議な夜祭りだった。  金魚すくいの水面には星空が映り、綿あめは手のひらで淡く光を放つ。  ふと背後から声がした。  「……迷子か?」  振り返ると、黒髪の毛先が紅から金へと染まる少年が立っていた。  頭には斜め掛けの狐面、淡く光る瞳。  「俺は紅(くれない)。……君は特別だ」  差し出された手を取ると、温もりが指先を包んだ。  紅は金魚すくいや射的を案内しながら、ときおり輝をじっと見つめる。  その視線に胸がざわめく。  夜の終わり、紅は鳥居の前で足を止めた。  「また迎えに来る」  額に触れる柔らかな口づけ。瞬きをした次の瞬間、輝は境内に立っていた。  両親が駆け寄ってくる。記憶は霞んでいたが、紅の瞳だけは鮮明に残っていた。  ──それから数年。輝は高校二年になっていた。  友人と訪れた夏祭り。境内の奥で、あの朱の鳥居を見つける。  懐かしさと微かな恐怖に足が止まる。  友人の声が遠のき、周囲の景色が滲む。  再び現れた、異界の夜祭り。  「……やっと来たな」  振り返れば、あの時の少年が高校生の姿で立っていた。  紅だ。  「約束通り、迎えに来た」  差し伸べられた手を握ると、熱が掌に染み込んでいく。  歩きながら、紅は静かに語る。  「俺は昔、生贄としてここに来た。……君が来れば、俺は解放される」  笑みは穏やかだが、その奥に渦巻く執着は隠せない。  祭りの光が歪み、闇が濃くなる。遠くで狐火が瞬き、鳥居の輪郭が浮かび上がる。  鳥居の前、紅が輝の手を引き寄せた。  「次は、帰さない」  息が触れる距離まで迫り、輝の背に手を回す。  唇が重なり、熱が深く入り込んでくる。  舌先がかすかに触れ、甘さと不安が入り混じる。  全身が紅の温度に包まれ、足元の狐火が強く燃え上がった。  ──眩しい光。  気づけば輝は境内に立っていた。紅の姿はなく、夜店のざわめきだけが響く。  掌には、あの夜と同じ紅い紐。  そして夏の夜風に紛れ、耳元で声が囁く。  ──「また迎えに行く」 ⸻  「ここまで読んでくださりありがとうございました。  ※本作のR18完全版はBOOTHにて公開しています → 完全版R18はこちら → https://yukimahu0228.booth.pm/items/7313448 #booth_pm

ともだちにシェアしよう!