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27.鈍色の思惑

 ノックの音が三つ響き渡って、顔を上げる。  入れ、と言えば、失礼します、という断りと共に執務室に入ってきたのは、浮かない顔をした部下だった。その顔に、今から報告される言葉が簡単に推測出来た。部下が口を開く前に、声を放つ。 「見つからないか」 「……はい。すみません、ボス」 「いい。引き続き頼む」 「御意に」  静かにしまった扉を見届けて、ダンテは背凭れに全体重を預ける。  ふーっと天井に向かって吐き出した溜息が、自分の顔に覆いかぶさるように落ちてくる。逃れるように、目元を片腕で覆い隠した。 「……何処に行ったんだよ、クロード」  滅多に感情が乗らない声には、疲れがありありと出ていた。  クロードがダンテの前から姿を消してから、もうすぐ一ヶ月が経とうとしている。 ***  事の発端は、三週間前の昼下がりのことだった。 「大変ですボス!」 「……どうした」  駆け込んできた部下に、執務室で書類に目を通していたダンテは不機嫌さを隠さずに、顔を上げた。ジオスが居たら注意されただろうが、右腕の彼はたまたま席を外していた。  普段なら不機嫌そうなダンテを見れば、そそくさとその場を後にする筈の部下。なのに、その時は違った。顔を青くしているのを見て只事ではないと悟るのと、部下が口を開いたのは同時だった。 「クロードさんが、消息を絶ちました…!」 「どういうことだ」    思わず立ち上がったダンテに、とにかく来てください、と言った部下と共に、一軒家の根城へと向かった。  ダンテを迎えたのは、もぬけの殻になった一軒家。リビングには銃弾で撃ち抜かれて壊れた携帯端末。寝室には、クロードが着ていたであろう衣服が、無様に床に落ちていた。  一体何が。  そう思いながら寝室にある鏡台を見た。目を見開いてしまったのは、クロードに送ったはずのパパラチアサファイアのピアスが、そこにぽつんと置かれていたから。  全身から血の気が引いた。   「クロードの行方を探れ。今すぐに」 「御意に」  低く吠えるようなダンテの声に、部下はすぐさまその場を後にした。  無事ならそれでいい。彼が裏社会で何かをするのはいつものことだ。そう頭では分かっている。だのに、居ても立っても居られず、通信端末に連絡を入れようとして、クロードのそれがリビングで大破していたのを思い出す。  連絡は取れない。  大きな舌打ちがその場に響いた。  こんなことなら、クロードが『此処で待ってる』とメッセージを送ってきた時に、何かしらの連絡をしておくべきだった。もしも、今は何も話せない、と伝えても彼は、わかったそれでも良い、と言ってくれただろうに。  ダンテは、選択を間違えたのだ。  自分の目先の欲望と願望に囚われて、言葉にすることを疎かにした。 ――それ、あんたがされたら嫌デショ? なら、クロードちゃんには何かしら一言伝えておくべきだと思うけど。    アザミの言葉が鼓膜に蘇ってきて、ハッと自嘲した。  これが今生の別れになったら。  一瞬過った考えを一瞬のうちに打ち消して、ダンテはパパラチアサファイアのピアスを握りしめた。  幸いにも、争ったような形跡はない。  もしも誰かが此処に来てクロードを攫ったのなら、必ず何かしらの情報を彼は残すはずだ。  血痕か、靴の踵を擦ったような跡か。人攫いにとっては致命的なそれを、見つからないように残していくのがクロードという男だ。だいたいわざわざ着替えた服を置いて行かせるのもおかしい。痕跡を残すことは、攫いましたよと自白するのと同義だ。  攫われたにしては、この在り様は中途半端すぎるのである。  いずれも無いということは、クロードは自ら此処から出て行った。それが正しい結論だ。  その証拠に彼が愛用している拳銃と、ストックしていた弾倉がクローゼットから消えている。なによりも、パパラチアサファイアのピアスが置いていかれているところに、彼の意思を感じる。  此処には帰らない。  そう言われているような気がして。  内臓が冷えていく感覚を誤魔化すように、ダンテはその場を後にしたのだった。 ***  あの日から結局、クロードの情報は一切掴めていない。  今何処で何をしているのか、何もダンテに掴ませてはくれない。  こうなることは、頭の何処かで理解していた。本気でかくれんぼをしたら、情報の扱いに長けたクロードが絶対に勝つに決まっている。それでもダンテは諦めるわけにはいかないのだ。自分の行動が引き起こしたことだとしても。  コンコン、と二回のノックが執務室に響く。  目元から腕をどかして扉を見たのと同時に、許可もしていないのに扉が勝手に開く。  姿を現したのは、亜麻色の髪を揺らした婚約者の女――イザベラだった。その顔を見た途端、ダンテは深く息を吐く。 「勝手に入るなと言ったはずだが」  ため息混じりに告げたダンテに構わず机の向かい側まで来ると、ダンッ、と大袈裟に音を鳴らして執務机に両手を突いた。  その顔には婚約パーティで見せていたような屈託のない笑顔はない。  目を三角にして、これでもかと不機嫌さを露わにしていた。折角の美人が台無しだ、とナンパな男なら笑み混じりに言っただろうが、生憎ダンテは心にも思っていないことを言うつもりはなかった。 「貴方、一体どういうつもり?」 「何の話だ」 「とぼけないで」  もう一度机を叩いて吠えたイザベラを、ダンテは冷めた目で見遣った。  イザベラも負けじと睨みつけてくる。二人の間には一触即発の空気が流れていた。あの会場で、皆に見せていた顔とは似ても似つかない。 「アルマン・ファヴェーロとファヴェーロ一家の情報を貴方に渡したっていうのに、全然事態が動いてないじゃない」 「物事を進めるには時間がかかる。貴女だって理解っているだろ」 「それを加味しても、今の状況は進んでなさすぎるわ」 「……何が言いたい?」  随分と遠回しな言い方をするイザベラに、背凭れに体を預けたままのダンテは冷ややかに問いかけた。深い溜め息を落とした彼女が、机から手を離して腕を組む。真っ赤な長い爪が、肌に食い込んでいてもまるで気にしていない。絶対零度の亜麻色の瞳が、ダンテを見下ろした。 「クロード・シャルル捜しにかまけて、私との約束、疎かにしているのではなくて?」  ぴくりとダンテの柳眉が動いたのを、イザベラは見逃してはくれない。図星? とまた冷ややかな声が落ちてくる。   「私は貴方が要求するものを渡す。その代わり、貴方は必ずあの地獄からを助け出す。それが私たちの約束(けいやく)だったでしょう?」  そう。確かにそういう約束だ。  その約束を彼女と交わしたのは、同盟を持ちかけられ、アルマンと彼女が屋敷に来た日だ。アルマンと同盟を結んだその日に、彼女と共にアルマンの腹の中を裂くことを、ダンテは決めた。  アルマンの言い分はこうだった。 ――隣町のギャングに目をつけられている。同盟を組んで一緒に戦ってほしい。代わりに最愛の娘と君が望むものを何でもやる。  アルマンには別の意図があるのだろうな、と当然ダンテは理解っていた。  闇社会で、アルマンの愛娘の溺愛っぷりは有名だ。そんな男がこうも簡単に娘を差し出すなんて考えられない。それでも同盟を組んだのは、ファヴェーロ一家の団結力が緩みつつあると聞いていたからだ。アルマンの父がボスだった頃は違ったようだが、アルマンがボスになってからは仲間をトカゲの尻尾のように切り捨てる。そういう組織は内部から壊すことは容易い。  だからダンテは条件を出した。  自分の部下を幹部の下につけること。そして、流通に長けたファヴェーロ一家の流通ルートを複数譲ること。それが出来るなら娘は要らない、と。  しかしアルマンは娘はもらってくれ、と半ば無理矢理彼女をこの屋敷に留め置いて帰っていったのだ。 ――ダンテ=スヴェトラーノフさん、私と手を組まない?  アルマンがいなくなった後、彼女はそういってアルマンの手の内を全て暴露した。  彼女が、イザベラ・ファヴェーロの影武者である事。ファヴェーロ一家の一人が隣町のギャング――レンツィに喧嘩を売った挙げ句、そのボスに、和解したいならお前一番大事な娘を寄越せ、と言われた事。娘には婚約者がいると嘘を吐き、婚約者を殺せば婚約者の組織も娘ごとやる、と言った事。  まあそんなことだろうとは思っていたから、大して驚きはしなかった。  イザベラの影武者――本名はサナらしい――は、手を組んでくれるなら、ファヴェーロの情報は全て渡し、ダンテが望むことは何でもする、と言った。自分たちで調べても情報は掴めただろうが、手を組む気になったのはサナの啖呵を気に入ったからだ。 ――今までもどんな汚いことにも手も染めてきた。悪者を演じるのも、誰かを殺すのも喜んで引き受けるわ。だからイザベラを自由にして。私はどうなっても構わない。    自分に通じるものがあると思ったのだ。  大事なものの為にどんなことにも手を染め、己の命すら省みない。彼女と同じ立場で、クロードが同じ状況だったら、きっとダンテも同じことをする。  自分の命なんて、クロードの前ではちっぽけなものだ。彼を生かすためなら何だってする。危険にさらさないためなら、遠ざける。クロードに火の粉が飛ばないように、できる限りのことはする。  かくして、アルマンの同盟の影に隠れて交わされた盟約。  だが今回の件は、色んな事が絡み合いすぎて、紐解くのに時間と労力が掛かった。実行に移るには更に時間を要する。片方ばかりに気を取られていたら、もう片方から攻撃を受ける。一番いいのはレンツィが仕掛けてくることだったが、未だ彼らは姿を見せていない。さてどうするか、と両組織を潰す算段を立てている最中の、これだ。  サナの言い分も勿論分かる。  ただ待つだけの時間は、気ばかりが焦る。彼女にとってイザベラが大事なものなら尚更。一歩間違えれば、イザベラの命が危険にさらされる。 故に余計に焦りが出るのだろう。 「約束は覚えているさ。だが、焦って打った一手でイザベラが死ぬ可能性だってある。それは貴女の本位ではないのでは?」 「ッ、それはもちろん理解っているわ。だけど、」  言い募ろうとしたサナを、激しく叩かれた扉の音が遮った。  入れ、と言う前にまた扉が開いて、焦ったような顔をした部下二人が駆け込んでくる。既視感があるな、と思いつつ、部下たちに焦点を合わせる。驚いてしまったのは、片方が此処にいるはずのない部下だったからだ。更には彼は傷を負っている。腕を押さえて、更には彼のスーツは血痕が飛んでいる。  彼はファヴェーロ一家に居たはずでは。  そう思いつつもすぐさま部下に駆け寄ったダンテは、今にも崩れ落ちそうな片方の部下の体を、無傷の部下とともに支えて、近くにあった椅子に座らせた。 「一体何があった」 「こ、これを……、ボスに」  息も絶え絶えに言った部下は、胸元から純白の封筒を取り出した。不自然にそれだけは汚れ一つ無い。受け取った封筒をひっくり返す。ファヴェーロの紋章が入った封蝋。  アルマンからの手紙。  総判断した途端ヒヤリとしたものが背を撫でた。寒気を振り払うように、乱暴に開けた。 ”親愛なるダンテ=スヴェトラーノフ様  レンツィのボスを交えて、貴方と話がしたい。  明日14時に我が屋敷に必ず参られたし。    ps:貴方の大事なものは私の手の内にある。”  ぐしゃり、と音を立てた手紙。構わず床に捨てると、サナに向き直った。 「アルマンから呼び出された」 「なんですって?」 「おまけにレンツィ付きだ」  サナは絶句している。手を打ってくるとは思わなかったのだろう。アルマンは、ダンテ側にもレンツィ側にも嘘を吐いている。だというのに、その二つの組織を呼び出す。あまりにもリスクが高いことをしている。ヘタをしたら己が殺されるかもしれないというのに。その豪胆さを持ち合わせているとは、サナも思わなかったのだろう。 「あの男が? 有り得ないわ」 「だが事実、ここにそう書いてある」  こんなことなら、さっさとレンツィに情報を売って手を組んでおくべきだったかもしれない。その手を使うと、サナが言う『イザベラを自由にする』という条件を満たせない可能性があった。それに手をこまねいた結果がこれだ。 「オレも大事なものを取られた。貴方には悪いが、これ以上手段を選んでられない」 「なッ!? ちょっと、話が違うじゃない!」 「だから悪いと言った。――連れて行け」 「ちょっと! 離しなさいよ! ッダンテ=スヴェトラーノフ! イザベラに何かあったら、あんたのこと祟ってやるわ!」  部下に連れて行かれるサナを見ることもなく、ダンテは深い息を吐き出す。  こういう手を打ってきた時点で、イザベラも無事ではないと考えるのが普通だ。いくら大切な娘だったとしても、自分の命と天秤にかけた時、娘を差し出すのはごく普通のことだ。アルマンが、ダンテやサナと同じ気概の持ち主でない限り。  はぁ、ともう一度溜息を落としてから、ダンテはすぐさま通信端末でアザミとジオスに連絡をいれる。アザミには手傷を負った部下を頼み、ジオスには組織の招集の連絡を入れて、顔を上げて窓の外を見る。  今にも雨を落としてきそうな鈍色の雲が、空を覆っていた。

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