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エミーユの肩掛け

 マリウスは側近らに囲まれて、とぼとぼとサロンを出た。 (結局エミーユは見つからなかった。ここにいることは間違いないのに)  落ち込んでいたが、常に不愛想であるマリウスは側近らにそんな内心を気づかれることはなかった。一番の側近であるリージュ公なら気付いたかもしれないが、リージュ公はよくあることとして持ち場を離れてふらふらしており、マリウスのそばを離れている。  廊下に出たマリウスは急に立ち止まった。 (はっ、エミーユの匂いがする……! 近くにエミーユがいる……!)  マリウスは廊下をきょろきょろして、スンスンと犬のように鼻を鳴らし始めた。  皇帝を先導していたエレナ女王が不安そうな顔を向ける。  エレナ女王はグレン語で話しかけた。 『あの、何か匂いますか?』  『ええ、匂います。非常に良い香りがする』  マリウスの返答にエレナ女王はとりあえずは安堵したものの、落ち着かなげな皇帝が何を考えているのかわからず気を揉んだ。  そんな皇帝は、庭先に少女と言えるほどの若いメイドを見つけると、彼女に向けて飛んでいった。  マリウスはメイドの前に立ちふさがった。  メイドは、目の前の人が皇帝だと知って驚くも、見目麗しい皇帝が熱っぽい目で見てくるために、胸が一瞬で高鳴った。おずおずと何かを期待するような目で見上げて、顔を赤らめている。  メイドはこの国の多数派の茶目茶髪だった。 (茶目茶髪だ……。何より、この匂い) 「陛下……? 私に何か御用でしょうか?」 『ベ、ビービュ……?』  マリウスはまたうまく声が出せなくなった。 (彼女から間違いなくエミーユの匂いがする。エミーユだ! しかし、どうしてだ? どうして女なんだ………? もしかして、エミーユは女だったのか……?)  マリウスはあの夜のことを思い出した。 (エミーユには乳房はなかった。まったいらな胸だった。それは男だからではなく、子どもだったからなのか……? 陰茎があったが、あれはひょっとしてコブか何かだったのか……?)  マリウスの顔が青ざめていく。 (俺はほんの子どもに無体な真似を……?!)  マリウスは自分のしでかしたことに、目の前が真っ暗になった。 (俺は、外道だ……)  マリウスはよろよろとメイドの前に膝をついた。そのとき、マリウスの鼻を、メイドが腕にかけた肩掛けを掠めた。 (はっ、この肩掛けからエミーユが強く匂う……!)  マリウスは肩掛けを掴んだ。肩掛けに鼻を埋めて匂う。エミーユの匂いに包まれる。マリウスに幸せが満ちる。 (メイドではなく、この肩掛けから匂ってるんだ……!)  肩掛けを両腕に抱きしめているマリウスに、エレナ女王らが追い付いた。 『こ、この肩掛けは誰のものでしょうか』  エレナ女王がメイドに尋ねる。 「この肩掛けはあなたのもの?」 「いいえ、さっき庭先に落ちていたのを拾いました」 「持ち主を知ってる?」 「わからないので、メイド頭に届けようと思いまして」 『エレナ女王、お願いだ。この肩掛けの持ち主を探してくれ』  マリウスの思い詰めたような顔つきに、エレナ女王は、どうやら皇帝には探し人がおり、それはこの肩掛けの持ち主らしい、と察する。  エレナ女王の「ええ、すぐに探し出しますわ」との力強い答えにマリウスはすがることにした。  肩掛けをエレナ女王に託そうとして、マリウスは、急に渡すのが惜しくなった。 『女王、この肩掛けでちょっと用事を済ませてくるので、いったん、私に貸してくれないか』 『肩掛けで用事……?』  肩掛けを受け取ろうとした女王に唐突に嫌な予感が働いて、マリウスの腕の中の肩掛けを引っ張った。 『陛下、用事って何ですの?』 『ちょっと使うだけだ。汚さないように気を付けるから』 『汚す……? いったい、何に使われるのです』  マリウスは答えに詰まった。  数年ぶりに好きな人の匂いを嗅いだのだから許して欲しい、と思ったが、女王の胡乱げな目線に、マリウスはもう何も言い出せなくなった。  マリウスは、そのまま肩掛けを女王に託すことにした。しかし、マリウスは希望に満ち満ちていた。 (エミーユはここにいる……! もう捉えたも同然だ……! 今度こそ、俺はエミーユを逃さない!)  あらためて誓うマリウスの視界の先に、西棟の入り口で赤毛が揺れ動くのが見えた。

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