41 / 45

第5章:満月の別れ 第3話①

 泣き顔を見られたくなくて随分と長い間風呂に浸かっていた気がする。気付いた時にはのぼせる直前で、浴槽から上がる頃にはクラクラして足元も覚束なかった。  あまりにも長いことセイルが風呂から上がってこないことを訝しんだ鷹臣が風呂に様子を窺いに来てくれたことで、肌を真っ赤にさせたセイルがヘロヘロ状態のまま脱衣所でバスタオルにくるまって座り込んでいたところを発見された。すぐに寝室へと運ばれ、水を飲ませてもらった他、鷹臣が氷枕を作ってくれたことでのぼせ上がって眩暈のしていた頭が段々とクリアになってくる。 「すいません、なんか、またご迷惑かけちゃって……」 「いい。気にすんな。……ったく、本当にお前って奴は少し目を離すとすぐとんでもねぇ目に遭ってやがる。気が抜けねぇよ」 「あはは、本当にすみません……」  ベッドサイドに座りながら鷹臣が団扇で顔を扇いでくれる。こんな手間を誰かにかけさせたのは初めてだ。  どちらかというと、里では誰かの世話を焼く方が多かった気がする。狩りができず、家のことを一手に引き受けていたということもあるが。 「お前、そんな目ぇ離せないようで今までよく生活できてたよな」 「えぇ~? 私、結構しっかり者の方ですよ?」 「寝言は寝てから言いやがれ」  コツンと軽く頭を小突かれる。こんな軽口のやり取りももうできなくなってしまうのかと思うと胸が苦しくなってくる。  鷹臣は呆れ顔をしながらも世話を焼いてくれている。その表情に別れへの寂しさなどのようなものは見受けられなかった。  自分一人だけなのだろうか。離れたくないと思っているのは。目覚めた時にはあんなに切羽詰まった様子できつく抱き締めてくれたというのに。もう二度と逢えなくなっても良いのだろうか。鷹臣に好かれているであろうということは分かっている。それなのに、離れ離れになってしまっても構わないというのだろうか。  考えている内に段々とツラくなってしまい、目を伏せた。目が潤むのを感じる。閉じれば、またしても零れ落ちてしまいそうだ。 「……ったく、なんちゅー顔してんだよ。どうせ、ロクなこと考えてねぇんだろ」  頬を大きな掌でグリグリと撫でられる。火照った肌には少し体温の低い鷹臣の手は心地良かった。  一人だけ悶々としているようでちょっとだけ悔しくなる。プゥと頬を膨らませれば、両方の頬を押さえられ、膨れ面すら作れなくなった。  鷹臣の顔が近づいてくる。重なる唇。鷹臣の唇は少しカサついていた。セイルが目覚めるまでの間、心配して鷹臣自身のことがおざなりになってしまったのだろうか。そうでなくとも、黒神連合の後処理の件で相当忙しくしていた趣旨の話を聞いている。そんな大変な時に心配をかけてしまったことは本当に申し訳なかった。  鷹臣の首へと腕を回す。抱き締めながら濃厚なキスを交わし合う。  こんなに深い口づけも、教えてくれたのは全てこの人。鷹臣以外とのキスなんて知らない。少し強引で、口内を我が物顔で蹂躙する。激しく、他者の体の中においても有無を言わせない絶対的な存在感がある。  それでいて、快楽を伴っていた。絡まる舌同士が互いを求め合う。  口の中で誰かと睦み合うことがこんなに気持ちの良いことだなんて、鷹臣に出逢うまで知らなかった。  鷹臣はセイルの知らないことを教えてくれた。今後、この交わりがない生活に戻るということが信じられない。  少し荒れた唇を角度を変えて何度も貪る。もうこんなに深いキスを経験することはないかもしれない。鷹臣の全てを与えられたい。この心の中の渇望を鷹臣で埋め尽くしてほしい。  口づけは酷く情熱的で、飢えを満たすかのように欲望に忠実だった。鷹臣を喰らい尽くすかのように求める。挿し込まれるだけに留まらず、セイルの方からも舌を鷹臣の口内へと入れ、彼の口の中全てを求めた。セイルが風呂に入っていた間にも煙草を吸っていたのか、舌だけを挿し入れられていた時よりも煙草の苦味が強い。この味も全て含めて鷹臣だと思うと、これからの長い生の中においても忘れないように激しく貪る。  エルフの里には煙草というものはない。だから、今後この味を体感することもなくなるのだ。  もしかしたら、煙草に似た薬草を見つけて似たような物を作ることは可能かもしれない。しかし、セイル自身が煙草自体には興味がないため、吸いたいとは思わなかった。だから、この苦味ともお別れだ。  首に回した腕に力を込める。最後だから、彼のこの感触を忘れたくない。唇を重ね合わせてから覆い被さってくる体躯。男に組み敷かれるなんてこの世界に来るまで考えたこともなかったが、今では鷹臣だから心地良い。庇護にも近いような気持ちで彼の下にいられる。  長い長い口づけだった。今までしてきた中でも最長で、互いの唾液で濡れそぼり、唇が少し腫れたようにも感じる。  それでも満足できなくて、離れた瞬間に再び引き寄せた。重なり合っていない時間があるのが惜しくて堪らない。この体と交わっていない瞬間を作りたくなかった。  体躯の違いからか、鷹臣の口はセイルよりも大きい。それは舌も同様で、中に入って来ると鷹臣に口の中全てを征服されたような錯覚にすら囚われる。  だから、初めて入り込んだ鷹臣の口内は何もかもがセイルよりも大きく感じられた。歯も、口蓋も、何もかも。  鷹臣の舌は初の来訪となったセイルの舌を放っておくようなことはしない。絡みつき、吸い上げ、押し合うように動いては螺旋を描くように蠢く。  やっと離した時にはあまりに濃密過ぎるキスに息が上がってしまっていた。 「えっろい顔してんじゃねぇよ」  鷹臣の指の関節がセイルの頬を擦った。優しい手つきに陶然としながら目をそばめる。  離れてしまうのが惜しくて鷹臣の手首を握った。太く、男らしい腕。この手に抱かれるのも最後かと思うと胸が苦しくなる。 「抱いて下さい」 「テメェ、自分が三日も起きなかったの忘れたわけじゃねぇよな」  コクリと頷いた。死を目前とする程の大怪我をしただけでなく、のぼせて鷹臣に運ばれるなど、散々心配させるような姿を晒したことは分かっている。  それでも、今を逃せばもう鷹臣と深い場所でなんて繋がれない。最後なのだから、きちんと忘れられない程の思い出を刻んでほしい。  ただ抱き合って眠るだけというのも悪くはないが、セイルの体を淫らに作り替えたのは鷹臣なのだから。 「今晩は、たくさん抱かれたいんです。鷹臣さんが好きなようにで良いので」  首を引き寄せ、強く抱きついた。組み敷くセイルの体を潰さないよう、鷹臣が体重がかからないようにしてくれていることは分かっている。  しかし、それすら惜しかった。鷹臣の全てを感じたいから。  重みも、何もかも、全て。 「……………ったく、病み上がりだのなんだのと後から文句言うんじゃねぇぞ?」  不機嫌そうな顔をしながらもその瞳の奥に激情のようなものを見つけてフフッと口角が上がる。  分かりづらいながらも、そんな人の中にある隠れた熱情を見つけられると嬉しくなる。  そして、以前だったらきっと分からなかったであろうそれらの細かな機微に気付けるようになった自分にも満足している。  こんなに大切な人ができるなんて、思っていなかったことだから。

ともだちにシェアしよう!