1 / 1

第1話

夜の街は雨に濡れて、灯りがぼやけて滲んでいた。 スマホを握りしめたまま、何度も書いては消してを繰り返すメッセージ。 ーー「今、会いたい」 ただ、そのだけの気持ちがどうしても伝えられない。 言葉にして送れない。 会いたい気持ちは嘘じゃない。抑えられず、溢れて水中にいるみたいに息ができないほど苦しいのに。 でももし彼が誰かといたとして、その相手が特別な感情をもつ相手だったら? もう、重いと思われて、彼が離れていってしまったら? そんな不安がメッセージの送信ボタンを押そうとする指を止めてしまう。 窓越しに見える人影に、一瞬だけ彼を探してしまう自分が情けない。 「会いたくて、会いたくて」… そればかりを繰り返す心は、自分でも気付かぬうちに彼に依存している。 それがどうしようもなく、怖い。彼を失ったら、自分は…。 その時に机に置いていたスマホが震える。 画面には彼の名前が表示されており、不意に胸がトクンーーと高鳴る。 『今どこ?雨降ってるから、迎えに行くよー。』 その一文に堪えていた涙が一筋、頬をつたった。 会いたいのは、自分だけじゃない。 彼も、きっと…。 『いつものカフェにいる。 …早く会いたい』 今度は自然と指が送信ボタンを押していた。 数分後、ヘッドライトが雨を切り裂いて彼がやってくる。 飲み終わったカフェオレのカップを片付けて、小走りで駆け寄り助手席のドアを開けた。 「…会いにきて、ごめん。 やっぱり俺は、お前に会えないと生きていけない。苦しい…」 縋るような視線と体温、そしてその言葉に張り詰めていた糸がぷつりと切れた。 ただ求めるように抱きしめ合い、何度も「会いたかった」と囁き合った。 2人だけの空間。 フロントガラスを激しく叩く雨音だけが、静まり返った車内に響いている。 街頭の光に濡れた彼の横顔が淡く照らされ、濡れた前髪が頬に張り付いている。 「ずっと、会いたかった。」 そう呟き、まるで縋り付くように震える肩を抱き寄せられた。 声が震えてしまっているのが、触れ合った肌越しに伝わってくる。 「…俺も、ずっと会いたかった。」 それだけ返してからの背中に腕を回し、隙もなく密着する。 そして、その後自然に… お互いに息の触れ合う距離で見つめ合い… 唇を重ね合った。 最初はお互いの体温に触れ合うように重ね合わせて、段々と深く、相手の体温を奪うように舌を絡め合う。 触れていたい…。お互いの想いを確かめたい。 無我夢中で唇を重ね合った。 フロントガラスを流れる雨筋が光をぼやかし、世界から2人だけが切り離されたようだった。 彼の吐息がかすかに震えて、舌先が触れそうで触れない距離を彷徨う。 「ほんとに、やっと会えた」 囁きに応えるようにもう一度深く口づけた。 雨音に包まれながら、心の奥の渇望が静かに満たされていった。 何度もキスを重ね、その後も2人は離れられないままシートに身を寄せ合っていた。 濡れた福の冷たさよりも、お互いに触れ合った体温が暖かい。 「…なぁ、帰りたくない」 このまま、連れ去ってもいい? 彼の声はまるで子供みたいに拗ねた響きを待ちながら、一度捉えたら離さない蜘蛛の巣のように絡みつく。 「…俺も。出来るのならずっとこのまま2人でいたい…。 離れたくない」 そう答えた瞬間、ぐっと腕を抱き寄せられる。 狭い車内で体を絡めるように座り、ひたいを重ね合う。 外はまだ激しい雨音なのに、ここだけ別の世界に閉じ込められたみたいだった。 「……お前の匂い、落ち着く」 首筋に鼻先を寄せられ、熱い吐息がくすぐったい。 くすりと笑ったのに、次の瞬間また唇を奪われた。 まるで足りない、と言わんばかりに。 夜が深まるほどに、会えなかった時間を埋めるように甘え合い、囁き合い、 「もう離れない」と何度も確かめ合った。 翌日…。 昨日はあのまま俺の家に着くと、靴を脱ぐのも億劫に感じながら、2人してベッドに傾れ込んだ。 そして欲望のままにお互いの熱を求め合った。 気がつけばあんなに激しく降り続いていた雨はすっかり止んでいた。 カーテンの隙間から入り込んだ夏の朝日が淡く室内を照らしている。 見慣れた天井に隣には、彼がいる。 同じベッドで、肩を並べて眠っている。 微かに寝息を立てながら、自分の腕をしっかり掴んだまま離さない。 まるで、夢の中でも「会えなくなるのが怖い」と思っているみたいで、胸がぎゅっと切なくなった。 指先で彼の髪を梳く。濡れた夜の名残なんてもうなくて、やわらかくて温かい。 頬に触れた瞬間、彼がうっすら目を開けた。 「……おはよ。夢じゃないよな」 寝起きの掠れた声。 「夢じゃない。ちゃんと隣にいる」 そう囁くと、彼は安心したように微笑み、腕を伸ばしてまた抱き寄せてくる。 窓の外では雨上がりの街がきらめいているのに、二人にとっての朝は、まだ静かなぬくもりの中で始まったばかりだった。 2人で一緒にベッドから出て、顔を洗う。 簡単なスキンケアを済ませて、そのまま朝食の準備をする。 まだ少し眠たげなまま、二人はキッチンに並んだ。 冷蔵庫を開けて、卵とベーコンを取り出す。 「卵割るの任せて」 そう言ったのに、勢いよく割って殻をボウルに落としてしまい、彼にくすくす笑われる。 「ドジだな」 「うるさい、見てるから緊張するんだ」 肩をぶつけ合いながらベーコンを焼くと、じゅうっと香ばしい匂いが立ち上がる。 後ろから抱きしめられ、首筋に顎を預けられた。 「……なに」 「こうしてないと、また離れちゃいそうで」 少し困ったように笑いながらも、結局その腕を振りほどけない。 フライパンを片手で振りながら、もう片方の手で彼の腕を握り返す。 小さなキッチンに二人の体温が溢れて、朝なのに夜よりも甘い空気が漂っていた。 焼き上がったトーストとスクランブルエッグを並べて、簡単な朝食を二人で囲む。 「美味しい?」と聞けば、彼は口いっぱいに頬張って、頷きながら笑った。 その無邪気さに、胸がまた熱くなる。 食器を片づけ、身支度を整えると、出勤の時間が近づいていた。 玄関に立つと、ふと空気が重くなる。 「じゃあ……行ってきます」 彼が靴を履き、振り向く。 その瞬間、たまらず腕を掴んで引き寄せた。 「待って。……キスして」 彼の目が驚いたように丸くなる。 でも次の瞬間には、柔らかい唇が重なっていた。 ただ軽く触れるだけのキス。けれど離れがたくて、結局何度も重ねてしまう。 「……甘えんぼ」 笑いながら囁かれて、耳まで赤くなる。 「いいだろ、離れたくないんだから」 「……俺も」 最後にもう一度抱き合ってから、ようやく彼は玄関を出て行った。 ドアが閉じても、胸にはまだ温もりが残っている。 「行ってきます」のキスは、今日一日の支えになるほど甘くて強い約束の証だった。 昼下がりのオフィス。 パソコンに向かっていても、書類に目を通していても頭の隅から彼のことが離れない。 マグカップを持ち上げた瞬間、ふと今朝の「行ってきますのキス」そして…昨日ベッドで求め合った彼の熱を思い出した…。 滑らかな肌、吸い付くような柔らかい唇。 玄関で名残惜しそうに笑った顔。 ベッドの上での切なげな表情。 全てが頭から離れず、愛おしく感じる。 ーー会いたい…。 会ってもう一度、すぐにでも抱きしめたい。 数時間ほど前にあれ程まで強く抱き合ったのに、足りない。 彼が恋しくて、仕方ない。 画面に映る文字が霞んで気づけばメッセージアプリの送信ボタンを押していた。 短いメッセージ。 「今夜、会えるー?」 数分後に帰ってきた返事。彼の好きだと言っていたゆるキャラのスタンプ。 それだけで胸が温かくなり、午後の時間を乗り切る力になった。 仕事を終えて駅を出ると、街はすっかり夜の顔になっていた。 街灯が濡れたアスファルトを照らし、雨上がり特有の匂いがまだ残っている。 待ち合わせ場所に立つ彼の姿を見つけた瞬間、胸が跳ねる。 スーツ姿のまま、こちらを見つけて笑って手を振ってくる。 その笑顔に、今日一日の疲れがすべて溶けていくようだった。 「お疲れ」 駆け寄った彼に、自然と腕を掴まれて引き寄せられる。 「……すぐ会いたくなった」 低く囁かれて、鼓動が一気に速くなる。 周りの目があるのに、腕の力は強くて、まるで人混みの中で自分だけを独占されているみたいだった。 「俺も。我慢してた」 目と目が合うと、二人の間に言葉はいらなかった。 肩を並べて歩き出すと、互いに触れた指先が自然と絡んで離れない。 夜風が心地いいのに、隣のぬくもりがもっと温かくて、 「会いたくて会いたくて」募らせた想いが、ようやく静かに満たされていった。 夜の街に灯るオレンジの明かりの下、二人は肩を並べて歩いた。 立ち寄ったのは、こぢんまりとしたイタリアンの店。 ワインを一杯だけ頼み、ピザやパスタを分け合う。 「それ俺にも一口ちょうだい」 フォークで差し出すと、彼は素直に口を開けて食べ、子どもみたいに笑った。 「……お前と一緒だと、何食べても美味いな」 そんな何気ない言葉に、胸の奥がじんと温まる。 雨に濡れて震えていた昨夜とは違う、穏やかで満ち足りた夜だった。 会話も途切れず、笑い合う時間はあっという間に過ぎていく。 気づけば互いに視線を交わすたび、早く二人きりになりたいという気持ちが募っていた。 店を出て彼の部屋へ帰ると、玄関を閉めるなり抱きしめられた。 「……やっと二人きりになれた」 その囁きに、もう抗えない。 ソファに倒れ込むように寄り添い、何度も唇を重ねる。 昨夜は切なくて必死だったけれど、今夜は少し違った。 安心と幸福に満たされながら、互いを大切に確かめ合う。 「離れたくない」 「もう、離さない」 何度も同じ言葉を繰り返し、互いの身体と心を抱きしめ続けた。 夜が更けても眠るのが惜しくて、指を絡め、頬を寄せ、ただ愛を確かめ合う。 やがて、深い眠りに落ちる直前―― 雨上がりの朝に交わした約束が、本物になったと実感する。 窓の外には、昨夜の雨の名残はもうなく、澄んだ月が浮かんでいた。 「会いたくて会いたくて」苦しんだ時間を越え、 今はただ、同じベッドで温もりを分け合っている。 もう孤独に震えることはない。 次に目を覚ますときも、その隣には必ず彼がいる――。 ふたりの夜は、確かな愛の始まりとして静かに幕を閉じた。

ともだちにシェアしよう!