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第1話
柿野の日常は、ルーティンから始まる。
早朝5時に起床。
30分ほどストレッチをして、
新聞を読みながら朝食を食べる。
満員電車は嫌いなので、7時10分には電車に乗り、
7時45分から会社近くのカフェでコーヒーを飲みながら、
小説を読み、8時に会社に入る。
就業時間は9時なので、まだ他の社員は来ていない。
「おはようございます。いつも早いですね」
ロビーにいた清掃員に声をかけられる。
この清掃員は若干若いように感じるが、
いつも柿野に挨拶をしてくれる。
ただいつも目深に帽子を被っているので
顔ははっきりとはわからない。
「おはようございます。いつもお疲れ様です」
柿野も軽く会釈をして自分の所属する経理部に足を運ぶ。
経理部の部長はいつも柿野よりも先に来ている。
「おはよう柿野くん」
どっしりとした堅物の澤井部長は短く柿野に挨拶をしてくれる。
「おはようございます部長」
柿野も部長の席までいって会釈をして、自分の席に座る。
昼食まではそつなく業務をこなし、
昼食はデスクで済ませ、午後も淡々と業務をこなし、
定時17時に業務終了。
月末等は多少残業ははするものの、基本的には定時で帰宅をする。
今日は彼女と食事をする約束をしている。
堅物の柿野は基本飲み会には参加しないが、春と秋は全社員参加の懇親会が行われる。
そこで参加した備品管理部の女性が、お酒で気持ち悪くなった時に偶然居合わせた柿野が介抱した事で、付き合ってほしいと告白された。
柿野は別に嫌いではないし好感は持てたので付き合うことになった。
あるお店の個室に2人は向いわせに座っていた。
彼女の名は奈穂美。
今日は話があると言われて来たが、彼女は一向に口を開かない。
いつもより無口だった。
というか、2人ともどちらかというとあまり口数が多い方ではない。
「別れましょう」
開口一番、彼女はそう口にした。
そのうち食事が運ばれてきて、
「あなたって真面目だけど、面白みがないのよね」
彼女は食事をしながら淡々と続けた。
「それにあなた他人に興味ないでしょ?」
まるで人を見透かしたような物言いで、
まるで他人事の様に。
「別れることがお互いのためになるとおもうの」
そういって彼女は付き合って初めて笑った。
手を繋いだことも無ければ、
キスもセックスもせず、2人は別れることになった。
彼女はいつものように帰っていった。
特に嬉しそうでもなく悲しそうでもない。
彼女もあまり人とうまく付き合えるタイプではないと感じていたが、
彼女は少しだけ人を見下す時がある。
柿野は一人コンビニの前で、呆然としていた。
とりあえずペットボトルの水を一口飲んだ。
さっき食べた食事の味は思い出せない。
何が悪かったんだ?
どうしてこうなった?
呆然としてそのまま帰宅し、何もせずベッドに横たわった。
何だか疲れた。
翌朝、
風呂も入らないまま眠っていたらしく、
呆然と目を覚ました。
習慣とは怖いもので、いつもの5時に起きていた。
でも習慣になっていたはずのルーティンをする気にはならなかった。
それでもなんとか重い体を動かして、会社に向かった。
仕事は眠ってでもできるくらい、
ルーティン化されていたので特に問題はなかった。
職場であまり話す方でもなかったので、だれも彼の異変に気が付かなかった。
でも仕事の進みはやはりいつもより遅くなり、
久しぶりに残業する事となった。
残っていると、
「柿野」
部長から声かけられる。
「はい」
柿野が顔を上げると、
「大丈夫か?」
「何かありましたか?」
「大丈夫ならいいんだ」
「問題ありません」
「そうか、無理するなよ」
「ありがとうございます。おつかれさまです」
無表情で柿野は帰っていく部長を見送った。
19時頃には社内に一人になっていた。
ようやく今日の業務を終わらせ、
柿野はふうとため息を吐いた。
今まで自分は自分のルーティンに疑いを持ったことがなかった。
決まった毎日を過ごすことで、
人生の平穏は保たれる。
そう思ってさえいた。
自分からは自分を客観的に見ることが出来ない。
誰かに話を聞いてほしい。
でも自分には友人がいないため、聞ける人がいない。
でも誰かに聞きたい。
そうして柿野はたまたま駅前で見た看板のホストクラブ店の前に来ていた。
店の名前は「バタフライクラブ」。
派手な髪型をしているホストや、一見地味な男まで色々な写真が店の前に飾ってあった。
その中で一人だけとても顔が綺麗だが、大人しめの男性に目が止まった。
何処かで見たことがあるような気がするが、ホストに知り合いはいない。
店内に入り、ソファ席でホストを待つと、
「ご指名ありがとうございます。セイヤです。」
と、写真と同じ男性が目の前に現れた。
柿野が顔を上げると、セイヤは一瞬驚いた顔をした。が、すぐに自信満々な表情になり、
「お客さん、ホストクラブは初めて?」
「え、はい」
セイヤはそういうと柿野の横に腰掛け、
「楽しんで」
そういって飲み物や食べ物などを適当に見繕う。
「男の客は珍しいんだけど、男に興味があるの?それともきまぐれ?」
セイヤは水割りを作りながら、何気なく聞いてくる。
柿野は少し考え、
「誰かに、話を聞いてもらいたくて」
ギャグでもなく冗談でもなく、無表情でつぶやく柿野に、
「いいよ。聞いてあげる」
そういって、作った水割りグラスを柿野の前に置いてやり、
「話して」
柿野はまっすぐと、自分の前に置かれた水割りグラスを見つめながら、
「俺はずっと、決まった時間に起きて、決まったものを食べて、いつも通り仕事をして、時々彼女と食事をして、話して帰る。それが当たり前になってた。間違っているとも思ったことがなかった」
グラスを手に、水割りを一口飲んだ。
「でも、彼女にフラレた」
「手だって繋いだことないのに。真面目すぎて面白くないって言われて振られた。そう言われて、今まで自分がやってきたことはなんだったんだと思った」
無表情で柿野は続ける。
「今日、初めてルーティンをしなかった。仕事もミスはしていないけど、いつものように動けなかった。自分が生きている意味が、分からなくなった。」
そういって、グラスの中の酒を一気に飲み干した。
セイヤは彼の話をただ静かに聞いてくれた。
「真面目なことは悪いことじゃないよ」
そう優しくつぶやき、
「ただ、人はいつもと違う事をしてみたくなるんだ」
人は機械じゃない。
いつも同じ事をしていると、
違うことをしてみたくなる。
セイヤは柿野の肩に腕を回し、
「いつもと、違うこと・・・する?」
耳元で囁かれて、
「する」
柿野は返事をした。
これは久しぶりに飲んだ水割りのせいだろうか。
セイヤはホテルに柿野を連れて行った。
柿野は男が好きな訳では無い。
でも長身で脱ぐとしっかり筋肉がついたセイヤの身体を
素直に綺麗だと感じた。
全身撫でられると気持ちよくて、
ただ好きにしてほしかった。
考えればキスもセックスも好きな人としたことがなかったし、
相手になにかを求めたこともない。
下腹部を圧迫されて、
柿野は歯を食いしばった。
後ろから太くて硬いモノがゆっくりと抜き差しされている。
慣れてくると奥に当たって、気持ちよくなっていった。
肌を撫でられる度に、腰を打ち付けられる度に、
お互いを求めた。
そんな翌日朝、
尻の違和感とスマホのアラームで目を覚ます。
柿野が目を覚ますと、知らないホテルだった。
ベッドの隣に眠る男を見つめ、
一瞬走馬灯のように昨日の記憶が蘇ってくる。
「ん・・・なんだよ、柿野さん。今日土曜日だよ?」
とその男は、枕に顔を埋めながら、夢見心地でつぶやいた。
そうか、今日は土曜だ・・・。
いや、何でこいつが会社の休日知ってるんだ?
そもそも名前教えたっけ?
あれ、この男、どこかで・・・?
などと考えながら、
柿野は腰を押さえながらシャワー室に入った。
昨日知り合ったホストに抱かれてしまった。
そもそも自分はどうして拒否しなかったんだろう?
柿野はゲイではない。
男に興味があったわけでもない。
でも、昨日は今までの自分じゃない自分になりたかった。
この男、セイヤというホストは、なぜ男を抱けたのか・・・?
ゲイなのか?
世の中にはどちらもだけるバイなる人もいるらしいが。
でも、昨日は気持ちよかった。
自分が求められているのが嬉しかった。
こんな気持ち初めてだった。
シャワーから出て、身支度をしていると、
「帰るの?」
後ろからボクサーパンツ一枚のホストが立っていた。
こうしてみると、長身で身体も締まっていて顔も綺麗だ。
でもけして派手じゃない。
昨日までオールバックだった髪を今は下ろしている。
「ああ、昨日はすまなかった」
「どうして謝るの?」
「話を聞いてもらったし、セックスした後は処理をしてくれたようで」
起きた時は身体が綺麗にされていた。
きっと柿野が寝落ちした後にやってくれたのだろう。
「気持ちよかった?」
そんな事言われるものだから、
「わからない・・・途中から理由がわからなくなったし」
その言葉に、セイヤは頭を描く。
(それって気持ちよかったってことじゃ・・・?)
堅物で社内で有名な柿野だしなと、セイヤは内心思いながら、
ふっと笑い、
セイヤは手を差し出し、
「昨日渡した名刺ある?」
「え、うん」
と、柿野は律儀に財布に入れていたセイヤの名刺を取り出すと、彼に渡す。
すると、セイヤは名刺の後ろに何かを書き、柿野に返す。
「名刺の後ろにプライベートな連絡先書いといた」
「え・・・」
「またなにか話したくなったら、連絡していいよ」
その、ホストらしくない優しさに、
「・・・ありがとう」
きっと連絡はしないだろうと、
思いながらも柿野は名刺を受け取り大事に財布にしまった。
「じゃ」
「ああ」
2人はそう言って別れた。
柿野を見送りながら、
「まあ・・・毎日会ってるんだけどね。会社で」
と、セイヤは一人呟いたのだった。
翌週の月曜日。
柿野は今までのルーティンに意味を見いだせないくなっていたが、今までの習慣で5時に目が覚めてしまうため、もう一度眠り6時から運動とシャワーを済ませ、以前より15分遅く家を出た。
カフェには行かず、そのままいつもどおりに8時に出社。
「おはようございます。今日も早いですね」
エレベーターを待っていると、いつもの清掃員に声かけられる。
「ああ、おはようございます」
振り返ると、清掃員はいつもどおり帽子を目深に被っている。
でも、ふと、
髪の感じや、顔の輪郭に目がいった。
それに声・・・
「あの、君・・・」
清掃員に話しかけようとした時、
エレベータが到着する。
扉が開くと、
「いってらっしゃい」
清掃員がそう言って、その場から去った。
それを少しだけ気にしつつ、柿野はエレベータに乗った。
その夜も、
柿野はホストクラブに来て、セイヤを指名していた。
ただ話がしたくて聞いてほしくて、週1で通っていた。
ホストクラブにくるのは大抵女性で、最近は男の客もめずらしくはないため、
あまり不思議に思われることもなかった。
柿野が指名すると、セイヤは何気ない日常の話をしてくれた。
最近いったご飯やさんの話や、昔飼っていたペットの話など。
まるで友達がするような会話だった。
約2時間ほどしゃべって、柿野は時計を気にする。
「そろそろ時間だな」
と、財布を取り出す。
スタッフが持ってきたトレイに金額を入れ渡す。
セイヤは、
「延長しないの?」
少し寂しそうに、だがつとめて明るくそう言った。
だが柿野は、
「したい所だが、僕だけが君を拘束するわけにはいかない。あまり浪費は好ましくないし」
ごく冷静に答える彼を見て、らしいなとセイヤは思った。
店の入り口で、柿野を見送るセイヤ。
「また来てね」
ふいに彼の手を握るセイヤ。
それに気が付く柿野。手を握られているだけなのになぜだか不思議な気持ちになった。
「また来週」
それだけ言って、柿野はその手を放した。
「・・・会社でも話せればいいのに」
セイヤは入口にもたれ掛かりながら一人呟いて、
柿野の背中を見えなくなるまで見送った。
柿野は最近は週1回だけホストクラブに通い、セイヤと会話を楽しんだ。
だが逆に言うと、セイヤと会う日以外はとくに用事がない。
家に帰っても仕事の残りを済ますか、寝るだけ。
特に趣味もない。
仕方がなく今日は帰りに定食屋に寄ることにした。
「いらっしゃい」
店のドアを開けて店員に話しかけられた時、
ふと、壁際の席の人物と目がある。
「セイヤ・・・?」
そこにはホストクラブで会うセイヤとは違う。
地味なスウェットのパーカーと白Tシャツのセイヤが
一人で食事をしていた。
セイヤも目があった瞬間驚いて一瞬視線をそらしたが、
柿野に向かって控えめに手を振った。
柿野も軽く会釈をして、彼の座っている席に向かった。
「まさか、こんなところで会うとはね」
少しだけ気まずそうに小さく呟くセイヤ。
ホストクラブで会うセイヤとは違って、
今目の前にいる彼はどこにでもいる青年だ。
ホテルに行った翌日と同じく、
店にいるときのオールバックとは違って、
前髪を下ろしている。
柿野はじっと目の前のセイヤを見つめる。
その視線に気がついて、
「・・・なに?」
「・・・いいや」
多くは語らない柿野。
そのまま運ばれた定食を口にしはじめる。
何も言わない柿野に、
「・・・幻滅した?」
「え?」
控えめにつぶやき始めたセイヤに、
柿野は顔を上げ、
「どうして?」
首をかしげる。
セイヤは彼から顔をそむけたまま、
「だって、今の俺普通だろ?」
「ふつう・・・」
「店にいれば、それとなく綺羅びやかなホストって感じになれるけど、実際の俺はどこにでもいる普通の人だし」
それを柿野に見られたくなかった。
(だから、気まずそうにしていたのか・・・)
「だから、店以外であまり遭遇したくなかった」
そういってセイヤは手で完全に顔を隠した。
食事も途中だし。
柿野は一度食事の手を止めて、
「俺は別にホスト遊びをしているわけじゃない」
ゆっくりと、でも一言ずつをしっかりとくちにしていく。
セイヤは彼の顔をゆっくりと確かめた。
柿野はまっすぐにセイヤを見ていた。
「君と話がしたくて行ってる。だから正直ホストの君と出会ったが、君がホストだとかは関係ない」
「・・・」
「もっと言うと、今目の前にいる君はとても格好良い」
「・・・・」
セイヤは柿野の言葉に、胸が一杯で何も言えなかった。
気まずくなっていた自分を反省した。
柿野に隠していることがあるのに、本当は言いたいことが山程あるのに。
ただのホストだからと、自分は近づいてはいけないと勝手に線引をしていた。
セイヤはハハッと笑い、
「すげー、殺し文句だね」
「口説いてはいない」
「ふっ」
つねに真面目に話す柿野に、
セイヤは照れている事を自覚しながら、
おしぼりで顔を拭いた。
「セイヤ、君はどうして」
「誠志郎」
話しかけてきた柿野の言葉に被せ気味に言葉を遮るセイヤ。
セイヤはじっと彼を見つめて、
「セイヤは源氏名だから。俺の本名は誠志郎っていうの」
「誠志郎・・・」
普通苗字を教えないかなと考えながら、
柿野は数多の中で反復して、
「誠志郎くんはどうして、ホストに?」
『くん』付けがややひっかったが、柿野らしいとおもいそこはあえて否定せずに、
「家庭のじじょー」
と、あえて軽くいってはぐらかす。
それを見て、
「そうか」
柿野は踏み込みすぎたと考え、別の話をする。
「今日は休みか?ここにはよく来るのか?」
「うん。休みだと特にやること無いしさ、自炊もするけど時々ここに来ているよ」
「そうか」
「柿野さんは?」
「おれは趣味がないし、ルーティンもやめたから何をしていいのかわからなくて。とりあえず食事に来た。ここへは時々くるくらいだ」
「そうなんだ」
彼らしいとおもい、ふっと笑うセイヤこと誠志郎。
定食屋は地下にあって2人でエレベータに乗った。
柿野は自分が先に乗り込んで、ボタンを押そうとしたがふとセイヤが乗り込んで自分の隣に立つのをなぜか目が話せなくなってじっと見つめた。
柿野がボタンを押さずにこちらを見ているのに気がついて、
「柿野さんボタン」
と、柿野の目の前に腕を伸ばし、階層のスイッチを押すセイヤ。
そのままエレベータのドアが閉じたのに、柿野はセイヤの顔をじっと見つめた。
それに気が付き、セイヤも柿野を見つめる。
「どうしたの?柿野さん」
そう尋ねるセイヤの顔を見ながら、
柿野はセイヤに初めて会ったあの日、
彼に抱かれた事を生々しく思い出す。
走馬灯のように、鮮明に。
彼の体温や、肌触り、イク時の表情。
すべてを急に思い出す。
「なんでもない」
「?うん」
柿野はそれだけ言って、セイヤに別れを告げた。
翌週、柿野がホストクラブでセイヤと話していると、
「セイヤはまだなの!?」
店の遠くから誰かが大声を上げている。
「ちょっと、小松様困ります。いま他の方の接客中で」
「なによ!売れる前は私が通ってあげてたのに」
姿は見えないが、おそらく中年の女性だろう。
「ちょっと、まってて」
と、柿野に断ってからセイヤはエントランスに向かい、
何やら騒いている客と話している。
しばらくして、セイヤは戻ってきた。
「大丈夫か?」
セイヤはつかれた顔をして、
「平気、たまにあるんだよね。こういうの」
あくまでホストは誰か一人のものじゃない。
客みんなを喜ばせる。
「ストーカーとか、逆恨みとか。色々」
「・・・そうか」
それだけ言って、柿野はビールを一気飲みした。
「柿野さーん、閉店だよ」
セイヤは酔ってソファで眠ってしまった柿野の肩を揺り動かす。
「んん・・・」
起きない。
すると、マネージャーがやってきて、
「あれ、お客さん寝ちゃった?まいったなぁ」
と、ソファで酔いつぶれた柿野を見下ろす。
すると、
「ああ、この人昼間の職場の人なんだ」
「知り合いか」
「まあ。・・・彼は知らないけど」
「内緒にしてるってこと?」
その言葉にセイヤは、
「ここに偶然来たんだ。客として。俺はずっとこの人の事知ってたんだけど」
と、切なそうに柿野を見つめる。
それを見て、
「お前さ、ばあちゃんの入院費のためだとはいえ、結構無理してんじゃないのか?」
マネージャーはセイヤがホストになった事情をしっているだけに、
いつも彼を心配している。
ゲイなのにホストをしている事、
昼間の職場には夜働いている事は、内緒にしている事も。
「俺は、大丈夫」
自分に言い聞かせるかのように呟き、
セイヤは柿野からなんとか住所を聞き出し、タクシーで彼の家までいく。
「柿野さん、家ついたよ。鍵は?」
「んん・・・、ポケットぉ」
と、自分の背中に背負っている柿野から聞き出し、彼のポケットを探り鍵を探し、
家に入る。
ドサッ
いくらセイヤの方が体格がしっかりしているとはいえ、
一端の成人男性を背負ってくると流石にしんどい。
セイヤは柿野を玄関に一度下ろし、息をつく。
「ふう、重てぇ」
玄関に下ろした柿野をみると、
ふと、目を覚ましていた。
「起きた?家だよ。大丈夫?」
「水・・・」
「はいはい、ちょっとお邪魔しますよ」
セイヤは柿野を支えて立たせ、一応断りを入れて部屋の中へ入っていく。
近くのソファに彼を座らぜ、店から持ってきたペットボトルのミネラルウォーターを柿野へ渡す。一応持ってきておいて良かったと内心おもいながら、
「平気?」
セイヤはソファの側のカーペットの上に座り、
心配そうに彼の顔を覗き込む。
渡されたペットボトルの水を一口飲んで、
柿野はじっと目の前にセイヤを見つめた。
その場にいるのが本物のセイヤだと確かめるように。
店にいる時よりも、
彼の顔がよく見えた。
けして派手じゃないけど、整った顔。
心配そうにこちらをみる彼の表情が、綺麗で、かっこよくて、
柿野は、ふいに、
セイヤの唇に自分の唇を重ねた。
しばらくそのままキスをして、
彼から離れると、
セイヤは目を丸くしていた。
「・・・どうして?」
セイヤは自分で思うより声が上ずっている自覚があったが、
そんなこと気にしている場合じゃない。
目の前で起こった出来事に驚いていた。
柿野からキスされた。
当の柿野は冷静に、じっとセイヤを見つめている。
なぜキスをしたのかを問われて、
「君に、キスしたくなったから」
思ったことをそのまま口にした。
セイヤは動揺して、でもゆっくりと手を伸ばし、
柿野の髪を撫でた。
触れることをためらうくらい、気持ちが溢れそうだった。
「そんなこと言っちゃだめだよ。また抱きたくなるだろ?」
セイヤも思ったままを口にした。
「うん、いいよ」
柿野のその返事に、
セイヤはゆっくりと彼にキスをした。
その夜、セイヤはもう一度柿野を抱いた。
柿野の家で、彼のベッドで。
今度こそ自分の事を話そう。
そう決心していた。
翌日早朝の仕事の為、セイヤこと誠志郎は書き置きを残して柿野の家を出ていった。
『仕事で先に出ます。今夜話がした。 セイヤ』
その書き置きを見た柿野も、彼の事を知りたいと思っていた。
そのまま柿野は出社した。
会社では、いつもの清掃員が掃除をしていた。
「おはようございます」
「おはよう」
いつもの挨拶だった。
でも、違った。
どうしていつも気が付かなかったのだろうか?
目の前にいるのが、『彼』だって事に。
「おはよう柿野さん」
「どうして・・・」
「じつは」
そうセイヤこと誠志郎が話そうとした所、
「見つけた!セイヤ!」
そういってロビーに入ってきたのは、
数日前ホストクラブで騒ぎを起こしていた客だった。
それは一瞬だった。
その客がセイヤに向かって走っていった。
ナイフを持って、
避けられる暇など無い。
でも、
柿野はすぐに反応していた。
「柿野さんっ!!」
その後の柿野の記憶は
背中に響く激痛を最後に、
闇に消えた。
会社では大騒ぎになっていた。
警備員が数名でセイヤの客を抑え込んで、
セイヤは柿野の血まみれになった背中の傷から溢れ出る血を、
止めるように必死で押さえた。
何度も彼の名前を呼んで。
その後、パトカーと救急車が来て、
ロビーの混乱は収束した。
柿野の傷は血が出た割には、上手く逸れて深い傷ではなかったものの、
数日の入院が必要だった。
当日には意識が戻った。
夢うつつにセイヤがベッドに眠っている自分の手を握って、
泣きそうな顔をしているのを記憶しているが、
目を覚ますと彼の姿はなかった。
「大丈夫か?」
様子を見に来た部長が、ベッドの上の柿野を見て声をかけた。
柿野はそれには答えず、
「セイ・・・誠志郎くん、は?」
源氏名ではなく、本名で彼を呼んだ。
開口一番、他人の心配をしている柿野に、部長はため息を付き、
「お前は彼の事情を知っているのか?」
柿野は首を横に振った。
「そうか」
とだけ呟き、部長は入口に近づいていく。
ガラッと扉を開けると、
そこには、脱力した誠志郎が立っていた。
柿野は彼がいて、少しだけホッとした。
「詳しくは本人にきいてくれ」
と今度は部長が外に出て、誠志郎の背中を押して病室の中へ彼を入れてやる。
そうでもしないと、誠志郎は病室の中に入ろうとしなかったからだ。
すっかり落ち込んだ誠志郎が、中々ベッドの近くに来てくれない。
「誠志郎くん。こっちきて」
「・・・」
黙り込む誠志郎。
よく見ると、今にも泣きそうな顔をしている。
「君が来ないなら、俺が行くけど」
と、動こうとする柿野。
「・・・わかったよ」
仕方がなく誠志郎は柿野のいるベッドサイドまで近づいていく。
丸椅子にちょこんと腰掛け、
「・・・ごめん。巻き込んで」
すぐさま謝罪した。
やっかいな客はホストとして売れている人ほど多い。
セイヤはそれほど売れていはいないが、固定のファンは多かった。
その中のひとりがずっと暴走しそうになっていた。
対処を間違うと、人を巻き込んでしまう。
今回のように。
「君は怪我ない?」
「ないよ。柿野さんのお陰で」
「良かった」
安心して微笑む柿野に、
「・・・・良くないよ」
誠志郎はがっくりと肩を落としてそう呟いた。
大事な人に怪我させた。自分の事に巻き込んだ。
その事実が彼を苦しめる。
柿野はうなだれた彼の頭を見つめながら、
「・・・同じ職場だったんだね」
毎日挨拶していたのが、誠志郎だった事に気がつかななった。
「・・・」
「君のこと教えて」
ただ、優しくそう言うもんだから、
誠志郎の胸は苦しくなってくる。
自分は高校の時に両親を亡くして祖母の育てられて、
会社の清掃員として働いていたが、祖母が入院してしまい、
入院費捻出の為にホストになった事。
会社にはずっと掛け持ちのことは黙っていたこと。
ホストクラブに来た時に、すぐに柿野だと分かったこと。
いつかは自分の事を話したいと思っていたこと。
「おれ、清掃員はクビになった」
「え」
「あんな騒ぎを起こしたら仕方がないけどね」
「でも、あれは誠志郎くんのせいじゃ」
「俺のせいだよ」
柿野の言葉に被せ気味に口に出す。
自分がもっと早く対処しなかったから、
柿野を巻き込んだ。
「庇ってくれてありがとう。ごめん」
その微笑みはとても悲しくみえた。
会社を辞めたらもう、柿野との接点はなくなる。
つながりはなくなる。
誠志郎は、椅子から立ち上がる。
ふと、柿野の前髪を掻き上げ、
そのおでこにキスをした。
そうして、優しく笑う。
「ずっと好き、だった。柿野さん」
誠志郎からの、過去形の告白。
そのまま振り返ることもなく、
病室のドアまで歩き、
「もう、店には来ないでね」
その一言を残して、
ガラッ
ピシャ・・・
誠志郎はいなくなった。
後には、呆然とする柿野が残されていた。
柿野は退院しした1週間後、
ホストクラブを訪れたが、
セイヤの写真は外されていた。
「あの!」
柿野は勇気を出して、店の前でマネージャーらしき男に声を掛ける。
マネージャーは柿野を見て、すぐに思い出す。
「ああ、前までよく来てくれた・・・」
「あの、セイヤは?」
その声掛けに、マネージャーは周りをキョロキョロと見渡し、
「ちょっと、こっち」
と、柿野の腕を引っ張って、店の脇に入る。
「あんた、セイヤの知り合いなんだよな?」
「え、はい」
「あいつなら辞めたよ」
「え・・・」
肩透かしの様に脱力する。
「おばあさんが亡くなったんだ」
それを聞いて、
柿野はすべてを理解した。
そもそも祖母の入院費の為に、ホストをしていたと言っていたし、
働く理由はないか。
「昼間の仕事辞めたって聞いてたから、しばらくいてもいいっていったんだけど」
と、話すマネージャー。
「もうここにいる理由無いんでって」
「そう・・・ですか」
と、地面にしゃがみ込む柿野。
「あんたが客からセイヤを守ってくれたんだってな」
「え」
と、急に言われて柿野は顔を上げる。
マネージャーは、頭をポリポリと掻きながら、
「あの客には俺達も困ってってさ。巻き込んで悪かったな」
「・・・」
柿野は謝罪されたが、
「おれは、好きな人を守りたかっただけです」
あっさりと素直にそういう柿野を見て、
「男前だな、お兄さん」
と、柿野を褒める。
「そりゃ、セイヤも惚れるわ」
「えっ」
ふふっと笑うマネージャー。
すぐに真顔になり、
「アイツのこと諦めないでやってくれ」
懇願に近いその言葉に、
「はい」
柿野は笑って答えた。
しかし、柿野は困った。
ホストクラブも会社も辞めてしまっては、
誠志郎を探す手立てがない。
どうするか・・・
仕事の休憩時間に考えることじゃないが、
だからこそ考えてしまう。
机に突っ伏しながら、
唸っていると、
「どうした柿野」
澤井部長が昼食を買って帰ってきていた。
休憩時間となるとこの部署には誰もいない。
「・・・あの」
「ん?」
聞こうとして、言葉に詰まる。
誠志郎の苗字を知らないことに今さら気がついた。
自分が何を言ってもどうにもならない。
柿野は突っ伏していた身体を起こし、
「い、いえ」
言葉を濁す柿野に、部長は自分の席に座り今購入してきた昼食を袋から取り出しながら、
「椿原の事でも、気にしてるのか?」
と、なにげなく口にする苗字を、聞き流す。
誰のことだろう。
そのままハッと、顔を上げ、
「椿原?」
「え、うん」
「それって、椿原誠志郎・・・の事ですか?」
「?そうだけど。お前なんか巻き込まれたんだろ?」
なにげにそういうもんだから、
だんだんと冷静になる柿野。
(考えたら、俺、経理だった)
手続きしてるかどうか分かるし、状況把握できる立場にいる。
さっそく調べようとすると、
「椿原なら、さっき手続きに来てたぞ」
「え?!いつ・・・」
「つい10分まえに帰って・・・」
その言葉を最後まで聞かずに、
柿野は経理部を飛び出していた。
今までの自分には毎日のルーティンしか
生きる指針がなかった。
誠志郎に出会って、触れられて、
身体を重ねて、
違う世界を知った。
今までと違う気持ちになれた。
違う、自分になれた。
それは誠志郎と出会ったから、
「誠志郎・・・!!」
ビルの外にはもう、彼の姿はなかった。
1週間後。
柿野は仕事終わりに、あの定食屋に来ていた。
ここにはもう随分前に来たきりだ。
「いらっしゃいませ」
店員の声掛けに、店の中を見渡す。
あの時と一緒だ。
壁際の席に、一人の青年が座ってた。
黒のロンTにダメージジーンズとスニーカー。
あの時と同じく髪を下ろしている。
照れなのか、テーブルに肘をついて口元を隠している。
柿野はまるで幻覚をみているかのような気持ちになり、
「・・・お疲れ様」
と、彼の目の前のテーブルに来てそう言った。
「・・・おう」
短く答えるもんだから、柿野はふっと笑った。
「何笑ってんですか」
「別に」
柿野はめずらしく嬉しそうに笑って席についた。
お互い頼んだ定食を待ちながら、柿野はおしぼりで手を拭きながら、
「まさか、電話に出てくれるとは思わなかった」
そう、以前彼からもらった名刺に連絡先を書いてもらってたのを思い出した。
すぐに電話をすると、彼は最終的には出てくれた。
「あんなに連続で掛けてくるとは思わなかったから、ね」
・・・3日連続でかけた後に。
そうして強引に呼び出した。
また2人でご飯を食べられるとは思わなかったから、
柿野は終始嬉しそうだった。
そんな嬉しそうな彼を見て、誠志郎も本当は嬉しかった。
それをなるべく出さないように気をつけたけど。
「ばあちゃんが死んでさ、俺、生まれて始めて親戚がいる事を知ったんだ」
中学時代に両親を病気で亡くし祖母に育てられた誠士郎は、
他に身内がいる事を知らなかった。
祖母は自分が亡くなった後どうすればいいかを、事細かくノートに残してくれていた。
まず自分は誠士郎の母親の母である事。
椿原は母の姓である事。
親戚たちは祖母を心配していたが、
誠士郎のために自分達の事はしばらくそっとしておいて欲しいと頼んでいたそうだ。
親戚たちに祖母の遺骨を預けると、
涙しながら誠士郎に一緒に住まないかと言ってくれたが断った。
もう誰かの世話にはなりたくないと。
「まあ、いつかはこんな日が来る事はわかってたんだけどね」
祖母との色々な思い出を思い出しているのだろうか。
小さく笑みを浮かべながらもどこか遠くを見ているようだ。
そんな彼を、柿野は黙って見つめた。
その視線に気が付いて、
「俺さ、定食って好きなんだ」
「そうか」
「家庭の味って感じが、ほっとする」
「・・・そうだな」
柿野は彼の頭を撫でたいという衝動に戸惑った。
しじみの味噌汁を飲みながら、
「俺も好きだよ。こういう食事」
「そうなんだ」
「前は夕食を、必ずこういった食事を心がけていたから」
まるで真面目な彼の性格を表しているようだと、誠士郎はくすりと笑う。
「もう、ルーティンしてないの?」
と、ふと聞くと、
「ああ」
小さく答えて残りの食事をたいらげた。
食事を終え店を出た二人は、駅までの道中、
2人で肩を並べて歩く柿野と誠士郎。
「連絡くれてありがとう、柿野さん」
ふいにそう呟く誠士郎。
彼の方は見ずに、でも、勇気をもって口にした。
「ほんとうは、すごく・・・うれしかった」
その言葉に、柿野は彼の方へと顔を向ける。
「あのさ、誠士郎」
柿野は、立ち止まり彼に問いかける。
「提案があるんだが」
数日後。
「というわけで、今日からうちの会社に入社する事になった、椿原誠士郎くんだ」
澤井部長が朝礼で皆に彼を紹介した。
『正社員として入社ししてみないか?』
柿野は中途採用の試験を彼に勧めた。
もう一度頑張ってみる気があるなら。
高校中退の彼からすれば大変だったが、柿野が一から家庭教師をして、3カ月で高卒認定試験に合格した。それから中途採用試験を受けて何とか合格。
しばらくは研修期間だが、彼ならきっと大丈夫だろう。
少し長めの髪は短髪に揃えられ、今はスーツを着こなしている。
緊張しながらも、誠士郎は接客業をしていた経験を生かして部に打ち解けていった。
彼が清掃員として働いていた事は知っている人もいるが色眼鏡で見る人はいなかった。
それくらい誠士郎は必死に学んでいった。
その日の帰り、
「帰ろうか椿原君」
柿野は誠士郎の片づけをまって帰宅を促した。
疲れ切ってはいるが、誠士郎は充実しているようだった。
「はい」
小さく返事をして、オフィスをでる柿野の後ろを追いかける。
会社を出て駅に向かう道すがら、
「今日はどうだった?」
柿野はその日の感想を聞いた。
すると誠士郎は、柿野の顔を見てようやく気を抜いたようだった。
大きくため息をついて、
「緊張したー。でも、楽しかった」
と、微笑むもんだから、
柿野は嬉しくなって、
自然と笑顔になっていた。
それを見て、
「あ」
「どうした?」
「柿野さんが笑った」
「・・・変か?」
自分の笑顔が意外だったのだろうか?と、疑問符を浮かべながらも、
確かにこんなに人を見て愛しく思ったことも、
誰かを思って自然に笑顔になることなんて
今までなかった。
誠士郎は、彼を見て
「かわいいよ」
とびっきりの笑顔でそう言うもんだから、
その笑顔に、今度は柿野がドキリとした。
この気持ちをなんというのだろう?
名前はわからないが、
誠士郎ともっと一緒にいたいとおもった。
「夕食どうします?またあの定食屋にします?」
誠士郎はなにげにスマホで時間を確認して、
そう言った。
「俺が作る」
「え」
「うちで食べよう」
と、真顔で言うもんだから、
誠士郎はびっくりする。
目を丸くする誠士郎に、柿野は首をかしげて、
「どうした?俺が作っちゃいやか?」
「え、あ、いや、俺に作ってくれるの?」
「ああ、料理ならまかせろ」
「でも」
「君に作ってあげたいんだ」
柿野は素直にそう伝えた。
「うん。食べたい」
嬉しそうな誠士郎を、柿野は連れて帰った。
家に到着して、誠志郎にソファに座ってゆっくりしてろと告げて、
柿野は冷蔵庫に用意していた食材を手際よく調理していく。
今日のメニューは、とっておきのために冷凍していた親から送られてきた産地直送のアジの開きを焼いて、豆腐とオクラの副菜と昨日作っておいたきんぴらごぼう。
塩こうじ漬けの鶏肉のから揚げ。揚げとわかめの味噌汁。
柿野のあまりの手際の良さに、誠志郎はただ呆然と見つめ続けた。
「できたぞ」
2人掛けのダイニングテーブルに座る事を促されて、
「いただきます」
しっかりと手を合わせて、感謝して
誠志郎は見事な夕食を堪能した。
柿野も彼の向かいの席に腰掛け自分でも口にする。
うん。成功だ。
「どうだった?」
「すっげー、美味かった」
満面の笑みでそう答えるもんだから、
「よかった」
柿野は彼の頭をくちゃっと撫でた。
その行動に、
誠志郎は一瞬動きを止めそして、
頬を少し赤らめながら、
「な、なに・・・?」
まだ柿野の手が自分の頭にあるため、
照れている事を隠せない。
柿野は全く照れずに、
自然に彼の頭を撫でながら、
「この間定食屋で、君の頭を撫でたくて仕方がなかった」
「え」
「やっと触れられた」
と、柔らかく微笑んだ。
誠志郎はどこに視線をもっていっていいのか迷って、
視線をそらし、空になった皿を見つめる。
誰かに触れられたかったなんて、
いままで言われたことなかったし、
自分がそういう対象になるなんて想像もしてなかった。
両親が死んで、祖母にそれ以上の愛情をもらってたと思うけど、
人にどう甘えていいのか分からなくて、
気持ちはいつも一人だった。
自分は多くを望んでいい人間じゃないのに。
自分はゲイでいつも片思いだったし、
両思いなんてあるわけない。
柿野の言葉も、きっと恋ではないと思う。
ただ、大切に思ってくれていたのは嬉しい。
それだけで、きっと十分だから。
誠志郎は勘違いしないようにと、自分を制して、
「ごちそうさま、俺片付けするよ」
そういって、自分の頭に乗ったままの柿野の手をどかして、
逃げるようにあと片づけをする誠士郎。
その彼をじっと見つめる柿野。
片付けを終えて、
「じゃあ、そろそろ帰るね」
誠士郎はジャケットを着て玄関へ。
柿野は、黙って玄関に向かった彼を追いかける。
「今日はごちそう様」
「帰るのか?」
なんだか名残惜しそうにそう言う柿野に、
「明日も仕事でしょ?」
「うちから行けばいいだろう」
「え、いや、泊まっていいってこと?」
「そうだ」
「いや、ちょっと・・・柿野さん駄目だよそんなうかつな事言っちゃ」
「うかつ?なぜ?」
わざと理由を言わせたいのかと、はあっとため息を吐きながら、
「俺は、あんたの事好きなんだよ?分かってる?」
「分かっている」
「じゃあなんで泊まっていいなんていうの?そんな事言われたら、俺今日は遠慮出来ないよ?」
「しなくていい」
「は?」
真っすぐすぎる柿野に、誠士郎は少しだけ苛立ちを感じて彼に背中を向ける。
「なに言ってるかわかっている?」
柿野は彼の背中を見つめながら、
「分かってる」
そう呟いて、彼の背中に頭をコツンとぶつけて、
「もう、黙っていなくなってほしくない」
その一言に、
誠士郎は少しだけグサッとくる。
あの時、
自分は黙って柿野から離れていった。
柿野にとってそれは、
今まで生きてきた中で一番空虚感が心を支配した。
もう、失いたくない。
「あの時は、ごめん・・・」
振り向かずに謝罪を口にした。
自分の行動は独りよがりだったと思うけど、
あの時はそれが一番いいと思っての行動だった。
「・・・もう二度と会えないと思ってた」
柿野は彼の背中に頭をくっつけたまま、ポツリポツリと話し始める。
「会社もホストクラブも辞めてて、もう探す手立てはないと思ってたけど、
君にもらった名刺に連絡先が書いてある事を思い出した」
俯いて、
「電話に出てくれなきゃ、どのみち終りだとおもって死ぬ気で掛けた」
柿野の胸の内が徐々にあらわになっていく。
誠士郎は黙って、彼の言葉を聞いた。
「その後、定食屋で君の姿を見つけた時、涙が出そうになった」
そこまで言わせて誠士郎は振り返り、
彼を抱き締めた。
まさかそんなに自分のことを想ってくれていたなんて。
胸がいっぱいで何をいえばいいのか分からない。
柿野は後から誠士郎の背中から手を回し、
ぎゅっと抱き締めた。
「帰らないでくれ」
「・・・うん」
困った顔をする誠士郎だが、
内心は嬉しくて自分の身体に回された柿野の手をしっかりと握った。
翌朝。
誠士郎は外の明るさで目を覚ました。
眠っているのは柿野の部屋のベッド。
隣にはTシャツ姿ですやすやと眠っている柿野の姿。
その光景を見るだけでも幸せを感じていた。
会社では堅物で有名だった柿野が、
今は自分の隣で安心して眠っている。
しかも・・・昨日は、今までで一番甘かったし可愛かった。
それを思い出して、自然と誠士郎の顔がほころんだ。
しばらく彼の寝顔を見つめていると、
柿野のスマホの目覚ましが鳴る。
朝の5時。
すると、スッと自然に起き上がる柿野。
「・・・おはよう。いつもこの時間に起きてるの?」
誠士郎が眠そうに尋ねると、
「以前ルーティンにしてから癖で5時に起きるようにしている」
「・・・すごっ」
ふっと笑う誠士郎に、
柿野はじっと彼を見つめて、
チュッと彼の口にキスをした。
「おはよう」
「ちょっ・・・」
突然のデレに誠士郎は顔を手で覆う。
対して柿野は真顔でそういう事をする。
「朝食を作ろう」
「え、ほんと?」
「泊まってほしかったのは、そういう理由もある」
「やった、嬉しい」
誠士郎は嬉しそうにベッドから跳ね起きる。
それを見て、柿野はゆっくりと彼を追うようにキッチンへ。
甘い出汁巻き玉子焼きと、オクラ納豆、鮭の塩焼き、作り置きのポテトサラダ、そしてナスと長ネギの味噌汁。
その出来栄えに感動しつつ、
「いただきます!」
きちんと手を合わせて、誠志郎は嬉しそうに口に頬張る。
美味しい美味しいと食事をする彼を見て、
顔には出ないが、柿野は胸がいっぱいになった。
誠志郎は食べ方がとても綺麗だ。
きっとおばあさんの育てがいいのだろう。
正社員として入社して、社内でも人となりは真面目で誠実だともっぱらの評判だ。
女子にも影で人気がある。
ただいつも教育係の柿野と一緒にいるため、目立って言い寄ってきたりはしてないが。
「ごちそうさま」
嬉しそうに、そして綺麗に食事を終えた誠志郎をみて、柿野も嬉しかった。
そんな彼を毎日見たい。
「こんな美味しいご飯、毎日でも食べたいよ」
半分冗談で、誠志郎は言ったつもりだった。
しかし柿野はいつもの真面目な顔で、
「そうだな」
彼をまっすぐ見つめ、
「おれも君に毎日ご飯を作ってあげたい」
と、小さく微笑むもんだから、
誠士郎は固まった。
数秒見つめあい、
「それくらい、君との付き合いは真面目に考えている」
さきに言葉を発したのは柿野だった。
いつものように真面目な顔をして。
それに彼らしいと考え、誠士郎は彼をじっと見つめ、
「じゃあ、まずは真面目なお付き合い、俺としてくれませんか?」
彼の前に手を差し出した。
最初はホストとしての彼と出会ったが、
本当は誠実な彼を柿野はじっと愛おしそうに見つめ、
「喜んで」
その手をぎゅっと握り返したのだった。
終り。
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