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ファーストアタック①
「最恐のαは相手の性を歪めることができるってよ」
「なんじゃそりゃ」
「敵対するαをΩに変えられるってよ。嫌いなやつをΩにできたら、ザマアじゃん?」
「うわあ、えげつねえな」
天成学園には裕福な家庭の優秀な子息が集う。
学園内の第二性の構成比率は、α:β=3:7で、世間の比率に比べればαが多く、Ωは一人もいない。生徒のみならず、教師や出入り業者に至るまでΩは敷地内に一歩も足を踏み入れることができない。
そんな場所で、αだった生徒がある日、Ωになってしまえば。
彼は思いもしなかった。まさか、学園の覇者として君臨するトップαの自分に、そんな惨い運命が待っていることなど。
*
藤堂雪弥(とうどう ゆきや)は、ベッドで眠っていた。
密度の濃い睫毛が下まぶたに影を作り、漆黒の髪が繊細な輪郭を縁取っている。いざ覚醒すれば、挑むような冷たい目つきとなるが、寝顔にはまだあどけなさが残っている。
そのとき、雪弥の眉が苦しげに歪んだ。
「……ぅぁ……」
雪弥はうなされている。
(ああ、やめろ……)
雪弥は体のなかに何かを注ぎ込まれるような、形容しがたい感覚に捕らわれていた。
「ああ……っ」
声を上げて跳ね起きると、ルームメートの天王寺天陽(てんのうじ てんよう)が心配そうな顔を向けていた。
「雪弥、大丈夫? うなされてたよ?」
雪弥は天陽の伸びやかな顔にホッと息をつく。差し出されたペットボトルを受け取り、ごくごくと飲み干した。
天陽が心配そうに尋ねてきた。
「雪弥、悪い夢でも見たの?」
「うん。何だか気持ち悪い夢。体が改造されるような夢」
そこで雪弥は何かに気が付いたのか、スンスンと鼻を鳴らした。
「変な匂いする」
「あ、ごめん、俺、汗かいてる」
「違う、お前のじゃない」
天陽とは中1から高3の今までずっとルームメートだ。もはや家族に近い。その匂いは雪弥を安心させるものでしかない。
「嫌な匂いだ。お前、どこかでΩでも引っ掻けてきた?」
天陽は滅相もないという風に両手を顔の前で振った。
「そんなことするわけない」
もっとも、天陽の方にその気がなくても、αである限り、油断をすればすぐにΩをおびき寄せてしまう。
「もしかしてこれかな。さっき取ってきた」
天陽はポケットから封筒を取り出した。事務用の封筒にシール宛名を貼ったものだ。しかし、中を開くと、可愛らしいピンクの便箋が出てきた。
「知り合い?」
「いいや、まったく」
天陽は差出人を確かめながら言った。
どこかの誰かが、事務用の手紙に偽装して、ファンレターまがいのものを送りつけてきたようだ。
寮生への郵便物は寮職員が部屋ごとに分けて棚に入れておくが、怪しげなものは職員がその場で処分する。しかし、このように事務封筒を使われるとすり抜けることもある。
雪弥はその便箋からかすかに漂う匂いをかぎ取った。Ωの匂いだ。
(便箋にΩの匂いをこすりつけてやがる)
「まったく、Ωは気持ち悪いな」
雪弥は不快そうに眉をしかめた。
「これ、事務室で捨ててもらってくる」
天陽はそう言って部屋を出て行った。Ωの匂いのしみ込んだものをα二人の部屋には置いておけない。
雪弥は天陽の声に若干の罪悪感がこもっているのを聞き逃さなかった。中身もろくに読まずに捨てることが忍びないとで思っているに違いない。
(あいつはホントに甘い。Ωなんかに愛想よくするから、相手も勘違いするんだよ。住所も漏れてやがるし)
天陽にそれを言えば、「愛想よくした覚えはないよ?」と言い返すのだろうが、天陽の締まりのない伸びた顔は、いつも人懐っこく笑っているように見える。
もとより、天陽は目立つ体躯に整った顔立ちをしている。どこででも目を引く外見の上に、バスケ部の部長としてコートで得点を稼ぐとあっては、対外試合の度に、他校の生徒が群がってくる。
部屋に戻ってきた天陽にくぎを刺す。
「お前、自覚しろよ。Ωなんかに気を許すな」
「自覚?」
「誰にでもヘラヘラすんなってこと。ただでさえ、女もΩも寄ってくるんだから」
「すました顔でコアなファンをつくる雪弥がそれを言うんだ?」
「俺は学校と寮からほとんど出ないから関係ない。構内には女もΩもいないからな」
二人の通う天成学園は中高一貫の男子校だ。天王寺家が率いる学校法人の一つだ。すなわち、天陽の実家の家業でもある。
天陽の家は代々αの家系で、父母、兄弟、婚約者ともにαである。
そのため、天陽はα至上主義だと思いきや、意外にもΩへの偏見はない。
「雪弥は相変わらずΩ嫌いが激しいよね。Ωに生まれたってだけなのにさ」
「Ωに生まれたのが悪いんだ」
一般的にΩは侮蔑の対象であるが、雪弥がひときわ嫌っているのには理由がある。
雪弥の父親はβで、母親はαだった。はた目にも仲睦まじかった。しかし母親は、ある日、どこの骨ともわからないΩと駆け落ちした。
(理知的だった母親はΩに狂わされてしまった)
残された父と子が、Ωを嫌悪するのも無理のないことだった。
しかし、雪弥の父親が嫌っているのはΩだけではなかった。
父親がβの女性と再婚して、βの異母弟が出来てからやっと、父親が内心で雪弥を疎ましく思っていることに気が付いた。家族でいつしか自分だけが浮いていた。
雪弥の父親は学生時代に始めたベンチャー事業が成功した新興成金だ。
そこら辺のαよりもよほど優れたβである父親からすれば、Ωばかりか、αもまた本能に抗えない下等動物に見えるのだろう。父親の雪弥を見る目は時折とても冷たかった。
それが雪弥が寮のある中学校に進んだきっかけであり、なかでもΩを徹底的に排除した天成学園に決めた理由だった。
天成学園の敷地内には、たとえ一歩でもΩは入ることはできない。出入りの業者から保護者に至るまで、Ωであれば立ち入りを禁止される。
(俺はΩに狂わされるのはご免だ)
「天陽、αのΩに対する欲望は、女に対する欲望とは次元が違うんだぞ。婚約者を泣かせるようなことはするな」
「婚約してからは遊んでないよ。俺の婚約者、超怖いんだよね」
天陽は色素の薄い目をふと細めて訊いてきた。
「ところで、雪弥も欲望はあるの?」
「あるに決まってんだろ。だから、Ωを近寄せないようにしてる」
「ふうん、クールビューティーの雪弥にもちゃんと欲があるんだ。安心した。俺はてっきり妖精になるために修行してるのかと」
「どういう意味だ?」
「だって、まだ童貞でしょ」
自分はさも済ませたと言わんばかりの口ぶりだ。中等部時代、天陽はほとんど寮を留守にしていた。帰るたびにふしだらな風情をまとっていた。
「お前が遊び人なだけだ」
雪弥は天陽に軽く威圧を仕掛ける。不意の威圧に天陽はガクッと膝を床についた。
「うっ」
「そんなことで俺を見下すな。俺とお前、どっちが強いと思ってんだ?」
「はああ、すみません、雪弥さま。もう生意気を言いません」
天陽はすぐに起き上がると、へらっと笑って雪弥にじゃれついてきた。
「えへへ、ごめん。ごめん、て。雪弥さま」
「やめろって」
「えへへ、雪弥、好き」
「うっとうしい、離れろ」
台詞と裏腹に、雪弥の口元には、笑みが浮かんでいる。
黒目黒髪で冷たい美貌を持つ雪弥と、色素が薄めで雪弥よりも二回りは大きな体を持つ天陽は、まるで主人と飼い犬のようにじゃれ合っていた。
そのときの雪弥には、すべてが自分の手の中にあると思えていた。輝かしい未来が待っていることを信じて疑わなかった。
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