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第6話 今日も俺の理性は試されている②ー俺の心臓が、ショタ(20)に攻略されている件ー

「薬草〈星影草(ほしかげそう)〉の採集か……」 その日、ギルドで選んだのは、薬草〈星影草〉の採集依頼だった。 星影草は湿地帯の森と、日当たりの良い岩場の両方に自生している。とはいえ、どちらも危険な魔物がうろつくエリアのため、採集クエストにしては報酬は高めだった。 「この依頼、二手に分かれたほうが効率がよさそうですね。僕とご主人様が森へ行きます。クーさんとガウルさんは岩場をお願いします」 「……勝手に決めるな」 「では、ご主人様に決めていただきましょう」 アヴィはにこりと微笑んだ。 すでに地図と採集道具を手にしているあたり、準備は万端のようだ。 ガウルがじっとアヴィを睨みつけるのを感じて、俺は慌てて口を開いた。 「え、別に俺はどっちでも……」 「ご主人様の足元を考えれば、森のほうが安全です。それに、湿地の地形なら僕が案内できます」 「……湿地なら、俺も知ってる」 「でしたら、まだ慣れていないクーさんに同行を。きっと心強いですよ」 「オレ、ユーマと行く!」 (うわ……また始まった……!) 火花が散る気配に、俺はそっと間に入った。 「じゃあ、今回は効率重視で分かれよう。俺とアヴィが森、クーとガウルは岩場でいい?」 「了解です。ご主人様、案内しますね」 アヴィが柔らかく笑う。その肩越し、クーとガウルの露骨な不満顔が目に入り、俺は苦笑するしかなかった。 ガウルは低く唸るような声で言った。 「アヴィ。ユーマに何かあったら……俺は、お前を許さない」 「……心得ました。では、ご主人様――行きましょう」 気づけば、アヴィにそっと手を取られていた。 そのまま、俺は森の奥へと引かれていく。 (……何かがおかしい。でも言えない。いや、もしかして俺が考えすぎなだけで――) その背後、チームを分けたはずなのに、何故か残ったほうの空気が一番ギスギスしていた。 森の奥――木漏れ日がまばらに差し込む、静かな一角に俺たちは足を止めた。 「……見てください。あそこに星影草があります」 「これか……思ったより、地味な見た目だな」 しゃがみ込んだアヴィの指先が、丁寧に薬草を摘み取っていく。俺も真似て手を伸ばしかけた、そのとき。 「あっ、待ってください。茎に細い棘があって、指を切ります」 「あ、ほんとだ。ありがと。でも、怪我してもヒールあるし――」 「ダメです。それでも傷は傷ですから」 アヴィは自然な仕草で俺の手を取ると、手袋を差し出してきた。 ……やけに距離が近い。顔も近い。指先が触れ合うたび、なんだか落ち着かない。 「ヒールは魔力を消費するんです。無駄遣いはよくありません」 「そりゃそうだけどさ。使えるものは親でも使えって言うじゃない?」 冗談っぽく言ったつもりだったが、アヴィはふっとため息をついた。 「……ご主人様は、自分の価値をわかっていません」 その手が、ふいに俺の手を包む。 ただそれだけなのに、静かで、深くて、離れがたい感触だった。 「――どうか、自分をもっと大切にしてください。 貴方が傷ついたとき、心から悲しむ者が……ここにいます」 「いや、そんな大げさな……」 優しく微笑むいつもの顔なのに、なぜか心がざわつく。 鼓動が、じわりと早まる。 (ま、まて……!? この子、見た目は可愛い兎獣人なのに!? いや、アヴィは俺より年上……。だからなのか? 俺の乙女回路が……また“トゥンク”って鳴ってる……!) 笑顔に何の変化もないのに、何かが違って見えた。 それが何なのかは分からない。けれど、俺はアヴィの目を見れなくなっていた。 その時だった。 ふいに、風の流れが変わった。 「……来ます」 アヴィの長い耳がピクリと震え、目を細める。 その鋭い視線の先―― 鬱蒼と茂る木々の奥から、地響きのような足音が迫ってくる。 のそり、と現れたのは、山ほどの巨体を持つ猪型の獣――《ブルファング》。 体長は3メートルを超え、分厚い皮膚と獰猛な牙を備えた、ランクA相当の魔物だ。 「ご主人様、ここでお待ちを。すぐに終わらせます」 そう言った刹那、アヴィの姿が消えた――かと思うほど静かに、軽やかに地を蹴った。 足音は一切ない。 地面を押し出す力と、木の根を踏む角度すら緻密に制御された跳躍。 兎獣人特有の、圧倒的な脚力が生み出す“無音の加速”だった。 「こっちです」 誘うように囁きながら、アヴィはまるで風そのもののようにブルファングの視界をかすめて跳ぶ。 驚異的な反射神経で突進をかわし、枝の上へと舞い上がった。 ブルファングが鼻息荒く吠え、跳ね上がるように突進してくる。 だが――その牙が届く直前、アヴィの身体が宙を裂いた。 空中で半回転、背中から落ちるようにして体をひねり、 双短剣を逆手に構えてブルファングの背中へ―― ズバッ! 一閃。 切り裂かれた筋肉から、血が噴き出す。 吠える間もなく、アヴィは再び跳躍。地を蹴って、背後へ。 「脚の腱……切りました」 その声とともに、ブルファングの動きが鈍る。 脚がもつれ、バランスを崩した巨体が仰向けに倒れかける――その瞬間。 アヴィは地面を斜めに蹴り上げ、 まるで滑空する鳥のように宙を舞った。 「とどめです」 交差する双剣が、静かな銀の弧を描き―― 首筋へ、一直線に。 刃が深々と突き立ち、ブルファングは呻き声を上げる暇もなく沈黙した。 ――ドサリ。 土埃が舞い、静寂が戻る。 アヴィは一切の無駄なく、音もなく地面に着地し、 そのままくるりと双剣を回して背中のホルダーへ収めた。 「ご主人様、ご無事ですか?」 アヴィが静かに振り返る。 戦闘直後とは思えないほど整った姿。 服の乱れもほとんどなく、乱れたのは俺の感情ばかりだった。 さっきまで可愛らしい兎獣人だったのに、今はもう完全に“狩る者”の顔だった。 (ま、待って……!? 今のアヴィ、なんかこう、やばい……かっこ良すぎる……!) 「ご主人様?」 「あっ、うん、大丈夫! さすがだねアヴィ! すごいね!? また腕を上げたんじゃ……!?っていうか、これでまだブロンズランクとか、ギルドの目って節穴っていうか……いや、アヴィはもうなんか、規格外すぎて、逆に認定できないとか!?」 完全に動揺して、褒めてるのか焦ってるのか分からない俺に、アヴィはふっと微笑んだ。 「……ご主人様が知っていてくだされば、それだけで充分です」 その穏やかな声に、鼓動が跳ねる。 (ま、また来た……! トゥンクが……トゥンクが止まらない……!!) トゥンク(心臓)×トゥンク(乙女回路)=今世紀最大の動揺。 (落ち着け、俺……! 俺は保護者……! この子たちの保護者なんだ……!!) (俺は「YESショタ!NOタッチ!」の民!! 健全な関係を尊ぶ者……!! 理性ぃ……戻ってこい!!) そんな俺の決死の自己暗示もむなしく、アヴィは静かに、けれど確かに距離を詰めてくる。 「……ご主人様」 「……っ、な、なに?」 「……これを」 アヴィは小さく笑って、そっと俺の手に薬草の入った袋を渡した。 (……やばい、俺もうほんとにだめかもしれない) 「……持ち帰れる素材だけ、回収しましょう。運が良ければ幻香胆《げんこうたん》。あとは皮と牙くらいが限界です」 背後に歩み寄った俺に、いつもの微笑みで続ける。 「このサイズは解体に時間がかかります。ギルドに報告してる間に、肉だけ持っていく連中もいるでしょうし……。まぁ、それはそれで、もう仕方ありませんね」 そう言って肩をすくめるアヴィの手は、すでに器用に皮を剥ぎ取り始めていた。 戦闘よりも何よりも、よっぽど危険なのは――アヴィのあの笑顔だった。 俺の頭の中では、またしても“トゥンク”の警報が鳴り響いていた。 剥ぎ取りを手伝おうとしたが、アヴィにやんわり断られてしまった。 (……まぁ、俺がやったらガタガタで価値が下がるかもな) 一通りの作業を終えたアヴィは、静かに立ち上がると、近くの乾いた地面にしゃがみ込む。 そして、血のついた手をさらさらの砂にこすりつけた。 「……綺麗な水源があればよかったんですが、今はこれで」 そう言ってふっと笑ったアヴィの指先は、まだうっすら赤く染まっていた。 「少し休憩しましょうか」 そう言って、アヴィは大きな木の根元に腰を下ろした。俺も隣に腰かける。 ……って、俺ほとんど何もしてないのに、いいのかこれ!? 慌ててポーチをまさぐり、持参してきた干し肉を取り出してアヴィに差し出す。 「はい、食べて。俺の分もあげるよ。というか、俺何もしてないし腹減ってないから……」 アヴィは一度だけ瞬きをすると、無言で干し肉を受け取り―― そのままかぷっと一口、齧った。 と思ったら、すぐに半分に裂いて、咥えてないほうを俺の目の前に差し出してくる。 「……あ、ありがとう」 断る間もなく、俺はそれを素直に受け取った。 するとアヴィは目を細めて、ほんの少しだけ、いたずらっぽく微笑んだ。 (……え、なんで今笑ったの!? 俺、なんか変なこと言った!?) 内心ざわつきながら、渡された干し肉をかじる。 静かな休憩の時間――の、はずだった。 不意にアヴィが口を開いた。 「……ご主人様は、ガウルさんのことをどう思ってますか?」 「――っ!?」 突拍子もない質問に、飲み込みかけていた干し肉が喉に詰まりかけた。 「けほっ……!? え、それは……ど、どうって?」 「単純な疑問です。信頼しているとか、尊敬しているとか、好きとか……」 アヴィは特に表情を変えず、にこりと微笑んでいる。けれどその笑みは、どこか静かで、目がまっすぐで、逃げ道がなかった。 (うわ、これ、完全に追い込み漁……!) 「いや、そりゃ信頼してるし、仲間だし、いいやつだとは思ってるけど……」 「“それだけ”ですか?」 アヴィのまっすぐな視線に、俺は返す言葉を探して口ごもった。 けれど、ふと――逆に、気になっていたことが浮かんできた。 「……そういうアヴィはどう思ってるの?」 「……僕、ですか?」 「うん。ほら、パーティーに入ったばかりの頃は、アヴィとガウルってよく一緒にいたじゃん?でも最近はなんというか……前みたいにあんまりつるんでない気がしてさ」 言い終えた瞬間、アヴィの表情がほんのわずかに――本当に、ごくわずかに揺れたように見えた。 「……そうですね。確かに、前ほど話すことは少なくなったかもしれません」 「やっぱり、何かあったの?」 アヴィは黙ったまま、手にした干し肉をじっと見つめる。 そして、ぽつりと呟いた。 「……仲良くすることが得策ではないと判断しただけです」 「え?」 「ご主人様の隣にいるためには、ガウルさんとは“同じ立ち位置”ではいられませんから」 アヴィはそっと微笑み、穏やかに目を細める。 「僕は、欲しいものを見誤るつもりはありません」 「それって――」 言いかけたその瞬間、 「ユーーーマーーー!!」 森の奥から、元気いっぱいなクーの声が響き渡った。 あまりに突然の大音量に、鳥が一斉に羽ばたき、静寂が吹き飛ぶ。 「……あっ、タイミング最悪……!」 俺が苦笑まじりにそう呟く横で、アヴィはふう、と小さく息を吐いた。 けれど、目元はどこか名残惜しそうで―― 「……続きは、また今度にしましょうか」 そう言って立ち上がると、アヴィは落ち着いた足取りで、声のする方へと歩き出した。 「ブルファングの素材、一部は回収しました。重いので、運搬はお願いできますか、ガウルさん」 その声音に、誇示も、皮肉も、勝ち誇りすらない。ただ淡々と、事実を述べるのみ。 けれどだからこそ、それが逆に――“ご主人様を無傷で連れ帰るなど当然”という、無言の宣言のように聞こえた。 (うわ、逆にこえぇ……!) 俺が心の中で震えている横で、ガウルは一拍の間を置いてから短く答える。 「……ああ」 何がどうとは言わない。でも確かに、男と男の何かがぶつかった気がした。 (あれ……? 俺、この子たちの保護者だったよね?) 脳内で“保護者モード”の俺がよろける。 (いや、待てよ……ガウルもアヴィもクーも、こんなに強かったら俺要らなくない……? むしろ保護されてるの、俺じゃない!?) ――俺の中の「保護者」の定義が、今まさに、ゲシュタルト崩壊しようとしていた。 そんなふうにぐるぐる思考が混乱していた、そのときだった。 「ユーマ、おなかすいたー!」 どこからともなく、クーがぴょこんと俺の隣に現れた。 目をきらきらさせながら、まっすぐにこちらを見上げてくる。 「あ、干し肉少しだけあるよ。食べる……?」 「うん、やったー!」 その無邪気さに、心の中で何かがふっと溶けた。 (……そうか。保護者って、ただ守るとか、守られるとかじゃない。 こんなふうに、隣にいて、寄り添うこと――それで、いいのかもしれない) 干し肉を渡した時、クーの手のひらが赤く染まっているのが、目に入った。 「ちょっ、クーそれ……! まさか星影草の棘!? 触っちゃったの!?」 「あれー……? わかんない!」 本人はまったく気にしていない様子で、あっけらかんと笑っている。 (え、笑ってる場合じゃないから!?) 「もう……ほら、手、貸して」 俺は慌ててしゃがみ込み、クーの小さな手を包み込むようにしてヒールをかける。 するとクーはそのまま、ふいに俺の首に腕を回して―― 「ユーマ、抱っこ!」 「ええぇぇえ!?」 唐突すぎるスキンシップに俺がフリーズしていると、すかさずアヴィが横からクーを引きはがそうとする。 「クーさん、ダメです。湿地です。足元が不安定なんですから、自分の足で歩いてください」 「だって、ガウルずっと怒ってた。オレ、やっぱユーマがいい」 「……別に怒ってないだろ」 「怒ってる! オレわかる!」 「だからって抱っこはナシです!」 「アヴィのケチーーー!」 ぶすっと頬を膨らませるクーに、アヴィの眉がぴくりと動く。 「それに、ご主人様に抱きつくのは、許可制です」 「……いつからそんな制度できたんだ?」 ジト目のガウルがぼそっと突っ込むと、アヴィはすかさずぴしっと背筋を伸ばして答えた。 「今、この瞬間からです」 即答。 ガウルはため息、クーは「え〜〜」と不満顔、そして俺は―― (なにこの空気……!) 収拾のつかないやり取りに、俺はただ苦笑するしかなかった。 結局、クーはしぶしぶ歩くことになり、アヴィは相変わらず厳しくて、ガウルは呆れながらもフォローに回ってくれる。 相変わらず、俺の理性は試されっぱなしで、ツッコミが追いつかない。 ――けど。 こんなふうに、誰かと笑い合って、からかい合って、時には守ってもらって。 そんな日々が、いつの間にか当たり前になってた。 (……なんだかんだ言って、俺、今すごく幸せだな) ふと見上げた空は、木漏れ日越しに揺れていた。 優しい風が吹いて、湿地の森に、小さな音を運んでいく。 俺たちはまだ知らない。 このあと訪れる出来事が、この“当たり前”を大きく揺るがすことになるなんて。 でも今は――ただ、このぬくもりの中に、身を委ねていたかった。

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