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第74話 赤髪の聖女⑬

 アルケイン王国への帰路につく馬車の中、俺はミシェル王子に向かって、神に縋りつく巡礼者みたいに両手を合わせていた。 ​ 「ほんっっっとに助かりました!! 神様仏様王子様、三柱まとめてありがとうございます~~!!」  必死の感謝に、ミシェル王子は控えめに目元を緩め、上品な苦笑を浮かべる。  「そんな、感謝されるほどのことではありませんよ。……ただ、少し気の毒ではありましたね?」  その“情”に水を差すように、アヴィがぴしゃりと斬って捨てた。  「いいえ。しょせん“聖女”など、でっち上げられた偶像に過ぎません。むやみに期待を抱かせる方が、むしろ酷でしょう」  「そう、なのでしょうか。……それにしても、驚きました。ユーマさん、今朝はどうして聖女に扮していなかったんですか?」  無垢な14歳の瞳に見つめられ、俺は完全にフリーズした。  (む、無理……!! このピュア王子に、“アヴィの暴走でコルセットと服が同時に爆散しました”なんて言えるかぁぁ!!)  「あの……それは、色々とのっぴきならない事情がありまして……っ」  俺が必死に曖昧な笑みでごまかそうとしたその時、隣のジョバンニ氏が、慌てて王子の耳にそっと顔を寄せ、何やら小声で囁く。  囁かれた瞬間──  ミシェル王子の頬が、桃みたいにみるみる赤く染まっていった。  「……っ、え、え……? あ……!?」  王子は耳まで真っ赤に染め上げ、目を泳がせながらしどろもどろに視線をそらした。  「そ、その……すみませんでした……!」  (じょっ、ジョバンニさん……!?  王子に一体ナニを吹き込んだんですかーーッ!?)  馬車の中には、瞬く間に“気まずさ”が満ちる。  顔を真っ赤にして俯く王子。  同じく俯きながら、じわじわ耳まで熱くなる俺。  その気まずさの渦中で、目を閉じて沈黙することしかできないジョバンニ氏。  ──ただ一人。  アヴィだけが、優雅に脚を組み、肘掛けにもたれ、ひたすら機嫌よさそうに窓外を眺めていた。  ***  その日の夕刻。ようやくヴェスタリアとアルケインの国境へ辿り着いた。まだ行程の半分ではあるが、腰も足裏も痛くないのは救いだった。  馬車は、まずヴェスタリア側の厳重な関所へと差し掛かった。  関所前は、往来の行商人や巡礼者でごった返しており、馬車を降りて並ぶ長蛇の列が蛇のように伸びていた。衛兵は書類照合や荷物検査に手を焼き、ぐったりしている者までいる。  ところが、先導の白騎士兵が掲げるグランウェル王家の紋章、そしてミシェル王子の外交専用馬車を示す特別旗。  その二つを認識した瞬間──  関所の衛兵たちの顔色が文字通り変わった。  「王家の御一行だ! 道を開けろ!」  「立ち止まるな、最優先で通す!」  まるでETCどころか、王族専用のワープゲートでも発動したかのように、列は割れ、馬車は悠々と最前列へ誘導された。  (すご……これが“王族の暴力”……!)  一般の旅人が不満げな目でこちらを見ていたが、俺はそっとローブのフードを深めにかぶり直す。  ヴェスタリア側の関所を抜けると、短い中間地帯を通り、そのままアルケイン王国の関門へ。  こちらはさらに厳戒態勢で、城壁の上から矢番えた弓兵がこちらを監視していた。  ……が。  王家の紋章とミシェル王子の姿を確認するやいなや、アルケイン側の衛兵たちも即座に敬礼し、門を開いた。  アルケインの関門を完全に抜けた瞬間、胸の奥に張りつめていた緊張が一気に緩む。  「は〜〜っ!! 帰ってきたぞ、アルケイン王国!!」  思わず叫び、馬車の中で思い切り背伸びした。  身体の隅々から「ああ〜祖国〜〜!」という安堵が漏れ出していく。  そして視線を窓の外へ向けた瞬間、胸の奥がぐっと跳ねた。  見慣れた集団が、広い平原のど真ん中で焚き火を囲み、なにかの肉らしきものを豪快に串ごと炙っている。  ゆらめく炎に照らされたその光景に、思わず俺の目が見開かれた。  「あれは……!?」  馬車が近づく気配を察したのだろう。  次の瞬間、焚き火の輪から――聞き慣れすぎた、そして妙にでかい声が、風を切るように飛んできた。  「ユーーマーー!! おかえりーーーー!!」  遠慮? 格式? そんなもの、あいつらの辞書には最初から存在しない。  馬車の窓越しでもはっきり見える――全力で手を振るチビたち。その横で、クーが肩を揺らして笑い、ガウルが焚き火の番をしている。リィノもライトもリーヤまでもが揃って、まるで祭りでも始まるみたいに賑やかだ。  ただただまっすぐで、悪意がひとかけらもない……心の底からの、全力の歓迎だった。  「……ちょ、あいつらなにしてんだ!?」  「察するに、ご主人様の帰りが待ちきれなかったのでしょう。……まったく、困った方々です」  アヴィは呆れたような言い方をしたが、その声の奥に、わずかな嫉妬と不満がにじんでいる。  「……降りますか? ご主人様」  「は? いや、そのためにわざわざ馬車止めてもらうわけには――」  「僕たちは構いませんよ」  ミシェル王子が伝達用の小窓に手をかけるより早く、アヴィがすっと口を開いた。  その声音は、もはや騎士のものではなく、一方的な宣告だった。  「いえ、その必要はありません」  俺の腰を強引に抱き寄せると、今度は王子へ向き直る。  「殿下。これにて僕たちは失礼させていただきます。聖女様は完璧に役目を果たされたと、国王陛下にお伝えください」  「……えっ!? アヴィ、まさか……!?」  俺の抗議を、アヴィは見事なまでに無視した。  「では行きましょうか、ご主人様」  ミシェル王子の返事すら待たず、アヴィはドアのハンドルをつかみ、勢いよく開け放つ。  そして俺を片腕にしっかり抱えたまま――獣人らしいしなやかな跳躍で、地上へと飛び降りた。  「うわぁ〜ッ!!」  俺の叫びは、そのまま仲間たちの大歓声に飲み込まれていった。  「ユーーマーー♡ さみしかったよ〜〜♡」  アヴィの腕から解き放たれるやいなや、まるで弾丸のようにクーが飛びついてきた。  お約束の“抱きつき攻撃”。しかも今回は数日留守の反動か、いつもより三割増しで重い。  「ク、クー!! 死ぬ……!! まだコルセットの方が優しく感じる……!!」  ぎゅうう、と潰れゆく肋骨。俺の悲鳴などお構いなしに、クーは顔をすり寄せてさらに力を込めてくる。  「だって……ほんとに寂しかったんだもん……♡」  「言ってることは可愛いけど! 力! 力だけは調整してくれぇ!!」  「……あと半日くらい待てなかったんですか?」  アヴィが呆れ顔で問いかけると、ライトは犬歯をチラッと見せ、いつもの屈託のない笑みで即答した。  「リーヤが、ユーマとアヴィがいなくて淋しいって言いだしてさ。それで皆で迎えに行こうってなったんだ!」  その瞬間、いきなり矢面に立たされたリーヤが「えっ!?!?」と素っ頓狂な声を上げ、顔を真っ赤にしてライトの背後に滑り込むように隠れた。  そして、背中からそっと覗き込みながら、  「……た、確かに……淋しいって言ったのは本当だけど……迎えに行こうって提案したのは、クーさんです……」  と、蚊の鳴くような声で暴露した。  「あ、バレた?♡」  クーは悪びれるどころか、むしろ誇らしげに胸を張る。  「でもさぁ、オレは“皆の総意”を代弁しただけだよ?♡だってガウルの機嫌、超やばかったんだもん。皆怖がってたからさ」  その瞬間。  肉を焼いていたガウルが、ギロッと振り向いた。  しかしクーは一切怯まず、むしろわざとらしく肩を竦めてウインクした。  「……ほらね♡」  アヴィは腰に手を当て、呆れたようにため息をつきつつも、どこか勝ち誇ったように口角を上げる。  「……なるほど。つまり“迎えに来た”というより、“ガウルさんの機嫌をなんとかしに来た”が正解ですね」  そしてアヴィは、わざわざガウルの目を見据え、その上で“丁寧に煽る”という高度な嫌がらせを発動した。  「すみませんガウルさん。ご主人様がいなくて寂しかったんですね。次は僕に、ニャスで勝てるといいですね」  ガウルの眉がピクリと跳ね、眉間の皺が1.5倍深くなった。  ま、マズイ……!!  ドラゴンを拳で黙らせる二人が本気でケンカなんかしたら――地面に直径50メートル級のクレーターができる!! とばっちりで近くの国境ごと吹き飛ぶ!!  そして、どさくさに紛れて――  バレンティン皇子が聖女捜索の名目で突入してくる!!  (やめろ!! 一番ややこしい奴を呼ぶなッ!!)  俺が今世紀最大の危機を前に胃をキリキリさせていた、その時。  ――ふわり、と出汁の香りが漂ってきた。  「ユーマさん、遠征お疲れ様でした! 皆で作った“ほうとううどん”です!」  振り向けば、リィノが湯気の立つ器を大事そうに抱えて立っていた。  その一瞬で、俺の中の崩壊しかけた世界がスッ……と落ち着く。  「……リィノ!! お前は……救世主だ……!! 今この瞬間、世界……いや、俺が救われた!!」  「ふぇ!? え、ええ!? ゆ、ユーマさん!?  な、なんの大事件が起きてるんですか!?」  「……いや、知らなくていい。ありがとな!」  俺は勢いそのままに器を受け取り、リィノの存在に心から感謝した。  そこへ、なにか得意げな顔をしたチビが胸を張って言う。  「兄貴! 味噌が切れちまって、味付けは塩だけっすけど……悪くねぇ味に仕上げたんでさぁ!」  見ると、平原のど真ん中に――  その辺の石を積み上げて作られた即席の炉。  上には堂々と鎮座する寸胴鍋。  さらにその横には、食材や調理器具、野営用のテントと寝袋(どう見ても俺サイズ)を積んだリヤカーまで。  「……お前ら、こんな荷物持ってわざわざここまで、相当大変だったろ」  そう言うと、チビは鼻の下を指で掻きながら、にかっと笑った。  「へへっ。“寂しかった”のは、ガウルの旦那だけじゃねぇってことで。兄貴がいねぇと屋敷ん中、火が消えちまったみてぇにしょぼくれてましたわ」  さりげなく放たれたその一言に、歯がゆさを感じながらも胸の奥にじんと沁みた。  立ち尽くす俺の背を、チビはぽんっと軽く押し、ガウルが腰を下ろしている丸太へと促す。  「……ガウル。留守中ありがとな」  腰掛けながら声をかけると、ガウルは何も言わず、手元の串焼きをこちらへ差し出してきた。  その仕草だけで、いろんな言葉を省略しているのがわかる。  「……丸く収まったのか?」  低く問う声に、俺は苦笑しながら肩を竦めた。  「まあ、なんとかな。途中は……さすがに胃が死ぬかと思ったけどな」  ガウルの焼いた肉に豪快にかぶりつく。  香ばしい脂が弾け、噛むたびに旨味が染み出して、思わず「うまっ」と口から漏れる。  続けて、湯気の立つほうとううどんをズズッと啜った。  その湯気の匂いに包まれながら、俺はヴェスタリアで起きた“事件”の顛末を語っていった。  ――ただし、バレンティン皇子の件だけは除いて。  もしガウルに話そうものなら、この寡黙な男はヴェスタリアにカチコミをかけに行く未来しか見えない。  世界平和のために、俺はそっと胸の奥へ封印した。  そうして気づけば、一つの焚き火を囲んで皆が輪になっていた。  ヴェスタリアの宮殿で出された、冷たい銀食器にちょこんとのった、見た目ばかりの料理とは雲泥の差だ。  丸太の椅子に腰掛け、豪快に肉を焼いてかぶりつき、湯気の立つうどんを啜り、温かいスープを飲む。  陽は沈み、平原はすっかり闇に飲まれていたけれど――  仲間たちの気取らない笑い声と、焚き火のぬくもりに満ちた赤い灯りだけは、まるでここだけ昼間のように明るかった。  「はぁ〜、うまっ! うどんも美味いけど、この肉もめっちゃ美味いな〜」  串の肉を豪快に噛みちぎりながら、誰にともなく訊ねる。  「ところでこれ、ブルファングなのか……?」  「「「……………………」」」  だが、誰からも返事がない。  もちろん全員が屍になっているわけじゃない。  マッスルたちは――なぜか揃いも揃って、気まずそうに口を噤み、そろって地面の一点を見つめていた。  (え、何その“全員で何か隠してます”の空気……?)  その時だった。  肉をもぐもぐと夢中で頬張っていたリーヤが、ぽそりと呟いた。  「……このルギド、おいしいね」  ――沈黙。  仲間たちのムキムキの肩が、ビクッと揃って跳ねる。  俺は、どっかで見たことのある展開にデジャヴを覚えつつ、リーヤに視線を釘付けにした。  「……リーヤ。今なんて言った?」  「え、え……?? ルギド、おいしいね……?」  「…………る、ぎ……ど……?」  「……あッ!! ち、違いますユーマさん!! こ、これブルファングです!! ブルファングのお肉です!!」  リーヤは両手をぶんぶん振って否定するが、周囲のマッスル達は揃ってさらに深く俯いた。  俺は串を握った手をプルプル震わせながら、隣のガウルに青ざめた声で問い詰めた。  「が、ガウル……頼む、教えてくれッ! この肉……“ルギド母さん”なのか!?!?」  ガウルは「それがどうした?」と言わんばかりに、ほんのわずか視線を寄越し、豪快に肉の塊をグツリと噛み潰すと、無心でもぐもぐ頬張る。  その無慈悲すぎる沈黙の肯定に、俺は全身を戦慄させた。  「……〜〜ッ!!」  そこで、チビが気まずそうに肩をすくめ、視線を彷徨わせながら小声で漏らした。  「……実は、兄貴が魔法学院に行ってる間……あっしらもルギドの解体を手伝ったんでさぁ。あのデカブツ、量が凄まじくて……。手伝った礼も兼ねて、でっかい塊肉を“持ってけ”って言われやして」  俺はチビの説明からゆっくり目をそらし、手元の串を見つめた。  熱々の肉片。滴り落ちそうな肉汁。香ばしい焦げ目。  ――ルギド母さん。  あの獰猛で荒々しかった魔物が、まさかこんな……ただの、いや、破滅的に美味しい肉片になるなんて。  脳内には、生前の凶暴な姿と、今噛み締めている弾力ある食感が高速で交錯し──耐えきれなくなる。  「……ありがとう、母さんッ!! 俺、母さんの分まで強く生きるからなァ!!」  涙腺が音を立てて崩壊し、俺は嗚咽を漏らしながらルギド肉に噛みついた。  こぼれた涙は、魔物への感謝と、肉のあまりの旨さが混ざり合った――なんとも複雑で、しょっぱい味がした。  こうして――“赤髪の聖女”騒動は、俺の腰と足裏とメンタルを犠牲にしながら、汗と涙と羞恥とカオスを抱きしめたまま、なんとか幕を閉じた。  ……一部を除いて。  ミシェル王子に呼び出されたのは、騒動が収束して数週間後のことだった。  宮廷魔術士としてのいつものバイトに戻ってホッとした矢先、彼から突きつけられたのは――ヴェスタリア神聖公国から届いた、厳重封蝋つきの外交文書。  内容は、あれだけ尊大だった態度が丸ごと別国のようにひっくり返った、下から土下座でもしていそうな文面だった。  『至高の聖女ユーリア様の再派遣を、心より、心より、心よりお願い申し上げます』  ……と、ここまではまだ外交文書としてギリ許される。  問題はその奥に、わざわざ“個人書簡”としてねじ込まれた文言だった。  『あの日、私は悟りました。ユーリア様の繊細にして神造的な骨格を再び拝見せずして、ヴェスタリアの外交は成立しません』  『貴女様がアルケインの風土を愛していると伺いました。ぜひ私の領地でも、その尊き風を吹かせてください。どうか。どうか……』  ……外交文書の皮を被った“狂信的ラブレター”である。  ミシェル王子は眉間を押さえながらため息をつき、俺に視線を向ける。  「……どうしましょう、ユーマさん」  「はは、あの……適当に“善処して”ください……」  その直後、アヴィが無言で文書をつまみ上げた。  「燃やしましょう、ご主人様」  「ちょ、アヴィ! 一応これ外交文書だぞ!!」  「いいえ。これはゴミです。  ゴミはゴミらしく塵となって消えていただきましょう」  俺が“赤髪の聖女”としての任務を終えたはずのこの国で、バレンティン皇子の狂気の執着と、アヴィの静かすぎる独占欲による水面下の攻防は、しばらく終わりそうになかった――。

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