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05 告白と、吹雪に閉じ込められて

本格的な冬が到来した日、ついに冊子が刷り上がった。 できたばかりのそれに、柊は顔を近づける。独特のインクの匂いがふわりと鼻先をくすぐった。 この香りを感じてようやく、ひとつの仕事が終わった気がする――そんな感覚を、ずっと昔から大切にしていきた。 パラパラとページをめくり、俊一のページで手が止まる。写真に写る俊一は、いつものような穏やかな表情でこちらを見つめていた。店のやわらかな雰囲気が伝わるよう、レイアウトも文章も何度も調整した。最近関わった仕事の中でも一番気合が入っていた気がする。 通常であれば、完成した冊子は郵送で済ませる。けれど今回は、どうしても自分の手で届けたかった。 (おはぎを買うついでに……ってことにすればいい、よね) そう自分に言い訳しながらも、冊子を手にした俊一の顔が見たくて仕方がなかった。 ちらちらと雪が舞いはじめた夕暮れ時。 柊は、andoの暖簾をくぐるべく、足早に街を歩いていた。 いつもは無造作に結ぶ髪を綺麗にハーフアップにして、 新しく買ったパープルカラーのセーターを身に纏うくらい浮ついている。 いつものように可愛らしい外観が、街の白さにほんのりと浮かび上がって見える。 だが近づいてみると、入り口には「CLOSE」の札がかかっていた。 「あれ……?」 今日は定休日ではないはずだ。戸惑いながら足を止めたそのとき、扉がカラリと音を立てて開いた。 「北村さん?」 現れたのは和装白衣の上から薄手のダウンベストを着込んだ俊一だった。 「あっ、こんにちは。今日、お店閉めたんですか?」 「そうなんですよ。今日、雪が積もるかもって常連のおばあちゃんに言われて。ちょっと早めに閉めてしまいました」 「そうだったんですね」 天気予報ではそんな話は聞かなかった気がするけれど――まあ、年長者の勘って、案外当たったりする。 「すみません、せっかく買いに来てくれたのに……」 「いえ、違うんです。実は、以前取材させてもらった冊子ができたんです。どうしても届けたくて」 そう言って差し出すと、南の表情がぱっと明るくなった。 「できたんやね!わざわざ届けてもろて、ありがとうございます。……なんや、ドキドキする」 ふっと口元が緩み、京都言葉が自然とこぼれる。 その声も笑顔も、あたたかくて、柊の胸の奥がきゅっと締めつけられる気がした。 「…よかったら、少し寄っていきません? 時間が空いたので、試作品を作ってたんです。よかったら食べていってください。……お天気も、すぐには崩れへんと思いますし」 「え、いいんですか? 食べてみたいです……って、僕いつも南さんにごちそうになってばかりですね」 「ええんです。僕がしたくてしてるんです。……さあ、寒いですから、入りましょ」 俊一の言葉に、胸が少しだけ高鳴った。 なんだか彼にとって特別な存在であるように勘違いしてしまう。 はやる胸を落ち着かせて、ともに中にはいった。 * 「ここで待っとってください」と言い残し、俊一は奥の厨房へと姿を消した。柊は言われるがまま、カウンター席に腰を下ろす。 閉店後の店内は静かだった。 聞こえるのは、遠くから時折聞こえる車の音と、かすかな調理の物音だけ。ほんのりと漂う甘い香りが、心地よい。 やがて、小さなお盆を手にした俊一が戻ってきた。 「お待たせしました」 「ありがとうございます……わ、綺麗……」 目の前に置かれた器の上には、淡いブラウンのやさしい色合いのおはぎ。その上には、黄色い餡を絞った花々が美しく咲いていた。 「味は、食べてみてのお楽しみです」 どこかいたずらっぽく微笑む俊一に、柊もつられて笑ってしまう。 「いただきます」 はやる気持ちを抑えながら、ひと口。ふわりと広がる餡の甘さに、深みある茶葉の風味が重なり合う。その奥に、すっと抜ける爽やかな柑橘の香りが、ふいに鼻をくすぐった。 (……これって) 「これ、紅茶?いや、レモンティー……ですか?」 「すごい、北村さん、大正解!」 嬉しそうに目を輝かせる南。 「びっくりしました……今までにない組み合わせが新鮮で。でもとても上品な味です。すごく、美味しい」 驚きと美味しさに、自然とテンションが上がる。 和菓子って、こんなにもおもしろいものなんだ。 「そう言ってもらえて嬉しいなぁ。北海道で紅茶を作っている方と知り合いになったんですよ。それがきっかけで茶葉を分けてもろて。それをパウダーにして……」 そう話しながら、南はおはぎの試作品について熱心に語り続ける。まっすぐで、誠実で。 何かを好きだという気持ちに満ちたその横顔が、まぶしくて仕方なかった。 ああ、こんなにも素敵な人がこの世界にいるなんて。 気づいたときにはもう、胸の奥からことばがこぼれていた。 「……好きです」 ぽつりと、言うはずの無かった4文字。 「……え?」 俊一が目を瞬かせた。 その瞬間、柊の視界が真っ暗になった。まるで、頭上からカーテンを引かれたように、音が遠のいていく。 (――やってしまった) 込み上げる後悔。止まらない動悸。 何か言い繕おうと口を開くが、声にならない。 「あ、いや……その……」 言葉は上手く出てこないまま、がたんと椅子を鳴らして立ち上がる。 額には冷や汗。視線を合わせることもできず、ただ逃げ出したくて――。 「すみません。……っ、帰ります」 慌てて荷物を持って扉に向かう。一刻も早くこの場から消え去りたかった。 「……は?」 扉を引いたその先は、さっきまでとまったく違う景色だった。視界いっぱいに、雪が舞っていた。風は強く、白が横殴りに吹きつける。道路の端がすでに見えなくなっている。 「……うそ」 柊が思わず息を呑む。 常連さんが言ってたことは正しかったんだ。 「北村さん、危ないから。中に入り」 背後から声が飛ぶ。振り返ると、彼が急ぎ足で近づいてきて、柊の手首をそっと掴んだ。 「で、でも……」 「ええから!」 有無を言わせぬ口調。 そのまま俊一は扉を閉め、柊の身体を店内へと引き戻した。 そして、冷気とぬくもりの境目で立ちすくむ柊の身体を、そっと包み込んだ。 「南さん……」 「さっきの」 遮るように南が続ける。 「さっきの“好き”って、菓子のことですか? それとも……俺のこと?」 「あ……」 一瞬、逃げ道が見えた。 お菓子のことだと、そう言えば全部丸くおさまる。なかったことにできる。 けれど、その言葉が喉を通らなかった。 俊一の目がまっすぐすぎて、嘘をつかせてくれなかった。 「……あなたのこと、です。南さんが、好きです」 その言葉に、俊一が小さく息を吸った。 けれど、拒絶の気配はどこにもなかった。 「……嬉しい。僕もあなたが好きです」 静かに、だけどはっきりとそう告げられた。 「うそ……」 「うそじゃないよ」 そう言われても信じられない。 「……さっき、食べてもらったおはぎ、あれ、北村さんをイメージして作ったんですよ」 「え、僕?」 驚きで、言葉が詰まる。あんな素敵なおはぎが自分をイメージして作られたなんて信じられない。 「あんなに丁寧に仕事に向き合ってて、どこか儚くて、でも……おはぎを食べてるときの顔がとても無邪気で。取材の時から、惹かれてました」 正面から、まっすぐに。 向けられた言葉はあまりにも真っ直ぐで、息が詰まりそうだった。 どう反応すればいいのか分からない。 嬉しすぎて、でも実感がなくて——まるで夢の中にいるみたいで。 理解が追いつかないまま、柊はただ俯いた。 その肩を、そっと俊一の腕が抱き寄せる。 腰に触れた手のひらはやけに熱くて、その体温だけで胸の奥がざわついた。 「北村さん。この店の二階……住居なんです」 「……そう、なんですね」 「今、外に出るのは危ないから。……吹雪が止むまで、ここで休んでいきませんか。一緒に」 俊一の熱っぽい瞳が、そっと柊の奥を覗き込んでくる。 「……はい」 その返事を合図に、ふたりは見つめ合った。 やがて、吸い寄せられるように、唇が重なる。 深く、あたたかく、確かめ合うように。

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