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「カラフルノヴァの佐々山です。 本日は弊社まで来ていただきありがとうございました」 「暑木林出版の塩野です。 こちらこそ、お時間を割いていただきありがとうございます」 「同じく立花です。 本日はよろしくお願いいたします」 今朝レイチェルの突然の訪問がありながらも、俺は通常通り仕事をこなしていた。 今日は塩野に同行して、優成の会社である株式会社カラフルノヴァに来ている。 ここは営業部の隅に設けられている長机が1つ入るほどのブース。 そこで顔合わせ兼打ち合わせをしている。 営業の佐々山さんは同年代の綺麗な女性だ。 もらった名刺も広告代理店らしく、個性的なデザインが施されている。 話をしているだけで優秀さが伝わってくるような人だ。 そのおかげか、打ち合わせは20分ほどでまとめることができた。 「次回は試作品を持ってきますので、いつ頃だとご都合よろしいですか」 塩野が次回の打ち合わせについて聞いていると、佐々山さんがスマホを取り出した。 「そうですね、高藤にも確認取りますので…………あ、戻ってるみたいなんで、今ちょっと聞いてきますね」 そう言って佐々山さんは打ち合わせブースから出ていった。 佐々山さんがいない間にタブレットを開こうとしていると、横にいた塩野がニヤニヤと小声で俺に話しかけてきた。 「先輩、せーんぱい」 「ん?なに?」 俺が反応すると、塩野は椅子を俺に近づけて コソコソと話を続けた。 「先輩、この辺に新しくできた店あるんすよ」 「…………塩野、ここでその話はするな」 俺は塩野をジトっと睨みつけた。 こいつが言ってる“新しいお店”とは、こんなところで話すようなお店ではないからだ。 塩野は一見爽やかな顔をした好青年だが、実のところ自他ともに認める重度の風俗マニアだ。 「まーまー、ちょっとぐらい聞いてくださいよ。 その店、浮気発覚3Pができるんです!」 「な、なに!?…………詳しく」 堪らなく興味を惹かれるワードを聞いて、一瞬息が止まりかけた。 そして今度は俺が塩野に耳を近づけた。 塩野が俺の耳に口を近づけ、さっきよりも小声で説明を始めた。 「ふふ……まず、女の子とエッチなことをしてると、一番盛り上がってきたときに、別の女の子が入ってきてちょっと修羅場になっちゃうんです」 「うん、それで?」 俺は頬を上気させ塩野の話を促した。 「そこからは、女の子たちが俺のちんこを取り合いながら、グチャグチャの3Pに突入っす」 普段爽やかな塩野が、ここぞとばかりにゲスい笑顔を向けてきた。 「…………グ、グチャグチャの、3ぴぃ」 資料を飛ばしそうな勢いで俺は鼻息を荒くしていた。 なに、そのグチャグチャの3Pって…… 女の子たちがちんこを取り合っちゃうの? おいおい、嘘だろ…… そんなの俺のユートピアじゃん! 「し、塩野……もっと俺に教えて……」 妄想を膨らませた俺は、頬を赤くしながらいつの間にか塩野に擦り寄っていた。 「お二人ともお待たせしてすみません、高藤連れてきました」 ブースの入り口から声がかけられ、慌てて顔を上げるとそこには、にこやかな佐々山さんと凶暴な鬼のような顔をした優成が立っていた。 「お、お世話になっておりまーす……」 俺の情けない声だけが、ブース内に虚しく響いた。 優成の氷点下の視線を浴びて、俺は慌てて塩野から体を離した。 何も悪いことはしていないはずなのに、背中から冷たい汗が流れた。 うるさい胸の音をごまかすように、俺は机の上を整頓し始めた。 「……では、高藤も戻りましたし、続きのご相談を」 佐々山さんの澄ました声で、空気が一気にビジネスモードへ切り替わる。 さっきまでの“グチャグチャの3P”妄想が、頭の中からシュウゥと蒸発していくのを感じた。 やばい……頭切り替えないと。 優成は俺に一瞥だけくれると、何事もなかったかのように椅子に腰を下ろした。 その無言の圧に、俺は条件反射で背筋を伸ばす。 ここで風俗の話はまずかったか…… 別に聞かれちゃ駄目な話ではないのに、俺は優成の背後に感じる鬼にただただ怯えていた。 ──この空気の中、打ち合わせは再開された。 「それでは、次回は二週間後ということで大丈夫ですか?」 優成が加わり日程調整がまとまったところで、佐々山さんがにこやかに手帳をめくりながら尋ねる。 「はい、その頃なら試作品も仕上がりますので」 塩野が、さっきまでのゲスい顔は微塵も感じさせないビジネススマイルで答える。 「じゃあ、高藤さんもその日空けておいてくださいね」 「……了解です」 優成は短く答えただけだったが、佐々山さんはその横顔を見て、ほんのり頬を染めた。 ──あれ……? 俺は一瞬、心臓がざわついた。 佐々山さんの熱い視線が、優成に向かっているように見えた。 俺と塩野に対する雰囲気と明らかに違う……。 「塩野さんたちと打ち合わせする前に、私と高藤さんとで詳しく打ち合わせしませんか? こちらで詰める部分もありますし……二人きりで」 「はい、わかりました」 優成は淡々と返事をするが、佐々山さんの口調には妙な熱がこもっている気がする。 ……二人きりで、打ち合わせ 俺は思わず視線を優成に向けた。 優成は何も感じていないような素振りでキーボードを叩いている。 別に何か後ろめたいことをされたわけじゃないのに、胸のあたりがチリチリと痛んだ。 「本日はありがとうございました。 では、またよろしくお願いします」 深々とお辞儀をして、俺と塩野は席を立った。 優成と佐々山さんとはその場で別れて、俺たちは会社の外に向かった。 入り口の大きな自動ドアを抜けると、空には黒い雲がかかっていた。 雨は降らない予報だったけど、傘持ってきたら良かったかな……。 「先輩、俺は他も顔出していくんで、ここで!」 塩野が爽やかに片手を軽く上げた。 「わかった。じゃ、また会社で」 俺は目の前の地下鉄に入る塩野を見送り、しばらくその場に立ち尽くしていた。 さっきの佐々山さんの視線を思い出すと、無性に胸がモヤモヤと落ち着かなかった。 別に、優成がモテるのなんて今に始まったことじゃない。 いろんな人と付き合ってたの、昔から知ってたはずなのに……。 ──なんだか、今は見たくなかったな いい加減、会社に戻ろうと思い足を動かしたときだった。 「世利!」 不意に名前を呼ばれて、俺はビクリと肩を揺らした。 振り返ると、会社の入口から出てきた優成が、ネクタイを緩めながら俺を見ていた。 「……優成」

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