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第1話 元ヒーローと口下手獣人
何故自分は今、指導すべき対象の後輩にいわゆる壁ドンをされているのだろうか。すっぽりと彼の体に収まるくらいには体格差のある彼を、旭ワタルは冷や汗混じりに見上げていた。
特徴的な瞳孔のある瞳は、どこか熱を帯びていて不覚にもドキリと心臓が跳ねる。
「お、落ち着けよシュン?その〜俺も迂闊だったよな!こういう誰が聞いてるかわかんないとこでヒーローだったやつがあんな話しちゃ良くなかったよな!」
「別にそれは良いんじゃないですか?」
「あ、そう?……ってそうじゃなくて!この体勢やめてくれないかね?」
それとなく腕を押してみるが、ピクリとも動かない。どんな力強さなのか、壁にめり込んでるんじゃないか?とワタルは少し思考を放棄する。
「……誰でも良いって言ってたじゃないですか。なら、オレでもいいって話ですよね?」
シュンの頬がいつもよりも赤く見えるのも、しっぽが微かに揺れているのも、酔っているせいだ。そうに違いないとワタルは自分に言い聞かせる。
「酔っぱらいの言うこと真面目に受け取るなよ」
「冗談に聞こえませんでしたよ」
ぐっとシュンは顔を近づける。
キスされる、とぎゅっと目を潰れば軽く息を吐くような軽い笑い声が聞こえた。
「ねぇ、ワタルさん。オレにしませんか?」
そっとその顔を覗きみれば、見た事のない挑発的な笑みを携えていた。
――――――
クールなヒーローっていうのは、きっと彼のためにあるような言葉なのだろう。
ワタルは、自分がサポートしていく新人ヒーローを見上げていた。
前髪の隙間から見え隠れする朝焼け、もしくは夕暮れのような瞳には、獣人な彼のベースである狼の瞳孔の特徴が見える。
顔は比較的……いや結構整っており凛とした精悍な顔立ちであった。正直、ワタルにとってタイプだ。だが、十は離れた後輩に手を出す気は起きない。
そもそもヒーローも芸能人に近いイメージ商売的な面もあるのだ。変なスキャンダルが流れたら終わりだろう。
そんな脳内のひとりごとをかき消すようにして、後輩に目を合わせる。
じ、っと静かにこちらを見つめる眼光はどこか自分を見定めるような温度がした。それが少しだけ居心地が悪い。
そもそも、平均身長ぴったりであるワタルから見て目の前の後輩は羨ましいと感じるほど体格に恵まれている。180は軽々と超えている身長に、がっちりとした筋肉質な身体。ワタル自身も他から見れば鍛えているとわかるが、それでも負けたと感じるほどだった。さすが、採用試験で首席合格なだけあるなと事前に貰った情報と照らし合わせる。
ヒーローって、こういう見た目も備えてるとやっぱりカッコよくて様になるよなぁ、なんて少し羨ましくなってしまう。現在32歳のワタルもヒーロー時代はどちらかと言うと親しみやすいヒーローを目指していたから、そういう点では彼は反対の方向性のヒーローになるのだろうか。まぁまずは彼がどんなヒーローになりたいか、聞く必要があるのだが。
「新人の神屋シュンくんだな。俺は」
「知ってる。旭ワタルだって。……オレが希望したし」
「え?そうなん?」
チラリと自分の隣にいるオペレーターの男――小金井に視線を向けると、ニコニコと面白がるような笑いを向けていた。コイツ、いくつか俺にあえて教えなかったな。
「ワタルさん、そういうの知ったら張り切って空回りそうだな〜って思ったからね」
バインダーで口を隠しつつ、ニヤニヤとした視線を向ける小金井の脇腹をちょいと小突く。大袈裟に痛!と騒ぐオペレーターは無視してシュンに向き直る。
「……首席合格の見込みのある奴が指導サポーターに俺を選んでくれて嬉しいよ。改めて元ヒーローの旭ワタルだ。これからよろしくな」
手を差し伸べれば、ゆっくりとその手を取られた。そして、あの瞳でまたじっと見つめられる。
「思ってたより、小さいな……」
「あ゙?」
握られた手に、思わず力が籠った。
コイツがカッコいいヒーローに向いていそうだと言ったな?前言撤回。コイツ、ヒーローとしては発言が最悪だろ!?
旭ワタルの暮らす場所は、人だけでなく獣人と言われる獣の特徴を持った者や、宇宙人といった様々なひとびとが存在している。しかし、数年前までは今よりもかなり治安が悪く、人も獣人も宇宙人も皆衝突しあっていたのだった。だが、その衝突にも黒幕がおり、数年前にワタルは仲間と共にその黒幕を打ち倒したのだ。ちなみに、その時のヒーロー仲間には現オペレーターの小金井もいた。
そこから早数年。当時は二十代であったワタルも三十代はとっくに突入し、現役ヒーローを引退した。体力的に厳しくなってきたことと、そしていつまでも大きな事件の黒幕を倒したヒーローという偶像のひとりとして自分が居続けるということは後輩の為にもならないと考えたからだった。
それなら直接後輩たちをサポートする存在でありたい。そう上に伝えれば、これまでの功績を鑑みて希望通りに後輩の育成のための指導サポーターとしての地位に着くことが出来た。サポーターとはいえ前線に限りなく近い所までは行くので、あまりこれまでと変わらないようなところもあるのだが。
新人ヒーローは一人前になるまで、指導サポーターとペアで行動を共にする。基本的には適正などが近いものが充てられるが、首席次席クラスとなると希望した者からサポートを受けることができる。そのシステムをシュンは利用したのだろう。
とはいえ、ワタルはこれまでそのような声掛けをされたこともなかったので、たまたま適正から選ばれたのだと思っていたのだが。
閑話休題。
挨拶と同時にいきなり小さいだのと煽られた俺を抑えるように、彼との間に小金井がぬっと入り込む。
「おっまえ、突然どうしたぁ!?念願の先輩だったんじゃないの!?ワタルさんも、あのーこいつ緊張してるみたいでね!初日だしちょいと大目に見てやってよ」
「緊張でそんなというか?てか一応俺平均的な身長だぞ。あとお前からじゃなくて本人からの弁明を聞かせて欲しいもんだけど」
小金井の横から顔を出し、シュンにキッと視線を向ける。すると存外彼の表情はそれまでの仏頂面よりも少し動揺したような色を見せていた。なんなんだ、その反応は。
「……不快にさせたならすいません。気付いたら口から出てて、迂闊でした。」
「口から出てた……」
思わず絶句してしまう。初対面の相手に対して失礼すぎるだろ、とワタルの中では怒りの火山がドッカンドッカンと噴火していた。
それでもこちらは十歳以上は大人だ、落ち着けとワタルは別の事に意識を向ける。隣では小金井が半笑いで依然抑えるように促すジェスチャーをしていた。絶対に今度奢らせてやるからなと軽く睨みつければオペレーターは少々縮こまった。
そんなやり取りを眼下に、シュンは小さく会釈のようなお辞儀をすると、また先ほどまでのような感情の読み取りづらい顔に戻る。
それを見ていると、なんだかコミュニケーションが苦手なのだろうかと改めて彼を見つめ直す。
よくよく見れば彼の立派な耳は少しだけ反省するように下がっているし、尻尾だって垂れている。顔に感情が現れない分、こちらで機嫌や心情をはかる方が最初はこちらも話しやすいのかもしれないななどと冷静にワタルは分析していた。
それはそれとして、小さいという発言は看過できないが。心が小さいと言われようが、それは先輩ヒーローとしてのプライドだった。
「なぁシュン。お前は俺を舐めてるとか、そういうんじゃないよな?」
「それはないっす。じゃなきゃわざわざ指名なんてしないんで」
じ、睨みつけるような鋭い眼光がこちらを貫く。なかなかの迫力に少しだけ身震いしながらも、そんな事がバレないように笑顔を作った。
「それにしちゃあ第一声として、さっきのは良くねぇなぁ」
「……はい」
「素直だな……まぁ素直なのはいい事だ。怪我がほぼ当たり前みたいな仕事だしな」
「色々見てきたんで、知ってます」
「まぁそうだよな。お前の年代が子供の頃が1番激しかった頃だろ」
「ワタルさんの全盛期ですか」
「その言い方だと、今がもう枯れたみたいな感じもするけど……まぁ1番頑張ってた頃だな!色んなとこに飛び込んでって……」
そんな昔話をしていれば、新人はぐいっと顔を近付けてくる。そして、そのまま確かめるようにじっと見つめられた。
「……なんだ?どうした」
「ワタルさんって、あんまり記憶力とか無かったり鈍感だったりします?」
つまらなさそうに、不躾にそうシュンは言い放つ。
空気が固まるとはこのことを言うのだろう。目の前の年下の新人ヒーローが何と発言したのか、ワタルは一瞬脳が思考を停止した。
シュンはそのまま、肩を落として残念そうに眉を下げていた。一瞬謝ろうか、という選択肢が浮かんだが、何故勝手に残念に思われなければならないのか。純粋に怒りが勝ってくる。
「おっまえ……可愛くねぇなぁ!?」
そんなふうに叫んだのが、彼と相方になった最初の日だった。
――――――
それからおおよそ一ヶ月が経とうとしている。
シュンは優秀で、教えたことはきちんと守るし吸収も早かった。
しかし会話は少なく、口を開いたかと思えば少々こちらにデリカシーの無い発言も多い。ヒーローとしてのフィジカル的才能の対価にコミュニケーション能力が削られたのだろうかと思うことでワタルはやり過ごしていた。
それでも鬱憤は溜まるものである。その日ワタルは小金井を連れてヒーロー連盟の本部から二駅ほど離れた飲み屋に来ていた。
「今日はお前の奢りだからな、小金井」
「え〜……まあ良いですよ。面白いもの見せて貰ってますし〜」
小金井は唇を尖らせて不満げなふりをするが、すぐにいつもの人懐っこい笑顔に戻る。シュンにもこれくらいの表情の豊かさがせめてあればとも思うが、アレは逆に鉄仮面気味なことが魅力的になっている面も否めないなと思い直す。
「面白いって……こっちは真剣に色々悩んでんだよ」
「まぁそうっすよね〜……あいつも俺と話す時くらい気抜けた感じでいたらいいのに」
「は?お前との時そんなに違うの?」
「違いますよ〜もっと面白……かわいい後輩って感じなんで。狼獣人っすけど、割と人懐っこい方だと思いますしアイツ」
「俺には懐いてないのに!?」
呆れたように息を吐いて、こめかみを抑える。そんな俺の様子を見ながら小金井は目を細める。ビールを一口飲み込んでから優しげな声があがる。
「アイツはワタルさんのこと嫌ってないし、ちょっと……いや、かなり不器用なだけですよ。何かきっかけさえあれば結構いいコンビになれると思いますよ?オペレーター兼友達歴の長い僕が言うんですから間違いないです」
ピッとこちらを指さして、自信満々に口を開けて笑う。
「まぁ、言うことは聞いてくれてるし。慣れたらマシになるかな……でもあの言葉選びは壊滅的だからどうにかした方が良いな」
「それもそうっすね。先輩だからいいけど、別のとこで万一出たらヤバそう……ま、その辺はワタルさん得意な気もするし適任なんじゃないすかね?」
「そんなとこ期待されても困るぜ……」
「大事っすよ。市民からの支持あってこそのヒーローで、親しみやすさナンバーワンだったんでしょ?ワタルさん」
「別名カリスマ性がない、いじりやすいってな」
「自己評価ひく〜い……僕はそういうワタルさんのとこ好きですけどねぇ」
「お前に好かれてもなあ……」
「あ!ちょっとちょっと、ラブじゃなくてライクの方なんだから喜んでくださいよ!」
「俺が今欲しいのはラブの方なの」
重苦しい息を吐く俺に、小金井は目の前の小鉢を差し出す。
「何、お情けでもくれる?」
「お疲れの愛すべきワタルさんにプレゼント」
「しょぼいプレゼント〜……お通しだろこれ」
不満を口にしつつ小鉢の中身を口に運ぶ。
「ワタルさんそんなに恋人欲しいならさっさと探して難しいこと考えずに付き合っちゃえばいいのに」
「そうとはいえ、顔がめちゃくちゃ割れてる元ヒーローだぞ。バレたらゴシップの餌でしかないって」
「そう言ってたら一生無理っすよ」
「……まぁあと、普通に恋愛経験ほぼなし処女のおじさんなんて色々と、重いだろ……」
「そうこう言ってたからなっちゃってるんですから……ヒーロー時代から真面目で自分より周り優先する人でしたけど、考え方までまだ見ぬ相手のこと気にしちゃおしまいですよ」
呆れたような目を向けながら、小金井は一言はっきりと告げた。
「……もうこんな色々抱えてるやつ好きになってくれるんなら誰でもいいよ」
「それは誰でもって言わないんだよワタルさん」
「俺的には譲れないんだよ。せめて俺の事好きでいてくれないと無理でしょ……まぁそんなのいるのかって話だけど〜……」
「…………いるっぽいけどねぇ」
ボソリと小金井はこぼしてまたビールを口にする。その視線はワタルの後ろに向いていた。
「いないいない、そんな物好き」
「案外近くにいそうだよ。あ、僕じゃないからね」
どこか生暖かい目を向けながら、ワタルの後ろを指さす。何事かと指を指している方向を見れば、驚いた顔のまま、シュンが固まっていた。
「シュン!?!?な、なんでここに……というか、今の聞いてないよな!?」
思わず立ち上がり、シュンの肩を掴んで揺する。そうすると硬直から解かれ、壊れたロボットのような硬い動きでシュンはこちらを真っ直ぐに見つめた。
見たことない表情と、目付きだとまず思った。戦闘中のそれと少し似ているが、それにしてはマイナスな感情は見られない。それに少しだけほっとするワタルがいた。
「……ひ、引いてない……か?」
少し震える声でそう問かければ、それに応えるよりも先に肩に置いた手をグッと掴まれる。
「小金井さん、ワタルさん借ります」
「返却不要だよ〜」
能天気にヒラヒラと手を振る小金井を睨みつける。この状況はなんなんだ。
「は!?ちょっとどういうつもりで……いや力強!?マジかよ」
「マジですよ。今しかないじゃないですか」
「何が!?」
抵抗しようとするがそもそもの体格差と年齢の前には元ヒーローは勝てないらしい。ズルズルと引きずられるように店を後にする。
飲みから帰るにはまだ少し早い時間、飲み屋の前の通りの人通りはまばらだった。シュンは周りをキョロキョロと見回しながらずんずんと進んでいく。待てには聞く耳を持つつもりはないらしい。
探していた場所を見つけたのか、シュンはやっと止まったかと思えば壁との間に挟み込むように手をついた。
壁ドンじゃないか!?などと固まっていたら逃げるタイミングを失ってしまう。ヒーローにあるまじき油断だな、だなんて少し思考を明後日に飛ばした。
そうして、冒頭に戻るのである。
――――――
「俺は!本当に誰でもいいんじゃないんだよ、舐めんな」
トン、と強めに胸元を叩くがシュンの意思は強いらしい。気にする素振りもなく口を開いた。
「知ってますよ。ワタルさんのことが好きな人でしょ?」
「……聞いてたのかよ、そこも」
「ぶっちゃけ最初の方から聞いてました。その条件ならオレは持ってるし、チャンスだって思ったので」
「……お前、俺の事好きなの?」
「はい。だから、他のやつに取られる隙を与える前に先手取ろうと思って」
しれっと語っているが、興奮しているように尻尾はブンブンと振り切れそうなくらいに揺れている。それに嘘じゃないのか?とまたワタルは焦る。
「だ、だとしても!流石に俺もお前くらい年下で、サポートする側の後輩を恋愛的に見るのは無理だよ」
「わかんないじゃないすか」
「……その自信はどこから来るんだよ」
「小金井さんが言ってました」
「あの野郎……」
拳に力を込めて、今度はちゃんとした焼肉を奢らせようと心に決める。
「……いきなり無理って言うなら、期限を設けましょうよ。お試し期間です。その間にワタルさんが無理ってなったんなら俺も諦めつきますし」
「俺のメリットあるか?それ」
「ヒーローとサポーターなら一緒に出かけたりしてても違和感無いですよ?恋人体験みたいなものです。経験値稼ぐつもりで。身バレとかそういう概念も、何らかの秘密が漏れるとかも無いですし。優良物件だと思いますけど」
「なんだか丸め込まれてるような……」
「必死ですよそりゃ」
「そうかい…………」
なんだか、もう抵抗するのも馬鹿らしくなってきた。酔いの回った頭では、上手く思考が出来なかった。いや、そもそも目の前の男は普通に好みなのだ。その時点でこの交渉に負けることは決まっていたのかもしれない。
「……俺がお前をサポートするのは1年だったな」
「……はい!」
「期限、一年もありゃお前は満足するか?」
「余裕っす」
そうのたまい挑発的に笑う顔は、非常に様になる美しさがある。それにグラりと来そうになる。
「一年、楽しみましょうね。ワタルさん」
今までで一番嬉しそうな顔をしながら応える彼に、落ちないで済む方法を回らない頭でワタルは考えるのだった。
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