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愛を叫べ
「俺の芝居の相手してくんね?」
やっとの忙しさを乗り越え、ひと段落ついたところで声をかける。突然のことに相手は目を丸くしたものの俺の言葉をすぐに理解し、呆れた目つきをしながらパソコンに視線を戻した。
「……別にいいが、お前いつから演劇をやるようになったんだ」
「あ、いやほら、営業とかでいろんな人と話すだろ。そん時のための練習……みてえな?」
「べらべらと余計なことばかり話す癖に、まだ話し足りないのか?」
相変わらずいちいちトゲのある言い方する奴だな。だから俺と違ってモテねえんだろーが。
と、言いかけたギリギリのところで喉に押し込んだものの、時既に遅し、顔に出ていたのか数秒黙った俺を睨みつけてから、急に立ち上がった。な、何だよ、と思わず後ろに身を引いたが、予想にも反して「まあ相手くらいはしてやる。そんなんで実績になるならこっちも願ったり叶ったりだからな」とだけ吐き捨てて鞄の奥に入れてあった弁当箱を持ってどこかに行ってしまった。
「お、おう……?」
まさか承諾を得られるとは思いもせず、うまく返答できなかった。しかし、その時点であいつは遥か遠く、廊下に向かって歩き出していた。
つーか去年、嫁さんと別れたっつってたのにまだ弁当なんか作ってたのかよ、あいつ……。それなりのプライドなのか、はたまた周りから抱かれている〝完璧な課長〟というイメージを崩したくない小心者故なのか……。俺にとっては小さいことをいつまでも気にしているな、くらいのことだった。まあ、無理もない。俺以外に離婚したことを知っている人間はいないのだから。むしろ、なんで俺だけに言ったのか……。
思えば、そん時も今みたいな昼休憩中に突然話しかけられたような……。その日はたまたま昼飯を外で食べており、用を済ませ、オフィスに戻ろうと廊下を歩いていたタイミングで、向こうからすっげえおっかねえ顔をしながら『ちょっと来い、話がある』とこちらの返事を聞かず腕を掴まれ、屋上に連れてこられた。最初は俺がミスったせいであいつへの気持ちがバレたんじゃねえかと正直、びくついていた。しかし、そんな心配を他所に廣瀬は煙草を吸いながらサラッと俺に〝カミさんと別れたこと〟を律儀に報告してきた。
「……いや、なんで?」
ゆっくりと自分の席に座りながら小さく首を傾げる。
同じ時期に入ったのにあいつは出世コースまっしぐらで〝課長〟とかいう偉い立場になった。歳は俺より十歳以上離れているし、最初の印象もまあ最悪だったわけだが話をしたり、一緒に仕事をしていくと何となく悪い奴ではないのだと理解できるようになっていた。むしろ、俺は俺自身と違ってすっげえ真面目に取り組むあいつの姿に好意を抱き始めていた。
ぜってえねえよ、あんな奴。なんて思い、社内の女性社員と付き合ったり、暇さえあればありとあらゆるコンパや合コンに参加してみたりもしたが、それでもどういう訳か、廣瀬を忘れることができなかった。それどころか常にあいつのことが気になって日に日に頭から離れられなくなっていた。でも嫁がいる相手を寝取るほど俺の性根も腐ってはいない。やり切れない想いをずーっと感じてきたわけだが……。
『まあ相手くらいはしてやる』
あいつの声が脳内に反芻する。いやいやいや、こんなに俺ってねちっこかったっか? 何だよ、結局諦め切れずに様子窺って四六時中、般若みてえな顔している廣瀬のことを考えてたってか。うえっ、それはそれで気持ちわり。
そんなこんなで俺はやっとの思いで決心をした。離婚したと聞いた時、思わずガッツポーズしそうになったのをグッと堪え、その反動をあいつに想いを伝えるためのパワーへと変えた。
変えた、変えた……のは、いいが……。
「お前のこと好きだっつってんだろ!」
何で俺こんな必死になってやってんだか。これだったらまだ忘年会とかで「好きです! 付き合ってください!」って叫んだ方がマシだっつーの……!
こんな状況も相まって、今更ながら「好きだ」と伝えるのがどんなに大変なことか思い知らされている。女性を口説くときは何度も「好き」だの「愛してる」だの軽々しく言うくせに、いざとなって好きな奴を、ましてや男目の前に「好きだ」と……何言ってんだ? 頭の中が真っ白になりながらも、口からは半ばヤケクソに言葉が出てくる。野郎に告白した経験なんざ、人生で一度もないに決まってんだろ。ある意味初恋だわ。
「もう少し抑揚をつけたらどうだ」
「え、あ、ああ……」
人の気持ちも知らないで、バカ真面目に演技指導してくださりありがとうございましたッ! まさか自分でも何も考えられなくって、咄嗟に「芝居の練習がしたい」なんて言うとは思ってもみなかった。我ながらどんな思考回路してんだよ。演劇経験なんざもちろんねえし、大体こいつもこいつでなんで疑いもしねえの? 会社のことになるとポンコツになんのか、てめえは。
「どうした。想いを伝えるのも仕事の一つなんじゃないのか」
心底真面目腐った顔で、与えられた皺一つない台本を膝の上で叩く。
……チッ。確かに俺が悪いんだけどよ……んな真剣に言われちゃあ、下心あんのが情けなくなってくんだろーが。それがてめえの良いところだけどよ……。
「あー……」
もう考えてもしょうがない。
どんなに堂々巡りしてもこいつを〝好き〟だと思う結論は変わらないのだから。
「お前のこと」
ええい、こうなったらヤケだ。
「お前のこと、ずっと前から好きだったんだよ‼︎」
一息吐いてから今度は、休憩室全体に響くほどの大声で叫んだ。言われた通り、抑揚をつけてみたり、時には慣れない方言で言ってみたり……。真剣に演技をした後、必ずと言っていいほど我に返る。ここまでの一連の流れが日課になっていた。だが、そんな日常にも少なからず変化があった。廣瀬も廣瀬で楽しくなってきたのか、初めの方こそ俺から声をかけることが多かったが、徐々に向こうから声をかけてくる回数も増えていった。
そんな〝練習会〟を続けていた、ある日──
「次はこれを言ってみろ」
律儀に用意してきやがったぞ、こいつ。
まさかの展開に脳が処理できず、「おいおい、バリエーション増やさなくたっていいんだよ」と眉間に皺を寄せて廣瀬を睨みつける。廣瀬は特段臆せず、自分のペースを保ったまま深いため息を吐いた。
「同じ言葉ばかり、しかも下手な演技を毎回見させられる俺の身にもなれ」
「下手なのは当たりめえだろ! こっちは素人だぞ!」
「だから持って来てやったんだろ。ちゃんと時間割いて調べてやったんだから感謝しろよ」
変なところに仕事魂宿すんじゃねえよ……! プロ意識芽生え始めてこいつ。もはや楽しんでねえか? 余計に思いながらもなんやかんやでありがたい〝気遣い〟に、俺の気が更に滅入る。それでもやるしかない。貰った紙に目を通すと想像以上に歯が浮くような台詞ばかりだった。どこからこんなの持ってくんだよ。意外とロマンチストな部分あんだな。廣瀬のパソコンの検索履歴に〝告白 台詞〟と残されているであろう可能性を想像すると思わずニヤケが止まらなくなる、のと同時にあり得ねえな、と仮定を掻き消した。
んなわけねえよな、こいつに限って。
「ぶつぶつ言ってないで早くやれ。やらないなら俺は戻るぞ」
「わーった、わーったから!」
わざとらしく咳払いをしてから少女漫画でしか言わないような台詞を発する。
「……『────』」
耐性がついたおかげか、そこまで恥を感じずに言えたのだが、反対にいつもならダメ出しをしてくる廣瀬は口を噤んで、沈黙を固く守り通していた。
「……ほれみろ。言い慣れてねえ台詞とかキャラじゃねえんだよ」
自分でも痛いほど理解していた。身の丈に合わないようなことは言うもんじゃない。
「……」
遅れて鳥肌がやってきたところで、いつまでも黙り続けている廣瀬に痺れを切らし始める。いつまで黙ってるつもりだ? いくら何でも長すぎね? んなに酷かったのかよ。ここまで静かだと、『聴いていられないほど酷すぎた』と断言してくれた方が幾分かマシだった。
「……おい」
「あ……いや、悪い」
「……は? それだけ?」
「つ、次いくぞ」
いや評価なしかよ。てか喋り出すタイミングくらい、俺に委ねろ。お前に主導権握られると調子狂うんだよ。頭を掻きつつ、心の中で毒を吐きながらも俺は言われた通り、次の台詞に目を通した。しかしこの台詞以降、必ずと言っていいほど廣瀬は数秒遅れて「……あ、ああ、そうだな」と反応した。そもそも勝手に用意したのはそっちだろーが。俺のためとはいえ。用意した側がノーコメントってアリかよ。
まあ、いい。付き合ってくれてるんだ、これ以上あんま文句言うのも良くねえなと気にしないフリを貫き通した。
◇
というか、全然気づかれねえなあ⁉︎
ここまできたら普通、疑うだろ⁉︎
どこまで鈍感だよ、こいつは‼︎
脳内の俺が地団駄を踏んでいると、組んでいた腕を解いて俺の元に近づいてきた。こいつ、ついに俺の脳内まで読めるように……⁉︎ んなバカな。
「少し休め。急ぎでもないだろ」
「あ」
「ああ……」と消え入りそうな声が俺の口から漏れる。いや、これまでにないくらいすっげえ急いでいる。いつも提出期限ギリギリの俺が、死ぬほどやりたいゲームのためにアドレナリン出しまくってるくらいには焦っている。……焦りすぎて自分でも何を言っているのか。とにかく早くこいつに伝えないと、今までの積み重ねが無駄になる。
当然ながら俺の気持ちを知るはずもない廣瀬は、ちょうどいいと言わんばかりに腰を上げて「お手洗い行ってくるから待ってろ」と机の上に台本を置いた。
「……ん」
いつだって待ちますよ、俺は。
……そういう意味じゃねえってわかってんのに何言ってんだ、俺は……。
自分で始めた物語とはいえ、ここに来て頭の中が混乱を極める。どっかで気づいてくれねえかな、と思う受け身の自分を否定し、やるしかねえだろと自分の頬を叩き、焚き付ける。ただ普通に「好き」と言えばいい。だが、確証が得られねえのはやっぱり……。
堂々巡りの中、あいつへの鈍さにも限界がきたようで、いくら嘘に聞こえていても、自分勝手だとわかっていても、いい加減気づいてほしい。その想いが強くなっていった。だからこそわかっている。最終的な答えは何度考えても変わらない、と。
「待たせたな」
後にも引けぬ、やりたい放題の自分が導き出した答えは当たって砕けろ、〝何がなんでも今日で決着を付ける〟これしかない。少女漫画みてえな台詞を引っ張り出してきてくれたおかげで、俺もいくつもの学びを得た。
「さあ、続きを……っ!」
トイレから帰って来た廣瀬の腕を引っ張り、壁に背を向けさせる。これが所謂壁ドンってやつか、と冷静に思う隙もなく、ただ俺の前にいる〝心の底から好きな奴〟に意識を集中させた。
「……」
で、これからどうすればいいんだ?
見切り発車の悪癖が、俺の首を絞める。勢いのままやったせいで、互いの鼻先がくっつきそうな距離感なのにも関わらず、ただじっと何もせずに相手と目を合わせることしかできない。そんな俺を不審に思いつつも、ゆっくりと状況を飲み込んだ廣瀬は、約束を破った俺に鋭い視線を向ける。言わなくてもわかる。『何やってんだ、お前』と。
「どうだ、いい歳したおっさんに壁ドンした気分は」
パニクって何も言わない俺に刺した目線を、今度は上から刺し直す。殆、お前には呆れの感情しかないと、圧をかけながら。
「俺は、演技には干渉しない。そういう約束だったはずだ」
「わ、わりい……」
なんとか反省の色を見せようと維持していた視線を、耐えきれずついに下に向ける。気分を害された廣瀬は大袈裟なため息を吐き捨て、そのまま軽蔑の目を変えず、俺に話しかける。
「大体、演技如きによくそんな真剣にやれるもんだな。もっと別のことにその熱量を持っていくべきなんじゃないのか」
お前が真剣に向き合ってくれたからだろーが。
掌に、握り締めた指先の爪が深く食い込む。
お前にしかやってねえから、ここまで真剣にやってんだよ。
「演技なんかじゃねえ……! 好きな奴の前じゃなきゃ、ここまで真剣にやるわけねーだろーが……! 俺は、何事にも真面目に取り組むお前が好きなんだよ!」
……ん? 余計なことも口走ったか?
待て待て、台詞の言い過ぎで口が回るのなんのって……。そうやって誤魔化そうと掴んでいた両手を勢いよく離すも、むしろ廣瀬は怒りの表情を消して観察するように俺のことを見つめていた。
「……そうか、やっぱりな」
「……は?」
勝手に納得した廣瀬は口元を手で覆い、ばつが悪そうに視線を逸らす。さっきまで俺の体に穴が空きそうなくらい鋭い視線を突きつけてきたっつーのに何なんだよ。
ふと、指の隙間から頬の緩みが見えたのと同時に、さっきまで慌てふためいていた俺の脳は瞬時に〝理解〟へと切り替わる。わかった、こいつ素っ頓狂な声上げた俺をバカにしてんのか。だとしたら同じように睨みつけてやる必要があるが、そんなことよりも。
「おい、あんだけ恥ずかしい台詞言わせといて反応がそれかよ」
「勝手に口走ったのはお前の方だろ。それにそんなことしなくたって知ってる」
は?
「知ってるって何を」
「お前、俺が離婚報告した後『よっっっしゃあああ』って叫んだだろ」
あれ、俺、心の声ダダ漏れじゃね?
「こいつ何人の不幸喜んでんだ、ってムカつきもしたがよくよく考えたら仕事中俺の方だけずーっと見てたり、出先の土産で俺が好きなもんだけ別に買ってきたりして、『まさか』って思ったんだよ」
わかりやすすぎかよ。思春期の男子でも、んなあからさまなこと片思いの相手にやらねえってのに。
「しかも後半になるにつれてお前、俺と一緒に過ごす時間が増えて嬉しそうだったしな」
「くっ……!」
図星だから言い返せねえのがクソ腹立つな……! ニヤケ面して気色悪いったらありゃしねえが、今まで一度も見たことのない廣瀬の表情が見られて喜んでいる自分の単純さに余計、何も言えなくなってしまった。
「じゃあ尚のことわかっててなんで言わなかったんだよ」
「俺は別にお前のこと好きじゃない。そもそも芝居の練習に付き合えっていう話だっただろ」
ド正論噛まされた挙句、今サラッとフラれなかったか?
最初っから期待してなかったからいいけどよ……。
淡々と告げた廣瀬とは対極に全身の力が抜けてその場に座り込む。もうなんでもいいか。少しでもこいつと話す時間が増えて楽しかったのも紛れもない事実だし、普段では見られない一面とかも見られたしな。半ば無理やり自分を納得させ、最後の悪足掻きとして右手を差し出し、引っ張り上げてほしいと目でも訴える。
「悪いけど、手貸してく」
「なあ、お前今フラれたと思っただろ」
何を言い出したかと思えば、突然廣瀬は『何言ってんだこいつ』と言わんばかりに俺のことを見下す。いや、『何言ってんだこいつ』はこっちの台詞だが? 傷口抉るような真似して楽しいか?
「……今の文脈でそれ以外にどう解釈しようがあるんですか、課長殿」
嫌味ったらしく言う自分が無様で仕方がないが、もはや恥を捨てる覚悟で宙に浮いたままの右手を軽く左右に振る。なんだ、もっとハッキリ言ってやるってか?
「……いや、誤解させた俺も少しは悪いとは思うが」
珍しくボソボソと煮え切らない態度で廣瀬は視線を泳がせる。
「好きでもないが、〝嫌い〟でもない」
「……は? わかりにくいんだよ、ハッキリ言えや」」
「わかれよ、バカ」
おい、今、バカっつったか? 流れるようにバカっつったよな? さっきから何が言いてえんだよ、こいつ。いつもなら堂々と胸張って言い切る癖に今日の廣瀬はどうも調子が悪く、むしろこっちの調子が狂うレベルだった。
「わかるわけね」
と、全てを言い切る前にタイミング悪く、相手のスマホから昼休憩終了を知らせるチャイムが鳴り響く。目を丸くして唖然としている俺とは違い、慣れた手つきでアラームを切ると何事もなかったかのように「さて、仕事に戻るぞ」と口にした。
「お、おい!」
俺の気持ちはどうなんだよ、って聞こえるわけねえか。
いつも通りの仕事モードに入った廣瀬は、もはや聞く耳など持たなくなる。というかそういうオーラを出してくる。『俺の邪魔をしたら末代まで怨んでやるからな』……といった具合に。こうなってしまえばもはや為す術はない。潔く諦めて、流れのまま差し伸べた廣瀬の手を取って重たい腰を上げた。
あいつの少し後ろを歩いてオフィスに戻ると、後輩の結木さんが廣瀬のデスクの近くで待っていたのが目に入った。特段気にせず、自分の席に座り目だけあいつらの方に向ける。ああいうのの方が似合いそうだよな、と全く関係のない結木さんを巻き込むほど気分が沈んでいく。もはや仕事どころではない。
「課長、お忙しいところすみません」
「なんだ」
やはり仕事中に関係のないことを話されるのは嫌らしい。今のやりとりを客観的に見て、嫁さんが離婚したくなるのもわからなくはない気がした。なりふり構わず相手を敵みたいに扱うのやめろって……。
「この間お貸しした〝ラブストーリーの台詞集〟を返却していただきたいのですが」
「え」
「っ⁉︎」
今、なんつった⁇
「友人が小説家で是非とも今書いている話の参考にしたいから貸してほしいと」
「ちょっと待て、今は持っていない」
「あれ? ですが、笹原さんの演技指導を助けたいからと」
「おっ……お前、へ、変なこと言うじゃないよ……! いつ俺がそんな理由で頼ん」
動揺がすごすぎて狼狽えようがハンパないことになっている。
今までどんな部下の失態でも平常心を崩さず対応してきたのに、耳まで真っ赤にし、金魚のように小さく口をぱくぱくさせていた。さすがの俺もあんな廣瀬は見たことがない。廣瀬も廣瀬で結木さんに負けじと反論しようとするが、彼女は何のことかと気にも止めず、まるで追い打ちをかけるように話を続けた。
「お言葉ですが廣瀬課長、この間仰っていたじゃないですか。笹原さんに〝言わせたい〟台詞が見つかって感謝していると。しかもここのところ浮き足立ちながら休憩室に向かわれていましたよね? てっきり笹原さんの役に立てて嬉しいのかと思いましたが……。今見たところ役目を終えたように感じましたので」
「〜〜〜っ‼︎」
綺麗なほど暴露された。全ての事情を知った俺は涙が出るほど笑いが止まらない。項垂れていたのが嘘だったかのように席から颯爽と立ち上がり、そのまま廣瀬の肩に左腕を乗せた。
「へー、誰だったっけなあ? 『俺と一緒に過ごす時間が増えて嬉しそうだったしな』って言ってた奴は?」
「ここで演技の成果を見せんな……!」
こっわ。普通にしても子どもが泣き出すくらい怖い顔してんのに俺の一言で怒りを滲ませたせいか、穏やかな空気が漂っていたオフィス全体が一瞬で凍りついた。とはいえ、どういう意味かわかってしまった俺からすればむしろ愛らしいくらいだ。はあああ〜〜〜ん⁇ なあああるほどねえ⁇
「お前も俺のこと好きだったのかよ」
「うるさい! 微笑を浮かべるな! いいか、お前は黙って目の前の仕事を終わらせればいいんだよ!」
「おいおい、もう若くねえんだからあんまり怒鳴ってっと寿命が短くなって一緒にいられる時間が減るぞ〜〜〜?」
「お前っ……!」
さっきまで暗闇にいた俺は、都合よく全部忘れて光の中にいる。今となっては人生で一番と言っていいほど調子に乗っていると自認する。これで今日から俺も幸せまっしぐらってか!
そんな浮かれた俺を他所に、廣瀬は俺の左腕を勢いよく掴み、ギシギシと骨が鳴るほど強く握り締めた。小刻みに震えているが、そんなことどうでもいい。しかし何かを察知した周囲の人たちは『今日が笹原くんの人生最後の日になるかもしれない』と、反射的に耳を塞いだ。
え、ちょっ、な……。
「覚えておけよ、この野郎‼︎‼︎」
オフィスに、いやビル全体が揺れるほどの怒声が響き渡る。近くにいたはずの結木さんはいつの間にか距離を取って耳栓をしていた。い、いつの間に……。もちろん耳を塞ぐ暇などなかった俺はあいつの大声が反響とともに、ダイレクトに体の中に入っていく。愛があればなんでもいいと思ったが、さすがの俺も硬直する。
さよなら、俺の鼓膜……と別れを告げながら。
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