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【短編】宇宙に残した恋 ― 星暦二五三年【完結済】

白い霧のような星雲を越え、輸送船《アストラ》は静かに進む。  分厚い装甲を叩くのは、無音に近い宇宙。  その沈黙が、船内のわずかな機械音を際立たせていた。  足裏に伝わる振動。  耳の奥で響くエンジンの低音。  それは「いつも通り」の航行の証であるはずなのに、俺の鼓動だけは速すぎて、音の波を乱していた。  隣に立つのは、七歳年上のベテラン飛行士、アーク。  長い任務に耐えてきた背筋は、いまだ折れを知らない。  短く整えられた黒髪に、いく筋もの銀が混じっている。  それは宇宙線がもたらしたものではなく、三十三年という歳月が刻んだ証。  次の任務で引退する――そんな噂を聞いたとき、胸の奥が冷えた。  彼の背中を見続けたいと願っていたのに、その未来は長くないのかもしれない。  俺は二十六歳。新人飛行士として、初めての任務に就いたばかり。  必死に食らいつきながら、彼の軌跡を追いかけてきた。  けれど「憧れ」だけではない。  認めてしまえば引き返せない感情を、胸の奥に隠してきた。  窓の向こうには、青と銀の星雲が広がっている。  光の帯は遠くまで伸び、アークの横顔を淡く照らした。  その横顔を見ているだけで、喉が渇く。  心臓が高鳴り、握った拳がわずかに震える。  彼は視線を窓に固定したまま、静かに言った。  「……見ろ。オリオン腕だ」  指さす先に広がるのは、数え切れないほどの光。  散らばる星は無数の街灯のようで、けれど一つとして同じ輝きはない。  俺の視線は、星々ではなく、その横顔に吸い寄せられていた。  「きれいですね」  言葉にしてしまえば安っぽくなる。  それでも何かを返さずにはいられなかった。  アークの口元にわずかな笑みが浮かぶ。  その仕草一つに、呼吸が詰まった。 ◇  食堂の窓には、小さな惑星が青く光っていた。  人工重力の効いた床は安定しているのに、心臓は浮き沈みを繰り返す。  トレーを取るふりで、俺は彼の指先に触れた。  ほんの一瞬の接触。  けれど電流のように全身を駆け抜けた。  アークの手が止まり、瞳が俺を捉える。  その視線に射抜かれ、息が詰まる。  「……子どもだな」  低く漏れた苦笑。  そこに拒絶の色はなかった。  胸の奥から、堰を切ったように言葉があふれる。  「アークさん。俺は、あなたが欲しい」  言い終えた瞬間、空気が一気に冷たくなった。  船体の軋む音が遠ざかり、循環する酸素の流れすら途切れたように思える。  次の瞬間、手首を強く掴まれた。  背中が壁に押しつけられ、唇が重なる。  荒い呼吸が喉を奪い、全身が熱に包まれる。  「……こんなとこで言うな」  擦れる声が耳を震わせる。  人工重力が切り替わり、身体がふわりと浮いた。  アークの腕が腰を抱き、浮遊したまま絡め取られる。  重力を失った身体は、逃げ場をなくしたように彼に縛られていた。 ⸻  狭い個室。  照明を落とすと、窓の外には星の粒が流れていた。  冷えた宇宙の闇と、室内の熱が対照的に広がる。  アークの指が、インナーのジッパーをためらいなく下ろした。  布地が剥がれ、肌に冷気が触れる。  ぞくりと背が震え、その上から掌が重ねられる。  厚みのある温度が、ゆっくりと染み込んできた。  「……初めてか」  耳元に落ちる声。  「……はい」  吐息が熱に混じり、言葉は震えた。  指が腰をなぞり、深く沈んでいく。  狭い場所を押し広げられる感覚に、息が詰まり、喉から掠れた声が漏れそうになる。  「抑えろ。隣室に響く」  囁きと同時に唇が重なり、声は飲み込まれた。  圧迫と甘さが交互に押し寄せ、背中がシーツに擦れる。  痛みがかすかに走り、それすらも熱に変わっていく。  腰が勝手に浮き、求めるように彼の指を追ってしまう。  羞恥よりも先に、身体が覚えてしまう。  やがて指が抜かれ、代わりに硬く熱を帯びたものが押し込まれる。  入口が強引に広げられ、喉から短い声が漏れた。  「……っ、あ……」  胸を圧す衝撃に涙がにじみ、視界が星屑のように滲んだ。  深く突き込まれるたび、息が途切れ、視界が明滅する。  「離れるつもりは、ないんだろ」  荒い呼吸に混じる問い。  答えを出すより早く、腰を掴まれ、何度も突き上げられた。  痛みはやがて甘さに変わり、甘さは痺れに変わる。  脈打つ鼓動が重なり、意識は浮遊したまま星に溶けていく。  「……あ……く……」  名前を呼ぼうとした声は、涙と吐息に溶けて途切れた。  アークは俺を抱きすくめながら、奥へ奥へと刻みつける。  体温が混ざり、どちらの汗かもわからないほど濡れていく。  窓の外の銀河は冷たいのに、この狭い空間だけが焼けつくように熱かった。  波が押し寄せ、視界が真白に弾ける。  意識が散り、声も形も星の光に呑み込まれていった。 ◇  シーツに沈む身体を、強い腕が抱き締めていた。  荒い息が耳の後ろを濡らし、鼓動の余韻が互いの胸を叩いている。  無重力に似た浮遊感がまだ消えず、俺はただ彼に縋った。  ――離したくない。  この腕を、絶対に。 ⸻  最終日。  航行ログは規則正しく数字を刻み、輸送船《アストラ》は終着に向かっていた。  外の星雲は遠ざかり、窓の外には薄青い光が浮かんでいる。  だが俺の胸は、静まるどころかざわめきを増していた。  コックピットに一人で座り、星図を睨む。  無数の光の線が網目のように交わり、未来の航路を描いていた。  けれど俺の視線は数字を追っていなかった。  昨夜の熱が、まだ身体に残っている。  扉が開く音。  背後から近づく気配。  肩に置かれた掌は、機械よりも確かな温もりを伝えてきた。  「お前には、まだ見ていない星がある」  アークの声は穏やかだった。  けれどその奥に、微かな影が差しているのを感じた。  彼の未来は、もう長くない。  次の任務で引退する。そう決めている人間の声音だった。  「だからこそ、一緒に見たいんです」  俺は振り返った。  星図よりも眩しい瞳が、そこにあった。  昨夜の熱を知っている目だ。  すべてを抱きしめてくれた、あの視線。  アークはわずかに目を細め、ため息を落とした。  「……欲張りめ」  短い言葉。  けれどその一言に、救われた。 ◇  沈黙が続いた。  船体の振動と、互いの呼吸だけが重なっていた。  やがてアークが、窓の外を指差す。  「見ろ。二つの星が並んでいる」  漆黒の中に、明るい星が寄り添うように輝いていた。  双星――互いの重力で軌道を保つ、特別な星。  「どちらかが欠ければ、もう片方も安定を失う」  「俺たちも、そうなれるでしょうか」  問いかけは自然に口をついた。  アークは少しだけ笑った。  「お前はまだ若い。俺と違って、未来を選ぶ余地がある」  「その未来に、アークさんを入れたいんです」  胸が痛むほどの本心だった。  昨日の夜、身体で繋がったはずなのに、言葉にしてしまうと震えた。  アークは沈黙を長く落とした後、俺の頬に触れた。  指先が熱を残し、視線が絡む。  「……なら、星を追え。俺も追ってやる」  それは約束だった。  結ばれるという言葉よりも、ずっと重く響いた。 ◇  終着点が近づき、船体が振動を増す。  計器が光り、航行データが刻まれていく。  そのすべてを背景に、俺たちはただ見つめ合った。  星暦二五三年。  宇宙は冷たい。  けれど、ここにある未来は確かに温かかった。 ⸻

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