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第22話 静寂に潜む影
エレベーターの中は、重い沈黙に支配されていた。ミヤビもレイも、一切言葉を発することなく、そのまま庁舎を後にする。
晴人は、その痛いほどの静寂に頭痛がしてくるのを感じながら、通りに出たところで、「あのぉ…」と自ら口を開いた。
——ここで空気変えとかないと、息が詰まりそうだ。それより何より、急に強力なもののけが現れたら…俺、多分棒立ちになる…
「…再調査って一体どうやってやるんですか?餌を使って、もののけをおびき寄せるとか?」
晴人の言葉に、ミヤビが薄く笑みを浮かべるのが見える。感じが悪いことこの上ないが、まあそれは彼にとってのデフォルトだ。
「ついて来れば分かる、と言いたいところですが」
レイがこちらに背中を向けたまま声を発した。
「そうですね、今後のためにも軽く説明だけしておきましょう」
「あ、お願いします!」
この機を逃さんとばかりにできる限り大きく返事をすると、レイはそこでようやく、眼鏡に触れながら晴人と目を合わせた。
高層ビルの狭間から差し込む太陽の光が、まるで後光のように彼の体を覆っている。
「陰陽師として認められたばかりのあなたにはまだ備わっていないかもしれませんが、私やミヤビほど長くこの仕事を続けていると、ある『嗅覚』が働くようになります」
「嗅覚、ですか?」
「ええ、いわゆる『霊感』というやつですね。匂いで、もののけが近くにいるかどうか、分かるようになるのです」
「なるほど…じゃあその霊感を使って、もののけに接触するってわけですか?」
「はい。今回は私がすでに当たりをつけている場所があるので、そこへ向かうことになっています。ここから1キロほど離れた場所にある廃ビルです。どうやらそこを根城にしているもののけがいるらしく…実害も出ています」
「実害…」
そこで、ミヤビが口を開いた。
「人身被害が出てるってこと。つまり人が死んでるんだ。そいつにやられて」
——マジか。俺絶対行きたくないんですけどそんなとこ。
「生態も形態も能力も、情報はまだありません。しかし、かなり強力なもののけであることは確かです。ですから…」
「リードは僕と鴻巣さんで、君は見学要員ってとこ。最悪の場合命落とすかもしれないから、余計なことはしないで」
「あ、ああ、分かった…いや、分かりました」
晴人は頷きながらも、左肩に乗った百八の存在が重くのしかかってくるのを感じていた。彼が、ただの「見学要員」になっているところなど想像もできない。むしろ、ミヤビが言うところの「余計なこと」をしでかしそうな予感しかしない。
——ただでさえ、この前の俺とのエ○チで、力が有り余っているわけだし…
晴人は、本物の猫に言い聞かせるような口調で、肩の上の百八に話しかけた。
「聞いたか?今回はとりあえず、どんなもののけが出てきても大人しくしてるんだぞ」
「にゃ?」
とぼけているのか、それとも本当に状況が理解できていないのか、百八は真っ直ぐな目でこちらを見つめ、わずかに首を傾げる。
思わずその可愛さに全てを許してしまいそうになるが、恐らくこの顔は前者だろう。
——ああ、マジで頭が痛くなってきた…
晴人は、こめかみを抑えながら、やけに遠く見える二人の背中を追って、喧騒に賑わう街の中を歩き続けた——
***
「ここ…ですね」
人混みの中をしばらく歩き、繁華街を抜けて路地裏に入ったところで、レイが足を止めた。
見上げる先には、一軒の古いビル。かつてはテナントがいくつも入っていたのだろうが、もはや看板も朽ち果て、何が書いてあるのかすら読み取れない。
両隣にも同じような建造物が並んでいるが、確かにそのビルだけ、どこか空気が澱んでいるような気がする。
梅雨の晴れ間で、さっきまで顔を出していた太陽も、いつの間にか現れた暗雲に隠れて見えなくなっている。
——この雰囲気、初めて俺がもののけと遭遇したときの感じと似てる…
晴人が、そんなことを考えながら廃ビルを眺めていると、さっさと中に入って行こうとする二人の姿が見えた。慌てて彼らの後を追い、ひそひそ声で話しかける。
「あの…そんな正面から行っちゃって大丈夫ですか?もっとこっそり行かないとまずいんじゃ…」
すると、ミヤビがまるで軽蔑したような視線をこちらに寄越した。
「何を言ってるんだ?僕らの任務は、もののけと接触することだってこと、もう忘れたのか?ここで待ちぼうけしてても、時間の無駄だろう」
「ミヤビの言う通りです」
レイも、歩みを止めることなく、晴人に向けて言葉を投げる。
「それに、敵はもうとっくに気がついてますよ。私たちが自分を祓いにきたことにね。もののけを一度でも祓うと、特有の匂いがつくんです。奴らはまるで昆虫みたいにその匂いを嗅ぎ分けて、陰陽師を倒しにやってくる」
確かにそんなことを、百八も言っていた気がする。しかし、中にもののけが潜んでいることを分かっていながら、この薄暗い建物に平然と入っていく二人の気が知れない。
晴人は、まるで肝試しに怯える子供のように、自分の体が固くなってくるのを感じた。
——いつ襲われてもおかしくない。そんな状況が、こんなにも恐ろしいものだなんて…
ビクビクしながら辺りを見回していると、どの暗がりにももののけが潜んでいるような気がしてくる。
人間の去った建物特有の、黴と錆びの混じったような腐臭と独特の冷気が、晴人の皮膚を痛いほど刺激する。
「さ、作戦とかあるんですか?」
恐怖心を紛らわそうと、声をひそめて話しかける晴人に、再びミヤビとレイが冷たい視線を向けた。
——この二人、実は兄弟なんじゃないのか?
そのあまりにも似通った反応に、晴人は思わず内心でそう呟く。
「君は本当に理解が悪いね」
ミヤビが、そんな晴人を見下したような視線のまま、相変わらずの冷たい声で口を開いた。
「僕たちの目的はとにかく敵と接触して、少しでもカグラに関する情報を引き出すこと。もちろん、最終的に祓うことにはなるけど、まずはもののけに出てきてもらわなけりゃ話にならない。奴らをおびき寄せるのに、『作戦』が必要か?」
「まあ、初戦ですからね。理解力に難があるのはいささか不安ではありますが…ひとまず何も言わず私たちについてきてください。見ていれば、プロの仕事がどういうものか、自然と分かります」
二人は一方的にそう言うと、そのままくるりと同じタイミングでこちらに背を向け、すたすたと再び廃ビルの中を歩き始めた。その後ろ姿は、やはり血縁関係があるとしか思えないほどそっくりだ。
——ああそうですか、分かりましたよ…もう何も言いません
絶望に満ちた心境で二人の後を追う晴人の耳元に向かって、百八が囁いた。
「近いな、晴人。多分もうすぐ出てくるぞ」
「え?マジかよ」
「ああ、こいつは大物の匂いがする」
百八がそう言った瞬間——
ぽたり。
雨垂れのようなものが、天井から晴人の額に向かって落ちてきた——
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