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【桂馬と炎】短編:背が高いってずるいよな

「……なにしてんの?」  同じシャンプーの香りを携えた桂馬:(けいま)が、頭をざかざか拭きながら居間へやってきた。  なにしてるの……そうだな、これは言っちゃえば。 「戦争」 「は?」 「ちなみにまじ劣勢」    タッパーをぎりっと握りしめながら、敵の方を指差す。ぶんぶんやかましい、畜生を。 「なあ、ハエ叩きねえの?」 「あー……なるほどね。ないな」  壁に止まっている大きいハエ。タッパーで覆ってから蓋をしてそっとリリース作戦はいつも成功するのに、今日に限っては不発だった。 「あ、ほら、今チャンスじゃね?」 「そう思うだろ? ちげーんだよ。逃げられんだよ、こいつしぶといわ」 「ふーん」  ほら見てよ、と実演してみるけれど、案の定ハエはタッパーをすり抜けてぶーんと天井へ。 「くっそ……こいつ完全に俺のことおちょくってるだろ……」 「ははっ、ハエにそんな怒れるお前が好きだわ」 「は? バカにしてんのか?」 「いーや、ほめてるほめてる」 「あー、もう、ハエ叩き買いに行こうかな」 「そこまでしなくてもいいだろ……ほら、ちょっと貸してみ」 「今天井に止まってやがりますけど? 優雅に見下ろされてるんですけど?」 「あははっ、大丈夫だって」  汗でぬめったタッパーを手渡すと、桂馬が天井をじっと睨む。暗殺者さながら気配を消してそおっと天井へタッパーを近づけと、ぱきっと骨の音が鳴った。桂馬が背伸びをした音。 「なんだよ、楽勝じゃねーか」 「……む、むっかつく~!!」 「なんで捕まえてムカつかれなきゃいけねーんだよ。褒めろ、あがめろ、感謝しろ!」  いや、だってさ。なんか、余裕しゃくしゃくって感じでさ、しかも天井なんて俺届かねーしさ。いろいろ負けた気分なんですよ。  窓の外へ放たれたハエはあっけなく飛び去って行った。俺の今までの苦労返してほしいわ。 「はあ……」 「そんなすねんなって。ハエ叩き買ってやるから」 「まじでいらねーよ! つうかすねてねーよ!」 「えー……なんかしらねーけど、機嫌なおせよ。いちゃいちゃしてーし」  タッパーを放り投げた桂馬が、じわじわ迫ってきてぎゅっと抱き着かれる。丸め込まれてる感じに更に悔しくなって反抗を試みるも、びくともしない。や、まあ、本気で抵抗しているわけではないけどさ。このすっぽり包まれてる感、妙に悔しいんだよな。 「……あんた身長いくつなの」 「は? えー……分かんねえ、最後測ったの中学だし……つうか、それですねてたの? お前ちびだもんな」 「ちびではねーよ! あんたが無駄にでけえんだよ!」 「えー、ちびだろ。一七〇ないだろ?」 「……あるわ! ぎり、あるわ!」 「あ、そう。ならいいじゃん。抱きやすくて丁度いいわ」 「うっざぁ……どうせあんたもそんなないだろ。測らせろ」  一八〇超えてなかったら、なんとなく心の安寧が戻ってくる気がする。男のプライド的に。 「え、めんどくさ」 「いーから! さっさとメジャーと鉛筆持ってこい!」  知ってるんだからな。仕事で使い古したメジャーがたくさんあることを。なぜかボールペンよりちびた鉛筆を溜めてることを。 「はいはい……」  メジャーと鉛筆を強奪して、桂馬を壁へぴったりくっつける。 「待て待て! クロスに書くなよ、消す時ぼろぼろになる! こっちこい」  今度は逆に引っ張られて、ドア枠の所へぐっと頭を押し付けられた。 「俺が先に測ってやるよ……鉛筆貸して」 「俺はいいの!」 「お、怖いのか? 一七〇センチの壁を越えられるのかどーか……」 「あるし!」 「じゃあいいな。ほら、じっとしてろ」  頭にポンと手のひらをあてがわれる。身長測定なんて高校生のときぶりすぎて、妙に気恥ずかしかった。目の合わない桂馬の顔を至近距離で見れちゃうから、余計に。  焼けた肌のせいで見落としていた、目の際の薄いほくろ。そんなどうでもいいことに、無性にどきどきした。  まだ桂馬について知らないことが多い。でも、これからまだたくさん知っていける。そう思うと嬉しくてたまらない。この人といる毎日の全部が、デザートの残った食事みたいだ。 「よし、おっけー」  声を聴いて現実に戻された。しゅるるっと慣れた手つきでメジャーを枠へ宛がう桂馬に、仕事中もこんな感じなのかな……とどぎまぎしたり、いや頼むから一七〇あってくれと祈ったり……忙しいな、ほんと。ばかみたいだな、俺。 「ははっ……惜しいね、炎:(えん)」 「なんセンチ……?」 「百六十九、と七」 「なんか高校の時から縮んでんだけど!?」 「あははっ。あれじゃね、包丁握って下ばっか見てるからじゃね。料理人やめる?」 「やめねーよ! はあ……まあいいや、四捨五入したら一七〇だし。人権はぎりある……次あんたの番!」  同じ手順で測っていく。ぽんと頭に手を置いた時、肩が伸びているのが分かってやっぱり悔しかった。でけーなこの人。  鉛筆を指の腹に宛がった時、ふと、手のひらから頭の体温が消えた。代わりに体温を感じたのは、額の皮膚。柔らかい感触が降ってきて、ちゅっとあけすけな音が鳴る。 「……動くな!」 「はは、ごめん。なんかかわいくて」 「うざーい」 「お前、額丸いな。つるつるしてる」 「……も、いいから! 早く頭つけろよ!」 「お、照れてますね~」  あーくそ、悔しいなほんと。たったこれだけで、無性に心臓がうるさくさせられるんだから。さっと鉛筆でしるしをつけて、メジャーを宛がう。 「なんセンチ?」 「……百八十二と、三」 「おー、俺でかくね? そりゃ足場で腰やられるわけだ……」 「鳶やめる?」 「やめねーよ」 「つうか……むかつくから、縮め!」 「いいじゃん。キスしやすくてさ……ほら、してみ」  え、俺から? えー……ええ……。 「そんな嫌そうな顔するなよ。襲いたくなるだろ」 「なんでだよ!」 「炎、ほーら、ここ」  見上げる先で桂馬が、とんとん、と唇に人差し指を当てて、にやにや笑っている。逃げても負けな気がするけど、しても負けな気もする。なんか、この人を出し抜く方法はないもんか……よし。 「しねーよ」 「えー……」  わざとぶっきらぼうに告げてみれば、案の定桂馬は諦めて、ソファーへ戻っていった。よしよし、計画通り。  隣に膝を付けて、肩に手を回す。とんがった顎を指先でつかんでから、ふっと上を向かせた。見下ろすってこういう感じなんだな。  上から被さる様に唇を合わせた。ふっと一瞬だけ。 「わーお、大胆~」 「……もうちょいときめけよ!」 「ときめいたよ。ぐっときたわ」  いや、全然、ときめいた人の口ぶりじゃないんですけど。 「わっ、ちょっ」  腕をぐっと引かれて、上に跨らされる。いつもは見上げてる顔が、すぐ下にあって、悔しいのにどきどきしてしまう。 「ときめいたから、続きもよろしく」  楽しそうな瞳に射止められる。 「か、かみ! 髪乾かせって!」 「いーよ、後で。どうせまた後で風呂入るだろ」  大きな手のひらで頭を覆われた瞬間、どうしようもなく胸がきゅっと跳ねた。  あー、くそ、結局俺の負けじゃねえか。  それでも、なんだかんだ、最後には好きの二文字と体温に攫われてしまうのだった。

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