1 / 1
【桂馬と炎】短編:背が高いってずるいよな
「……なにしてんの?」
同じシャンプーの香りを携えた桂馬:(けいま)が、頭をざかざか拭きながら居間へやってきた。
なにしてるの……そうだな、これは言っちゃえば。
「戦争」
「は?」
「ちなみにまじ劣勢」
タッパーをぎりっと握りしめながら、敵の方を指差す。ぶんぶんやかましい、畜生を。
「なあ、ハエ叩きねえの?」
「あー……なるほどね。ないな」
壁に止まっている大きいハエ。タッパーで覆ってから蓋をしてそっとリリース作戦はいつも成功するのに、今日に限っては不発だった。
「あ、ほら、今チャンスじゃね?」
「そう思うだろ? ちげーんだよ。逃げられんだよ、こいつしぶといわ」
「ふーん」
ほら見てよ、と実演してみるけれど、案の定ハエはタッパーをすり抜けてぶーんと天井へ。
「くっそ……こいつ完全に俺のことおちょくってるだろ……」
「ははっ、ハエにそんな怒れるお前が好きだわ」
「は? バカにしてんのか?」
「いーや、ほめてるほめてる」
「あー、もう、ハエ叩き買いに行こうかな」
「そこまでしなくてもいいだろ……ほら、ちょっと貸してみ」
「今天井に止まってやがりますけど? 優雅に見下ろされてるんですけど?」
「あははっ、大丈夫だって」
汗でぬめったタッパーを手渡すと、桂馬が天井をじっと睨む。暗殺者さながら気配を消してそおっと天井へタッパーを近づけと、ぱきっと骨の音が鳴った。桂馬が背伸びをした音。
「なんだよ、楽勝じゃねーか」
「……む、むっかつく~!!」
「なんで捕まえてムカつかれなきゃいけねーんだよ。褒めろ、あがめろ、感謝しろ!」
いや、だってさ。なんか、余裕しゃくしゃくって感じでさ、しかも天井なんて俺届かねーしさ。いろいろ負けた気分なんですよ。
窓の外へ放たれたハエはあっけなく飛び去って行った。俺の今までの苦労返してほしいわ。
「はあ……」
「そんなすねんなって。ハエ叩き買ってやるから」
「まじでいらねーよ! つうかすねてねーよ!」
「えー……なんかしらねーけど、機嫌なおせよ。いちゃいちゃしてーし」
タッパーを放り投げた桂馬が、じわじわ迫ってきてぎゅっと抱き着かれる。丸め込まれてる感じに更に悔しくなって反抗を試みるも、びくともしない。や、まあ、本気で抵抗しているわけではないけどさ。このすっぽり包まれてる感、妙に悔しいんだよな。
「……あんた身長いくつなの」
「は? えー……分かんねえ、最後測ったの中学だし……つうか、それですねてたの? お前ちびだもんな」
「ちびではねーよ! あんたが無駄にでけえんだよ!」
「えー、ちびだろ。一七〇ないだろ?」
「……あるわ! ぎり、あるわ!」
「あ、そう。ならいいじゃん。抱きやすくて丁度いいわ」
「うっざぁ……どうせあんたもそんなないだろ。測らせろ」
一八〇超えてなかったら、なんとなく心の安寧が戻ってくる気がする。男のプライド的に。
「え、めんどくさ」
「いーから! さっさとメジャーと鉛筆持ってこい!」
知ってるんだからな。仕事で使い古したメジャーがたくさんあることを。なぜかボールペンよりちびた鉛筆を溜めてることを。
「はいはい……」
メジャーと鉛筆を強奪して、桂馬を壁へぴったりくっつける。
「待て待て! クロスに書くなよ、消す時ぼろぼろになる! こっちこい」
今度は逆に引っ張られて、ドア枠の所へぐっと頭を押し付けられた。
「俺が先に測ってやるよ……鉛筆貸して」
「俺はいいの!」
「お、怖いのか? 一七〇センチの壁を越えられるのかどーか……」
「あるし!」
「じゃあいいな。ほら、じっとしてろ」
頭にポンと手のひらをあてがわれる。身長測定なんて高校生のときぶりすぎて、妙に気恥ずかしかった。目の合わない桂馬の顔を至近距離で見れちゃうから、余計に。
焼けた肌のせいで見落としていた、目の際の薄いほくろ。そんなどうでもいいことに、無性にどきどきした。
まだ桂馬について知らないことが多い。でも、これからまだたくさん知っていける。そう思うと嬉しくてたまらない。この人といる毎日の全部が、デザートの残った食事みたいだ。
「よし、おっけー」
声を聴いて現実に戻された。しゅるるっと慣れた手つきでメジャーを枠へ宛がう桂馬に、仕事中もこんな感じなのかな……とどぎまぎしたり、いや頼むから一七〇あってくれと祈ったり……忙しいな、ほんと。ばかみたいだな、俺。
「ははっ……惜しいね、炎:(えん)」
「なんセンチ……?」
「百六十九、と七」
「なんか高校の時から縮んでんだけど!?」
「あははっ。あれじゃね、包丁握って下ばっか見てるからじゃね。料理人やめる?」
「やめねーよ! はあ……まあいいや、四捨五入したら一七〇だし。人権はぎりある……次あんたの番!」
同じ手順で測っていく。ぽんと頭に手を置いた時、肩が伸びているのが分かってやっぱり悔しかった。でけーなこの人。
鉛筆を指の腹に宛がった時、ふと、手のひらから頭の体温が消えた。代わりに体温を感じたのは、額の皮膚。柔らかい感触が降ってきて、ちゅっとあけすけな音が鳴る。
「……動くな!」
「はは、ごめん。なんかかわいくて」
「うざーい」
「お前、額丸いな。つるつるしてる」
「……も、いいから! 早く頭つけろよ!」
「お、照れてますね~」
あーくそ、悔しいなほんと。たったこれだけで、無性に心臓がうるさくさせられるんだから。さっと鉛筆でしるしをつけて、メジャーを宛がう。
「なんセンチ?」
「……百八十二と、三」
「おー、俺でかくね? そりゃ足場で腰やられるわけだ……」
「鳶やめる?」
「やめねーよ」
「つうか……むかつくから、縮め!」
「いいじゃん。キスしやすくてさ……ほら、してみ」
え、俺から? えー……ええ……。
「そんな嫌そうな顔するなよ。襲いたくなるだろ」
「なんでだよ!」
「炎、ほーら、ここ」
見上げる先で桂馬が、とんとん、と唇に人差し指を当てて、にやにや笑っている。逃げても負けな気がするけど、しても負けな気もする。なんか、この人を出し抜く方法はないもんか……よし。
「しねーよ」
「えー……」
わざとぶっきらぼうに告げてみれば、案の定桂馬は諦めて、ソファーへ戻っていった。よしよし、計画通り。
隣に膝を付けて、肩に手を回す。とんがった顎を指先でつかんでから、ふっと上を向かせた。見下ろすってこういう感じなんだな。
上から被さる様に唇を合わせた。ふっと一瞬だけ。
「わーお、大胆~」
「……もうちょいときめけよ!」
「ときめいたよ。ぐっときたわ」
いや、全然、ときめいた人の口ぶりじゃないんですけど。
「わっ、ちょっ」
腕をぐっと引かれて、上に跨らされる。いつもは見上げてる顔が、すぐ下にあって、悔しいのにどきどきしてしまう。
「ときめいたから、続きもよろしく」
楽しそうな瞳に射止められる。
「か、かみ! 髪乾かせって!」
「いーよ、後で。どうせまた後で風呂入るだろ」
大きな手のひらで頭を覆われた瞬間、どうしようもなく胸がきゅっと跳ねた。
あー、くそ、結局俺の負けじゃねえか。
それでも、なんだかんだ、最後には好きの二文字と体温に攫われてしまうのだった。
ともだちにシェアしよう!

