2 / 32

第1章 終わりから始まる物語1

 五年前まで俺は勇者でなく村で畑を耕す農民だった。  魔族を倒すさだめになるなんて夢にも思っていなかったんだ。    * 「ちょっとヒロ。あんた、どこへ行くつもりだい?」  畑でできた野菜の中で売り物にならないのを布に包んでいると母ちゃんに声をかけられた。 「おすそ分け。領主様や村長へ渡す野菜は納めたし、できのいいやつは市場に卸した。うちで食べる蓄えは充分ある。家畜たちのエサも確保できたから寄進するんだ」  荷物を持って出かけようとすれば、フラフラと群れから離れた、ひな鳥や子猫を追いかける母親みたいに母ちゃんが後をついてくる。 「うちには男手は父ちゃんと、あんたしかいないんだよ」 「そうだな。姉さんたちや妹は、みんな嫁に行っちまって俺の弟は、みんな流行り病で死んじまった」 「あたしも父ちゃんも年を取って、いつまで働けるか、わからない。あんたしか頼れる人がいないんだ」 「んなこと、わかってるさ」 「だったら嫁でも取ったら、どうだい? あんたに思いを寄せている若い子だっているのに全員、そでにして……まったく、かわいそうなことをするもんだよ」  また、この話かと辟易する。  口やかましい母親を黙らせるために足を止め、振り返った。 「俺は、まだ二十六で結婚適齢期じゃねえ。んなことしたら、ほかの男たちから『働き盛りなのに』とか『生意気だ』って陰口を叩かれるし、やっかまれる。おまけに、この村には俺の目にかなう娘がいないんだから仕方ねえだろ」  すると母ちゃんは目をひん剥いて辺りをキョロキョロ見回した。 「あんた、真っ昼間から、なんてバカなことを言うんだい!? ほかのうちに知られたら何を言われるか……」  顔色を悪くした母ちゃんは声をひそめ、まるでお尋ね者みたいに周囲を警戒し、人がいないかどうか確認する。 「富農の子といえど、あんたは、ただの農民。領主様や村長さんの娘、はたまた王女様と結婚でもするつもりかい?」  皮肉を言われ、わずらわしさを覚えながら、自分のありのままの気持ちを伝える。 「俺にだって結婚相手を選ぶ権利がある。人生をともにする相手を親や家族に決められる王族や貴族、騎士とは違うんだ。一生農家の子どもとして、この田舎で生きていかなきゃいけないし、富農と言いながら金もうけに成功してる商人たちみたいな豪華な暮らしは、ちっともできない。毎日汗水流して畑を耕し、野菜の世話をする生活だ」 「なんだい、農民であることに嫌気が差したのか? 町へ出稼ぎに行くとでも?」  母ちゃんの顔には、年輪のようなしわができ、栗毛色の髪には白髪がまじっている。腰は曲がり、足も悪くなって歩く速度は、俺がガキの頃よりずいぶんと遅い。そのうち杖をついて歩くか、寝たきりになる可能性も視野に入れなきゃいけないだろう。  昔は大樹のように大きく見えて、彼女のそばにいるだけで安心できた。  でも今じゃ、すごく小さく見える。石につまずいて転んだだけで、大怪我をして骨を折ってしまうだろう。それくらい身体が弱くなったのだ。 「俺が今、生きているのは母ちゃんと父ちゃんのおかげだって感謝してるよ。俺の命は村長や領主様のものだけど、ずいぶん、よくしてもらってる。でも、たとえ農民で、この狭い世界から出られなくても、俺の生きる道は俺が決める。心だけは自由だ」 「ヒロ、あんたねえ!」 「どうした? 何を騒いでいる?」  (くわ)を手に、ゆったりとした足取りで歩いていた父ちゃんが、俺らのところへやってきた。頭頂部は木の葉がなくなった枯れ枝みたいになり、あごには白い綿のような口ひげが生えている。  顔をくしゃりと歪ませ、泣きそうな顔をした母ちゃんが、父ちゃんのもとへ駆け寄った。 「あんた、聞いておくれよ。この子がまた、あのみなしごのところへ行こうって言うんだよ!」 「……そうなのか、ヒロ」  濁った魚のような目をした父ちゃんが俺を凝視し、むっとした口調で()いてくる。 「そうだよ。神父様やシスターたちだって魔族との戦争によって親を亡くした子どもたちを育ててるんだ。それの手助けをして何が悪い? 神様だって、きっと俺の行いをお喜びになるさ」 「そんな()(そん)(うそ)までついて、あの化けガラスに会いたいのかい!?」  眉をつり上げた母ちゃんがキーキー金切り声をあげる。  しかし――「いいぞ、行ってこい」 「あんた!」  驚くことに父ちゃんは俺の言葉を了承してくれたのだ。 「『正しい行いをするように』と神父様たちも仰られている。善行を積めば、それだけヒロも幸運に恵まれるだろう」 「さすが、父ちゃん。わかってる!」  口笛をぴゅうと吹けば、母ちゃんが鋭い目つきで(にら)んでくるが、そんなのは屁でもない。 「暗くなる前に帰ってこいよ」 「ああ、そうするよ。いってきます」  そうして俺は教会までの道を走ったのだ。  シスターメアリーに余分の野菜を渡すと、彼女はすまなそうに俺が持ってきたものを受け取った。 「いつも悪いわね、ヒロ。あなたには、いつも助けられているわ」 「いいんですよ、お互い様です。今年は豊作だからいいけど去年の不作は本当に大変でした」  異常に雨が降ったかと思えば、何日も日照りが続いて野菜が駄目になったのを思い出す。 「ところでカイトは、どうしてます?」

ともだちにシェアしよう!