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第八話「ラッキーカラーは薔薇色」
「以上、二百六十三名。卒業生一同、起立。礼。続きまして、卒業生による校歌斉唱、および卒業記念ソングを合唱いたします」
これだけの人数で歌う合唱だ。男女の声が幾重にも重なり体育館に響き渡る。ふざけて臨む者はなく、それぞれが三年間の思いを込めて音を発する。だからこそ皆の胸を熱くし、前方に涙を拭っている先生方の姿も見えた。
けれど僕は、心ここにあらず。さっきからドキドキしっぱなしだった。
キョロキョロしても、F組の僕からA組のマサムネくんの姿は見えない。でも、G組に並ぶアキラくんの姿は確認できた。無事、熱も下がったようで、本当によかった。
卒業式の式次は、順調に進んでゆく。
「卒業生一同より、学校長へ記念品の贈呈」
続けて僕の名前が呼ばれ「はい」と立ち上がる。
均等に並べられたパイプ椅子の通路を抜け、直角に曲がり、ステージへ向かって真っすぐに進む。礼をして壇上に上がり、目録を胸ポケットから恭しく取り出した。
「目録。体育館ステージ緞帳を、生徒一同より卒業記念品として贈呈いたします」
副校長から「緞帳のデザインは、美術部部長が中心となって作成してくれました」と解説が入る。
僕を含め、ステージ上にいた校長、来賓の方々が全員、下に降りた。
「それでは、お披露目させていただきます」
その言葉とともに、ゆっくりと天井から緞帳が降りてくる。空、木々、花、鳥、そして水面に景色が映り込み、光り輝く池。
マサムネくんは、気が付いてくれただろうか。このデザインはあの池の四季をモチーフにしてるということを。
緞帳の制作にはとても時間がかかるということで、僕がこのデザインを完成させたのは夏前のことだ。
あの時は、まさかこんな晴れ晴れとした気持ちでマサムネくんに見てもらえるとは、想像していなかった。
緞帳が下まで降りたところで、保護者、先生方、そして在校生、卒業生から大きな拍手がおき、僕は深々とお辞儀をした。
式典が無事に終わればクラスへ戻り、担任からはなむけの言葉をもらう。
もう神妙な雰囲気はなく、笑ったり泣いたり別れの時を惜しむだけの最後のホームルームだ。
「道は真っ直ぐではありません。それでも自分の進むべき道を模索していってください。卒業、おめでとう」
その言葉とともに、三年F組は解散となった。
担任以外の先生方も保護者も在校生も校庭で待つので、皆は校舎を後にし、ぞろぞろと外へ移動する。
青空の下、花束を渡す後輩、胴上げをする運動部、保護者との記念撮影、大きな笑い声。そんな喧騒を抜け、僕は一人、渡り廊下を通って体育館へ足を運ぶ。
誰もいない体育館は静まり返っている。緞帳は降りていて、僕が描いた池がそこにあった。
僕は池の畔のベンチに座るように、最前列のパイプ椅子に腰掛け静寂の中、緞帳を眺める。僕の高校生活が詰まった作品だ。
二週間前、このステージでマサムネくんが歌っていた。僕はそれを外で聴いて、凍えながら涙を流した。
マサムネくんが好きで好きで、でもそれは卒業とともに忘れなければいけない感情だと思っていたから。
卒業式の日に「卒業おめでとう」と言えたら、綺麗な思い出として昇華されると思っていたから。
でも……。
「やっぱり、ここにいたのか」
なぜだろう。来てくれると思っていた。僕は振り向かずに頷く。
「あの池の四季だろ」
ちゃんと分かってくれた。
コツコツと上履きを履いた足音が近づいてきて、背後に立った彼は、僕の肩に両手を置く。
「これがカズミチの成果なんだな」
「うん」
「俺、緞帳が降りてきたとき、カズミチの過ごした高一の秋、冬、高二の春、夏、秋、冬、そして高三の春を感じとれた気がした。ブワーって時が巡ったんだ。俺たちが離れ離れだった間も、ちゃんと時が進んでたって当たり前のことを思った」
「今年の卒業生が緞帳を記念品として贈呈することは、予め決まっていたらしいんだ。もし、僕がマサムネくんと距離を置かなくて、高校一年の二学期に美術部に入らなかったら、この緞帳の絵は誰か違う人が担当してた。全く違うものになってこの体育館に何十年も残ったんだ。そう思うと不思議だね」
「あぁ」
「ここにいたのね」
今度は母親の声がした。
「マサムネも、カズくんと居ると思ったわ」
マサムネくんのお母さんも一緒だ。
「写真撮りましょうよ。緞帳の前で」
「いいわね、そうしましょう」
四人で緞帳に近づくと、母親たちは「本当に素敵」「いいデザインね」と口々に褒め称える。
僕は照れて俯きそうになったけれど、隣にいるマサムネくんは、自分のことのように誇らしげに胸を張ってくれた。
「なんだ、ここにいたのかよ」
僕の大切な人たちが集まってくる。
「おぉアキラ、ちょうど良かった。写真撮ってくれよ」
「は?俺が撮影する側ってこと?」
「そうそう」
文句を言いながらも、マサムネくんからさっとスマホを受け取り、構えてくれる。
「ごめんなさいね、アキラくん。四人で一枚だけ撮ってもらったら、私たちは先生方に挨拶へ行くから」
「いや、俺、撮るの得意なんで大丈夫っす。いきますよ。はい、チーズ!もう一枚、少し離れて緞帳全部入れて撮りますね」
母親たちも大満足の写真を、アキラくんに撮影してもらえた。
母親たちが体育館を出ていけば、三人で池の畔にいるような気分になる。
「そうだ。これ」
僕はカバンから折り畳んだバンダナを取り出し、アキラくんへ渡した。
「これって?」
「マサムネくんと一緒にバンダナの寄せ書き、集めておいたから」
「俺のために?二人で一緒に?」
マジックでビッシリと書き込まれたバンダナを広げれば、アキラくんは感激したのか、言葉がでない。
「あ、ありがとう……」
少し間を置いてから、小さな声でそう言ってくれた。
「アキラはさ、今日泣かないって決めてるらしいぞ。さっきラグビー部の奴らも、アキラを泣き落そうとしていたけど、必死で堪えてもんな」
その言葉に、アキラくんは鼻を啜る。
「そうだよ、俺はさ、卒業式で泣いたりしない、絶対に。だけどさ……」
また鼻を啜る。
「だけど、オマエら二人で協力しあって、この寄せ書き集めてくれたっていうのが……。さっきも、おばさんたちと四人で写真撮っちゃったりして。それが、もう、本当に、よかったなって……」
「アキラくん……」
「カズミチとマサムネのせいだからな」
赤い目をこすりながら、僕たちを睨みつけてくる。
「アキラ、本当にありがとう。長い間心配かけて悪かった」
マサムネくんが、真面目な顔をして頭を下げれば、アキラくんは「やめろやめろ」とその背中をポカポカ叩き、ついにポロリと涙をこぼした。
誰かのスマホが、ピコンと鳴る。
「やべ、ラグビー部の奴らが探してるらしい。行かなきゃ」
アキラくんは涙を手のひらで拭う。
「あっ、その前にね、僕のバンダナに一言書いてほしくて」
彼ら二人のバンダナにはもうスペースが無いのを知っている。でも僕のバンダナにはまだ白い場所が残っていた。
「おぉ、もちろん」
マジックを渡せば、迷いもなくサラサラと文字を書いてくれた。
「じゃあな。明日、東京駅まで二人で見送りに来いよ。時間はメッセージで送るから」
慌ただしく体育館から走り去っていった。
バンダナには『マサムネと二人で、大阪まで遊びにくること!!アキラより』と書かれていた。
「貸して」
今度はマサムネくんがマジックを手に取る。何を描くのだろうと思っていたら、簡単な線でイラストを描き始める。
「あっ!タコミンだ!可愛い。でもどうして?」
「恩人だからさ」
そう言って彼は笑った。
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アキラくんの見送りに行った新幹線のホームは凄かった。
ガタイのいいラグビー部員がたくさん来ていて、元部長が、他の乗客の迷惑にならないようにと指示を飛ばしている。
僕らは少しアキラくんと目を合わせ、手を振っただけ。あっという間に新幹線のドアは閉まり、出発していった。
あっけにとられていると、ピコンとメッセージが届いた。
『ごめん。カズミチとマサムネだけの見送りだと泣いちゃうかもしれないと思って、ラグビー部みんなに声かけた。でも、来てくれてサンキュ』
おかげで、僕も泣かずに済んだみたいだ。
「さてと。映画見に行こうぜ」
三年前に見に行った時と同じ映画館をマサムネくんが予約しておいてくれたから、僕らは『大海原水中対戦2』を見に、電車で移動を開始する。
「あれ?雨?」
映画館の最寄り駅を出ると、どんよりとした空からシトシトと降り始めていた。
マサムネくんは、以前僕に貸してくれたことのあるスカイブルーの折り畳み傘をカバンから取り出す。
パサっと傘を開き、当たり前のように一緒に入ることを促してくれた。
「ありがとう……」
照れくさくて、俯き気味に歩いてしまったけれど、映画館までの道のりで二人で一つの傘に入る幸せを感じる。
目的のビルに辿り着くと、今度は僕がカバンからコバルトブルーのハンドタオルを取り出し、「使って」とマサムネくんに差し出した。
マサムネくんはじっとタオルを見つめている。
「あの日。あの図書館で会った日。カズミチは、どうしてこのタオルを持ってきてた?」
「え?」
「俺はね、朝の占いでタコミンが言ったんだ。山羊座のラッキーカラーは青だって。だから、この傘を持っていた」
「ん?え?あー!」
ようやく。ようやく分かった。僕の驚いた顔を見て、マサムネくんが笑う。
「な?俺も山羊座、カズミチも山羊座。そういうこと。つまり、タコミンが俺たちの恩人」
全てが腑に落ちた瞬間だった。
マサムネくんが予約してくれたのは最後列の席だった。
大きなシアターだったから、中央付近の席は埋まっていたけれど、両隣にも人が来ず、ゆっくりと見ることができた。
ポップコーンを一つと炭酸飲料一つを買って、当たり前のように二人でシェアをする。
僕は二年半、あんなにもマサムネくんと距離を置いてを過ごしてきたのに、同じ空間にいることすら避けてきたのに。
「俺と付き合ってください」と再び言ってもらってからは、まるで高校一年の花火大会の翌日かのように、元の場所に帰ってこれた。
そのことに、改めてじんわり感動していると、場内が暗くなり映画が始まる。スッとマサムネくんの右手が伸びてきて、ごく自然に僕の左手を握ってくれた。
途中。何がきっかけだったのかは分からない。
マサムネくんの顔が覗き込むように僕に近づいてきて、一瞬触れるだけのキスをしてくれた。
僕は、暗い中で至近距離のマサムネくんを、しっかりと見つめる。スクリーンの中は、洋上の船が燃えあがっているシーンだった。そのオレンジ色の炎が、マサムネくんの顔をも照らす。
今度は僕からゆっくり近づいていって、唇を重ねた。
温かい唇の感触をしっかりと感じ、口付けは深くなっていった。
主題歌は前回と同じ曲で、エンディングの一番いいところで流れ始めた。
でも僕は違うことを考えていて、繋いでいるマサムネくんの手を強く握り締める。
距離を置いて過ごしている間、ボーカルとして歌ったマサムネくん。緞帳のデザインを描き上げた僕。確かに、離れていたから出来たことだった。
でも。でも、やっぱり僕の居場所はマサムネくんの隣なのだ。今、こんなにも心が暖かい。もう二度とこの手を離さないでほしいし、離さない。
マサムネくんも同じ気持ちなのか、ギュッと強く握り返してくれた。
映画の内容には、ちっとも集中できなかったから、もう一度見に来ないとダメかもしれない……。
映画館を出ると、タコミンのガチャガチャが置かれていた。
「これやろうぜ」
僕とマサムネくんは、それぞれコインを入れ、一回ずつまわす。
赤いタコミン、青いタコミン、白いタコミン、全十種類のタコミンがあるらしい。しかも占い付き。
「せーの」
二人で同時にカプセルを開けた。
「ん?」「は?」
たくさんの色が明るい色が交じり合ったようなタコミンが現れた。
「あれ?同じだね。これ何色?」
どうやら二人とも、シークレットの薔薇色が当たったらしい。
『薔薇色の未来が待っているタコ』
タコミンの占いが、どうか当たりますように。
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