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君と写す未来3
ベンチに座っていると、夜風が頬を撫でていった。すっかり秋になったんだなと思う。それでも、まだ夜にこうやって外に座っていられるんだからいいのかとも思う。本格的に寒くなったらそんなことできないから。
川を見ていると、屋形船が見えた。貸切の多い屋形船だけど、乗合屋形船なんかもあったと記憶している。俺も乗ったことはないけれど、外国人のイジュンとしては、和を感じるから楽しいんじゃないだろうか。まだ明日1日あるから、訊いてみようか。
「なぁ。屋形船って知ってるか?」
「うん。ガイドブックに載ってた」
「乗合屋形船っていうのもあるけど、乗らなくていいのか? 明日1日あるぞ」
「残念ながら予約でいっぱいだよ」
「え?」
くすくすと笑うイジュンに、俺はスマホを取りだし、乗合屋形船の予約状況を見ると、イジュンの言う通り予約でいっぱいだった。
「だから、もしまた日本に来ることがあったら前もって予約しておかなきゃダメだね」
もし、また日本にくることがあったら……。就職先が決まったら難しいけれど、また来てもいいと思えるくらい良い思い出を作れたのだろうか。そうだとしたらガイドをして良かったと思う。
「日本は楽しかった?」
「楽しいよ。明日1日、まだ時間あるけど、なにしようか考えてる。明日海は休みなんだよね?」
「そう。だから朝から付き合える」
「じゃあとっておきのプラン考えなくちゃって思うけど、ゆったりするのもいいよね。あの殿堂も行かなきゃだし」
自分の買い物はもちろん、お土産や頼まれ物まで全てそこで済ませるらしい。外国人にまで有名ってすごいなと思う。
「でも、ゆったりって今もゆったりしてるか。日本は、時間がゆっくり流れてる気がする。ここはすごく落ち着く」
「韓国は違うの?」
「違う。どこへ行っても車はクラクション鳴らしまくってるし、道を歩いている人もせかせかしてる」
そういうイジュンの声は低く、穏やかだ。
「じゃあイジュンも韓国へ帰ったらせかせかしだすの?」
「そうだね。ゆったりしたくても周りに急かされるしね」
隣の国なのに、なんでそんなに違うんだろう。日本で車のクラクションなんて聞かないし、人だってそんなにせかせかしていない。俺はゆったりしてる方がいいな。でも、せかせかしてるイジュンも見てみたいかもしれない。それを想像してみたらちょっと面白くて、隣のイジュンを盗み見る。街灯の光が少し斜めから差し込んで、まつげの影を長く伸ばしている。なんでもない横顔なのに胸の奥が熱くなる。
「明日海は?」
「え?」
「俺はゆったりしてるけど、明日海はどう? こんなやつといるより大学の友だちといる方がいい?」
「そんなこと! 落ち着いてるよ」
「落ち着いてる?」
「うん。友だちといるのは、それはそれで楽しいけど、今のこの時間も悪くない。人混みの中より、静かな場所で誰かと並んでるのって、いいよね」
そういうとイジュンがふっと笑った。
「そうだね。俺もそう思う」
会話はそこで途切れてしまった。それでも、その沈黙が不思議と心地良い。言葉を交わすよりも近くにいるような気がした。
時折、イジュンの腕がわずかに動く。その度に、意識がそちらへ引き寄せられる。もしあと数センチ距離を縮めたら……そんな想像をして胸が落ち着かない。声に出さない鼓動だけが夜の中で大きく響いている気さえする。
「明日海……」
ふいに名前を呼ばれ、顔をあげる。でも、イジュンは俺を見てはいなかった。視線はまっすぐ川を見ている。
「こうして一緒にいると……なんでもない時間が、特別に感じる」
その言葉の意味がよくわからなくて、俺はただ頷くしか出来なかった。
「そうだな」
心臓がばくばくいいだしてるけど、それを隠すように、精一杯、何気ないふりをして、そう答えた。
川面には屋形船が一艘見えた。暗い川面にキラキラと光る電飾。地上がこんなにキラキラしているから空の星なんてわからない。俺たちはただ並んで座り、その光を見つめていた。胸に熱を抱えながら、でもそれを言葉にする勇気は持てないままだ。イジュンはなにを考えているだろう。
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