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第一章 騎士と、はじめての甘い出会い

 夜の草原を抜けてしばらく歩くと、王都の灯りが見えてきた。高い城壁の向こうは、まるで金粉をまぶしたように街がキラキラ輝いている。  門の前いた番人に日本語で事情を話すと、目を丸くして僕を見た。 「精霊の祝福を受けた召喚者……まさか、本当にいたとは!」 (――フェリシュが言ってた“召喚”って、つまりこういうことか。しかも、日本語が通じるのは助かる)  門番は、半信半疑の様子ながらも僕を通してくれた。  石畳の通りは夜更けの静寂に包まれ、家々の窓からこぼれる灯りが、どこか懐かしい温もりを宿している。  ――異世界に来た。けれどまだ、その実感は遠い霞のよう。胸の奥で微かに光る《スイートセンス》の灯だけが、現実を告げていた。 「ここが……アルセリア、か」  呟いた瞬間、ふわりと焦げた甘い香りが鼻をくすぐる。 (この焦げ方――明らかに温度が高すぎる。苦味が出る一歩手前の香りだ)  体が自然に反応していた。香りを辿ると通りの奥、小さな露店が目に留まる。鉄板の上で焦げたクッキーが山になり、店主らしき赤髪の少女が困った顔で削っている。 「すみません、それ……火が強すぎるかもしれません」  少女が驚いたように顔を上げる。 「え、あなた……旅の人ですか?」 「はい。甘い香りに惹かれて、つい――」  鉄板の傍にある生地を見つめると、《スイートセンス》がかすかに光った。バターの質、小麦の香ばしさ……素材は上々。ただほんの少し、温度と配合のバランスが惜しいだけ。 「この鉄板、温度を少し下げてもらえますか?」 「はい、ここで調節できます!」  少女が慌てて火を弱める。僕は手を洗い、傍らの生地を軽く丸め直して鉄板に乗せた。その瞬間、指先から淡い光が走って《スイートセンス》が僅かに反応する。だが、完全には届かない。 (――あのクリスマスの夜のように、僕のこだわりがまた誰かを困らせるかもしれない)  そんな疑念が心の奥で影を落とす中、ふわりと香ばしさが広がり、焦げの匂いが優しい甘さに変わる。 (……まだだ。僕自身が、甘さを信じきれていない) 「すごい! さっきまで焦げてたのに!」 「この生地、素材がいいんですよ。僕は少し触っただけです」  少女が恐るおそる、完成したクッキーを一口食べる。 「おいしい……! でも、なんだか不思議な味……胸が、少しあったかくなる」  その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。 (――久しぶりに、“おいしい”って言われた。でも、本当にこれでよかったのか?)  そんな迷いが廻った瞬間、周囲の通りが微かにざわついた。遠くから馬の蹄の音や、複数の足音が近づいてくる気配がする。誰かが「騎士団だ!」と小さな声をあげ、夜の静けさが瞬く間に緊張に変わる。  背後から重い足音が響いた。 「アルセリア王国騎士団副団長、リオン・ヴァルハート様のお成り!」  通りが一瞬で静まり返る。振り向いた先に、銀の鎧をまとった青年が立っていた。月明かりを受けて光る金の髪。深い蒼の瞳は、夜の静けさをそのまま映したようにとても美しい。 「騒がしいと思えば……夜に露店とは珍しいな」  低く落ち着いた声に、少女が慌てて背筋を伸ばす。そして青年――リオン様の視線が僕に向いた。 「君は……何者だ?」  その声には穏やかさの奥に、騎士らしい警戒が滲んでいた。 「えっと……旅の菓子職人です。焦げていたのが気になって、少し手を貸しました」  その言葉に、彼の瞳がやわらかく揺れた。その瞬間、甘く穏やかな香りがふわりと漂うと《スイートセンス》が自然に反応する。 (この人の心は……あたたかくて、とても優しい)  僕は思わず微笑んでいた。 「君から、妙に落ち着く香りがするな。甘いのに静かだ」 「それは、チョコレートの香りかもしれません」 「チョコ……レート?」  首を傾げる声に、はっとする。 (――もしかしてこの世界には、チョコレートがないのか!?)  その事実に胸の奥が高鳴る。もしかしたら、僕の“甘さ”がここで生きるかもしれない。 「リオン様さえよければ、今度お作りします。チョコレートを」  僕の言葉を聞いたリオン様は少し目を見開き――やがて、穏やかに笑った。 「……いいだろう。約束だ、旅の菓子職人」  その声に、胸の奥で《スイートセンス》が小さく震えた。  あのときフェリシュが言った、“この世界を甘さで満たして”という言葉が、ふとよみがえる。  夜空に二つの月が輝く中、僕は確信した。この出会いが、すべてのはじまりになる――そんな予感だけが胸に残った。

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