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第2話

「なあ、ここってアウトしそうになった時の逃げ道って、ちゃんと確保出来るのか?」  繁華街の中心部にある半地下のクラブに案内された俺は、その場所がどう見てもセンチネルが通うには不安要素が多い場所であることが、どうにも気になっていた。  相原に手を引かれてやって来たクラブは、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚の全てに突発的な強刺激が襲ってきそうな、不安要素の強い場所だったからだ。  民間企業がセンチネルに配慮したとしても限界があるだろうし、何かあったとしてもガイドが派遣されているかどうかもわからない。もしガイドがいないとなると、俺たちにとっては大問題だ。  いくらレアタイプの俺であっても、ゾーンアウトは自然に治るものじゃない。だから、結局野良ガイドを拾ってケアを頼むしかなくなる。そうなると相手は選べないし、相手がどんな人間かもわからずに抱かれてしまったら最後、下手をするとその後の人生で詰む可能性だってある。  そのため、俺はプライベートでゾーンアウトの危険性のある場所へ行くときは、必ずガイドを雇って連れて行くようにしている。そいつを外で待機させて、問題が起きたら外に連れ出してもらうようにしているのだ。  ただ、今日はアイハラに急に誘われたこともあって、その手配が出来ていない。せめて逃げ道をしっかり確保していないと、命の危険さえありそうで恐ろしい。 「ああ、大丈夫だ。その辺は俺に任せておいてくれたらいいよ」  俺の心配をよそに、相原はなぜかひどく上機嫌で、俺に向かってウインクをしてみせたりもした。こいつはいつもニコニコした善人ヅラをしているが、今はそれが特に酷い気がする。  それを長く目にしていると思わずぶん殴りたくなってしまうほどの清らかさが、このクラブという空間にミスマッチに見えた。 「そうか。お前がそんなに言うなら、信用するからな」 「お、お前そんなに俺の事信じてくれてるんだ。光栄だねえ」  そう言うと、今度はやや悪どい笑みを浮かべ、ニヤニヤと笑い始めた。 ——ん? なんだ今の。  その笑顔の中に、ほんの一瞬だけだけれども、鋭い光が映り込んだような気がした。けれど、相原本人は何にも反応しない。 ——気のせいか。  彼に似つかわしく無い笑い方であった事が少し気にはなったけれど、そのままどんどんフロアへと進んでいく背中をついて行くことに必死になり、考えていられなくなっていた。  一階のフロアの奥に張ってあった暗幕のようなカーテンの向こうに、地下へ潜る階段が表れた。それを降り、半地下になったスペースへと潜り込む。薄暗い空間には、うじゃうじゃと蠢く虫のようにたくさんの人がいた。 「うっ……、お前、これ情報過多だろ。人数も多いけど、人種も性別も違い過ぎて視覚も嗅覚も情報量がヤバいぞ」 「あれ、ダメか? 制御装置つけてるだろ?」 「つけてる。でも、もう少し感度落とさねえとな。ピアス増やすわ」  そう言いながら、遮断したほうが良さそうだと思った触覚の制御ピアスをつける。パチンと耳元でリングが噛み合う音を聞くと、次第にざわついていた肌の表面が、鎮静剤を打たれた後のようにその感覚を放棄していった。そうは言っても、全てが遮断されるわけじゃ無い。ようやくミュートと同じレベルに鈍くなれたという感じだ。 「大丈夫か? じゃあ、もうちょっとだけ前に行こうぜ」 「ああ、分かった」  楽しげに進んでいく相原の手を握り、またその後を追いかけた。  ステージには左寄りにDJブースがあって、そこで数人のDJが入れ替わりながらプレイしていた。そのメンツも見た目がバラバラだ。ドレッドヘアのやつ、ストレートロングのプラチナブロンドのやつ、アフロヘアのやつ……。  そして、フロアに蠢く客の色がまた凄い。見ているだけで、視覚から聴覚が狂わされ、騒音が生まれそうなほどにごちゃごちゃしている。  ピンク色の長い髪を靡かせた背の高い女が一人、ブースに張り付くようにDJに話しかけている。その隣は、目が覚めるような淀みのないロイヤルブルーのショートヘア。そして二人とも、着ている服の柄が凄い原色の生地に大きめの幾何学模様がびっしりと埋め尽くされている。見の端に入るだけで、その奥がずきりと痛んだ。 「うわっ……。音はうるさくねーけど、見た目がうるさいわ」  視覚をもう少し遮断しようかと思い保護のサングラスを探してバッグを漁っていると、スマホにクライアントから着信が入っていたらしいことに気がついた。 「え、須崎さん? またか」  その名前を見て俺は焦った。彼はセンチネルの能力値は低いが、同じくらい制御能力も低い。一旦コントロールを失うと厄介だ。放っておくと自死しかねない。  せっかく相原と二人で出かけるという最高の週末を過ごせそうだったのに、もしかしたらこのままクリニックに戻らないといけないかもしれない。それは嫌だなと思いながらも、先をいく背中に向かって声を張り上げた。 「相原、ごめん! 須崎さんからコール来てたみたいだ。ちょっと上がって連絡してくる!」 「……須崎さん? おー、そりゃ大変だ。了解」  振り返った相原は、少し残念そうにヒラヒラと手を振る。須崎さんはうちの院内で取扱注意とされているクライアントだ。制御能力が低いということは限界を迎えやすいということであって、ゾーンアウトの危険が常に付きまとう。それなのに、ボンディングするのをずっと躊躇っていて、毎回命を救えるかどうかというところまで行ってしまうという、厄介なクライアントだ。  早めに対処しなければ命が危ないのだと何度言っても理解してくれなくて、そのくせ少し具合が悪くなるとすぐにこちらを頼る。だから、毎回俺たちはプライベートだろうがなんだろうがお構いなしに呼び出され、振り回されっぱなしになってしまう。  正直腹が立っているところもあって、ほったらかしておいてやろうかと思ったことも何度か有った。ただ、いくら俺が自分本位な人間だとはいえ、自分から悪事に足を踏み入れた人間でなければ、やっぱり助けてあげたくなってしまう。そんな人を見捨てられるほど、俺も鬼では無いのだ。 ——センチネルなんて、好きでなるわけじゃねえしな。  再度なり始めたコールに通話をタップする。そして、 「須崎さん、こんばんは。今電波届きにくいところにいるので、話しやすいところへ移動してからかけ直しますね」  と一気に捲し立てた。  須崎さんはそれを了承してすぐに電話を切ってくれたため、俺は地上に出てすぐに職場へと連絡を入れた。須崎さんへ早急にガイドを派遣してもらうためだ。 「うーっす、お疲れ様です。緊急です。ガイド派遣お願いします。はい、須崎さんです。俺が電話を繋ぐので、その間に派遣して下さい。……うん、そう。井田くんが空いてたら井田くんでお願い。須崎さんね、井田くんの匂いが好きなんだってさ」  電話に出た受付担当者が「ウエー」と言ったのを聞き流し、通話を終了した。ミュートの受付だけを担当している人にそれを注意する時間は無い。すぐに須崎さんへコールバックした。 「あー須崎さん、お待たせしました。大丈夫ですか?」  電話越しではガイドも感情を引き取る事が出来ないため、直接向かうしかない。ガイドの井田くんが到着するまで、俺がカウンセリングをする。  須崎さんは純粋すぎるため、すぐにゾーンアウト仕掛けてしまう人だ。そして、それが災いしてビジネスガイドとのボンディングをする事がどうしても出来ない。 「やっぱりボンディングはしたくないですか? 特定の人がいた方が楽になれますよ?」 「だって、ボンディングしなくてもケアはなんとかなるでしょう? そのために派遣ガイドがいるんだし。それに、もし運命の人と出会った時に、その人とボンド出来ないと相手に悪いじゃないですか。かといってボンディングした人と添い遂げられるかどうかもわからないし」 「……そうですね。須崎さんは優しいから、気になっちゃいますよね」  そう言いながら内心困ったもんだなと思っていると、目の前に突然人が現れた。その人は俺が気がついた時にはもう目の前にいて、踏みとどまるための距離さえ開いていなかった。 「……うわっ! ご、ごめんなさい」  センチネルである俺が、人がいる事に気が付け無いなんて事があるだろうか。そう思って慌ててしまうくらい、初めてのことだった。驚きながらも顔を上げると、また別の意味で驚かされた。そこにいた人は、思わず見惚れて動きを止めてしまうほどに光り輝いていたのだ。  いつの間にか暮れていた陽が、その銀色に輝く髪と真っ白な肌を、闇の中で一層引き立たせていた。背後にある街頭のオレンジ色が、彼の後光のようにすら見える。  風に揺れる白く柔らかそうなセットアップは、動くたびにゆらゆらと揺れて優雅だった。いくつか身につけている細身の金属のアクセサリーが、擦れ合ってシャラシャラと軽い音を立てている。それが、俺の耳を心地よくくすぐった。 「いえ、こちらこそごめんなさい。ぼーっとしてたから……。大丈夫ですか?」  そう返してくれた彼は、ふわりと目を細めて笑うと、すっと手を伸ばしてくれた。その時初めて気がついたのだけれど、俺はいつの間にか尻餅を着いて座り込んでいた。  手にしていたはずのスマホは地面に落ちているし、電話の向こうで須崎さんが 「どうしたんですか? 大丈夫?」  と繰り返しているのが聞こえる。俺は慌ててスマホを拾うと、スピーカーに向かって話しかけた。 「あ、大丈夫ですよ! すみません、人と出会い頭にぶつかってしまって。こけてスマホを投げてしまいました」 『え? センチネルが人とぶつかるとかあるの? まあ、気をつけてください。……あ、井田くん来た!』  須崎さんはそう言うと、ブツっと通話を終了した。井田くんが来てくれれば、俺には用はないだろうから仕方がない。少々納得はいかなかったけれど、俺も通話を終了させる。そして、ぶつかった事をきちんと詫びようと思い立ち上がった。しかし、もう彼はいなくなっていた。 「あれ? さっきの人もういない……?」  話の途中でそのままにしておいたことを詫びようと思って、すぐに入口の方へと彼を追いかけた。でも、入口のドアに辿り着いても、ドアを開けて中に入っても、あの銀髪の青年はいなかった。 「……あんなに目立つ人が見つからないなんて、あるか?」  狐に摘まれたような気分になりながら、俺は気を取り直して相原のいるカウンターへと戻ることにした。 「おー何やってたんだよ、遅かったな」  アイハラは少しだけ酔っているように見えた。それでも、いつもの胡散臭いほどの清い顔をしている。 「ほら、今から即興始まるぞ。DJブースの下のところ、少し開けてもらうようになってるんだ。ほら、あの真ん中に立ってる黒髪褐色肌の子、あの子がイノリくんだよ」  そう言って、相原が指し示す場所を見てみる。確かにブースの前には、やや人の波が割れて一人の青年が立っていた。  しかし、そこにいるのはどう見ても相原のいう黒髪褐色肌の人物では無かった。その人物は、暗い地下のフロアの中で眩いほどに光り輝いていた。そして、それはついさっき見失った、あの銀色に光り輝く青年だったのだ。 ——どう言うことだ?  俺は自分の目がおかしくなったのかと思い、目をゴシゴシと擦った。それでもやっぱり、相原がイノリくんと呼んだ彼は、眩いほどに白金の光を撒き散らしていた。 「なあ、相原。あの真ん中に立ってる子だろ? っていうかダンサーはあの人だけだよな。俺の目には、どう見ても銀髪ロングの白肌碧眼に見えるんだけど……」  俺がそういうと、相原は「え? イノリくんが?」と目を丸くした。 「ああ。あの人が間違いなくイノリくんならな。ついでに言うと、さっき電話中に出会い頭にぶつかったんだけど……」 「ぶつかった? お前が? ……なんで?」 「……いや、だから、今それを言おうとしてて……」  興奮した相原にその理由を話そうとした矢先、パッと照明が消えた。予測していないタイミングで照明が落ちて真っ黒になったことで、聴覚が急激に過敏になった。制御ピアスをしてはいるものの、音を鑑賞するとあって全消去はしていない。 「……うっ! まずい、今でかい音が来たら……」  即興演奏のメインは打楽器だと書いてあった。音楽は北アフリカと南アフリカのミックスのようなものだと聞いている。だとしたら、高い金属音と重たい衝撃に耐えうる準備が必要だ。  慌てて小型のイヤーマフを探したけれど、急激な情報の取得のせいで限界が訪れてしまった。手が震える。人の匂いが混在していて、それが更に入りたくも無いゾーンへと俺を押し入れてしまう。情報過多によるハウリングが起き始めていた。 ——ヤバい、めまいが……。  倒れないようにしなければと思うよりも早く、ぐらりと視界が歪んだ。体が大きく揺れ、頽れそうになる。 「ハジメ?」  異変に気がついた相原が、こちらへと手を伸ばす。それが触れるか触れないかのタイミングで、激しいビートが鳴り響いた。 「う、わ……っ!」  ああ、もうダメかもしれないと腹を括りかけたところに、ゾーンから自分が弾き出された事を知る。なんと、危うくなった俺を助けたのは、最悪のタイミングで鳴り響いたアフリカンビートそのものだった。 ——え? なんで? 全然辛くない……。  いつもなら、これほど大きな音を防御なしに聞いてしまうと、発狂してしまうんじゃないかと思うくらいに激しいビートが鳴り響いている。ダルブッカ、ジャンベ、サバール。楽器を紹介しながら、叫ぶように合いの手を入れながら、熱のこもった演奏が繰り広げられていた。  それなのに、俺は少しも苦しくならない。それどころか、むしろ少しずつ気分が安らいでいっているようにすら思えた。 「……すっげえ。俺、今まで即興演奏で感動したことないぞ。でも、なんかこれ、すげーな」  思わずポカンと口を開けてしまいそうこぼすと、なぜか相原が得意げに 「だろ? これは有無を言わせない強さがあるよな」  と言った。そして、その楽器の前に歩み出てきたイノリくんへと視線を送る。 「イノリくんのダンスは、その音に合わせるんじゃなくて、音が形になったみたいに見えるぞ」 「音が形に?」  それはどういう事だろう。そう興味を惹かれてイノリくんに目を向けると、ブレイクの静けさに合わせてキッと顔を上げた彼が、ビートに合わせて手を返すように踊り始めた。  彼が手を返すたびに、鈴の音のように聞こえるそのシャラシャラと軽い音が鳴る。重たい打楽器の音が彼自身の動きとピッタリ連動していてまるで音が彼となって具現化したように見え、その隙間を飛び回るように自由に駆けていく軽やかな音は、揺れる衣装と寸分違わぬ動きを見せていた。  楽器が表をいけば、イノリくんは裏にいく。その二つが噛み合って一つになる。衣装と金属の音はその間を行き来している。全ての要素が自由に駆けているようでいて、どこか一箇所で強固に結びつきあっていた。  暗いステージに、一箇所だけ明るいライト。  その中心にいる、美しい一人の青年。  俺は、いつの間にか、その空間で起こることの全てに夢中になっていた。

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