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第十六話 残された者
襲って来る殭屍 たちを大扇一本で切り抜けている翠雪 の周りには、まるで見えない壁でもあるかのように誰ひとりとして一定距離以上前に進むことが叶わない。
触れようとすれば鋭い風が無数の刃となって触れた者の四肢を傷付け、終いには四方八方に吹き飛ばされるのだ。
宿屋の前には殭屍 の群れがすでに押し寄せていて、扉を開ける知力はないが力の加減を知らないせいで、肩が外れるのも構わず次々に扉に体当たりをしていた。
扉の奥から陽 の小さな悲鳴が聞こえた。閂をして彼らを入れまいとしているが、破られるのも時間の問題だろう。
「南海赤龍王よ····我が呼びかけに応え、悲しき者たちに導きの焔を」
翠雪 は一枚の符を口元に持っていき、落ち着いた声音でなにか唱える。色白な細い指に挟まれたその符は、翠雪 がその言葉を唱えた途端、赤い墨で描かれた赤龍と黒墨で描かれた文字が浮かんで、激しく燃え上がった。
その符を宙に投げたその瞬間、赤い焔に包まれた火竜が現れ、扉の前にいた殭屍 たちの周りをぐるりと回ると、一瞬にしてその内側にいた者たちをその焔で浄化した。
燃え上がる火柱。殭屍 たちは皆、その焔によって黒い影へと変化し、やがて吹き荒れた風が、灰を天へ還すように炎と共に半月が輝く闇空へと舞い上がらせる。それは彩光の代わりでもあるかのように、この異様な事態を知らせる狼煙となった。
「陽 、大丈夫です?」
「その声······翠雪 さんですか!?」
希望の光でも見つけたかのように、陽 は涙声で答える。得体の知れない者たちの深夜の突然の襲撃は、十三歳の少年には恐怖だったろう。ガタガタと上手く指が動かないのか、閂を上げることすらままならないようだった。
やっと扉が開いて、勢いよく飛び出して来た陽 が翠雪 に縋るように抱きついて来た。若草色の上衣を握り締めて、掠れた声で嗚咽を漏らす。
「じいちゃんが! 俺を庇って····っ」
え、と翠雪 は扉の奥に視線を向ける。そこには床に寝かされた老人の姿があり、首の辺りが骨が見えるほど抉れ、夥 しい血が広がっていた。床を引きずった痕もあり、倒れた老人を陽 があそこまで運んだのだと推測できた。
胸が上下している様子もなく、すでに亡くなっているのだと遠目でもわかってしまった。そ、と遠慮がちに頭を撫で、翠雪 は唇を噛み締める。
そして事の経緯を話せる範囲で説明し、この村には自分たち以外生きた人間はいないのだと伝える。そんな悪夢みたいな状況を、陽 がすべて吞み込めるはずもなく、あまりの現実離れした話に、とうとうなんとも言えない表情で笑い出した。
「はは····あはは······そんなよくわからないものに、じいちゃんが殺されただなんて····しかも村の皆が生きた屍になって、俺たちを襲ってくるなんて······こんなの、笑うしかないじゃないですか」
「陽 ····、」
翠雪 はこの悲劇の原因が自分かもしれないことを想うと、陽 に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
悪いのはこの悲劇を生みだした者であって、翠雪 が直接の加害者ではない。しかし、あの緑葉 という魔族の皇子は、この惨劇さえ実験体の後始末だと言い切るだろう。
研究し探究するものは違うが、誰かの犠牲の上に生まれるものなど翠雪 は望まない。こんな風に悲しみが生まれる研究など、なんの意味があろうか。
魔族は人間と対立関係にあり、お互いに憎しみ合い、殺し合う運命にある。
けれども、それは誰の意思なのか。遠い昔に魔族が人間を裏切ったと書物には記されているが、それははたして真実なのか。触れあい、言葉を交わしてみれば、自分たち人間との違いなどほとんどない気もする。
だからといって、仲良くなれるかと言われれば即答はできない。生まれた時から植え付けらた偏見と過去の惨劇がそれを赦さないのだ。
「あなただけは、責任をもって私が守ります。絶対にこの手を離さないでください」
衣を強く握りしめていた、自分より少し小さな左手を包み込むように触れる。その表情は慈愛に満ちた美しい天女のようで、陽 はあの黒い感情から解放されたかのような錯覚を覚える。
「すべて片が付いたら、おじいさんのことも穏やかに眠れるように葬送しましょう」
陽 は仰向けに眠る祖父に視線を巡らせ、じっと見つめたままゆっくりと頷いた。それを確認するとその手を取り、翠雪 は陽 と共にひとりで戦っているだろう天雨 の許へと急ぐ。
途中、何体もの殭屍 がふたりに襲いかかって来たが、翠雪 がそれを赦すはずもない。大扇で起こした風と炎の符術で、灰と化した者たちすべてを天へと還す。
「あなたは見知った顔も多いでしょう。怖ければ目を閉じていてください」
「いいえ······俺は、村の皆の最期を見届ける義務があります」
それが、生き残った者ができるせめてもの弔いだと。そんな風に強い瞳で呟く陽 に、翠雪 はずきずきと胸の辺りが軋む。
のんびりとしているがしっかりしていた印象のあったこの少年を、変えざるを得ないこの惨劇。唯一の家族を亡くした彼もまた、この夜からたったひとり生きていくことになる。
それがどれだけ辛いことかを身をもって知っている翠雪 は、陽 に対して思うところがあった。
「私は一応これでも風明 派の道士なんです。あなたさえよければ、私の許で共に風明 山で暮らしませんか? もちろん、道士になる必要はありません。嫌なら、せめてひとりで生活できるようになる歳までは、私に援助させてください」
「そんな····いいんですか? 俺なんか何の役にも立たないのに」
「もちろんです。役に立たないだなんて、そんなことは気にしないでください。私も魔族に両親を殺され、身寄りもなく、拾われた身なんです」
そうなんですか? と陽 は翠雪 のその告白に親近感を覚え、悲しい気持ちが少しだけ和らいだ気がした。辛い目にあっているのは自分だけではないのだという、達観した答えに辿り着く。
「あ、でも私、門派の皆には疫病神などと呼ばれてますが、それでも平気ですか?」
冗談でも言うように肩を竦めて、翠雪 は困ったように笑ってみせる。ふるふると陽 は首を振り、「そんなの嘘に決まってます」と心の中で呟く。
この村で起こったことは、目の前のひとのせいではないし、翠雪 がいなかったら、自分も食べられていただろう。
庇って亡くなった祖父を想えば、なんとしてでも生きてやろうという気持ちの方が大きかった。
「俺は、あなたについて行きます」
ぎゅっと握り返した手はひんやりと冷たかったが、自分の手には心地好く、なによりも月明かりに仄かに照らされた、翠雪 の儚げな横顔に目を奪われた。
命の恩人であり、自分を導いてくれるだろうひと。陽 は、そう思わずにはいられなかった。
そして殭屍 に襲われながらも路を進み、やがて目の前の光景に陽 は息を呑む。
薄墨色の闇夜の中、紅く光る蝶の群れに囲まれ、赤く染まった刀剣を手に半月を見上げる青年がひとり、路の真ん中にぼんやりと立っている。
青年がこちらに視線を向けると同時に、彼の周りを飛び交う蝶たちの紅く光る透明な翅が、ひらりはらりと闇夜に瞬いた。
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