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ディアリンドだけにできる事

「ケイト、抱きしめても……?」  コクリと頷いた彼が身を寄せてくる、私は今度こそ彼を大切に腕の内へ包む。 「リンは、したい? えっと、セリクは判定基準がはっきりするまで口でするのもやめた方がいいって言ってたけど、手なら大丈夫だろうとも言ってたし、その、他の方法も、あるし……」  ケイトは頬を赤く染め、徐々に声を萎ませながらも、私のために提案してくれる。  他の方法というのは何だろうか。  私には思い当たらないが、彼はこんなことまでも私より博識だ。  私は、腕の中の彼をそっと横抱きにして私の膝の上へ引き上げると、壁に背を預ける形でベッドの真ん中あたりにゆったり腰掛ける。 「リン……?」  こうすると、私の腕の中で小さく戸惑う彼の様子が良く見える。 「ケイト、私の願いを……聞いてほしい」  ビクリと小さく肩を揺らした彼の表情の隅に、警戒が滲む。  おそらくロイスでは気付かない程度の、ほんの小さな変化。  けれど私はこれでも公爵家の四男だ。  爵位を継ぐ予定こそなかったが、幼い頃から両親と城に呼ばれて王子や姫達の相手をする事もあれば、大人達のやり取りを身近で見ることも多かった。  こと恋愛に関して鈍い事は自覚しているが、それでも騎士達の中では人の表情を読むことができる方だった。  聖女の護衛騎士となってからも、家柄と容姿が揃っていた私は比較的聖女の側に控えることが多く、巡礼では多くの地方貴族達と顔を合わせていた。  そんな経験が今になってようやく、貴方の心を探るために役に立ちそうだと分かった。 「願いって……?」  ケイトの言葉は、私の言葉に何も足さないよう気を配ったように聞こえた。  それは、隠しているものをカケラも見えないように、チラとも覗かれないようにとしているようで、なぜか胸が潰されるような息苦しさを感じる。  私は彼の表情の小さな変化から一挙手一投足までの全てを逃さぬように集中しつつ口を開く。 「どうか私に、貴方の心の……全てを見せてほしい」  私の腕の中で、ケイトは揺れそうな瞳を押さえるように瞳を伏せて、ほんの僅かに身を縮めた。  *** 「ケイト……?」  なかなか返事を返せない俺の名を呼んで、リンが優しく俺を促してくる。 「……あ、ごめん。なんだっけ」  苦笑いと共に首を傾げて見せれば、リンは困ったような悲しそうな顔で俺を見た。  ごめん、リン……。  でもダメなんだ。  俺は、それだけは……、どうしても、できない。  だって……もしリンに行かないでって言われたら、俺……行くのが辛くなっちゃうよ……。  フロウリアに苦しんでる人がいるって分かっていて。  助けを求めてる人が、これから助けが必要な人が、きっとたくさんいるから。  行かないなんて選べない。  だからどうか、俺の迷いに触れないでほしいんだ……。 「ケイト……。私に隠す必要はない」  俺の頭にリンの顔が近づいて、何度も優しく唇が寄せられる。  優しい触れ方に心がほどけてしまいそうで、俺はぎゅっと両手を握りしめた。 「俺は何も……」  隠していない、とは言えなかった。  彼に嘘は……どうしてもつきたくなかった。 「俺は……、大丈夫だよ」  かわりに選んだ言葉は、何とも頼りなかった。 「ケイト……頼む、隠さないでくれ……」  俺の背中を支えているリンの腕が、外側からそっと俺の手を取る。  リンに優しく持ち上げられた俺の拳は、リンのもう片方の手に包まれて、リンの長い指が握り込んでいる俺の指をそっと一本ずつ解こうとする。  リンに暴かれてしまう。  そんな予感に背筋が震える。 「っ、や……っ」  俺は慌てて拳を自分の胸に引き寄せた。  ざわざわと胸が騒ついて、ちょっとでも気を抜くと息が乱れてしまいそうだ。  ダメだ。  これ以上はマズイ。  リンには悪いけど、これは断るしかない。 「ごめん。今日はガイダンスで疲れてしまったから、ここまでにしてもらっていいかな」 「すまない、それは聞けない」  ……え?  リンの言葉が意外過ぎて、俺は思わず顔を上げてしまった。  そこには息を呑むほどに美しい顔があった。  青みがかった黒い瞳が、同じくどこか青みを帯びた黒い髪の間から、まっすぐ俺を見つめている。  いつもスッと流れている眉が、苦しげに寄せられている。  これは、リンが今も必死で俺を慮っているせいだ。 「リン……」  俺の全てを見せてほしいとまっすぐ求めてくる黒い瞳から、俺は何とか逃げ出そうともがいた。  ぎゅっと精一杯力を込めて、俺は強引に目を閉じる。  閉じた瞼の向こうから、俺を呼ぶリンの声が小さく聞こえた。  それだけで、自分の中の弱い心がリンに助けを求めてしまいそうで……。 「……お願い、今日はもう……許して……」  俺の切実な懇願は、自分が思うよりもずっと弱々しかった。  俺はちゃんと、皆の為に立ち向かうから……。  怖くても、寂しくても、そんなこと絶対言わないから。  フロウリアでは、舞台の上では、俺はしっかり最後まで清廉な聖女像を演じてみせるからさ。  だからお願いだよ……。  リンには……リンにだけは、見られたくないんだ……。  たくさんの人の命と、リンの願いを比べた時に、ほんの一瞬でもリンを選んでしまいそうな俺の……自分勝手で汚い心を……。  こんな物をもしリンに見られてしまったら……。  ……きっとリンは、俺に失望してしまうよ……。  俺はリンの前では、せめて心だけでも立派な聖女でいたいんだよ。  ぎゅっと閉じたままの瞼の裏が熱く滲んでゆく。  ダメだ!  こんなところでリンに涙を見せてしまったら……っ! 「っ……」  涙を堪えようと力を込め過ぎた視界が、中央から白く染まってゆく。  俺の頬に、ふわりと何かが触れる。  優しく瞼を撫でたのは、リンの指先だろうか。 「ケイト。貴方の涙を、どうか私に許してほしい」  間近で囁かれた言葉は、息がかかるほどに近い。  囁いたリンの唇は、そのまま俺の目尻を啄んだ。  ***  どうして彼は、いつも一人きりで抱えてしまおうとするのだろうか。  もう、どこから見ても繕えていないのに、それでも必死で抵抗するその姿は、私をたまらない気持ちにさせる。  私が彼の涙を乞えば、彼は喉の奥を小さく震わせた。  その細やかな衝撃に、控えめにまつ毛の並ぶ彼の瞼から、輝くほどに美しい雫が零れる。  こんなに美しい涙を、私はこれまで見た事がなかった。 「っ、俺……、俺は……」  ようやく口を開いてくれたケイトに、私はその言葉を一音も聞き逃すまいと耳を澄ます。 「俺は、リンに幸せになってほしいんだ……」  しかし、彼が口にしたのは彼の苦しみでも迷いでもなく、私の幸せについてだった。 「リンが俺のことを想ってくれるのは、本当に嬉しい。……でも、リンには俺よりもっとふさわしい人を探してほしい」  苦しげに話す彼の頬を、ハラハラと涙が伝う。  これは彼が私を想って零している雫なのだと思うと、一粒残らず飲み込んでしまいたい衝動に駆られる。 「リンを支えてくれて、リンと一緒に時を重ねてくれる人を……」  ああ、貴方はまた、私にそうおっしゃるのか……。  ズンと重くなる胸を忌々しく思ってしまってから、気づく。  そうではない。あの会話は、彼が記憶を失う前だったのだと。  つまり、今の彼にとっては、これが初めてなのだ。  彼は私を手離したいのではない。  いついかなる時でも私の幸せを願っているというだけではないか。  それならば、私は何度でも伝えよう。 「私の幸せは貴方の側にしかない」 「……ぇ」 「ケイトがいない世界で私が幸せになることは不可能だ」 「そ……」 「私はほんの一瞬の命であっても、その全てを貴方の側で過ごしたい」  私の言葉に、彼は頬を赤く染めながらも抵抗する。 「そっ、そんなの、俺の記憶を消してもらったらいいんだよ。俺はそのためにあの禁呪を作ったんだから……」  ああ、彼は巡礼に参加しなかったあの時ですら、私のことだけを想い私の為だけに動いていたと言ってくれるのか……。 「リンに……幸せになってもらえるように……」  どこか悔しそうなその声ですら、彼が私を愛しているからだと分かる。  他の者に譲りたくないと思ってくれているからこそ、彼は悔しいと感じている。  けれど、それを隠してでも私の幸せを願っているのだ……。  それならば、私も貴方に伝えよう。  私がどれほど、貴方を深く愛しているのか。

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