12 / 27
第12話 ヒーローは放課後に現れる
「なあ。もやしくん。ちょっと面貸せよ」
翌日の放課後、下駄箱で靴を取り出していた僕は、背後からかけられた低い声に肩を強張らせた。
振り返らなくても、誰だかはすぐにわかった。
村野と三上。
同じクラスで、いつも玲乃の近くにいる二人だ。
僕は視線を落としたまま、小さくうなずく。逆らう選択肢なんて、最初からなかった。
体育館裏は、人の気配がほとんどなかった。
コンクリートの壁に背中を預ける形で立たされ、村野が一歩、距離を詰めてくる。
「お前さ、マジで目障りなんだよ」
低い声。怒鳴っているわけでもないのに、胸の奥がぎゅっと縮む。
「いつも下向いて、ボソボソ喋って。陰気くせえんだよ」
何か言わなきゃ、と思うのに、言葉が喉に引っかかって出てこない。
代わりに出たのは、情けないくらい小さな声だった。
「……ごめんなさい」
「ほら、それ」
三上が肩をすくめて笑う。
「すぐ謝るとこ。そういうとこが余計ムカつくんだって」
村野が、僕の胸元を指で軽く突いた。
突き飛ばすほど強くはない。それなのに、足元がぐらついて、背中が壁にぶつかる。
ごん、という鈍い音。壁にぶつかった背中がじいんと痛む。
心臓が早鐘みたいに鳴り出す。
逃げたいのに、身体が言うことをきかない。
「別にさ、殴りたいわけじゃねえんだよ」
村野はそう言いながら、僕の前に立ちはだかる。
「ただ、お前が調子に乗らなきゃいいだけ」
調子に乗る、って何だろう。
息をして、学校に来て、同じ教室にいることだろうか。
三上が僕のカバンを足で引き寄せ、軽く蹴る。
「この前、お前に教室の掃除させた後、玲乃から叱られてさあ。シンプルに不愉快。次、玲乃にチクったらわかるよな?」
玲乃にチクる。
その言葉だけで、頭の中が真っ白になる。僕と玲乃の関係に気づかれたら終わりだ。そう思ったら涙が溢れてきて、視界が滲んでいく。
「は? こいつこんなんで泣いてんの? よっわ」
村野と三上の嘲笑うような声にさらに涙が溢れてくる。自分の弱さを思い知った気がした。
──もう、だめだ。
そう思った瞬間だった。
「お前ら、ダサいことしてんな」
低くて、落ち着いた声。
聞き慣れたその声が、背中越しに届いた。
息を詰めたまま、ゆっくり顔を上げる。
視界に入ったのは、黒く光るローファー。
次いで、制服のズボン、真っ直ぐ伸びた背中。
玲乃だった。
僕と村野、三上を一段高い位置から見下ろすように立っている。
表情は、驚くほど冷静だった。
「は? なんだよ。玲乃かよ」
村野が舌打ちする。
「お前には関係ねえだろ」
「関係ある」
玲乃は即答した。
「その子、クラスメイトだから」
それだけ言って、一歩、前に出る。
ただそれだけなのに、空気が変わったのがわかった。
村野は一瞬、言葉に詰まったあと、強がるように胸ぐらを掴もうと手を伸ばす。
けれど。
「触んな」
玲乃はその手首を掴み、力を込めるでもなく、ただ下に押し下げた。
「……っ」
村野が顔を歪める。
殴ったわけじゃない。ただ、動きを止められただけだ。
「今すぐ離れろ」
声は静かだったけれど、有無を言わせない強さがあった。
三上が後ろから口を挟む。
「二対一だぞ?」
玲乃は振り返りもしない。
「だから?」
短い一言。
「続けたいなら、先生呼ぶけど」
その言葉に、二人の動きが止まった。
体育館裏は、思っている以上に声が響く。
誰かが来ても、おかしくない時間帯だ。
「……ちっ」
最初に視線を逸らしたのは、三上だった。
「行くぞ、村野」
「はぁ!? まだ──」
「いいから!」
三上に腕を引かれ、村野は悔しそうに僕を睨みつける。
「覚えとけよ」
吐き捨てるように言って、二人は足早に去っていった。
その背中が角を曲がって見えなくなるまで、玲乃は動かなかった。
完全に人の気配が消えてから、ようやく僕の方を振り返る。
「……大丈夫か」
その一言で、張り詰めていたものが一気にほどけた。
「れ、の……」
名前を呼んだ途端、声が震える。
玲乃は少し驚いた顔をしてから、すぐに視線を柔らげた。
「無理しないで。立てる?」
差し出された手を見つめる。
その手は、さっきまで村野を制していたとは思えないほど、落ち着いていた。
僕は小さくうなずいて、震える指でその手を掴んだ。
引き上げられると、視界が一気に高くなる。
──助かった。
その事実が、胸の奥にじんわり染みていく。
痛みよりも、怖さよりも。
今はただ、玲乃がここに来てくれたことが嬉しかった。
ともだちにシェアしよう!

