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§5-1 嫁ぎ剣となりて

 ゼフィロス王は砦に到着後、スフェーン王国の騎士団長のドノヴァン、隊長達と明日の作戦に関して会議を行なった。  概ね問題なかったようで程なくして会議は終了した。  ゼフィロス兵には食事と寝床の案内を行い、明日に備えてもらうようにする。  俺はゼフィロス王と側近達を天幕へ案内した。辺りは深い闇に包まれ砦の周囲に巡らされた松明の炎が夜風に煽られてパチパチと音を立てている。  スフェーンの兵たちが拍手をして出迎える。「よろしくお願いいたします!」や「ありがとうございます!」といった声も聞こえる。スフェーンには様々な国から人が入ってくるし、この砦の守りには冒険者に依頼をして助力してもらうこともある。基本的に初対面の者とも気安く話す人間が多いと思う。  ゼフィロスの兵の皆さんも驚きつつも小さく会釈を返してくれている。これからはもっと交流が増えるといいな……と展望を抱く。明日の戦いはそういうものも懸かっている。  天幕に到着し、俺は挨拶をする。 「それでは私はここで失礼いたします」 「あ! ライゼル王子! お願いがございまして……」 「いかがされましたか?」 「少しだけで良いので、うちの王様とお喋りしてもらえませんでしょうか?」 「お喋り……」 「オイ……ッ! 王子もお疲れであろう、余計なことを言うな」 「いえ、構いませんよ。寧ろお話しさせていただけるのであれば、ぜひお願いいたします」 「ほほ! ありがとうございます! では最低限の護衛だけ置いて私共は一旦下がりますので。国王様! しっかり頼みますよ!」 「後で覚えておけよ……」     あれよあれよという間に側近の方々は姿を消し、天幕の中で二人きりになった。  一瞬にして、静寂が訪れる。天幕の厚い布地が外の喧騒を遮断しているのでやけに静かだ。周囲の音が遠ざかったことで、自分の鼓動がやけに大きく響いているような錯覚を覚える。  立ちっぱなしもなんだと思い、ゼフィロス王にはくつろいでいただくよう伝える。勧めた通りに腰掛けを使ってくださったので、俺はお茶を淹れることにする。  沈黙の中で湯を注ぐわずかな音と茶器同士の触れ合う甲高い金属音が響く。俺の指先は微かに震えた。  ゼフィロス王の前にお茶を出し、先に飲んで見せる。 「世話をかけてしまって申し訳ない」 「いえッ……!」  話してみたいと思ったのは本心なのだが、いざ目の前にすると何を話せばよいか分からず、思考がぐるぐると回る。  彼の空色の瞳が俺の戸惑いを見抜いているのではないかと、動揺を隠しきれない。 「……ミレイは失礼なことを言わなかっただろうか」 「ミレイ……ああ、ソノラさんですか! とんでもないことでございます。私とお会いしたことを覚えていてくださって、尽力してくださりました」 「あいつの呼び方はミレイでいい。姓だと宰相と区別がつかないのだ」 「ソ……ミレイさんは宰相殿とご親類だったのですか!?」 「ああ。妹だ」  ミレイさんがゼフィロス王国の宰相ときょうだいとは予想しておらず驚いてしまった。  さらに驚くのは、そのような重要人物を一人だけで隣国に送ったことだ。いくらゼフィロス王国とスフェーン王国に争いが無いとはいえ、思い切った選択と言わざるを得ない。 「断っておくが、貴国に行きたいと言ったのはミレイ自身だ。寧ろ押し切ったと言っていい」 「ミレイさんは、思い切りの良い方なのですね……はは……」  俺の乾いた声に口元で笑い返してくれる。その穏やかな笑みに緊張がほぐれてくるのを感じる。 「……交換条件についてだが、今から変えても構わない」 「……え……?」  しかし突然、胸が痛む言葉を向けられる。  その言葉は、まるで冷たい刃のように俺の胸の奥深くに突き刺さった。心臓が大きく跳ね、血の気が引いていく。俺は見事に狼狽えて、口をはくはく、と動かすだけで言葉が出て来ない。 「……私では、力不足でしょうか」  絞り出した声は、震えて上ずっていた。自分の情けなさに唇を噛む。かろうじて絞り出した声。恐る恐るゼフィロス王を見ると、空色の瞳が大きく見開かれた。瞳には驚愕と動揺の色が滲む。その瞳に映る自分が、ひどく不安定に見えた。 「ま、待ってくれ、どうした。泣かないでくれ」  泣いてはいない。そりゃあちょっと瞳に水膜が張っているかもしれないけれど。泣いていない。  しかしゼフィロス王は狼狽えている。 「王子が望まないのに、無理に条件を飲まないで良いと言いたかったのだ。条件なぞいくらでも変えてよいと」 「……私がそんなに、覚悟の無い人間に見えますか」  俺は相手が国王であることなどすっかり忘れ、自分の決意の重さを必死に訴えていた。この交換条件を受け入れたのは、国のためであると同時に、自分が望んだ未来でもあるのだから。   「……ッ!!」  しまった、という顔をして、手で額を覆う。  ゼフィロス王は大きなため息をついてから顔をあげて、俺をまっすぐに見つめる。 「申し訳ないことを言った。できることなら、許してもらいたい。王子の覚悟を見くびっているわけでは無く、我が国に無理をしてまで来てほしくなかったのだ。元々スフェーン王国とは国交を取り戻したいと思っていた。民意も伴っている。だからこの援軍はその足がかりで、条件とは表向きの話で良かったのだ。しかしウチの家臣達が……いや、最終的に俺も同意したのだから同罪だが……伴侶を持つつもりがなかった俺に、王子なら条件に合うだろうとあれよあれよという間に宰相とミレイ達が話をまとめてしまった。これが此度の大まかな事の成り行きだ」  早口で捲し立てて経緯を話してくださった国王の表情が必死で、波立った心が少し凪いでくる。  権威や威厳を纏わない、一人の男性としての必死な表情だった。その率直な弁明が、俺の胸の中にあった刃を静かに抜き取っていくようだった。

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