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§30-2 月影に揺れる夜香木*

   俺は持っていた瓶を元の場所に戻した。すっかり迷いは消えて、望むのはグレンと向き合うことだけだ。さっと寝巻きを身に付ける。  清々しい気持ちで部屋に戻ると、グレンが目を丸くする。 「髪がびしょ濡れじゃないか!」 「え? いつも通りなんだけど……」 「風邪を引いたらどうする。こっちに来るんだ」 「これくらいで風邪引くほど柔じゃないよ」 「いいから。座れ」  言われるがまま椅子に座るとグレンが後ろに立つ。少し待っていると、髪が温かい風で揺れ始めた。 「すごい! こんな使い方が!」 「獣人は割とすぐに毛が乾くが、これが手っ取り早いんだ」  グレンは風属性と炎属性魔法を融合して、温風を作り出していた。思い返せば、ギル兄とアド兄は風魔法が使える係に髪を乾かしてもらっていた気がする。  俺は城よりも砦や農村にいる時間の方が多かったから、すっかり髪を乾かす習慣を忘れてしまっていた。  グレンは片手で温風を作り、反対の手で俺の髪を梳く。この手で髪を梳かれるのが好きだ。    思っていたよりも短い時間で髪が乾いて、グレンが櫛も通してくれる。おかげで髪がさらさらになった。 「すごい。さらさらだ」 「これからは俺が手入れする」 「えぇ、悪いよ」 「俺がやりたいんだ。これに関しては譲るつもりはないから諦めてくれ。風呂に入ってくる」 「う、うん、行ってらっしゃい」  変なところで強情なのが面白い。随分と俺の髪を気にしてくれているようだ。  グレンが風呂場へ行き、俺は先にベッドへ入る。俺が使っていたベッドよりひと回り近く大きいだろうか。しかしグレンと一緒に寝るとなれば、必要な広さだ。  ベッドからは微かにグレンの匂いがする。誰かの匂いでこれほど気持ちが凪ぐなど、知らなかった。    思った以上の心地よさに、少し瞼が重くなる。けれど、絶対寝ない。  ふと、スフェーンを出るときにアド兄から持たされた荷物のことを思い出した。  運び込んでもらった俺の荷物がある棚の引き出しをいくつか引くと、目的の箱が見つかる。    綺麗な装飾が施されている箱で、中身はゼフィロスで開ければいいと言われて、今の今まで忘れていた。  ローテーブルに箱を置いてソファに腰掛ける。  箱を開くと、中には見慣れないものばかり。  首を傾げながら中を漁ると、ペラリと紙が一枚出てきた。開いてみると、書かれていた文字はアド兄の筆跡だった。  懐かしい筆跡を指でなぞり、内容を読む。 「ライゼル。この箱を開いたということは、グレン様と仲良くできているようだね。まずは安心したよ。さて、中身の説明をしようか、……」  手紙と物を見比べながら、俺はどんどん顔が熱くなった。  どれもこれも、獣人との性行為に必要な(と、アド兄が考えている)物ばかりのようだ。 「これをどうしろって言うんだ、アド兄……」  額を手で押さえ、とりあえず手紙以外の中身を箱に戻す。手紙を書類と一緒にまとめながら、箱の処理をどうするべきか考える。  いい案が浮かぶ前に、風呂場の方からドアの音がする。グレンが風呂から上がったようだ。    箱のことを相談するのは恥ずかしいのだが……俺としてはグレンと関係を進めたいという気持ちの方が大きい。  これほど自分が欲に振り回される時が来るなんて思ってもいなかった。  不安なこともあるが、それ以上にこの気持ちを抑え込むのは無理だということを知っている。  ……もういい、箱の中身はグレンに相談しよう。  俺は箱周りを軽く布巾で綺麗にして、ベッドに持って行く。グレンが出てくるまで日課の柔軟体操でもして時間を潰しておこうと思った。  数分後、洗面所の扉が開き、洗髪料の香りが舞い込んでくる。 「いつもこのくらいの時間しか入らないのか?」 「日によるな。今日は早めに出た」 「なんで、もっとゆっくりしたら良かったのに」 「……お前を待たせたくなかったんだ」  グレンの瞳がすうっと俺に焦点を当てた。まるで獲物にされる小動物のような気分だ。  赤面した俺を他所に、先ほどと同じ魔法であっという間に身体を乾かしてしまう。  しかし普段見ているよりもふわふわ度合いが増していて、干したての羽毛布団のようだ。 「ふわふわだ……櫛は?」 「俺のか?」 「うん」  グレンが洗面所に戻り、大きな櫛を持ってくる。俺の拳より大きい。 「俺もグレンの毛梳きがしたい」 「何も面白くないぞ」 「いいから!」  グレンにベッドの端に座ってもらい、俺は背後で膝立ちになる。首の辺りから優しく櫛を通していく。引っ掛かったらきっと痛いよな。 「痛くない?」 「もっと思い切りやって大丈夫だ」 「そうなの?」  頷いたグレンが言う通りに今度は少し力を入れて梳いてみる。ところどころ引っかかる場所があったが、痛くなさそうだった。  段々と背中の方へ移ると、グレンの尻尾がふわりふわりと虹の軌跡のように揺れる。 「どう?」 「気持ちいいな。背中は自分じゃやりずらい」 「じゃあ俺は明日からグレンの背中を毛梳きする」 「ありがたいな」 「ふふっ」  明日から、なんて何気ない約束が、心をくすぐる。  こんなに楽しく満たされた日々が続くなら、それ以上の幸せはないだろう。  一通り背中全体に櫛を通せた。仕上がりは上々。ふわふわで綺麗なアイアンブルーと毛先の繊細な銀色が輝いている。  俺は思わずその柔らかい毛に包まれたくなって、グレンの背中に抱きついた。 「あー……ふわふわで気持ちいい……」 「……ライゼル」 「ん?」 「……他の奴の身体には抱きつくなよ」  グレンの身体の前に回した俺の手を掴み、小さく呟く。俺はもふもふを堪能するのを中断し、グレンの前に移動する。  俺がグレンを見下ろすという珍しい格好になり、その広い肩に両手を置く。しかし瞳は合わない。 「グレン」 「……」 「グレン?」  問いかけに返事は無く、視線も逸らされたままだ。少し黙って様子を見ていると、グレンが俺の腰に腕を回して抱きついてくる。    これもまた珍しいというか、初めてのハグの仕方で心臓が脈打つ。基本的にいつも俺から甘えるような格好が多いので新鮮だ。  黙ってグレンの頭や耳周りを撫でてみる。すると、グレンはごしごしと俺の腹に顔を擦り付けてくる。……可愛い。 「……グゥ」  喉を低く鳴らす音。これは完全に……

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