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§38-1 異変

   熱に浮かされたような結婚式のお祭り騒ぎが終わり、一週間ほど経った日。  今日は王都の冒険者ギルドを訪れる予定だ。  お忍びなので馬車ではなく馬で行きたかったが、あいにくアリュールは不在。  結婚式の2日後、ユーディア王国へ内偵に行くためアリュールとティラが出立した。充分気をつけるようにと伝えたが、ふとした瞬間に胸をよぎる心配は尽きない。  アリュールの代わりに俺を乗せてくれることになったのはグレンの愛馬、ウォルス。  アリュールから、自分が不在の間はウォルスに乗るようにと言われている。それ以外の馬に跨ったら怒るとも。 「ウォルス、世話をかけるね。頼むよ」 「ブルル~~ッ」  ウォルスはとても穏やかで人懐こい性格だ。その黒曜石のような瞳は知性に満ちている。グレンの相方としてスフェーンの戦場でも優秀な働きを見せてくれていた。  今日も太陽に照らされた青毛が黒光りしている。手入れの行き届いた毛並みからは、微かに陽の匂いがした。 「なんだ、俺が乗る時よりも機嫌がいいな」 「そんなことないだろ」 「いいや、間違いない」  見送りに来たグレンは少し拗ねたような胡乱な目でウォルスの首を摩る。その大きな手が、逞しい首筋を優しく叩いた。  さすがにまだウォルスの機嫌が良いとか悪いとかは分からない。  しかし、鞍と鐙を用意しているのにわざわざ片方の前足を後ろに曲げ、蹄を鐙代わりに貸してくれようとしている。その様子を見れば確かに、と思わなくはない。  その厚意に甘えて硬い蹄にそっと足をかけ、さっと跨る。 「おぉ、やっぱり他の子より高いな」  いつもより視界がぐんと開ける。 「大丈夫そうか」 「うん、ウォルスが乗せにくくなければいいけど」 「ブル~~~ッ」  肯定するように、ウォルスが短く嘶いた。 「問題なさそうだ。全く……そんなところまで似なくていいものを」  グレンが何やら小声で呟いたが、そんなことより、と腰を折り顔を近付ける。  意図に気づいてくれたようで、逞しい腕が俺の身体を支えつつ軽いキスをしてくれる。  俺たちは式を挙げてからは、こうして軽い挨拶のキスは人前でもするようになった。今はごく自然な日課だ。 「行ってくる」 「あぁ、気をつけてな」  細められた双眸に笑みを返す。二人の約束はすっかり日々に溶け込み、果たされている。 「頼む、ウォレス」  軽い脚の合図と声掛けでウォレスが滑るように歩き出す。  顔を隠すためフードを被り、もう一度グレンを振り返り手を振る。同じように片手を上げてくれる姿を目に焼き付けて前を向く。  じり、と肌を焼くような日差しを感じる。夏の足音がする晴天の下、城下は賑わいを見せている。  人々の快活な声、足音、焼きたてのパンや香辛料の混じった店の匂い、暖かい風が頬を撫でる。  人通りが多いので城を出たら整備されている道を使い、少々迂回して冒険者ギルドへ向かう予定だ。石畳の道は、馬の蹄に小気味よい音を返してくる。  先日、結婚式の後に農家の状況を報告に来てくれた商業者ギルド長のソルファに冒険者ギルド長の人柄について聞いた時のことを思い出す。あの怜悧な男が、珍しく苦虫を噛み潰したような顔をしていた。  彼曰く、“死に急ぎの無鉄砲野郎”らしい。なんとも物騒な二つ名だ。聞いたときは思わず笑ってしまった。  どうやらソルファと冒険者ギルド長は長年の付き合いらしく、 「なぜライゼル様がわざわざ足を運ばれるのですか!」 「なんなら私めが引き摺って連れてまいりますよ」 と冷ややかな表情で言っていた。  「ソルファへ初めて挨拶した時と同じだよ」 と伝えたら渋々納得してくれていた。  俺としてはやはり、ゼフィロスの冒険者ギルドをこの目で見ておきたいという気持ちが強かったのだ。 「旦那……今日って一応、お忍びなんですよね?」  供としてブラスとタイクも馬に乗ってついてきてくれている。見えないが、他にも護衛が数名影のようについてくれている気配を感じる。  俺の前を馬に乗って歩くブラスが、困惑したように眉を下げて振り返って言うので答える。 「何か問題でもあったか?」 「いえね、そのぉ……ウォルスが目立ちそうだなぁと思ってですね」  ブラスは同意を求めるようにタイクをちらりと見る。  それに気づいたタイクがやれやれ、と肩をすくめる仕草で続く。 「ウォルスは軍馬として鍛えていますからね。確かに街を歩く馬とは格が違います」 「確かに、大きいもんなぁウォルス」  戦場で主を乗せて走る軍馬は逞しい。日頃、筋肉が育つような食事を摂り、鍛錬をしているからだ。 「まあ、大丈夫だろう。今日は、例え誰かに気づかれたとしてもそこまで問題は無いから」  目立つよりは目立たないほうが移動しやすいのでお忍びにしているだけで、本当は楽な格好で街歩きをして民と触れ合いたい。  しかし直近の情勢を考えると迂闊なことはできない。グレンを守るためには、己の身もそれなりに守らねばならないのだ。  ゆったりとウォルスに歩いてもらい半刻ほどで冒険者ギルドの裏手に到着した。建物の影になり、ひんやりとした空気が漂う。  表から入ると目立つ可能性があるので裏手から入れるようにタイクが手を回してくれた。彼のそつのない手配に感謝する。 「ウォルス、少し待っていてね」 「ブルゥッ!」 「あぁ、あまり待たせないようにするよ。心配してくれてありがとう」  心なしかウォルスが目力を強めてこちらを見た気がした。その忠誠心は、飼い主に似たのだろうか。  あまり待たせると心配させそうだ。もしかするとアリュールから何か指示を受けているのかもしれない。  ギルドの裏手では職員と見られる人たちが数名、緊張した面持ちで待ってくれていた。 「お待たせしてすみません」 「とんでもないことでございます!」 「どうぞこちらへ」  皆揃いの服を着ているのでギルドの制服なのだろう。機能的だが、清潔感がある。はきはきとした動きは普段から冒険者相手に毅然と対応しているのを伺わせる。  ギルドの表側から目に触れることのないまま、ギルド長の部屋の前までたどり着くことができた。案内された廊下は、きれいで掃除が行き届いていた。  式の後から、俺は意識的に気を引き締めて気配を探るようにしている。  ゼフィロスの民が悪人ばかりでないことは重々分かっている。  しかし、自分としては歓迎してもらえたことで少し気が緩んでいたかもしれないとも思ったのだ。平穏は、自ら守り抜かねばならない。  ギルド職員が重厚な木製の部屋の扉をノックして中へ通してくれる。

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