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§54 花は巡る

 風呂から上がり、ざっと身体を拭いて下着だけを身に着ける。  脱衣所を出ていつものように魔法で風を纏って毛を乾かしていく。  いつも通りの時間に起きて、いつものようにシャワーを浴びた。    ――――背中の毛を梳いてくれる優しい手が恋しい。  普段の仕事着を身に纏う。ライは妙に俺の平常時の仕事着が好きなようだった。理由を問いただすのを忘れていたな。  そんなことを思いながら、ベッドの淵に腰掛ける。 「どうだ?」 「変わりはない。……お前、本当に仕事をしに行くのか?」 「ああ。仕事を怠ければライに怒られるだろう」  アリュールはライゼルの左脇腹に寄りそい、寝そべっている。俺の言葉を聞いたサノメとカウカが食って掛かってくる。   「グレン! 傍に居てやらなくていいのか?」 「別にここで仕事をしてもいいんだがな……昨日の今日でやるべきことが盛り沢山なんだ。すべてジェイドたちに任せるわけにもいかんだろう」 「……でも、もしかしたらライゼルはもう」 「そうなったらその時にまた考える。頼んだぞ、アリュール、サノメ、カウカ」    俺はライの額にキスを落とし、神の眷属たちの制止を振り切って私室の扉を開ける。  俺の姿を見止めた扉前の兵たちがぎょっとした顔をする。 「グレン様!? どちらへ行かれるのですか!」 「執務室だが」 「ラ、ライゼル様が目を覚まされたのですか!?」 「いいや、ぐっすり寝ている。どれくらいで目覚めるかは分からないな」 「え……?」  じゃあなぜ執務室へ行くのか、という疑問を顔に貼り付けた兵の横を通り過ぎる。  城に勤める家臣や係たちが俺を見るたびに呆然とした顔やぬか喜びした顔をする。いい加減見飽きてきた。  失意に沈む城の中を歩き、ようやく執務室にたどり着く。やけに長く感じた。  扉を開くと、ミレイ、ジェイド、タイクがせわしなく働いている。3人は執務室に入った俺を二度見する。いや、三度見だな。 「グレン様!?」 「お前ッ、ここで何を」 「もしやライゼル様がお目覚めになったのですか!」  ぎゃあぎゃあと3人が一気に騒ぐので耳が痛い。俺はため息をつきながら答える。 「ライゼルはまだ目を覚ましていない。俺は仕事をしに来ただけだ」 「「「は……?」」」  固まった3人を放っておいて執務机の紙を整理していく。  昨日のユーディア王国崩壊、そして溢れてきた避難民と暴徒、そしてライゼルが浄化したドルゥーガについての報告書が山積みになっていた。昨日の今日だというのに、関係各所早々に報告書をあげてくれているようだ。 「グレンッ!」 「なんだ」 「なんだじゃないだろう……ッ! お前はライゼル様の傍に居ろ!」 「俺がそばにいても何の役にも立たないのにか」 「そういう問題じゃないだろうッ! もし、最期……最期に立ち会えなかったらどうするんだ!?」  ジェイドは憤怒の表情で俺に掴みかかる。ミレイはそんな兄の腕を制止しながらも大粒の涙を流し、タイクもハンカチで目元を抑えている。    はあ、なるほど。ジェイドの言葉を聞いて腕を組む。――――最期か。 「俺たちは日々悔いのないように愛を伝えていたし、最期になってもいいように戦場で言葉は尽くしているから心配無用だ。逆に言わせてもらえば、ライの身体が五体満足で眠っているだけというのが信じられないくらいなんだぞ? あれは信じられんほど強大な浄化魔法だった。それにもし葬儀をやるなら、今回の事態の後片付けをしておかないと民もライゼルを弔えんだろう」  俺の言葉に3人は瞳を大きく開く。聞いているのか聞いていないのかよく分からん顔だ。 「俺はライに戦場で約束したんだ。もしライが先に逝くなら、二人で来世やることを考えておくと。もしかしたらまたこの国で巡り合うかもしれない時のために、俺ができる限りのことは王の仕事として全うすると」 「は……? 来世ってなんだ」 「来世は来世だ。俺とライは来世でも伉儷になると決めているんだ。もしかしたら年が離れていたり、生まれる場所は遠くなるかもしれないが必ず探し出す。なに、今世でだいぶ働いているし、火か水か土の神あたりが便宜をはかってくれるだろう。ライなんて文字通り命がけでこの国を守ったんだぞ? それくらいのおまけは期待してもいいだろう」  言い終わったが3人が無言なので、話は終わりで良いようだな、と椅子に座る。  まずはこの散乱した報告書を整理して目を通し、東方領に避難してきた民たちの衣食住の調整を……と次にやるべきことを頭の中で組み立てていく。  すっかり集中した俺には、ジェイドが「今すぐ医者を呼んでくれ! 頭をよく診てくれる医者を頼む!」と騒ぎ立てる声は一切耳に入らなかった。        ――――顔がチクチクと何かに刺されている。なんだ……? 「あっ! この甘味は新作だの!?」 「ほんとだぁ~、美味しそう~」 「おいお主ら、自分たちだけで食べるでないぞ」 「足りなければ係を呼ぶから気にするな。さて、ライはどれを気に入るだろうか」  甘い砂糖の匂いで鼻がくすぐられ、ついでに瞼を開いてみる。  上まつげと下まつげが絡まって瞼がひきつる。目を擦ろうとして持ち上げた腕の重さに驚く。なんだ、訓練用の重りでもついているのか。    何とか持ち上がった腕に、カサカサとした何かが触れて痒い。見えないことにはそれが何かも分からないので目を擦る。絡まったまつ毛がほどけると、緑が視界に飛び込んでくる。  俺の周りには所狭しと植物が置かれていた。なんだこれ? もしかして俺、花を供えられてるのか?  その用途には向かない花や緑もあるので頭が混乱する。  誰かを呼ぼうと声を出そうとする。 「……う゛ッ……え、ぅ」  出ない。喉が渇いているし、声帯がギシギシと固まって音を響かせてくれない。 「ライゼルならばこれが好きなのではないか」 「ふむ、確かに。こういう菓子をよく料理長に頼んでいたな」    もしかしてみんな、俺に供えるお菓子を選んでいるのか?  あまりに身体が動かないので、やはり俺はこの世を去ったのだろうかと思う。  だが、物は試し。俺はかろうじて動かせる右手で掴める草を持つ。    そして持ち上げられる限界の高さまで持ち上げて、甘い香りと楽しそうな声のする方へ見当をつけて、投げた。  まだ鈍い耳にも、パサッ、と草が床に落ちる音が聞こえた。    そして次に聞こえてきたのは、足音。俺のよく知る足音だ。 「なあお前たち、いくらライが草花から魔力を回復できるとはいえ、やはりこの量は多すぎやしないか?」 「え~、ライゼルはお花とか草が好きだからいいじゃん~」 「ポエリとウォルスもきれいな花を探してくれてんだぞォ!」 「毎日綺麗なものに取り替えておるしな」  近づいてくる足音とともに、そんな声が聞こえてくる。 「そうは言ってもな……葉や茎が身体に当たって痒くなりそうだぞ」   「……ぅん……かゆい……」    俺の顔を覗き込むグレン。透き通る空色の瞳が丸く見開かれる。  そしてゆっくりと微笑んでくれる。 「ハハッ……やはり、痒かったな」  グレンの破顔に口元で笑みを返す。唇は保湿してくれていたのか乾いていない。  グレンからキスされて、どんどん意識が鮮明になってくる。 「おかえり、ライ」 「ただ、い、ま……グレン」  よかった。まだ生まれ変わっていないようだ。 「おい、くすぐったおかげでライの目が覚めたぞ」  グレンが面白おかしく言うので腹がひきつる。瀕死だったからあまり笑わせないでほしい。  グレンの声に、大きな物音が重なる。皿が割れたようだけど大丈夫かな。 「ライゼルッ!!」 「わぁ~ッ!!」 「ほんとだ!」  アリュール、カウカ、サノメが泣きながら俺に抱き着いてくる。俺の周りに置いてくれていた草花がその勢いの強さで宙を舞う。 「心配させよって……!」 「ごめ……」 「よかった、よかったよぉ~!」 「泣くなよカウカぁ」  彼らの涙で顔と首周りがびちょびちょに濡れる。俺もつられて涙腺を刺激されるが、まだ身体が上手く反応しなくて涙は出ない。ずいぶんと心配させてしまったようだ。 「ほらお前たち、水を飲ませるからいったん離れろ」    グレンが俺の背中に腕を差し入れ、上半身を起こしてくれる。おかげで水を飲むにも苦しくない。ゆっくり飲むんだぞ、というグレンの言いつけ通り、ちびちびと喉を潤していく。  グラス一杯を飲み干したところで一息つく。 「グレン」 「あぁ」    目線で訴えかけると、グレンが俺の背に腕だけではなく自身の右半身を差し込んで背もたれになってくれる。そこまでしてもらってようやく上半身をしっかり起こせた。 「みんな、心配かけたね」 「本当に……無茶をしよって」  まだまだ止まらないらしい涙を受け止めながら、グレンの方を見る。 「グレンも」 「あぁ。来世のことばかり考えていたが、怒らないでくれよ」 「ふふっ、怒らないよ」 「ちなみにどれくらい寝ていたかというと、3か月だ」 「ええっ」  ちょうど聞こうと思っていたことを先に教えてくれるグレン。  3カ月とは……それは心配をかけるわけだ。  次いでカウカが泣きながらたずねてくる。 「ライゼル、魔法は……?」 「ん? あぁ、試してみようか」  俺は目を閉じて体内の魔力の動きを探る。  魔力自体は変わらずあるようだ。だが、それを魔法のために練り上げようとすると、バチンッ、と火花が散るような感じがして上手くできない。なるほど。 「魔力は変わらないけど、魔法を出そうと思うと上手くいかない」 「魔力は感じ取れるのだな!?」 「うん」  俺の返答に、みんなが安堵のため息をつく。 「それならば希望がある。魔法を出すための回路が繋がれば、以前のように魔法が使える可能性は高い」 「そっか」 「そっか、じゃないよぉ~!」 「魔法が使えなくなったら困るだろ?」  ふむ。俺は心配顔の神の眷属たちの視線を受けながらしばし考える。  そして、おもむろにグレンの顔を見る。   「身体が回復すれば剣は振れるんだし、あまり心配はしてないかな。俺は、グレンの“懐刀”だから」 「……あぁ、それでこそ、我が伴侶だ」    周りを囲む草花と、暖炉の温かい香り。季節はすっかり冬のようだ。  そうだ、冬の間、グレンと一緒に氷柱を探しに行くのはどうだろう。          俺が目を覚ましてから1週間ほど。筋肉の落ちた身体は歩くことさえ覚束なかったので、移動したいときはグレンが抱き上げた。  恥ずかしいので別の方法を探ってほしいと頼みたかったが、相当待たせた身としてはグレンのしたいようにするしかなくなった。  ジェイドとミレイ、タイクは俺が寝ている間のグレンの様子を事細かに教えてくれた。悲しみで頭がおかしくなったと思われた話は特に面白かった。  ブラスとティラもものすごく心配してくれていたようだ。もちろん祖国の兄さんたちと父上も。落ち着いたら一度顔を見せにスフェーンへ行こうと思う。      ユーディア王国のヘリオド側と通じていたゴルダ・ムージェ侯爵はその地位を追われ、地下牢に幽閉された。見張りの当番は毎日交代制で厳重だ。    証拠を提出したのは、まさかのプラディート伯爵だった。    彼は自分の極刑を逃れるため、ゴルダを差し出した。もちろん彼も処分され、二度と表舞台には出られないのだが。    ゴルダの処分については極刑を望む声も多く上がったが、俺はゴルダを死ぬまで働かせるのがいいと進言した。知らずの内に危難の功労者になっていた俺の意見が採用されることになった。  彼は錬金術師の家系で、ポーションを作ることができるのだ。それをみすみす処刑するのはもったいない。彼は一人きりで、一生牢の中でポーションを作り続ける。きっと、とても惨めだろう。          目まぐるしい1週間を振り返りながら、窓際のソファでグレンの淹れてくれたお茶を飲む。今日のお茶はほのかに蜂蜜の香りがする。  右隣で一緒にお茶をすする愛しい人の顔を見る。すぐに視線に気づいた彼が茶器をローテーブルに置く。   「どうした?」 「いやぁ、怒涛の1週間だったなぁと思って」 「確かにな」    ハハッ、と笑いながら、俺がテーブルに置こうと思った茶器を優しく奪い、代わりに置いてくれる。  そんな優しい手に自分の手を重ねる。黙って指を絡めてくれる愛おしさに胸が温かくなる。  グレンにもたれかかりながら外の景色に視線をやる。今夜はちらちらと雪が降っている。  明日の予定を頭の中でおさらいし終わり、思考が凪ぐと、ふと思い出す。 「ねぇグレン」 「ん?」 「グレンが俺と来世でやりたいなって思ったことってなに?」 「ものすごい枚数の紙に書いてあるが、読むか?」 「え! 読みたい!」 「待ってろ。取ってくる」  グレンが持ってきた「ライゼルと一緒に来世でやること」と書かれた紙をじっくり読む。「やりたい」じゃなくて「やること」で確定しているのが面白過ぎるよな。  肩を寄せ合い、二人の未来を語り合う。  お揃いの腕輪に嵌め込まれた空色とイエローグリーンが暖炉の灯を吸って、交差する光を二人の腕に浮かび上がらせている。     【了】

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