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離す理由が見つからない
「お前らのBL営業、ほんと完璧だよなー」
ボディクリームを手に取っていた市ノ瀬湊は、その言葉に不服そうな表情を見せた。
「お前らがいい加減なんだよ」
そう言いながら手を動かす。
湊の横で寝そべっていた結城千景が、湊の腿にふくらはぎを載せ当然のようにマッサージを受けながら、頷いた。
「仕事はちゃんとやらなくちゃダメだよ」
4人組アイドルグループLYNX《リンクス》。
デビューして5年目の彼らは、歌や踊りの他、モデルやドラマと多方面で活動する人気グループだ。しかし彼らがデビュー当時から多くの注目を集めたのは、『BLカップルアイドル』という肩書きがあったことも大きかっただろう。
王子様系攻めのミナトと天然美人系受けのチカ、不良系攻めのジンと優等生系受けのユキ。デビュー前にBL営業とその設定を事務所から聞かされた時は戸惑った4人だが、今では自然とそうした振りができるようになった。
尤も、最低限の絡みに留めているジンとユキとは異なり、湊と千景はオンオフ関わらずべったりで、それをたまにこうして揶揄われるのだ。
「オフでもどこで誰が見てるかわからないからねえ」
そう言いながら千景がため息をつく。
「先月もさあ、楽屋でちょっとミナトと喧嘩しちゃって、たまたま共演者が挨拶に来たタイミングでさあ」
「あぁ、『ミナチカ破局』ってタグ作られた時な。あれほんと苛ついたわ」
破局なんてあるわけないのにな、と言い足した湊を見て、ジンとユキが同時に肩を竦めた。
「で、あの時の喧嘩の原因ってなんだったんだ?」
「ミナトが僕のお菓子食べたから」
「くだらねー」
盛り上がっていると、マネージャーが顔を出して移動の準備ができたことを知らせた。
「あ、その前に写真とろ」
千景がスマホをインカメラにして前に掲げる。
「ミナト、後ろから抱きしめて」
「おっけー」
湊は千景の背後に回り、抱きしめた。
後ろからこめかみ辺りにキスをする。シャッター音が聞こえると、今度は髪を撫でながら首筋で囁いた。
「今日の撮影でやったやつ撮ろうぜ」
「いいよーほら」
千景が首を傾けたのを見て、湊は首筋に唇をつけた。何枚か写真を撮った千景が、満足そうにスマホを操作する。
「最近『独占欲彼氏』がトレンドなんだって。『#独占欲彼氏真似してみた #平常運転』っと」
湊は、抱きしめた千景の体を揺らしながら、背後から画面を覗き込んだ。
「千景、それ待ち受けしろよ」
「ん。これすごくミナチカぽくて好き」
「俺も」
二人のやりとりを見ながら、ジンが呆れたようにため息をつく。
「お前らそれでマジで付き合ってないの? 逆にすげえわ」
「だから仕事だって言ってんだろ」
湊はそう返してから、千景の頬にキスして体を離した。
◇ ◇ ◇
湊は子どもの頃から、歌ったり踊ったりすることが好きだった。16歳で養成所に入ったが、その時の面談で社長に言われた言葉を、今でも覚えている。
「お前、色気ねえな」
強面の社長にそう言われた時、湊は「16歳の男に色気求めるなよ」と心の中だけで思ったつもりが口に出していた。ニヤリと笑った社長が後日連れてきたのが、2歳年上の千景だ。
社長がどういうつもりで千景を連れてきたのか、意図はわからない。見習えとも言われなかった。実際に湊から見ても、千景は確かに綺麗な顔をしているが、色気があるとは思えなかった。
ただ、練習にひたむきな千景の姿は湊を鼓舞させ、バックダンサーで何度か組んだ時は普段の何倍も良いパフォーマンスができた。
4年後にBLカップルアイドルの話を持ちかけられた時に即決できたのも、相手が千景だったからだ。もしかしたら、事務所側はそうした相性の良さを見越して、湊と千景を組ませたのかもしれない。
湊の相手は千景で、千景の相手は湊。
それは特別ではなく、当然のことだった。
――そのはずだった。
「は?」
マネージャーの説明を、湊は思わず聞き返していた。
「で、ですから、チカさんはドラマの顔合わせで、今日の練習はお休みです」
「そこじゃなくて。そのドラマって『春の風』だろ、BLマンガ原作の」
千景が来年から放送されるドラマの主役に抜擢されたのは、よく知っている。
なぜなら――主人公の恋人役を打診されていたからだ。
「相手役は俺じゃねえの?」
「あ、あのですね。社長の方針で、レオくんにやってもらうことになりまして」
「はああ!?」
レオのことは、湊も知っている。来月にデビューを控えたソロアイドルだ。
歌の他にモデルや配信活動も行うとのことで、その配信にはLYNXもゲスト出演する予定になっていた。
「ええとですね。ミナチカは好調ですが、最近ちょっとマンネリなので、レオくんを当て馬役にしようという社長の指示でして」
「当て馬って……マジで何考えてんだあの人」
盛大なため息を漏らした湊は、続くマネージャーの言葉に動きを止めた。
「それでチカくんにはレオくんに甘えてもらって、ミナトくんがそれに嫉妬を――」
「待て」
湊はマネージャーの言葉を遮った。
「千景――チカがレオに甘えるって何だよ」
「そ、それは、チカくんは天然キャラなので、そうするのが自然だと社長が――」
「あんのクソメガネ!」
湊は社長に悪態をつきながら、髪を掻き上げて苛立ちを鎮めた。
「…………で、チカはいいって?」
「は、はい。チカさん乗り気でしたよ。これでミナチカがもっと盛り上がればいいなと」
「……あっそ」
千景が乗り気なら、湊に断る理由はない。
けれど――千景と組んでからはじめて、千景の隣に別の誰かが立つ。
それを想像するだけで、なぜか湊は、胸の奥がざわつくのを感じた。
◇ ◇ ◇
「チカさん、ショート用の動画撮りましょ」
「うん、いいよ」
体を寄せ合って動画を撮る千景とレオの姿から、湊は視線を逸らした。
湊と千景ふたりでの雑誌撮影が終わった後の控室。
スタジオに見学に来たレオは、まるで付き人のように千景にべったりだった。
着替えを終えあとは帰るだけという時になっても、ずっと千景の側を離れようとしない。対する千景も笑顔で応じていて、湊だけがひとり悶々としていた。
「オレの役、前半は傲慢な感じだから、こういう風にしてもいいんじゃないですかね」
「じゃあ僕はこうかなあ」
「……おいチカ、そろそろ出るぞ」
湊は二人の間に割って入ると、強引に離した。
そうしていても胸の苛立ちは収まらず、千景の肩を抱く手につい力が入る。
「レオくん、明日の読み合わせよろしくね」
「はい。チカさん初っ端から屈服させるんで、楽しみにしててください」
どこか含みのある笑みを浮かべたレオを一瞥し、湊は千景の肩を抱いたまま、半ば連れ出すように控室を後にした。
「――あいつ、お前に気があるんじゃねえの?」
移動中の車内で湊がそう言うと、湊の肩に頭を載せていた千景は「えー?」とおかしそうに笑った。
「そういう役なんだから当たり前でしょ」
「役とかじゃなくて、目つきとかさ」
「だから役作りの結果でしょ。そこは素直に後輩を褒めなくちゃ」
千景はそう言い、スマホを取り出した。
「えっと『最近彼氏が不機嫌』……あ、これじゃファンの子心配させちゃうかな」
「千景。俺が言ってるのは役作りとか、そういう話じゃなくて」
「他に何があるの。社長の台本通りなんだから、むしろ順調じゃない?」
「それは……そう、だけど」
スマホをフリックしながら、千景が不思議そうに首を傾げた。
「ミナトだってやってること同じなのに、何が違うの」
そう言われ、湊は何も返せなかった。
千景の言う通りだ。自分たちは役を演じているだけ。
ただそこにレオというスパイスが加わっただけなのに、何がこんなに心をざわつかせるのか。
「あ、『嫉妬彼氏を甘やかし中』これにしよ。ミナトきて、よしよししてあげる」
一旦体を離した千景に抱きしめられ、頭を撫でられる。
千景の体温は、湊の体にじんわりと伝わった。
それでも、胸の奥に引っかかったものは、抜けないままだった。
◇ ◇ ◇
「最近のミナチカ、絶好調ですよ!」
月に一度のメンバーミーティングで、マネージャーが興奮気味に言った。
「確かにトレンドで見ること多くなったけど、否定意見もあるんじゃないの?」
ジンがそう言い、隣のユキも頷く。
レオという一石は、社長の思惑通り、ミナチカを再注目させる結果となった。
ドラマの役者インタビューで、レオが「ミナチカをレオチカにするつもりでやる」と発言した時はSNSが大いに荒れた。『ミナト絶対負けるな』派が大半ながら、『そのままレオ奪っちゃえ』派もいて、さらに『いっそレオミナがいい』やら『ミナレオ』などの変化球も派生し、一時はトレンドの上位が占められたほどだ。
「盛り上がってくれるのは嬉しいけど、ファンの子を不安がらせてないか心配だな」
「そこはミナトくんが独占欲丸出しで迫ってくれればいいかと!」
「言われなくてもそうしてる」
湊は当然のようにそう言い、彼らから視線を逸らした。
ミナチカは好調で、それ関連の仕事も増えている。
うまくいっているはずなのに、心に巣食った何かは消えず、絶えず蠢いたままだ。
(あの社長のしたり顔がムカつくからか? それとも千景が言うように、ファンが心配するのを気にしてる?)
自己分析しても、その答えはどれもしっくりこない。
無意識にため息をついた湊をちらりと見てから、ジンが千景に向き直った。
「なあチカ、ふたりの男から溺愛される気分はどーよ?」
湊はわずかに眉を動かした。
ジンの言葉を聞いた瞬間、わけのわからない怒りが込み上げたのだ。
(なんだ……?)
胸に手を当てても、やはり答えは出ない。
訝しげに顔をしかめる湊の様子にはまるで気づかず、千景はいつもののんびりとした口調で、「そうだねえ」と言った。
「やっぱりミナトの方が付き合い長い分、呼吸も合うし楽だなあ」
レオより自分の方が楽と言われても、なぜか少しも嬉しくない。
そんな当たり前のことを聞かれること自体に、無性に腹が立ったのだろうか。
「さすがチカさん! 恒例の『嫉妬彼氏を甘やかし中』もすごく好評ですよ」
「でしょー? よしよしされるミナト、可愛いんだよねえ」
湊は、盛り上がる千景とマネージャーから目を逸らし、『ミナチカ絶好調!』と書かれたホワイトボードを見つめた。
何がそんなに気に食わないのか。
誰に対して苛ついているのか。
「お前さあ……」
ジンが湊に何か言いかけ、ため息ひとつ挟んでやめた。
察しは悪くないはずなのに、ジンが自分に何を言おうとしたのかも全くわからず、湊はただ文字の縁を睨むように見つめ続けた。
◇ ◇ ◇
数日後、湊はレッスンスタジオへと早足で向かっていた。
今日はLYNXの新曲を練習する日だ。
つい先日決まったタイトルは『君だけの呼吸』。
ミナチカをイメージして作られた、ポップで、甘さを前面に押し出した曲だ。
スタジオのドアに手をかけた湊は、中から聞こえる曲に動きを止めた。
(もう練習してるのか)
別の仕事で遅れることは連絡済みとは言え、10分くらい待ってくれてもいいのにな――そんな勝手な思いを抱きながら、ドアを開ける。
直後、湊の手からバッグが滑り落ちた。
レッスンスタジオの中央で、メンバーが踊っていた。
曲はちょうど中盤。仮撮りした歌詞が流れる。
〈君だけの距離 君だけの呼吸〉
千景が〈君だけが僕の〉と歌い、湊が〈俺の〉と続ける。
そして見つめ合い、唇を寄せ、呼吸を触れ合わせ、寸前で離す。
それを――。
「なんで、お前が――っ!」
湊はレオの胸ぐらを掴んだ。
視界が赤く滲み、耳鳴りで周囲の音が遠のく。
そのまま床に押し倒すと、レオの呻き声に誰かの悲鳴が重なった。
「おいミナトッ!」
ジンに背後から羽交締めにされ、引き離される。
それでも湊の怒りは収まらなかった。
「そこは俺のだろっ!」
「ミナト」
肩に置かれた手を振り払う。「痛っ」という声で、湊はそれが千景の手だと気づいた。
「あ……」
「ごめんミナト。ドラマの番宣と曲のコラボしようって言い出したの、僕なんだ」
そう言われ、湊は改めて周囲を見回した。
ハンディカメラを手に呆然としていたスタッフが、慌てて機材を下ろす。
(俺、なに、やってんだ……)
仕事だ。全部。なのになんで――。
場の空気を和ませようと、マネージャーが明るく手を叩いた。
「まあでも、独占欲強め彼氏感すっごく出てたから、そこはさすがミナトくん、だね!」
「オレの心配も少しはしてくださいよ……」
後頭部をさすりながらレオが起き上がる。
「……でもまあ、チカさん優しいですから。すぐ慰めてくれますよね」
レオは面白がるようにそう言ったが、湊は彼の言葉もまともに耳に入らなかった。
「悪いレオ、やり過ぎた」
「……素直に謝られるのキモいんですけど」
「ごめん」
湊はそう返し、頭を冷やすと言い残してスタジオを出た。
長い時間スタジオを離れた湊は、戻ったあと、メンバーとレオ、そしてスタッフに頭を下げてから、マネージャーにも謝罪した。
「社長と、話がしたい」
湊の表情に何かを察したマネージャーは、その日の夜に社長との面談を取り付けた。
そして社長の前で、湊は「もうBL営業は続けられない」と告げたのだった。
◇ ◇ ◇
湊は浜辺でぼんやり海を眺めていた。
既に決まっていた仕事は終わらせ、新曲も予定通り収録を済ませた。だが新しい仕事は入れず、千景とは仕事以外の一切の関わりを断った。
必然的に千景がSNSに二人の写真を投稿することもなくなり、ほんの数日で『ミナチカ破局』『レオ略奪』といったワードがトレンドに出始めるようになったが、それを見ても湊の心は動かなかった。
社長から1週間の休暇を命じられたのは、昨日のことだ。
社長は湊の「BLやめる」宣言をどう捉えたのか。ただ、デビューしたばかりのレオにヘイトを向けたくないのと、ドラマとの兼ね合いもあり、メンバーにはまだ伝えるなと言われている。湊もそれには納得して、このことは社長とマネージャー以外、誰も知らない。
けれど、言わなくても薄々気づかれてはいるのだろう。
ジンは千景に構わなくなった湊を揶揄おうとはしなかったし、ユキも傍観の姿勢だ。
そして千景は――あれだけ仕事に熱心な千景も、湊の変化に何も言ってこなかった。
湊は波打ち際の、何かの紙片が波に攫われて消えていく姿を、ただ眺めた。
休暇を命じられたが、何をする気にもなれなかった。
だからといって家に閉じこもっていても落ち着かず、車を走らせ行き着いたのが、この浜辺だ。
デビュー前、考え事があると、よく人気のないこの浜辺の岩に寄りかかり、過ごしていた。岩はごつごつしていて背中は痛むし、決して綺麗な砂浜でもない。けれど、ここにいると、不思議と心が落ち着くように思えた。
湊は目を閉じ、ため息をついた。
あれからずっと、考えていた。
心の奥にあった、あの感情の正体を――。
ポケットに入れていたスマホが振動する。取り出して見ると、マネージャーからだった。
休暇中だと無視しようとしたが、文面の『チカくんのインタビュー記事』が目に入り、反射的に開く。
それは、ドラマ公開を控えたキャストのインタビュー記事だった。
〈Q:今回レオくんが相手役ということで、ミナトくんは嫉妬していない?〉
〈チカ:めちゃくちゃ嫉妬してるよ。でもドラマはただの役。それに〉
ページをスクロールする湊の指の動きが止まる。
〈僕はいつだってミナトの隣を選ぶし、ミナトも僕を離さないから大丈夫〉
ゆっくりと目を瞬かせた湊の背後で、砂を踏む音がした。
「ここにいると思った」
相変わらずの、のんびりとした声。
湊はひとつ息を吐き、岩から離れるとスマホを掲げた。
「これ、俺も役なんじゃねえの?」
インタビュー記事を指して言うと、千景が少し困ったように微笑んだ。
「そうだね。でも……僕にもよくわからないけど、ミナトの隣じゃないと落ち着かないんだ」
わからない。千景のその言葉は、なぜかすとんと湊の心に落ちた。
「ミナトは?」
湊は、返事の代わりに千景の手首を掴んだ。
「……帰る?」
どこへ、と千景は言わない。湊も確かめなかった。
ただ、手首を掴む指に、ほんの少し力を込める。
「当たり前だろ」
頷く千景を引くようにして、浜辺を歩いた。
隣に並んだ千景が立ち止まる。
千景はするりと手首を引き抜くと、ポケットからスマホを取り出した。
「写真、撮ろ」
夕焼けが千景の横顔を照らす。
それを眺めていると、不意に手を繋がれた。
千景は指を絡め、それを顔の前に持っていくと、もう片方の手でスマホを掲げた。
湊は心の中で、最初に社長に言われた言葉を思い出していた。
(ああ――そうか)
「撮れた。『#仲直り #心配かけてごめん #これからもよろしく』これでいいかな」
湊は答えず、繋いだ手を引いた。
「明日もドラマの撮影だろ」
「うん」
「俺も見に行くから、頑張って嫉妬させろよ」
「うん」
「あと……離れるなよ」
千景は少しだけ驚いた顔をして、でもすぐに、いつもののんびりとした笑顔に戻る。
「離さないんでしょ?」
湊は返事の代わりに、絡んだ手を握りしめた。
〈完〉
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