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この人、俺の彼氏じゃありません

「颯太《そうた》?」  週末の仕事帰り、瀬尾博樹は偶然見かけた幼馴染に声を掛けた。 「あれーヒロくん」  佐々木颯太が博樹を見て、ふにゃっと笑みを浮かべる。 「随分飲んだな。どうしたんだ」 「んー俺ねえ……フラれちゃった」  あははと笑った颯太がふらつき、博樹は慌てて抱き止めた。 「あっちが浮気したからちょーっと責めたら、じゃあいらない、だって。ひどくね?」 「それはひどいな」  よしよしと背中を撫でると、颯太はえへへと笑いながら鼻を啜った。 「そんでねー、家も追い出されちゃって、やけ酒してたの」 「お前、大学の寮暮らしじゃなかったのか?」 「けーくんの家で同棲してた」  聞き捨てならない言葉に、博樹は眉間に皺を寄せた。 「けーくん?」 「俺の彼氏。あ、元カレ? 元カレかぁ……」 「は? お前、男と付き合ってたの!?」 「うん。サークルの先輩でねぇ、俺のこと可愛いって言ってくれてー……なのにいらないって……いらないってぇ……」  颯太の背中を撫でながら、博樹が考えていたのはたったひとつのことだった。 (男と付き合えるなら、俺が相手でもいいだろ!)  3歳年下の颯太とは、幼少の頃からの付き合いだ。  恋心を自覚したのは中学の時。けれどその直後に颯太からクラスメイトの女の子とデートに行った話をされて、初恋は敢えなく散った。  その後も颯太が付き合う相手は女の子ばかりで、てっきりノンケだと思っていたのに。 「なあ颯太、俺は――」 「俺もう当分、ううん、この先一生、彼氏はいらないや」  博樹の動きが止まる。 「いやでも颯太……」 「恋愛もしばらくしない! それより住むとこどーしよ……寮に戻れるかなぁ……」  博樹は、颯太の背に触れていた手を握りしめた。  抱き寄せるように腕に力を入れると、颯太の体がびくりと震えた。 「俺の家に住めば?」 「え?」 「お前の大学に近いし、1LDKだけどリビングは割と広いから二人でも問題ない」 「で、でも……」 「なんなら個室はお前が使ってもいい」 「あ、えと、ヒロくん」  戸惑う颯太に博樹はもう一押しする。 「家賃は水道光熱費でいいよ」 「さすがにそれは……」  颯太の気持ちがぐらついているのを感じ、博樹は畳み掛けた。 「家と会社の往復で俺も最近つまらなくてさ。……お前と一緒に暮らせたら、子どもの頃みたいに楽しいかなって」 「……本当にいいの?」 「ああ、お前の『幼馴染』として、ほっとけないからな!」  幼馴染、を強調して言うと、腕の中の颯太がへへと笑った。 「俺、ヒロくんのそういうとこ好きだ」  俺もお前のこと大好きだよ。  ずっと昔から――恋愛的な意味で。  けれど、それはまだ言えない。  今伝えても、失恋したばかりの颯太は、受け入れてはくれないだろう。  だから、まずは物理的な距離を近づける。  そしてベタベタに甘やかして、俺なしでは生きていけないようにして、颯太を絶対に振り向かせる!  博樹は心の中で、密かにそう決意した。  ◇ ◇ ◇ 「颯太、夕飯はハンバーグでいいか?」  そう声をかけると、段ボールを片付けていた颯太がぱっと顔をあげた。 「いいの!? あ、でも引っ越し作業でヒロくんも疲れてるでしょ」 「颯太と一緒に暮らせて俺も嬉しいし。今日はうまいもの食わせてやるよ」 「ヒロくん……」  颯太の目が感動に潤んだのを見て、博樹は心の中で「よし」と頷く。  今日から颯太との同居生活が始まった。  引っ越し作業では率先して動いて手際の良さを披露した。颯太用の布団を新たに用意した上で、「修学旅行みたいで楽しいよな」と言い含めて、自然な流れで個室を共用の寝室にした。  距離を近づける作戦は、怖いほど順調だ。 「俺、おろしハンバーグ好きなんだ。颯太もそれでいい?」 「えー、俺もめっちゃ好き! 部屋のインテリアも俺好みだし、なんか他人の家って感じしないな」 「そうだな。俺たち相性がいいかもな」  さりげなく言葉を足す。  もちろん颯太の好みは昔からリサーチ済みだ。好きな食べ物、小物、愛用のボディソープと、博樹の頭の中の颯太メモには、あらゆる情報が詰まっている。  ――彼氏がいたことに気づけなかったのは、手痛い失敗だったが。  過去を悔いても仕方ない。  博樹は気を取り直し、夕飯作りに取り掛かった。 「俺もなんか手伝う?」 「いや――」  咄嗟に断ろうとして、だが思い止まり、「テーブルの上にある雑誌をラックに片付けて」と簡単な作業を頼んだ。  相手に負担をかけずに、『共同作業をした』という経験を植え付ける作戦だ。 「わかった。……あ、この雑誌俺が毎月買ってるやつ!」 「読みたかったら好きに読んでいいぞ」 「やった! 今から読んでもいい?」 「ああ、颯太も疲れただろ。夕飯までのんびりしてろよ」 「ありがとう!」  これでだいぶポイントが稼げただろうと、博樹は自画自賛した。  片付けを終えた颯太が雑誌を手にした時、スマホの着信音が響いた。 「あ、タケやん。この前はありがとね」  通話しつつ颯太がソファに座る。  相手が元カレの『けーくん』ではないことに、博樹はひとまず安堵した。 「うん、そうそう。えー、ちがうちがう、彼氏じゃないって」  博樹の手が止まる。 「幼馴染だよ。ほら前にちょっと話した。うん、えー、いやさすがにそれはないって」  颯太がこちらを見る気配を察し、博樹は聞こえていない風を装って、視線を落とした。 「うん……あはは、じゃあまたな」  通話を切った颯太が、博樹に近寄ってくる。 「大学の友達からだった。俺が振られた時に飲みに付き合ってくれた奴でさ、色々心配してくれるんだ」 「そうか、いい友達を持ったな」 「うん。そいつがヒロくんのこと「新しい彼氏か」なんて言ってさ。ちゃんと彼氏じゃないって否定しといたから」 「別に否定しなくても――」  思わずそう言ってしまい、博樹は咄嗟に口を噤んだ。 (今はまだ早い。焦るな俺。落ち着け俺)  博樹は無表情を装いながら、頭の中で必死に言い訳を練った。 「……あー、お前に新しい相手がいるって知れば、そのお友達も安心するんじゃないか?」 「そうかなあ。まあ、あいつには散々心配かけちゃったけど」 「……それに……前の彼氏が、万が一付きまとってきたら嫌だろ」  颯太がうげえと顔をしかめる。  これだ。博樹は狙いを定めた。 「な? 万が一そうなっても、付き合ってる相手がいてしかも一緒に暮らしてるってなれば撃退できるし」 「おおおヒロくん天才」  颯太が単純で助かった。  ほっと胸を撫で下ろし、博樹はハンバーグを焼き始めた。 「じゃあその時は、嫌だろうけど彼氏役、よろしくお願いします」 (嫌じゃないどころか大歓迎だ) 「精一杯がんばるよ」  表面上はあくまで『幼馴染の親切なお兄さん』の顔を装う。  それにしても、咄嗟の言い訳が良い方向に転がったのはラッキーだった。そして今の颯太にとって、『彼氏役』が務まるほど近しい者が自分だけだと知れたのも大きな収穫だ。 「うわ、すっげえうまそう」 「小さいのも幾つか作るから、お弁当に入れてやるよ」 「え、ヒロくんお弁当も作ってくれんの?」 「自分の作るついでだよ。弁当箱は俺の予備のでいいよな」 (予備じゃなくて、お揃いで買ったものだけど) 「ヒロくん……」  颯太が潤んだ目を向けてくる。 (これは……もしや……)  博樹の中の期待値がグンと跳ね上がった。  彼氏役、という話題のあとでこの反応。 (ヒロくんみたいな恋人が欲しい、とか……?) 「ヒロくんのこと、おかあさんって呼んでいい?」 「おか……え? あ、まあ、ああ、うん」  お母さんか……。  微妙な気分になった博樹だが、自分から「俺を彼氏にしたくなった?」と聞くのは愚策だということもわかっている。 「……お母さんはちょっとあれだけど、俺といる時は好きなだけ甘えていいからな」  少しだけ軌道修正をしてから、博樹はハンバーグをひっくり返した。  ◇ ◇ ◇ 「ヒロくんさあ、彼女いないの?」  それぞれ入浴を済ませ、そろそろ寝ようかという時にそんなことを言われ、博樹は固まった。 「風呂入ってる時に考えたんだよね。いざって時の彼氏役頼んじゃったけど、ヒロくん彼女いたらどーしよって」 「いやいやいませんよ。俺モテないし」 「うっそだー。小学校の時からヒロくんめちゃくちゃモテてたじゃん。バレンタインの時なんてチョコいっぱい貰ってたし」 「はは、過去の栄光ってやつだよ。今は誰とも付き合ってないよ」  そこは絶対に誤解して欲しくない。  博樹は念の為もう一度「本当に誰とも付き合っていません」とはっきりとした口調で言った。 「イケメンだし背も高いし優しいし、絶対彼女いると思ったのになー」  颯太に褒められるのは素直に嬉しい。  ただ、優しいのは相手が颯太だからだ。 「俺は相手ができてもすぐフラれるから」 「マジで? 相手見る目ないんじゃない?」 「そんなことないよ」  つい本音が口をついて出る。  すぐ振られるのは自分が悪いからだと、博樹はわかっている。  何をしていても常に「相手が颯太だったら」と思う相手とまともに恋愛したい者などいないだろう。そもそも、博樹はこれまでの人生で、颯太以外の誰かを恋愛対象にしたことなど、一度もなかった。 (誰を抱いてもお前の顔を思い浮かべるなんて言ったら、軽蔑されそうだな)  そうした体だけの関係も、最後の相手は5年前だ。  しかも理由が、「そんな相手がいたら颯太に胸を張れないから」というのも、相当終わっていると博樹は思う。 「ヒロくんのタイプってどんな子」 「なんだよ急に」 「やっぱ修学旅行って言ったら恋バナじゃん。あ、俺のは聞かないでね」  もぞもぞと自分の布団に入っていく颯太に、博樹は苦笑を向けた。 「タイプか……お前みたいな奴かな」  これくらいならいいだろうと思いつつ言う。  掛け布団を持つ颯太の手が止まった。 「俺みたいなってどんな奴なの」 「明るくて正直で、一緒にいて楽しい人」 「えーヒロくんの中の俺って評価高くね?」 「そのままだよ。俺は颯太といる時が一番楽しい」  布団に入った颯太が、掛け布団に顔半分埋めながら博樹を見た。 「ヒロくんさあ、付き合った相手にもそういうこと言うの?」 「え?」 「なんか……キモいね」 「!?」 「あと俺にそういうこと言うのやめてね、おかーさん」  そう言って布団に潜り込んだ颯太の顔も耳も赤かったが、「キモい」と言われたことにショックを受けていた博樹は気づかなかった。  ◇ ◇ ◇  数週間後。同居生活にも慣れ、夜に駅で合流して夕飯の買い物をしてから帰る、という生活パターンも固まってきた。 「颯太、今日は何が食べたい?」 「この前の鶏の照り焼き、また食べたいな」 「じゃあ鶏肉買って帰るか。今日は金曜だしツマミを何品か作って居酒屋っぽくしてもいいね」 「なにそれ最高!」  はしゃぐ颯太に博樹は笑みを向けた。  颯太が自分との時間を楽しんでくれていることが、何よりも嬉しい。  恋愛感情はまったく向けられていないようだが、それ以外は驚くほど順調に、二人の関係は進んでいる。 「あ、じゃあ俺もひとつくらい作ろうかな。この前バイト先で――」 「颯太?」  背後から声をかけられ、博樹は固まった。  順調な時ほど、足元に落とし穴は潜んでいるのだと実感する。  博樹より一拍遅れて颯太が振り向き、目を見開いた。 「けーくん……」  声をかけてきた男――颯太の元カレは、颯太に軽く手をあげた。 「……久しぶり。元気そうだな」  わずかな沈黙のあと、颯太が弱々しい声で「久しぶり」と返す。  博樹は内心動揺しつつも、それを隠しながら颯太の背に触れた。強張っていた颯太の体が、小さくびくりと跳ねる。 「颯太、知り合い?」  もちろん聞かなくてもわかっている。  博樹は颯太の背中を撫でた。  一番は颯太を安心させるために。そして、相手を牽制する意図も含めて。  颯太がちらりと博樹を見る。博樹は頷き、敢えて声には出さず「わかってるよ」と目線で返す。そうしてから顔をあげると、元カレは不服そうに眉根を寄せた。 「で、颯太。そっちの人は? 彼氏?」  その言葉は想定していたはずだった。  元カレと颯太が再会したら、博樹のやることはただひとつ。  彼氏役を演じ、撃退する。  颯太が、おそらく無意識に博樹へと視線を向けた。  困惑と、何か別の感情も混ざっているように見える颯太の眼差しを、博樹は見つめ返す。  実際には1秒にも満たないその時間を、博樹は途方もなく感じた。 「……俺は」  博樹は、颯太を守るように前に出た。 「俺は、颯太と一緒に暮らしてる」  背後の颯太が、博樹にだけ聞こえる小声で「え……」と呟いた。  ◇ ◇ ◇  颯太の元カレは気が削がれたのか、あのあとすぐに去っていったが、博樹と颯太の間に流れる空気は、帰宅後も重苦しいままだった。  約束していた彼氏役ができなかった。  それは、博樹のつまらないプライドの所為だ。元とはいえ一時期は颯太と『本物』だった男の前で、どうしても偽物を演じることができなかった。 「……颯太、ごめん。彼氏役やるって約束したのに、できなくて」  博樹は自分の情けなさに、大きくため息を吐いた。 「……いいよ、もともと無理なお願いだったし」  そう言った颯太が、何か言いたそうに博樹を見た。  しかし何も言わず、リビングは沈黙に包まれた。 「今日はここで寝る」  博樹はそう言い、ソファに座った。  これ以上、颯太に情けない姿を見せたくなかった。 (それに、これ以上近くにいたら、颯太に気持ちをぶつけてしまう)  博樹は、もう一度深く息を吐いた。  しばらく無言でいた颯太が、「わかった」と小声で言い、リビングを出ていった。  颯太がいなくなってから、博樹はソファに背を沈めた。  自分を情けないと思う一方で、限界も感じていた。  ついさっきまで――あの男を見るまでは、この生活に満足していた。幼馴染のお兄さんとしか見られなくても、ずっと好きだった颯太の一番近くで、一緒にいられるだけで、幸福だった。  けれどあの男の登場で、博樹は実感してしまったのだ。  博樹がどれだけ入念に準備をし、颯太のために尽くしても、予告なく現れる誰かが、あっさりと『本物』の座についてしまう。  ずっと颯太を見ていたはずの博樹が、颯太とあの男が付き合っていたことに気づかなかったように。 (誰かがまた、颯太の隣に並ぶのか?)  男とか女とか関係なく、もう博樹は耐えられそうになかった。  今となっては、「颯太が幸せならそれでいい」なんて考えを、なぜ持っていられたのかすらわからない。  博樹は深呼吸をすると、ソファから立ち上がった。 (タイミングなんてもう関係ない。俺は――)  意を決してリビングを出た博樹は、すぐに立ち止まった。  目の前で、颯太が壁に身を預けて蹲っていた。 「颯太?」  名前を呼ぶと、颯太の肩がびくりと震えた。 「……ヒロくん」  膝の間に顔を埋めながら、颯太が言った。 「なんで俺、もやもやしてるんだろ」  消え入りそうな、小さな声だった。 「さっきヒロくんに謝られて、あいつもすぐ行ったし全然問題なかったのに、だからそれで終わるはずなのに、なんで?」  颯太は服の裾を握りしめ、自分でも何を言っているのかわからないとでもいうように、ふるふると首を振った。 「颯太……」 「ねえ、あの時俺がガッカリしたの、約束守られなかったからじゃないの?」  博樹は颯太の前に腰を落とした。  膝を抱える手に、そっと自分の手を重ねる。 「颯太、俺にこうされるの、嫌?」  しばらくの沈黙のあと、颯太がゆっくりと息を吐いた。 「嫌じゃない」 「これは?」  俯く顔を支え、頬をそっと撫でる。 「……嫌じゃない」  そう言いながらも、颯太はまたふるふると首を振った。 「……ヒロくんは、俺の彼氏じゃないでしょ」 「今はね」  博樹はそう答えながら、颯太の顎を持ち上げ、目線を合わせた。 「颯太。俺と付き合って。俺を、颯太の彼氏にして」  颯太の目が潤む。けれど颯太は唇を固く結び、涙を見せなかった。その代わりに、睨むように博樹を見た。 「……俺、一生彼氏いらないって言った」 「うん」 「恋愛も当分しないって言った」 「そうだね」 「……なのにこれで付き合ったら、俺バカみたいじゃん」  博樹は思わず笑った。 「俺は颯太のそういう素直で可愛いところが好きだよ」  博樹はそう言ってから、改めて、正面から颯太を見つめた。 「昔から好き。大好きだよ。だから馬鹿なのは俺のほう」  驚く颯太の頬にキスをする。ますます驚いた顔で、颯太は博樹を睨んだ。 「勝手に……」 「ごめんね? でも、嫌じゃないってわかったから」  顔を真っ赤にした颯太が、博樹から目を逸らした。  そんな颯太がたまらなく可愛くて、博樹は抱きしめた。  腕の中の颯太は、しばらく黙り込んだまま動かなかった。  博樹が顔を覗き込もうとした時、颯太の手が、博樹の服の背中を、きゅっと掴んだ。 「……今日、ソファで寝るって言ったの、取り消して」  博樹の胸が、どくんと大きく跳ねる。 「それって……」  返事はなかった。ただ、博樹の服を掴む手に力が入る。  その言葉の持つ意味。服を掴む指の微かな震え。  踏み込んでくれた颯太が、愛おしくて、尊くて、胸がいっぱいになる。  泣きそうになるのをぐっと堪え、込み上げる想いに胸を詰まらせながら、博樹は応えるように、颯太のこめかみに口付けた。 〈完〉

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