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第2話 流し台の平和の象徴
東京23区のど真ん中に位置するオフィスの地下街には、レストランがひしめいていて、昼時になるとサラリーマンやOLで埋め尽くされる。
四月も半ばを過ぎ、年度明けの煩雑さがほんの少し薄まってきた頃、僕は自分の課に配属された新入社員を連れてイタリアンダイニングに入った。ここは夜になるとワインを出すカジュアルなダイニングバーだが、昼は美味しい生パスタのランチを出している。僕のお気に入りの店の一つだ。
さて、僕はペペロンチーノを食べたい、と思ったのだが口臭がニンニク臭くなるのは避けたいところである。新人の中には女子がいる。職場で女の子に嫌われたくはない。じゃあ、カルボナーラ!と思ったが、カロリーが気になる。同じ理由で明太子クリームもパスだ。となると、きのこの和風おろしパスタ……にするか。おじさんっぽいかしら……と思ったが、よく考えなくても自分は四十路のおじさんだった。
「店員さん呼びましょうか?」
と切り出してくれたのは大学院卒の女の子だ。名を佐橋さんという。
今年度、我がリスク管理課には女子一名、男子一名の新卒が入ってきた。
「あ、じゃあ呼びますね。すみませーん!」
と声を張り上げてくれたのはもう一人の新人の竹内くん。二人ともなかなかに爽やかで、数日一緒に過ごしただけで頭も性格も良い子なのが分かる。
我が課では男性社員が育休中だし、さらに夏からは産休で女性社員が一人抜けてしまうので、心強い新人が入ってきてくれてありがたい限りである。
という話をしたところで、佐橋さんが僕の左手の薬指をチラッと見た気がした。そちらの子供はどうなんだ、と聞かれた気がした。僕も女性と結婚していたら育休ラッシュの波に乗っていたかもしれない。
「あ、ちなみにうちの配偶者は旦那さんだからずっといるけどね」
と言うと佐橋さんは、
「山崎課長のパートナーって男性なんですか?」
まるで「年上の方なんですか?」「職場の方なんですか?」と尋ねるニュアンスで聞いてくる。
僕が同じ年の頃は、パートナーが同性かどうか聞くなんてタブー感があったものだが、どうも現代では違うようだ。
物怖じせずにさらっと切り返しができるのが彼女の強みだ。対して、竹内くんは微笑んで黙っているが、変に何かコメントして失言するより良いと思う。
二人とも物珍しさはあるようだが、さして引いたり嫌悪感を抱いてはいないようだった。おそらく僕が女性と結婚していたとしても同じような反応を示したに違いない。
「うん、そうだよ。うちの会社では初めてだったんだけどね」
数年前に同性婚は認められたが、まだまだ実例は少ない。特についこの間まで学生だった子たちには男女の夫婦だって周りにほぼいないだろう。
しかし結婚までは至らなくとも、同性同士のカップルは可視化されつつある。世の中は少しずつ変わっていっている。
「そうなんですか~素敵ですね。やっぱり同性婚が認められた時は保険業界も変わりましたか?」
プライベートではなく業界について切り込んでくるところが上手いなあと思う。
「そうだねぇ。まず、保険金の受取人が親兄弟からパートナーに変更できるのは大きいよね。営業さんはだいぶ大変だったみたいだけど」
二人はへぇ~と感心したように頷いた。しかしそんな仕事の話は午後の研修にとっておいてもらいたい。
「ところでさ、このお店ってドルチェも美味しいんだよ。二人は甘いもの食べられる?」
二人は目をぱちくりさせたあと、快活に返事をした。
「ってなことがあってさ。なんか反応が普通だったんだよね。やっぱり若い子ってあんまり偏見ないのかあ?というか他人に興味がないのかな?」
今、僕の目の前にいるのは、夫である恭平 くんだ。恭平くんは出したパスタをラーメンのように箸で啜りながらふーんと相槌を打った。
彼に気の利いた返答など期待していない。何を話しても「ふーん」と興味なさげに返事されるのは自問自答したい時に大いに重宝するので、僕はよく恭平くん相手にとりとめのない話をする。
つまらなそうに聞いているが、決して無視したり邪険にはしないところが彼の好きなところの一つである。
「ってかさ、昼にパスタ食ったのに夜もパスタなの?」
恭平くん、変なところだけよく聞き取っているね。
「どーーしてもペペロンチーノが食べたくなったんだよっ」
僕は結局、昼のペペロンチーノが忘れられず、夕飯はニンニクたっぷりペペロンチーノを作ってしまった。明日は休みなので、構わないだろう。
揚げ焼きした舞茸と分厚く切ったベーコンで作ったペペロンチーノは歯応えがあり絶品だった。
「ま、そいつら上司ガチャ成功して良かったな」
恭平くんは最後の一本をちゅるりと飲み込みながら言う。
「そうかな?」
「一 は優しいし顔もいいし頭もいいし」
「あれ?珍しい、褒めてくれてる?」
「年収高いし、家事もこなすし、俺と違って完璧人間だもんな」
「あ、そういう時期?」
ネガ期到来。恭平くんは時折、めちゃくちゃネガティブになる。元々自己肯定感が低いのだが、プライドは高くって普段は強がっているのだが、こういう環境が変わる春先は特にダメだ。
といっても恭平くんはほとんど在宅ワークで仕事をしているので、彼自身の何かが大きく変わったというわけではない。ただきっと昔色々あったことを思い出して不安定になるのだろう。
たまに思うことがある。僕が女で、このスペックだったら恭平くんはもっと腐ってたんじゃないかと。僕が男だからこそ諦めもついて彼の矜持が保たれているのではないかと。
それなら僕たちっていい結婚相手だよね、と日々思うのだが、それは心のうちに留めておいている。
勝手に不貞腐れた恭平くんに苦笑いしつつ、僕は残ったコンソメスープを飲み干した。それをそっぽを向きながら見届けて、恭平くんは黙々と皿を片づけ出した。とっくに食べ終えていた恭平くんは、僕が食べ終わるのを待っててくれたらしい。
恭平くんは、そうやっていつも食べるのが遅い僕を黙って待っててくれる。気はあまりきかないけれど決して自分勝手ではない。むしろ相手に合わせようとしてくれる。僕は彼のそういうところが時折無性に可愛らしく見える。
めんどくさくて、しかし可愛い僕の旦那様である。
「そんな俺を射止めた恭平くんが一番勝ち組じゃない?」
こういう時に変に恭平くんのいいところを並べたって聞きやしないので、適当に茶化しておく。
「それはそう」
ちょっとだけ機嫌が直ったのか、洗い物の音が軽快だ。
「でもさ、俺も勝ち組だよ」
「そりゃ……」
「そうだろ」と恭平くんが言い切る前に僕は言葉を続ける。
「だって家に帰ったらこんな可愛い旦那さまがいるしさ」
恭平くんはしばし黙ったあとこう言った。
「皿投げ飛ばしそうになった」
「絶対やめて」
ついつい恭平くんといるとからかいたくなってしまう。僕はソファに移動して大人しく新聞を広げる。気が滅入るようなニュースを読み直す。今日も世界にはフィクションみたいな悲劇が溢れている。ちらりと視線を移して皿を洗ってくれている恭平くんを見る。精密機械でも取り扱っているような真剣な顔で皿を洗う恭平くん。それは僕の平和の象徴だった。
僕は本当に勝ち組だと心から思っている。誰かといるのことを気楽で楽しいと、僕は今までの恋人に感じたことがなかった。恋はいつも駆け引きでスリリングで刺激的ではあったけど、結婚ができなかった頃、恋人という存在はいずれ失う何かでしかなかったし、結婚という制度も御伽噺のような何かでしかなかった。
だがしかし。恭平くんとの間に恋愛感情は皆無だとしても得難いものを得たと思っているのだ。
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