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第1話

 赤穂(あこう)尊斗(みこと)は夜の街をひたすらに急いでいた。  強面ぞろいの職場の中でも一、二を争って怖いと言われる顔が、心配によりさらに剣呑になっている。すれ違う一般市民に威圧感を与えているのはわかっていたが、取り繕う余裕もない。  左腕のデジタル時計で確認した時刻は十八時十二分〇七秒。暑い季節なら夕方と感じる時間帯だが、吐く息の白くなる季節ではとっくに空は闇色で、その中で光る飲食店の看板は毒々しく、やけに眩しく感じられた。  約一時間ほど前、勤務終了間際に元妻から連絡がきた。  娘の(あや)が「お父さんのところに行ってくる」とメッセージを送ってきたので、都合がつくようなら合流して欲しいというものだ。幸い緊急の案件はなく、何とか都合はついた。  赤穂の方には娘からの連絡はなかったため、自宅に向かったのだろうと考え帰宅したが、そこに娘の姿はなかった。  慌ててメッセージアプリで連絡したところ、書店にいるという返信が来た。  赤穂もよく知るその書店は、駅からも近く飲食店の多い明るい通りにあるものの、そこは夜に子供が一人で出歩くような場所ではない。  とにかく書店にいるように返信すると、赤穂は家を飛び出した。  目的地が見えてくると、店頭に綾の無事な姿が確認できてほっとする。  だが、緩みかけた眉間は、すぐに険しく皺が寄ることになった。  娘の隣には男がいた。  同級生などではない。高校生くらいだろうか、友達というには不自然な年の差だ。  赤穂は更に表情を険しくして二人に駆け寄った。 「綾」  まず声をかけると、娘と男が同時に振り返る。 「あっ、お父さん! 早かったね!」 「お父さん?」  綾が嬉しそうに瞳を輝かせ、隣で目を丸くした青年は、赤穂をじっと見つめた。 「……君は?」  低く問いかけると、不穏なものを感じたのか、綾が間に割って入る。 「お父さん、アキラは変な人が来ないように一緒にいてくれたんだよ」 「いや~、このあたりも最近は物騒ですからね~」  男……アキラは、わざとらしく頭を掻いてへらりと笑った。  そんな呼び捨てで名前を呼び合うような仲なのか。  否、口ぶりからして初対面のようだ。  初対面というには馴れ馴れしく、このアキラが愛娘を毒牙にかけようとしていた外道の可能性も十分にある。  赤穂は改めて目の前の男を鑑た。  背丈は百六十五センチ程度で、派手なプリントのシャツにオオカミの刺繍の入ったスカジャンを羽織り、だぶついたカーキのズボンに、有名ブランドの白いスニーカーを履いている。顔は男性アイドルのように小さく、やわらかそうな前髪の間からのぞく瞳はぱっちりとして、長い睫毛が白い肌に美しい陰影を作り出していた。  道を歩けば若い女性が何人も振り返りそうな華やかな容姿だが、赤穂はその中に濃い夜の匂いが漂っているのを見逃さなかった。  職業柄、アンダーグラウンドの気配には敏感だ。  とはいえ、今のところ娘は無事で、その無事には彼が貢献しているとのことだ。明らかに不審な人物ではあるが、筋は通すべきだろう。 「娘が世話になったようで、礼を言う。ありがとう」 「いえいえ。綾ちゃん、お父さん来てくれてよかったねってことで、俺はこの辺で」 「えー、アキラもう行っちゃうの?」 「ごめんね、これから仕事だからさー」 「そうなんだ……。じゃあ、またね」 「もう少し大人になるまでは、ちゃんと大人の人と遊びに来なよ」  アキラは「それじゃ」と赤穂にもなつっこく微笑みかけてくる。  何事もなく去ってくれるというのなら、これほど歓迎すべきことはない。  すれ違う瞬間、甘いフレグランスが香った。  強い香気を感じたのはほんの一瞬。  一歩遠ざかる間に甘さは錯覚だったかのように掻き消え、アキラの背も夜の街へと溶け込んでいった。  アキラが去った方角を睨むようにして見ていた赤穂は、つんと裾を引かれたことで我に返った。 「お父さん、心配かけてごめんなさい」  眉を下げた綾がしょんぼりと謝ってくる。  赤穂は微かに目元を緩め、口角を上げた。 「お母さんも心配してたぞ」 「でも、塾とかでもっと遅くに一人で帰るときもあるよ」 「綾の住んでいる辺りとこの辺では、犯罪の数が違うんだ。せめて来る前に連絡しなさい」 「だって……お仕事中だったら悪いかと思って」  健気な言葉に、天を仰ぎたくなる。  綾が赤穂のところへ来たがるのは、これが初めてではなかった。  どうも、仕事が忙しく帰りが遅い母親を一人で待っているのが寂しいらしい。  力になりたいが、赤穂の方は更に不規則で、今日は奇跡的に都合がついたものの、自宅に戻れない日もあるような仕事だ。  幼い娘にこんな気遣いをさせてしまうのは不甲斐ないと思う。  しかし現状赤穂にできるのは、何とか都合のつく日だけ駆けつけることくらいだった。  心配は尽きないが、赤穂の方が身につまされる説教はひとまずやめることにする。 「何か食べて、それから家に送っていこう」 「あ、じゃあね、このお店行ってみたい!」  ぱっと笑顔になった綾は、スマートフォンの画面を見せてくる。  食事する場所まで決めていたのかと、感心半分呆れ半分で苦笑した。  幸い知っている場所だったため、元気いっぱいの娘を促し、目的地に向かって歩き始める。  不意に、妙に胸が騒ぐ心地がして、赤穂はアキラが消えて行った方角を振り返った。  当然、彼の姿はもうない。  そこには、人の作り出した明るすぎる闇が広がるのみだ。  

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